鹿児島県 (かごしまけん)は、日本 の九州地方 に位置する県 。県庁所在地 は鹿児島市 。
薩摩半島 ・大隅半島 の二つの半島 と多くの離島 を有する[ 1] 。
概要
令制国 の薩摩国 と大隅国 に該当するが、824年 まで多禰国 、1581年 まで肥後国 、1872年 まで日向国 、1879年 まで琉球国 [ 注釈 2] 、1897年 まで日向国だった地域もある。
島津家 が藩主 を務めていた薩摩藩 は、幕末 期には長州藩 (現在の山口県 )とともに薩長同盟 を締結して明治維新 に大きく貢献した。そのため、西郷隆盛 や大久保利通 、松方正義 、五代友厚 など政財界の要人を多数輩出した。
霧島山 、桜島 、種子島宇宙センター 、世界自然遺産 の屋久島 、奄美大島 や徳之島 などがあり、自然・文化・観光・産業などの面において、豊富な資源を有している。県庁所在地の鹿児島市 は南九州 地方の中心都市として栄えている。
名称
鹿児島神宮 (霧島市 隼人町 )に由来する。「鹿児島」の語源は、天津日高彦穂々出見尊 (山幸彦)が海神宮(わたつみ)に行く際に乗った舟が鹿児山で作られたという説や、「神籠もる島」という説、「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」と謂われ、鹿児島は桜島の古い名であるという説、など諸説ある。
現在鹿児島市と鹿児島神宮は離れているが、鹿児島郡設置当初は天降川 までが鹿児島郡内であった。
小惑星 (4703) Kagoshima は鹿児島に因んで命名された[ 2] 。
地理・地域
九州本島最南端の佐多岬 。鹿児島湾 東岸の大隅半島 最南端に位置する。
奄美大島のマネン崎
鹿児島県最南端かつ最西端の与論島
ラムサール条約指定地である藺牟田池
世界遺産に登録されている屋久島 の縄文杉
離島には天草諸島 の一部(長島列島)、甑島列島 、宇治群島 、草垣群島 、薩南諸島 (大隅諸島 ・吐噶喇列島 ・奄美群島 )などがあり、鹿児島湾 内・志布志湾 内にもある。離島の数は1,256に上り、長崎県 ・北海道 に次ぐ全国3位。うち有人離島の数は28で、離島人口は全国1位である。
東端は志布志町内之倉 、南端かつ西端は与論島 、北端は蜂ノ島 で、南北約600km、東西約270kmにわたる。海岸線延長は2,643kmに及び、北海道・長崎県に次ぐ全国3位。本土・島嶼部を合わせた県域全体の面積は 9,187 km2 で、全国10位、岐阜県 を東日本とみなせば西日本で最大となる。
本土は、霧島山を除けば大部分はシラス台地 の地質からなっており、水はけがよく非常に脆い。また、低地や平野が極端に少ないために、県内のほとんどの市町は周囲が山に囲まれている。それ故に各市町は本土の各地に点々と散らばっている。
古くから活火山 として知られる桜島 をはじめ、噴火活動の頻度の高い火山 が多くある。温泉 の数も多く、泉源数は約2,730で、大分県 に次ぐ全国2位で、県内の入浴施設のほとんどが温泉である。
地形
気候
北端の蜂ノ島のすぐ南に獅子島が位置しており、無人島を除いても南北の距離は約600kmに及び、緯度 も5度以上異なる。本土北部の大口盆地のような積雪地域もあれば、奄美群島のような亜熱帯 地域も存在する。鹿児島地方気象台 のほかに名瀬測候所が設置されており、吐噶喇列島と奄美群島が「奄美地方」、県内の他の地域と宮崎県 が「九州南部」と季節予報区分が異なる[ 3] 。
鹿児島県本土は冬は温暖で、夏は日照時間も多いが降水量は多い。真夏日は長い期間続くが、猛暑日はそれほど多くなく、県内の最高気温記録は肝付町肝付前田の38.5℃で、沖縄県、宮城県、神奈川県に次いで低い。南国のイメージが強いが、薩摩半島は東シナ海 に面するため、大陸からの寒気の影響を受けやすく、冬は厳しい寒さとなることがある。冬節風 の風向次第では多量の雪雲が供給されるため鹿児島市 の中心部でも積雪に見舞われることがあり、2011年1月1日には鹿児島市内でも25cmの積雪を観測するなど、九州 の県庁所在地の中で最も積雪する回数が多い。また、屋久島の山岳部では毎年のように積雪があり、種子島・屋久島の平野部でもごく稀に降雪するため、積雪観測地では日本最南端である。また、1901年2月12日及び2016年には奄美市 名瀬 で降雪が観測されたことがある。2005年3月に奄美大島の山地での積雪が写真家によって確認されるなど、標高の高いところでは近年でもまれに降雪や積雪が見られるが、気象台 や測候所 での観測ではないため、公式記録とはならない。
夏から秋にかけては台風 の影響を受ける。特に薩南諸島(大隅諸島・吐噶喇列島・奄美群島)には多くの台風が接近しており、専門家から『日本有数の台風銀座 の鹿児島県』と言われている。1951年 (昭和26年)以降の台風上陸 数が日本一の県であり[ 4] [ 注釈 6] 、その中には日本列島に大被害をもたらした「枕崎台風 」「ルース台風 」「洞爺丸台風 」「台風13号(1993年) 」「台風16号(2004年) 」などがある。
鹿児島県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報 )
平年値 (月単位)
甑島列島
薩摩地方
大隅地方
薩摩川内市 中甑
阿久根
日置市 東市来
伊佐市 大口
さつま町 さつま柏原
薩摩川内市 川内
霧島市 溝辺
鹿児島
鹿児島市 喜入
指宿
枕崎
霧島市 牧之原
鹿屋市 輝北
志布志
鹿屋
肝付町 肝付前田
平均 気温 (°C )
最暖月
27.4 (8月)
26.8 (8月)
26.5 (8月)
25.7 (8月)
27.0 (8月)
27.2 (8月)
28.2 (8月)
27.7 (8月)
27.6 (8月)
27.3 (8月)
24.8 (8月)
24.9 (8月)
26.2 (8月)
26.8 (8月)
27.0 (8月)
最寒月
9.1 (1月)
7.5 (1月)
7.2 (1月)
4.3 (1月)
5.8 (1月)
6.5 (1月)
8.3 (1月)
8.5 (1月)
8.6 (1月)
8.6 (1月)
5.1 (1月)
5.7 (1月)
7.0 (1月)
7.1 (1月)
7.4 (1月)
降水量 (mm )
最多月
433.5 (6月)
403.0 (6月)
426.2 (6月)
549.5 (6月)
505.0 (6月)
439.0 (6月)
502.1 (6月)
442.9 (6月)
478.4 (6月)
432.5 (6月)
432.5 (6月)
505.9 (6月)
521.6 (6月)
424.0 (6月)
455.7 (6月)
413.1 (6月)
最少月
90.0 (12月)
68.5 (12月)
67.2 (12月)
54.2 (12月)
64.5 (12月)
78.4 (12月)
50.1 (12月)
67.5 (12月)
74.4 (12月)
70.0 (1月)
70.0 (12月)
51.2 (12月)
62.3 (12月)
52.3 (12月)
51.9 (12月)
58.6 (12月)
平年値 (月単位)
大隅地方
薩南諸島
種子島
屋久島
吐噶喇列島
喜界島
奄美大島
徳之島
沖永良部島
与論島
肝付町 内之浦
錦江町 田代
西之表市 種子島
中種子
南種子町 上中
屋久島
屋久島町 尾之間
十島村 中之島
喜界町 喜界島
奄美市 笠利
奄美市 名瀬
瀬戸内町 古仁屋
天城
伊仙
和泊町 沖永良部
与論町 与論島
平均 気温 (°C )
最暖月
27.1 (8月)
25.3 (8月)
27.8 (8月)
26.4 (8月)
26.9 (8月)
27.4 (8月)
28.4 (7月)
28.0 (7月)
27.9 (7月)
28.2 (7,8月)
最寒月
8.8 (1月)
6.5 (1月)
11.5 (1月)
10.4 (1月)
11.4 (1月)
12.5 (1月)
14.6 (1月)
14.8 (2月)
14.7 (1,2月)
16.1 (2月)
降水量 (mm )
最多月
532.0 (6月)
446.5 (6月)
416.4 (6月)
520.3 (6月)
697.1 (6月)
545.8 (6月)
258.3 (6月)
401.2 (6月)
311.2 (6月)
271.4 (6月)
264.2 (6月)
197.1 (5月)
最少月
66.5 (12月)
67.9 (12月)
84.7 (12月)
110.9 (12月)
230.4 (12月)
94.6 (12月)
91.4 (12月)
158.2 (12月)
84.3 (12月)
87.0 (12月)
100.1 (12月)
80.0 (12月)
自然公園
世界遺産
自然遺産
文化遺産
ラムサール条約登録地域
地域区分
鹿児島県の自治体(屋久島以北) /
略数字 : 1.
東串良町
地域区分
薩摩川内市
奄美市名瀬
以下の19市8郡20町4村がある。町はすべて「ちょう」、村は鹿児島郡2村が「むら」、大島郡2村が「そん」という読み方である。◎印は中核市 、☆は地域中核都市である。これは鹿児島県が指定した人口10万人以上の市で、施行時特例市 ・中核市 並の権限を委譲されている。
以下、7つの地域振興局 ごとに市町村を記述する。
鹿児島地域
カラー:
鹿児島地域は、薩摩半島の中央部に位置する3市と、薩摩半島の南西に位置する三島村、屋久島と奄美大島の間に7つの有人離島が点在する十島村からなり、南北300kmの広がりを有している。3市は、東側に桜島、錦江湾を望み、西側には日本三大砂丘の一つで白砂青松 の吹上浜 によって東シナ海に面しており、それぞれの地域は国立公園、県立自然公園に指定されている。三島村黒島 、十島村宝島 には、国指定天然記念物の森林植物群落 があるほか、渡瀬線 で区分される亜熱帯と温帯の生物群が見られる。また、日常的に噴煙を上げる桜島、諏訪之瀬島 をはじめ5つの活火山 が存在するとともに、多様で豊富な温泉資源に恵まれているほか、桜島・錦江湾 や三島村・鬼界カルデラ の2つのジオパーク が日本ジオパーク として認定されている。
県都鹿児島市を擁し、商業 、文化 、アミューズメント機能、オフィス 、官公庁 などの様々な都市機能が集積し、人・モノ・情報の交流拠点として重要に役割を担っている。また、北部九州 や関西圏 との時間的距離を格段に短縮した九州新幹線 をはじめ、九州縦貫自動車道 、南九州西回り自動車道 などの高速交通網、離島航路の発着機能を持つ鹿児島港 が整備されているとともに、国際線を有する鹿児島空港と短時間で結ばれるなど、陸・海・空の交通結節点 としての機能を備えている。
南薩地域
カラー:
南薩地域は、吹上浜砂丘、坊 ・野間のリアス式海岸、開聞岳 、池田湖 、天然砂むし温泉など豊かな自然環境に恵まれている。
また、篤姫 ゆかりの今和泉 、知覧 の武家屋敷群 や特攻平和会館 、秋目 の鑑真記念館などの歴史的資源や川辺 仏壇などの伝統工芸品 、かつお節 、お茶などの特産品があり、指宿菜の花マラソン、川辺二日市、吹上浜砂の祭典 や枕崎港まつりなどの個性豊かな多彩なイベントが行われている。
北薩地域
カラー:
北薩地域は、県北西部に位置しており、九州三大河川の一つである川内川 が流れ、陸繋島 や陸繋砂州 、潟湖 など珍しい地形の見られる甑島 をはじめとする島々、東シナ海に面した美しい海岸線やラムサール条約 に登録された藺牟田池 など豊かな自然に恵まれている。このほか、出水平野 に飛来する鶴や奧薩摩のホタル、出水麓 や入来 の武家屋敷群、ブリやタケノコといった食材などが全国的に高い評価を受けている。
また、2011年 春には九州新幹線が全線開業し、肥薩おれんじ鉄道 の活用と併せて、観光客の増加が期待されている。
姶良・伊佐地域
カラー:
姶良・伊佐地域は、霧島山 系をはじめとする景勝地や温泉、肥薩線 を中心とする近代化産業遺産群 など優れた自然や観光資源に恵まれている。
地域のほぼ中央に鹿児島空港 が位置し、九州縦貫自動車道 、東九州自動車道 などの高速道路や日豊本線 、肥薩線、吉都線 などの鉄道が走る交通の要所でもあり、その利点を生かし、IT産業 などの企業立地が進んでいる。
また、「霧島国際音楽ホール 」、「霧島アートの森 」、「上野原縄文の森 」及び「県民の森 」など特色ある文化・交流施設が数多く存在している。
大隅地域
カラー:
大隅地域は、鹿屋市をはじめとする大隅半島の4市5町で、地域の面積は県全体の約23%を占めている。広大な土地、豊かな自然を活かした農林水産業が展開されており、農業生産額は県内の約4割を占めるなど、様々な食材に恵まれているほか、かのやばら園 や本土最南端の佐多岬など観光資源として価値ある豊かな自然環境、景勝地を有している。
熊毛地域
カラー:
熊毛地域は、種子島・屋久島とそれぞれの属島である馬毛島・口永良部島の4島からなっている。
種子島は、日本唯一の実用衛星打上げ基地 を持つ宇宙への玄関口として、また日本で初めて鉄砲 が伝来した歴史ある島として知られている。
屋久島は洋上アルプスと言われ、島の中央部には2000メートル近い山々がそびえたち、その自然のおりなす景観などが普遍的な価値を持つとして評価され、日本で初めて世界自然遺産登録がなされた島である。
大島地域
大島地域は、奄美市及び大島郡(1市9町2村)からなり、地域内には、南北約400キロメートルに連なる、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つの有人島(奄美群島)がある。奄美群島は、奄美群島国立公園 に属する景勝地をはじめ、輝く太陽のもとに広がるエメラルドグリーンの海、サンゴ礁 の間を遊泳する色とりどりの熱帯魚 、サンゴ礁が砕けてできた白い砂浜、特別天然記念物のアマミノクロウサギ などの希少な動植物、平均気温21℃前後の中で年間を通じて絶えることのない花々、ソテツ ・アダン ・ガジュマル などの熱帯樹 に囲まれた集落など、豊かな自然に恵まれた、亜熱帯の島々である。のような亜熱帯性・海洋性の優れた自然とともに、島口 (方言)・島唄 ・八月踊り ・六調踊りなどの伝統芸能や大島紬 ・黒糖焼酎 さらには亜熱帯性の果物類など、個性的で多様な観光資源に恵まれている。
消滅した市町村
消滅した郡
歴史
先史時代
今から約2万4000年前、姶良カルデラ が大爆発を起こした。この時噴出した火山灰を姶良Tn火山灰 と呼ぶ。そのAT火山灰は、遠く北海道 まで達している。南九州では入戸火砕流 などによりシラス台地 が出来上がった。
1924年(大正13年)に指宿市 の橋牟礼川遺跡 で縄文土器 が初めて発見されている。約6300年前のアカホヤ火山灰 層より下層が縄文時代 とされた。
種子島 にある立切遺跡 (たちきり、熊毛郡 中種子町 )の3万1000年前の火山灰層から、磨石(すりいし)・敲石(たたきいし)・礫群・焼土・土坑などが確認された。これらは後期旧石器人のキャンプ場と考えられている。
旧石器時代遺跡 が、2005年 (平成17年)の時点で約40カ所発見されている。約1万1000年前の掃除山遺跡 (鹿児島市 )、約1万2000年前の栫ノ原遺跡 (南さつま市 )、約9500年前の上野原遺跡 (霧島市 )など、日本国内最古級の定住集落跡が発見されている。
古代
古墳時代 に入った4世紀 末-5世紀 前半には、肝属郡 東串良町 の唐仁大塚古墳 (唐仁古墳群 )や曽於郡 大崎町 の神領古墳群 など、大隅半島 の志布志湾 周辺に畿内王権 と結び付きの強い首長 勢力が現れ、前方後円墳 を築いた。同時期の薩摩半島 では、4世紀代に日本列島西南端の古墳 として南さつま市 に奥山古墳 (円墳 )が出現した。また5世紀後半には指宿市 に日本最南端の古墳である弥次ヶ湯古墳 (円墳)が出現した。なお、日本最南端の前方後円墳は、肝属郡 肝付町 の塚崎古墳群 51号墳(花牟礼古墳)である。
また、この時代の鹿児島県内では、大隅半島を中心に分布する地下式横穴墓 や、薩摩郡 さつま町 の別府原古墳群など北薩 地域に分布する板石積石棺墓 (地下式板石積石室墓)など、かつては「隼人 の墓制」と呼ばれたこともあった南九州 地域独特の地下式墓制が出現した。なおこれらの地下式墓制については、1990年代 以降の鹿児島県内における古墳の調査成果と研究の進展により、飛鳥 ・奈良時代 の史料 に現れる隼人と古墳時代の考古資料 とを直接結びつける考え方を疑問視する意見が強まり、今日では「隼人の墓」という捉え方はほとんどなされていない。
飛鳥 ・奈良時代 に入る7世紀 末以降、薩摩・大隅地域の住民の一部は「隼人 」と呼ばれた。律令国家 の成立とともに隼人は次第に中央の律令制に組み込まれていく事になる。朝廷は太宰府から兵を送り702年 (大宝 2年)には唱更国(後の薩摩国 )を設置し、また豊前国から713年 (和銅 6年)設置の大隅国にも人民を送り、朝廷の支配体制に組み込もうとする。これに対し7世紀末から8世紀 前期まで4つの大きな反乱があり、中でも最大の反乱は720年 (養老4年)- 721年 (同5年)の隼人の反乱 であり、この結果ついに平定される事になる。平定後の隼人は、9世紀 初頭まで朝廷に朝貢する形態となっていたが、それ以降班田収授法 が本格的に施行される。これらの時期と前後する7 - 8世紀ごろには、遣唐使 船の行き来(南方航路)や、南島の島々(奄美、球美、信覚など)から朝廷への朝貢の動きもあった。
1026年 (万寿3年)には大宰大監 平季基 が日向 の都城 に島津荘 を初めて開墾したと伝わる。薩摩・大隅にも進出し日本国内でも有数の大規模な荘園 を開墾した。称・桓武平氏 流の鎮西平氏や薩摩平氏 、河邊氏が南九州を領する事となり国人 化していく。
中世
鎌倉時代 の1185年 (文治 元年) 島津荘 下司職に補任された島津忠久 を祖とする島津氏 が薩摩国・大隅国・日向国守護を独占するようになり、戦国時代 期には戦国大名 化した。また、島津氏が守護を務めた南九州の薩摩・大隅・日向のことを「三州」と称し、島津氏 が戦国大名化した戦国期には「三州の太守」と称される事になる。ただし、大隅国と日向国の守護は比企能員の変 に関与した疑いで早い時期に没収されており、更にに島津氏が県本土全域を支配するのは安土桃山時代 に入ってからのことであり、三州に至っては1577年 (天正5年)以降の10年程度に限られる。
中世には坊津 、内之浦 などが貿易港として中国 、朝鮮 、東南アジア 地域との交易を盛んに行ったが、肥前(長崎県 )などと同様に黒潮に乗って活動する倭寇 の根拠地が南西諸島 地域にあった。
近世
近現代
1872年(
明治4年 )旧12月の行政区画地図における鹿児島県
1871年 (明治 4年) - 廃藩置県 により薩摩、大隅、日向の3ヶ国のうち薩摩藩の範囲で鹿児島県が成立。同年11月14日(新暦12月25日)に日向と大隅のうち本土部分を分離し都城県 とした。
1872年 (明治5年) - 琉球を分離して琉球藩 が成立
1873年 (明治6年)1月15日 - 宮崎県 (初代)の設置に伴い、都城県のうち大隅国の部分を鹿児島県に移管。旧日向国であった地域(現在の志布志市 ・大崎町 など)は宮崎県所属となった。
1876年 (明治9年)8月21日 - 宮崎県を合併。
城山の戦い(西南戦争)
桜島の大正大噴火(1914年)
奄美群島の本土復帰
人口
1955年(昭和30年)には200万人を超えていた人口は2023年に約156万人にまで減少した。合計特殊出生率は全国平均と比較してかなり高いがそれでも人口置換水準には届かないことや、社会減が続いていることで人口減少率は大きい。鹿児島市やその郊外地域にあたる姶良市などは人口減少が非常に緩慢だがその他の地域は概ね減少率が高く、一極集中の傾向が強まっている。
鹿児島県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出) 増加 0.0 - 2.49 %
減少 0.0 - 2.5 %
2.5 - 5.0 %
5.0 - 7.5 %
7.5 - 10.0 %
10.0 % 以上
鹿児島県と全国の年齢別人口分布(2005年)
鹿児島県の年齢・男女別人口分布(2005年)
■ 紫色 ― 鹿児島県■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
鹿児島県(に相当する地域)の人口の推移
1970年 (昭和45年)
1,729,150人
1975年 (昭和50年)
1,723,902人
1980年 (昭和55年)
1,784,623人
1985年 (昭和60年)
1,819,270人
1990年 (平成2年)
1,797,824人
1995年 (平成7年)
1,794,224人
2000年 (平成12年)
1,786,194人
2005年 (平成17年)
1,753,179人
2010年 (平成22年)
1,706,242人
2015年 (平成27年)
1,648,177人
2020年 (令和2年)
1,588,256人
総務省 統計局 国勢調査 より
鹿児島県人口動態
2024年9月1日現在、鹿児島県の人口は約153万人となっている。現在の人口は1928年(昭和3年)の人口水準、ピーク時の4分の3程度の規模である。鹿児島県の人口は1955年にピークを迎え当時は204万人を擁していたが、1975年には172万人まで減少した。その後は回復基調となり1985年に人口182万人で第二のピークを迎えたが、1985年以降は人口減少が長期に渡って続いている。
表1. 国勢調査結果に基づく鹿児島県の人口推移
実施年
人口(人)
増減人口(人)
人口増減率(%)
国内増減率(%)
増加率全国順位
1960年
1,963,104
-
-
-
-
1965年
1,853,541
109,563
5.58
5.20
44位
1970年
1,729,150
124,391
6.71
5.54
47位
1975年
1,723,902
5,248
0.30
7.92
44位
1980年
1,784,623
60,721
3.52
4.57
24位
1985年
1,819,270
34,647
1.94
3.40
30位
1990年
1,797,824
21,446
1.18
2.12
39位
1995年
1,794,224
3,600
0.20
1.58
39位
2000年
1,786,194
8,030
0.45
1.08
35位
2005年
1,753,179
33,015
1.85
0.66
37位
2010年
1,706,242
46,937
2.68
0.23
35位
2015年
1,648,177
58,065
3.40
0.75
38位
2020年
1,588,256
59,921
3.64
0.75
34位
政治
県政
県行政庁舎
県議会庁舎
県警察庁舎
財政
平成24年(2012年)度
標準財政規模 4728億9602万円
財政力指数 0.29 (都道府県平均 0.46)
Eグループ(財政力指数0.2以上、0.3未満)11自治体中3位
鹿児島県は全国に先駆けて高齢化が進行するとともに、外海離島や半島を有し社会資本整備が立ち遅れている(行政コストが掛かる過疎地域が多い)ことなどから財政需要が増大している。平成24年3月に策定した「行財政運営戦略」を踏まえ、持続可能な行財政構造を構築するため引き続き行財政改革に取り組んでいる。
経常収支比率 97.0%(都道府県比率 94.6%)
将来負担比率 235.6%(都道府県比率 210.5%)
実質公債費比率 16.7%(都道府県平均 13.7%)
人口100,000人当たり職員数 1,422.19人(都道府県平均 1,110.90人)
ラスパイレス指数 105.8(都道府県平均 107.4)
地方債残高
普通会計分の地方債現在高 1兆7215億5100万円
上記普通会計分以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 503億600万円
平成23年(2011年)度
財政力指数 0.29 (都道府県平均 0.47)
Eグループ(財政力指数0.2以上、0.3未満)9自治体中2位
県内の施設
イメージキャラクター
元々は2011年 に開催された全国都市緑化かごしまフェア 花かごしま2011 のマスコット。
国政
国会
衆議院 の小選挙区が4。参議院 では、全県で1区を構成。
諸外国関連施設
チェコ 政府観光局日本代表部 霧島市溝辺町麓876-15霧島高原ビール(株)内
自衛隊
防衛省
経済・産業
産業
指宿市のサツマイモ畑と開聞岳(2023年5月)
日本有数の農業県である。鹿児島県が日本における主要な産地となっている農産物としてサツマイモ 、サヤインゲン 、茶 (鹿児島茶 )などがある[ 23] 。
伝統的に焼酎 製造が盛んで県内の酒造業者はほぼ焼酎を中心商品としている。
養豚 は鹿児島県の代名詞的な(東京都内で、鹿児島と言って連想するものは80%の人間が豚と答えたほどである)産業で、養豚による収益は約820億円といわれている県産業の基幹。鹿児島県内で豚 は約140万匹(ペット用のミニブタは除く)飼われているが、そのうち黒豚 の示す割合は年々増加傾向気味で、2009年 (平成21年度)には繁殖子取り雌豚の38%にまで黒豚の数が回復した。しかし1973年 (昭和48年)の白黒論争が発端となり一時は絶滅しかけ、1985年 (昭和60年)には黒豚の割合は3%まで落ち込むほどであった。
静岡県 と並んで鰹節 の生産が盛んであり、特に枕崎市 の特産物として知られている[ 24] 。
大隅地方ではうなぎ の養殖が盛んで、知名度は低いながらもうなぎの生産量は全国1位である。
主に商業関係では伝統的に地元資本の影響力が強い。
H-IIAロケット打上(種子島宇宙センター)
県内各地に宇宙関連の研究施設などが設けられている。それらは行政改革により現在は全て宇宙航空研究開発機構 (JAXA) による運営となった[ 25] 。
金融
鹿児島県の指定金融機関 は鹿児島銀行 である。鹿児島市 をはじめ県内の主な市も鹿児島銀行を指定金融機関としているが、県全体としては農業協同組合 を指定金融機関としている市町村が多いのが他県ではあまり見られない特徴である[ 26] 。
県内に拠点事業所のある企業
工場
鉱山
本店
県内に本社のある企業
製造業
飲食店
建設業
金融業
卸・小売業
情報通信業
サービス(その他)
交通・運輸業
教育
生活・交通
警察
交通
道路
鉄道
県内の普通列車の本数は鹿児島市近郊[ 注釈 7] を除いて毎時1本以下となっている。
鹿児島中央駅
廃止路線
空港
県内には、以下の空港の他に海上自衛隊 の鹿屋航空基地 がある。
2012年度旅客数[ 27]
空港
旅客合計
国内線
国際線
旅客数
定期便
旅客数
定期便
鹿児島
4,783,150人
4,675,169人
県外
東京 ・成田 ・中部 ・大阪 ・関西 ・神戸 ・静岡 ・松山 ・福岡 ・長崎 ・那覇
107,981人
台北 ・ソウル ・上海 ・香港
県内
種子島・屋久島・喜界島・奄美・ 徳之島・沖永良部・与論
奄美
537,656人
537,656人
県外
東京・大阪 ・福岡・那覇
0人
-
県内
鹿児島・喜界島・徳之島・ 沖永良部・与論
屋久島
158,820人
158,820人
県外
大阪 ・福岡
0人
-
県内
鹿児島
徳之島
150,691人
150,691人
県内
鹿児島・奄美
0人
-
種子島
71,694人
71,694人
県外
(大阪 )
0人
-
県内
鹿児島
沖永良部
83,767人
83,767人
県内
鹿児島・奄美・与論
0人
-
喜界島
67,459人
67,459人
県内
鹿児島・奄美
0人
-
与論
62,335人
62,335人
県外
那覇
0人
-
県内
鹿児島・奄美・沖永良部
枕崎
0人
0人
-
-
0人
-
薩摩硫黄島
-
-
-
-
-
-
※チャーター便 の旅客数含む
※括弧は季節運航を示す
※三大都市圏 への便は太字
港湾
航路
鹿児島 - 桜島航路(桜島フェリー )
鹿児島 - 垂水航路(鴨池・垂水フェリー )
山川 - 山川・根占フェリー - 根占
甑島列島 - 串木野航路
長島 - 牛深航路
東 - 牛深航路
鹿児島 - 種子島航路
鹿児島 - 屋久島航路
鹿児島 - 指宿航路
鹿児島 - 三島航路
鹿児島 - 十島 - 奄美大島航路
鹿児島 - 奄美大島 - 喜界島航路
鹿児島 - 奄美大島 - 徳之島 - 沖永良部島 - 与論島 - 本部 - 那覇航路
鹿児島 -(指宿)- 屋久島 - 種子島航路※( )は時間帯により異なる
屋久島 - 種子島 -(指宿)- 鹿児島航路
種子島 - 屋久島 - 口永良部島航路
奄美大島 - 加計呂麻島 - 与路島航路
大阪 - 志布志 - 奄美大島航路
東京 - 志布志 - 奄美大島 - 那覇航路
山川 - 南大隅町(フェリー)(2010年 2月28日 に休止)
甑島列島-川内港航路(2014年 4月2日 に就航)
バス
医療・福祉
災害拠点病院
保育所
教育
その他教育機関
農業大学校
職業能力開発短期大学校
マスメディア
新聞
遠隔地の離島を多く抱える県内環境から、鹿児島県で購読できる全国紙 や県紙の南日本新聞 は、発行日付のテレビ・ラジオ欄とともに、発行日の翌日付のテレビ・ラジオ欄も例外なく掲載されるのが特徴である。離島では現状でも鹿児島市 (南日本)、福岡市 、または北九州市 (全国紙)から空輸か、船便輸送をする必要があるので、早くてその日の昼前後、遅くても夕方か翌朝に配達されることもよくある。なお、西日本新聞 と西日本スポーツ は2018年3月31日をもって宮崎・鹿児島両県での発行を終了した。
雑誌
テレビ局
テレビ局舎外観
NHK鹿児島放送局
南日本放送 (MBC)
鹿児島テレビ放送 (KTS)
鹿児島放送 (KKB)
鹿児島讀賣テレビ (KYT)
鹿児島県内を放送対象地域とする民間放送局 は4局あり、全社ともに鹿児島市に本社を置いている。テレビ東京 系列 (TXN ) の放送局 は未開局だが、県内の民放各局でテレビ東京系列の番組が遅れネット で放送されている。
鹿児島市の紫原 (むらさきばる)に親局 を設置している(鹿児島親局テレビ・FM放送所 を参照)。標高の低い場所に親局があるため電波の飛びが悪く、県内各地には1局あたり100前後の中継局がある。
民間放送においては全局通常時終夜放送を実施している。
区域外受信については、出水市・阿久根市・長島町を中心に熊本県の放送局を[ 注釈 8] [ 28] 、大隅半島を中心に宮崎県の放送局を[ 29] 、沖永良部島・与論島では沖縄県の放送局を[ 注釈 9] 視聴することができる。
地上デジタル放送 は2006年12月に鹿児島親局のみ放送を開始し、2007年10月に本土の主要地域、2008年に奄美地方の中継局も本放送を開始した。奄美地方の民放局の開局時期に関しては、中継局整備費用が4局で約29億円掛かる(中之島・名瀬・瀬戸内・徳之島・知名の5中継局だけでも約13億8,300万円)ことから、2007年3月初めまで整備時期が明らかにされていなかった。
地上波デジタル放送のリモコンキーIDは全国で唯一、東北地方 の宮城県 と全く同じ番号(系列が一致)であり、アナログテレビの親局チャンネルもFNN系列 とNNN系列局 を除き宮城県仙台市 と同じ番号である。
ラジオ局
県域放送 局
NHK鹿児島放送局(第1放送:576 kHz 第2放送:1386 KHz FM放送:85.6 MHz)
南日本放送(MBCラジオ、JRN ・NRN 系列)(AM:1107 KHz FM:92.8 MHz) - 県本土および種子島ではFM波による受信も可能。
エフエム鹿児島 (μFM)(JFN 系列)(79.8 MHz) - 離島地域の大部分で放送波による受信は不可。
NHK・MBC のAMラジオ放送局(中波 )はともに霧島市隼人町に送信所を設けている(隼人ラジオ放送所 を参照)。MBCラジオとエフエム鹿児島は radiko を経由することで、地域判定により鹿児島県内とみなされる環境下でインターネット上でも聴取が可能である。
エフエム鹿児島の開局は1992年と九州のJFN系列局としては最後発であった。エフエム鹿児島は離島地域に中継局を設置しておらず、エフエムたつごう・エフエムうけんにおける一部番組の再送信を除けば、 インターネット配信(radikoなど)を利用しない限り同局を聴取することができない。
AMラジオ各局はFM補完中継局 を設置している。MBCラジオの鹿児島局は周波数92.8MHzで2014年12月に免許を取得し[ 30] [ 31] 2015年1月より本放送を開始した。2015年11月には阿久根・枕崎・鹿屋の各中継局も開局し、県本土のほぼ全域で受信できるようになった[ 32] 。鹿児島・阿久根・枕崎・鹿屋局はワイドFM(90MHz超え)の帯域で送信しているが、2017年度に開局した蒲生・種子島局は従来のFMラジオ放送の帯域(90MHz以下)で送信している。NHK鹿児島放送局のラジオ第1放送・ラジオ第2放送は奄美地方および北薩地区でFM波による中継局を設置している(ラジオ第2放送は徳之島と与論の2局のみ)。NHKラジオのFM補完中継局はいずれも従来のFMラジオ放送の帯域で送信している(各局の周波数はNHK鹿児島放送局公式サイトを参照)。
AMラジオ(中波)では奄美地方・南薩地方を中心に沖縄県の放送局が、北薩地方を中心に熊本県・長崎県・福岡県の放送局が、大隅半島を中心に宮崎県の放送局が聴取可能である[ 28] [ 33] [ 34] [ 35] [ 36] 。FMラジオ(VHF )では沖永良部島・与論島では沖縄県の放送局、北薩地方を中心に熊本県・長崎県の放送局、大隅半島を中心に宮崎県の放送局が聴取可能[ 37] [ 38] [ 注釈 10] 。特にエフエム宮崎 は鹿児島市を含めた県内の6割以上をカバーしている[ 39] 。
コミュニティ放送
1997年にフレンズFMが開局した後、2006年のFMかのや・きもつきの開局まで長らく1局体制が続いた。その後、2007年から2013年にかけて大隅半島や奄美大島、薩摩川内市、霧島市にも相次いで開局している。県内のコミュニティFM局のうち7局(大隅半島に4局、奄美大島に3局)は特定非営利活動法人 (NPO法人)による運営である。FMぎんがも2011年の開局から2012年6月まではNPO法人が「FMさつま」として運営していた他、瀬戸内町もFMせとうち時代はNPO法人運営であった。
FMうけん、SOO Good FM、あいらびゅーFM、FMおおさきを除くコミュニティFM局はインターネット経由により日本国内で聴取することができる(FMたつごう、せとラジ、FMたるみずは自社番組のみ)[ 注釈 12] 。なお、曽於市ではシティエフエム都城 (宮崎県都城市のコミュニティFM)も聴取できる。
ケーブルテレビ
文化・スポーツ
言語・方言
伝統的に話されてきた言語・方言は、トカラ列島以北と奄美群島とで大きく異なり、日本語の薩隅方言と、琉球諸語 に属する奄美語に分かれる。
食文化
郷土料理
伝統工芸
経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品
スポーツ
プロスポーツチーム
スポーツチーム
陸上
以前、2008年(平成20年)ごろまで、プロ野球 千葉ロッテマリーンズ (オリオンズ時代も含む)のキャンプ地であった。
観光
有形文化財建造物
名所・旧跡・観光スポット
開聞岳
白谷雲水峡の森(屋久島)
祭事
対外関係
姉妹都市などは以下の通り。
鹿児島県を舞台とした作品
小説
漫画
ドラマ
アニメ
演劇
映画
ゲーム
モデルになった・登場した作品
人物
鹿児島県名誉県民
鹿児島県名誉県民の称号は、2019年(平成31年)3月22日に制定された鹿児島県名誉県民条例(平成31年3月22日鹿児島県条例第2号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)[ 46] 。対象者は「社会福祉の向上、文化の振興その他の社会の発展に大きく貢献した者で、県内に居住し、又は居住していたもの」であり、鹿児島県知事が鹿児島県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)[ 46] 。
受賞者氏名
職業
選定年月日
備考
出典
稲盛和夫
実業家
2019年6月28日
京セラ 創業者・名誉会長 2015年11月16日に県民栄誉賞受賞
[ 47]
鹿児島県民栄誉表彰受賞者
脚注
注釈
^ 海を隔てて隣接。
^ 鹿児島県域(奄美群島 )における琉球王国 の実効支配は1610年の薩摩藩 直接支配によって終わっており(琉球侵攻 )、1872年の琉球藩 設置や1879年の沖縄県 設置(琉球処分 )は関係ない。
^ 1998年4月1日、離島振興対策実施地域の指定解除。
^ 1976年3月31日、離島振興対策実施地域の指定解除。
^ 1976年3月31日、離島振興対策実施地域の指定解除。
^ 気象庁の台風の上陸の定義上、沖縄県内を台風が通過しても上陸にはならないため。
^ 鹿児島本線伊集院駅-鹿児島駅間、国分駅-鹿児島駅間および指宿枕崎線鹿児島中央駅-喜入駅間で概ね毎時2本
^ 南日本新聞のテレビ番組表では、熊本県の放送局をアナログ放送終了(2011年7月23日付)まで鹿児島県境に近い中継局(人吉・牛深(親局同一周波数)・水俣など)を中心としたアナログ放送のチャンネルとともに掲載していた。
^ 和泊町有線テレビ(沖永良部島のケーブルテレビ局)は沖縄県の放送局を再放送している(公式サイト内のチャンネル案内 を参照)。また、南海日日新聞・奄美新聞のテレビ番組表では、沖縄県の放送局を今帰仁中継局の物理チャンネル(元はアナログ放送のチャンネル)とともに掲載している。
^ 『ケーブル年鑑2005』(サテマガ・ビー・アイ、2004年10月 ISBN 4-901867-09-1 )によると和泊町有線テレビではエフエム沖縄 が再送信されているという。
^ 2015年10月末をもって、おおすみFMネットワークの公式サイトからFMたるみずに関する記述が削除されている。
^ 鹿児島県内のコミュニティ放送局でインターネット配信を行わない4局のうち、SOO Good FM、あいらびゅーFM、FMおおさきはエフエムきらら (山口県 宇部市 のコミュニティ放送局)と同様の「全時間帯生放送・自社制作」の形式で運営されており、「インターネット配信非対応」という特徴もエフエムきららと共通している(詳細はエフエムきららの項目を参照)。なお、FMさつませんだいも2013年の開局当初はエフエムきららと同様の体制であった。
出典
参考文献
乙益, 重隆「熊襲・隼人のクニ」『古代の日本3 九州』角川書店、1970年2月。 NCID BN01879143 。
上村, 俊雄『考古学ライブラリー30 隼人の考古学』ニューサイエンス社、1984年12月。 NCID BN03969418 。
大木, 公彦『かごしま検定 鹿児島観光・文化検定公式テキストブック』南方新社 、2005年12月1日。ISBN 4861240719 。
橋本, 達也 「古墳研究と熊襲・隼人 」『黎明館企画特別展「古代ロマン北南~三内丸山VS 上野原~」関連行事資料集』鹿児島県歴史資料センター黎明館 、2009年9月。http://www.museum.kagoshima-u.ac.jp/staff/hashimoto-hp/genko/kofun-kumasohayato2.pdf 。
原口, 泉 、永山, 修一、日隈, 正守、松尾, 千歳、皆村武一 『鹿児島県の歴史』山川出版社 〈県史46〉、2011年3月30日。ISBN 463432461X 。
大阪府立近つ飛鳥博物館 『南九州とヤマト王権-日向・大隅の古墳-(大阪府立飛鳥博物館平成24年度秋季特別展図録)』大阪府立近つ飛鳥博物館、2012年9月。 NCID BB10393330 。
白石, 太一郎 「古墳からみた南九州とヤマト王権」『南九州とヤマト王権-日向・大隅の古墳-(大阪府立飛鳥博物館平成24年度秋季特別展図録)』大阪府立近つ飛鳥博物館、2012年9月、8-20頁。 NCID BB10393330 。
橋本, 達也「地下式横穴墓とは何か」『南九州とヤマト王権-日向・大隅の古墳-(大阪府立飛鳥博物館平成24年度秋季特別展図録)』大阪府立近つ飛鳥博物館、2012年9月、139-146頁。 NCID BB10393330 。
中村, 明蔵 『隼人の古代史(復刊)』吉川弘文館 〈読みなおす日本史〉、2019年4月1日。ISBN 9784642071031 。
柳原敏昭『中世日本の周縁と東アジア』[1] 吉川弘文館 2011年2月 オンデマンド版 2022年10月 ISBN 9784642728966
関連項目
外部リンク
行政
観光