国道255号 終点
神奈川県小田原市
小田原市民会館前交差点
国道255号(こくどう255ごう)は、神奈川県秦野市から足柄上郡松田町を経て、小田原市に至る一般国道である。
概要
国道246号(重複区間)との分岐
神奈川県足柄上郡松田町
籠場インター付近
秦野市と足柄上郡松田町の間は国道246号に重複しているため、単独区間は足柄上郡松田町(国道246号)と小田原市(国道1号)の間である。
秦野市を起点とする背景には、1962年(昭和37年)5月1日当時の道路法の条文により、重要都市(秦野市)と一級国道(国道1号)を結ぶ路線とせざるをえなかったという事情がある(現行道路法にも実質的に同じ条文が残っているが、表現が変わり、「重要都市」が「人口十万以上の都市」に、「一級国道」が「前号に規定する国道」になっている)。
路線データ
一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史
1962年(昭和37年)に建設大臣に就任した河野一郎は、「横紙破り」とよばれる政治行動でも知られた政界の実力者で、国務大臣として辣腕をふるい、首都高速道路、東名高速道路、名神高速道路などの整備を強力に推進していった。
河野は、このとき始まった東名高速道路の建設ルートが出身地で地元選挙区がある小田原市を通過しないことに不満を持ち、東名高速道路で出るために、大井松田ICと小田原市を直結する一般県道小田原松田線を、国道に指定させたといわれている[注釈 3]。
国道として指定されたのは、1962年(昭和37年)5月1日の二級国道の第三次路線指定で「二級国道255号秦野小田原線」となったときで、翌1963年(昭和38年)4月1日から施行された[7]。1962年(昭和37年)5月1日の二級国道の路線を指定する政令の一部改正では、国道255号と一部区間(秦野市 - 足柄上郡松田町)が重用する路線となった二級国道246号東京沼津線の重要な経過地の欄に「神奈川県足柄上郡松田町」が加えられ、これと同時に二級国道255号を含む二級国道32路線[注釈 4]が追加指定されている[7]。
1965年(昭和40年)に道路法が改正されると、従来の一級・二級の国道区分が廃止されて、一般国道に統合されたことに伴い、「二級国道255号秦野小田原線」から「一般国道255号」となった[1]。
年表
路線状況
国道1号と国道246号を南北に結んでおり、足柄平野の主要ルートとしての役割を果たしている。
重複区間
地理
東名高速道路、大井松田IC付近
神奈川県足柄上郡大井町
通過する自治体
交差する道路
ギャラリー
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籠場インター付近
神奈川県足柄上郡松田町
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神奈川県足柄上郡
大井町金子
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神奈川県小田原市扇町
脚注
注釈
- ^ 一般国道の路線を指定する政令の最終改正日である2004年3月19日の政令(平成16年3月19日政令第50号)に基づく表記。
- ^ a b c d e f g 2022年3月31日現在
- ^ さらに、河野は小田原の自宅から建設省や国会議事堂がある東京へ出るために、大井松田ICを経由すると遠回りになるので、建設省内に対し東名高速の厚木ICから小田原へ短絡する道路の建設を命じたといわれている(→小田原厚木道路)。
- ^ 105号、115号、122号、123号、129号、155号、170号、173号、179号、182号、194号、197号、242号、252 - 270号
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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国道255号に関連するカテゴリがあります。
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1 - 100 (1 - 57号は旧一級国道。59 - 100号は欠番) |
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101 - 200 (旧二級国道、109 - 111号は廃止・欠番) |
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201 - 300 (201 - 271号は旧二級国道、214 - 216号は廃止・欠番) |
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