国道58号(こくどう58ごう)は、鹿児島県鹿児島市から種子島、奄美大島を通り、沖縄県沖縄島の那覇市に至る一般国道である。複数のフェリーで結ばれている、海上航路部分も国道扱いとなっている。
概要
途中、種子島、奄美大島を経て、沖縄本島に達する。全体の約7割を占める海上区間の延長609.5 kmは日本最長で、海上区間を含む国道の路線別総延長でも、2022年(令和4年)3月31日現在、第1位の長さをもつ[3][注釈 1]。2桁国道であるが、種子島と奄美大島は指定区間外である。
県庁所在地である鹿児島市と那覇市とを、種子島、奄美大島を中継して連絡する日本では一番長大な海上国道である[4]。沖縄県の一部区間、大宜味村の宮城島を通過する。航路は、鹿児島市 - 種子島間と鹿児島市 - 奄美大島 - 沖縄本島間が就航している。
鹿児島市内では700 m程だが『朝日通り』の愛称がある[4]。沖縄県では「沖縄の大動脈・国道58号」などと称されている。沖縄県内では、主に地元の人の間で「ゴーパチ」や「ゴッパチ」、「ゴーハチ」などと呼ばれている、もしくは米軍統治下の名残から(後述)単に「1号線」とも呼ばれている。また沖縄県内で唯一の片側3車線道路(明治橋 - 嘉手納交差点付近の区間)である。種子島や奄美大島では唯一の国道であるため、単に「国道」と言えば本道路のことを指す場合が多い。
九州・沖縄を通じて交通量がもっとも多い国道である。平成17年度道路交通センサスによる平日24時間交通量は、沖縄県浦添市勢理客(じっちゃく)で81,255台/日であり、九州・沖縄で第1位であった[注釈 2]。
沖縄県の嘉手納町 - 北谷町の嘉手納基地沿いは、ヤシ並木の優れた街路樹景観が評価され、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[6]。
毎年10月に開催される那覇まつりのメインイベントである那覇大綱挽は、那覇市久茂地交差点付近で、可動式の中央分離帯を撤去した上で行われる[注釈 3]。
路線データ
一般国道の路線を指定する政令[7][注釈 4]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史
国道58号の沖縄県内部分は、米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源となる[9]。この道路は那覇軍港、普天間基地、嘉手納基地などをつなぐ、沖縄の大動脈である。なお「緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた」と言われることがあるが、当時は沿線に7箇所の飛行場があり滑走路として使用する必要性はほぼなく都市伝説に過ぎない。1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾 - 名護町名護 - 国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋 - 読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。なおこの時期は舗装はなされていたものの、歩道などの付属設備等はそれほど進んでいなかった。読谷村 - 名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。以下に述べるように国道58号となった後も沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。
その年の5月15日、沖縄返還と同時に「沖縄の復帰に伴う建設省関係政令の改正に関する政令」が施行され、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、以降新設される国道には三桁(272号以降)の路線名が与えられていた。その後に新設された一般国道58号は、特例として二桁の路線名が付与されたものである。ゆえに、一級国道であったことはない。
なお、この時点では経由地に種子島・奄美大島は含まれておらず、鹿児島市の直後が沖縄県国頭村となっていた。昭和49年(1974年)政令第364号にて経由地に西之表市・南種子町・笠利町・名瀬市・瀬戸内町が加えられた。
沖縄県での自動車の普及に伴い順次整備が進み、那覇近郊では最大8車線に拡張、読谷村から名護市にかけての山裾、海岸沿いの連続するカーブ[注釈 7]や勾配なども多くが改められ、現在に至る。奄美大島でも龍郷-名瀬間などはトンネルの掘削による改良が行われたが、交通量の少ない種子島では片側1車線の区間が大半である。
路線状況
海上区間の航路としては、鹿児島市・鹿児島港 - 種子島・西之表港間にコスモライン、鹿児島港 - 奄美大島・名瀬港 - 沖縄本島・本部港 - 那覇港にマルエーフェリーとマリックスラインが就航する。ただし、種子島 - 奄美大島間の航路は無く、奄美大島 - 沖縄本島間の航路も沖縄本島の起点である国頭村に寄港しないため、航路を考慮してもこの区間は断続することになる。
バイパス
別名
- 国頭方西海道
- 琉球王朝時代の同街道にほぼ沿っている。ただし、恩納村山田 - 読谷村伊良皆および浦添市牧港以南は県道指定など別ルートである。
- ゴーパチ・ゴッパチ・ゴッパー・ゴーハチ・58号・1号。
重複区間
- 国道224号(鹿児島県鹿児島市山下町・西郷隆盛銅像前交差点(起点) - 鹿児島市本港新町・鹿児島港)
- 国道329号(沖縄県那覇市旭町・旭橋交差点 - 那覇市通堂町・明治橋交差点(終点))
道の駅
二輪車の車両通行区分規制
国道58号の嘉手納南(嘉手納町) - 城間(浦添市)と、勢理客北(浦添市) - 旭橋(那覇市)の2区間計約19.7キロには二輪車の車両通行帯(車両通行区分)の交通規制が導入されていたが、2024年9月末までに解除されることになった[10]。この規制は二輪車は原則として第一通行帯(第一車線)を走行し、右折・横断する場合は手前からできる限り道路の中央に寄って右折・横断する(原付の二段階右折場所を除く)という規制である[11]。この二輪車の車両通行区分規制はバイクの車線変更時の事故の多発を受け、1983年に導入され他府県でも導入されていたが、徐々に解除され、沖縄県の国道330号と国道58号のみとなった[10]。国道330号の二輪車の車両通行区分規制も2024年8月末までに廃止されることが決定しており、同年9月末までに国道58号の二輪車の車両通行区分規制も廃止されることで全廃となる見通しである[10]。
地理
通過する自治体
交差する道路
主な峠
国道58号にまつわるエピソード
沖縄県民の多くの人々にとって、国道58号は沖縄を象徴する最も慕われた道路として存在し、国道58号関連の土産物グッズは日本の国道の中でも特に多いといわれる。
- 沖縄県出身のインディーズバンド「かりゆし58」の58は、この国道58号からとられている。「かりゆし」とは縁起のいいと言う意味の方言。バンドはインディーズとしては異例の日本有線大賞新人賞を受賞している。
- 沖縄県出身のハードロックバンド紫のアルバム『PURPLESSENCE』の中に、「58」という国道58号をモチーフにした曲がある。
- 沖縄県出身のバンドであるBEGINのアルバム『ビギンの一五一会・58(ごっぱち)ドライブ』は、国道58号を指した「58」をアルバムの名前の中に盛り込んだ作品名で発表している。
- 沖縄県生まれのタレント範田紗々のアルバム『We love goya』のデザインは、国道58号の標識を模す。「58」は「ゴーヤ」の語呂合わせでもある。
- 日本のほぼすべてでは脛(すね)を「弁慶の泣き所」というのに対し、沖縄地区の一部では「一号」という。この由来は国道58号の本土復帰前のHighway No.1となっている。
- 国道58号を取り上げたドキュメンタリー番組として『鹿児島放送開局30周年記念番組 海の道が結ぶ自然遺産〜屋久島・奄美大島 奇跡の島々へ〜』(2013年1月27日、鹿児島放送制作、テレビ朝日系列)がある[14]。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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通過市町村 |
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交差点 |
西郷隆盛銅像前 - 朝日通り - 泉町 - (海上区間) - 伊差川西 - 名護漁港前 - 白銀橋 - 宮里4丁目 - 宮里3丁目 - 嘉手納 - 国体道路入口 - 伊佐 - 大謝名 - 牧港 - 屋富祖 - 安謝 - 泊高橋 - 泊ふ頭入口 - 松山 - 久茂地 - 泉崎 - 旭橋
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バイパス | |
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沖縄西海岸道路 | |
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自然要衝 | |
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構造物 | |
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道の駅 | |
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旧道 | |
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関連項目 | |
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1 - 100 (1 - 57号は旧一級国道。59 - 100号は欠番) |
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101 - 200 (旧二級国道、109 - 111号は廃止・欠番) |
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201 - 300 (201 - 271号は旧二級国道、214 - 216号は廃止・欠番) |
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