『日本沈没』(にっぽんちんぼつ[1]、にほんちんぼつ[2][3])は、1973年(昭和48年)に刊行された小松左京による日本のSF小説。
1973年と2006年には映画化、1974年と2021年にはテレビドラマ化、1973年と1980年にはラジオドラマ化、1970年代と2000年代には漫画化、2020年にはWebアニメ化されるなど、様々なメディアミックスがなされている。
小説
1964年(昭和39年)から執筆が開始され、9年がかりで完成した[4]。当初は複数巻となる予定だった長編を出版社の要請で短縮し、上下巻とした[5]。本作品に先行して執筆していた『復活の日』で描かれるアラスカの大地震を予測するという設定は、本作品のために地震学の資料を集めていたことにも由来している[5]。映画作品中においては、現実の地球物理学者であった竹内均博士を出演させている。
まず、1973年(昭和48年)3月20日に光文社カッパ・ノベルスより書き下ろしで上下2巻が同時刊行された[4]。当初は3万部ずつだったが[5]、版数を重ねるごとに出版数が増え、上巻204万部、下巻181万部の計385万部まで伸び、「空前の大ベストセラー」とも評された。その結果、1億2,000万円の収入を得た小松は文壇長者番付の5位にランクインし、1974年には第27回日本推理作家協会賞、第5回星雲賞日本長編部門をそれぞれ受賞している。刊行から50年を経た2023年時点での累計部数は490万部を超える[6][7]。
ベストセラーになったことにより、小松の知名度を上げて日本におけるSFの浸透に一役買うことになった。その背景には、高度経済成長が終わりを迎えた1970年(昭和45年)の日本万国博覧会に代表される薔薇色の未来ブームへのアンチテーゼとして登場したことの衝撃に加え、1973年の狂乱物価とも言われたインフレーションやオイルショックなどによる社会不安があった[4][8][注釈 1]。また、同年が関東大震災から50年という節目でもあり、本作品によって大規模災害への不安が喚起されるきっかけともなった[9]。一部のマニアに愛好されるものであったSFというジャンル自体も、一般に普及していったとされる[4]。
1976年には、マイケル・ギャラガーによる3分の1ほどの抄訳が、アメリカにて『JAPAN SINKS』のタイトルで出版された。
小松自身は、題名を「『日本滅亡』――果てしなき流れの果てに…、出発の日」とつけていたが、担当編集者であった浜井武の「『日本沈没』のほうが“滅亡”よりユーモラスだ」という主張により、『日本沈没』となったという。
元々は「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」をテーマに据えており[4]、日本列島沈没はあくまでもその舞台設定で、地球物理学への関心はその後から涌いたものだという。しかし、そのために駆使されたのが当時になって広く認知され始めていたプレート・テクトニクスであり、本作品はその分野を広く紹介する役割をも果たした。この分野に関する作品中の解説やアイデアは、修士論文に相当するとの声もあったほどである[注釈 2]。
難民となって世界中に散っていった日本人を描く第2部の構想(仮題は『日本漂流』)もあったことから、下巻の最後には「第1部・完」と記されていた。下巻発刊後から長らく執筆されることはなかったが、2006年のリメイク版映画の公開に合わせ、谷甲州との共著という形で出版された。
物語
197X年夏。小笠原諸島の北にある無名の小島が、一夜にして海底に沈んだ。地球物理学者・田所雄介博士は、ただちに現地調査に赴く。深海調査艇「わだつみ」号の操艇者・小野寺俊夫、海洋地質学者の幸長助教授と共に日本海溝[注釈 3]に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。
おりしも伊豆半島付近で地震が発生し、それに誘発されて天城山が噴火したため、内閣では地震学者との懇談会を開いて意見を聞くことになった。その席に招かれた田所は「日本がなくなってしまう」可能性を口にするが、学者仲間の失笑を買うだけだった。だが、政財界の黒幕である渡老人は自らの周囲に起きていた事象と符合する田所の説に興味を抱き、それを検証するために首相を呼びつけ、極秘で「D計画」を立ち上げさせる。
D計画に集った田所、幸長、小野寺、情報科学者の中田一成らは、やがて一つの結論に達する。それは、日本列島近傍のマントル流に急速な異変が起こっており、その結果として「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈没する」というものだった。一方、渡老人は比較文明史学者の福原教授らに依頼し、日本人の国外脱出とその後に関する計画を策定させる。
その間にも京都に次いで東京が巨大地震に襲われ、富士火山帯の火山が相次いで噴火するなど、異変は着実に進行していた。田所は危機が迫っていることを国民に知らせ、そのことに対する反応を見ようと故意に週刊誌とテレビで情報を暴露し、D計画を去る。
その後、コンピューターによるシミュレーションの結果、日本沈没が10か月以内に迫っていることが判明し、首相は日本沈没の危機が迫っていることを国会演説で発表する。休火山[注釈 4]までが活動を始めるなか、精鋭スタッフたちは死に物狂いで全国民の国外脱出計画「D-2」を遂行し、日本人を続々と海外避難させる。一方、あえて国内に留まり日本列島と運命を共にする道を選択する者もいた。
そして、日本列島は四国を皮切りに次々と海中に没していき、最後まで残っていた北関東が大爆発を起こした結果、完全に消滅する[注釈 5]。
設定
197X年と書かれているが、執筆当時から予測される近未来と設定されており、当時はまだ完成していなかった施設のうちのいくつかが既に稼動しているものとして話が進められている。新東京国際空港(現在の成田国際空港)・青函トンネル・関西国際空港(小説上は神戸沖だが、現実の神戸沖には神戸空港があり、実際の関西国際空港は大阪南泉州地区沖にある[注釈 6])など。大型コンピュータ[注釈 7]のLSI化など確実に未来を予測したものもある。
実現しなかった未来の描写としては、水深1万メートルまで潜れるような深海潜水艇や超音速輸送機が多数登場する点が挙げられる。現実では、かなり未来のこととなったものを登場させているものとしては超電導リニアが全線の測量が終わり工事が始まっている。一方で東海道新幹線にビュフェがあるなど、その後の時代からみれば懐かしい描写もある。
国際情勢に関しても、執筆中に情勢が変化しているケースもあった(作中にはパプア紛争に介入する形で日本人の移住先確保を図ろうとする構想が描かれているが、発売直前にインドネシアが併合を強行している)。
日本列島を沈没させる科学設定のほかにも、「ナカタ過程」と呼ばれる架空の理論など、完全にフィクショナルな科学描写もある。
また、日本が沈没するのは人口増加率が減少に転じた数年後という設定もあり、そのため、ひそかに進められている海外移転計画が海外から「日本の人口対策ということはありえないと怪しまれる」という描写がある。
用語解説
- D計画
- 日本列島の地質的大変動の可能性について極秘裏に調査・研究する計画。「D」の意味については、作中では特に言及されていない[注釈 8]。
- 初期段階では首相のほか総理府総務長官、内閣官房長官、防衛庁長官のみの知る極秘プロジェクトで、内閣調査室、総理府、防衛庁からの機密費と、渡老人からの資金援助によって運営されていた。発足時のメンバーは田所(地球物理学)、中田(情報工学)、幸長(海洋地質学)、山崎(内閣調査室)、小野寺(潜水艇技術者)、安川(会計担当)。のちに、最悪の事態が生じた際の、人間と資産の国外退避に関する研究を行う「D-2」が追加されたため、それまでのD計画は「D-1」と呼ばれるようになり、東京大震災以後に規模を拡大、気象庁、国土地理院、地震研究所などを巻き込む巨大国家プロジェクトに発展する。なお、D-2は自衛隊で検討される。
- 日本政府が危機を公表してからは退避計画実行委員会の下部組織となり、その後、日本政府自体が国外に脱出してからは、ホノルルに本部を置く救出対策本部の下部組織として、海上自衛隊護衛艦「はるな」に本部を置く。
- 国連日本救済特別委員会
- 国連事務総長ビン博士の主導により、総会直属の特別委員会として、世界各地域17か国[注釈 9]を構成国として設立された。委員長は国連タンザニア代表でアフリカ経済委員会メンバーのンバヨ。副委員長は米ソ両国から選出。日本は議決権・交渉権のない特別メンバーとなっている。
登場人物
- 基本プロットは複数人物による群像劇として描かれており、章によっては主人公が変わる。
- 小野寺俊夫
- 深海潜水艇の操艇者。30代。独身。潜水士と海技士の資格を持つ。当初は海底開発KKに勤めていたが、後にD-1計画に引き抜かれる(身分的には臨時雇)。戦後生まれで、出世や組織の属すること、国家に対しても興味がなく、純粋に海が好きで潜水艇を操縦しており、その性格を田所に早々と見抜かれて海洋研究で本格的に力を貸す。
- 田所雄介
- 地球物理学者。博士。作中では「田所博士」と呼ばれることが多い。「エピローグ」の時点で65歳。独身。和歌山県出身。田夫野人な性格の人物として知られる。元M大客員教授。現在は大学には在籍せず、新興宗教「世界海洋教団」をスポンサーにして個人研究所を運営している。D-1計画の中心人物。小野寺と同様に出世に興味がなく純粋に自然や物理、日本列島を好んで研究する人物。「科学者に必要な物は直感」がモットーだが日本列島が沈没すると当初から予感しながら科学的証明が出来ずに悩んでいた。
- 米軍や新興宗教の資金援助を受けたり、公開の席上で他の研究者を面罵したりするといった態度のため、日本の学界では嫌われているが、海外での評価は高い。のちに週刊誌に情報を漏洩した上、泥酔状態でテレビのワイドショーに出演し、同席していた山城教授に暴行を加えて逮捕され、D-1計画を去り消息を絶つ。実は、日本沈没が迫っていることを国民にそれとなく知らせるため、渡・中田と示し合わせた上で打った芝居だった。日本列島と運命を共にすることを決意しており、最後まで日本に残る。
- 幸長[注釈 10]
- 海洋地質学者。M大学の助教授で田所の右腕的存在。銀縁眼鏡を着用。常識人で、小野寺や田所を気遣う。政界にもコネクションを持ち、田所と渡老人を引き合わせてD-1計画を発足させ自らもメンバーとなる。田所を支持する半面自らの立場に対する不安を抱く。田所が暴行事件を起こして逮捕された後は実質的にD-1計画の責任者となる。
- 首相
- 内閣総理大臣。60代。渡老人に陣笠議員のころから造船疑獄事件などで助けてもらい、渡の力により首相の座に就いた人物で、異常事態において、決断が迫られる中覚悟を決めてD-2計画を推し進める。姓は緒形[注釈 11]だが、作中ではもっぱら「首相」または「総理」と呼ばれている。
- 阿部玲子
- 作中のヒロインの一人。大手財閥の令嬢で、政略結婚を目的に小野寺と見合いをさせられる。海岸で一夜をともにし、小野寺を運命の相手と見定めて結婚を決意する。
- 麻耶子(マコ)
- 作中のもう一人のヒロイン。西銀座のバー「ミルト」のホステス。小野寺の深海潜水に純粋に興味を持っている。
- 渡老人
- 「箱根の老人」の異名を取り、政官財で暗躍する黒幕。100歳という高齢にもかかわらず、一種の激しい精神力と、端的かつ鋭い質問を浴びせるような明晰な頭脳を持っている。戦前は満州事変当時活躍し、直接ではないにしろ大勢の人間を死なせているという。戦時中は完全な隠遁生活を送って、戦犯にならずにやり過ごし、戦後は最初の15年ほどは猛烈に活動したが、80歳を過ぎてからは自分からは動かず、政財界の大物からアドバイスや斡旋、調停の口利きを依頼されていた。ツバメが巣を作ったまま帰ってこなくなったり、植物の咲き方の些細な異変から日本で異変が起きていることを肌で感じていた。田所の科学的な直感を信じ、総理を茅ヶ崎の自邸に呼びつけて、ほんの二言三言で「D計画」の実行を決意させる。最後は日本列島が沈みゆく中、府中の邸宅で、田所に看取られ息を引き取る。
- 花枝
- 渡老人の身の回りの世話をする少女。第5章の時点で23歳。
- 邦枝
- 総理府秘書官で幸長の友人。渡老人と同郷。渡老人の右腕的存在で、政府や田所との仲介を行う。
- 中田一成
- 情報科学者で幸長の大学時代からの友人。D-1計画のメンバー。既婚者。確率無限小と思われる現象が、自然の中ではなぜ起こりえるか、ということについて「位相学的確率論」を提唱、一部では「ウィーナー過程」「マルコフ過程」とならんで「ナカタ過程」と呼ばれている。田所がD-1計画を去った後は、幸長とともに最後まで計画を支え続ける。政府との板挟みとなり、正確な被災情報はコンピューターでも計れないと政府に呼び掛ける。
- 結城
- 小野寺の親友で同じ会社に勤める操艇者。後に小野寺の誘いでD-1計画に引き抜かれる。
- 野崎八郎太
- 外務省特別顧問、国連日本救済特別委員会特別委員。外交問題を一手に任される老人。流暢なクイーンズイングリッシュをしゃべる。D-2計画の海外亡命の仲介を行う。
- 山崎
- 内閣調査室調査官。D-1計画メンバー。代々木のD-1計画本部にいた時に東京大地震に遭遇する。
- 片岡
- 防衛技研所員。D-1計画メンバー。
- 安川
- D計画の会計担当者。大学を出たばかりの青年で、立場上は臨時雇い。東京大震災の衝撃で記憶を失う。
- 穂積
- D-1計画メンバー。調査結果が世間に漏れないように情報操作を行うために引き抜かれる。
- 真下
- 地震研究所助教授。D-1計画メンバー。
- 福原
- 比較文明史学者。京都の大学教授。50代。渡老人に依頼されて日本人の国外脱出計画の策定を行うが、途中で「何もせんほうがいい」という案に傾きかける。大綱を渡に提出した直後に過労死する。
- 郷六郎
- N建設調査部の地質調査技師で小野寺の友人。東海道新々幹線(リニアモーター超特急)の基礎工事に関わっていたが、京都大地震の直前に変死体で発見される。のちに、地殻変動によって新々幹線の建設が不可能になることに独自に気づき、その事態を受け入れられずに自殺同然の事故死を遂げたことが明らかとなる。
- ンバヨ
- 国連タンザニア代表で国連日本救済特別委員会委員長。若い頃にアフリカ統一機構に出向していたことがある。理想主義者。日本沈没を日本人の枠でとらえず「私たち人類に対する試練」と言及し、人種や国という考えを捨てて結束すべきだと促す。
- オーストラリア首相
- オーストラリア首相。渡老人との取引でオーストラリアに日本移民受け入れを承認する。ユダヤ人であり国を無くした日本人がこれからユダヤ人のような流浪の民になることにより試練が待ち構えることを予見する。
- 吉村
- 海底開発KKの部長、出世を狙い小野寺に政略結婚を勧める。日本沈没時はスイスに逃げる。
- D・マルタン
- ベルギー人の美術商。裏で密輸と窃盗を行っておりインターポールから目をつけられている。渡老人と裏取引を行う。
- 小野寺の兄
- 兵庫の実家に住む小野寺の兄。カナダの会社からヘッドハンティングを受けている。
- 山城
- 地質学者。T大教授。田所と不和で、以前からその研究を冷笑している。田所からは、専門分野では優秀だが視野が狭いと評されている。
- 大泉
- 地震学者。K大教授。田所がアメリカ海軍の委嘱を受け軍事研究の下請けを行っていた過去を、ことあるごとに批判する。田所からは、山城同様、専門分野では優秀だが視野が狭いと評されている。
外部リンク
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1973年の映画
東宝映画・東宝映像の製作、東宝の配給で1973年(昭和48年)12月29日より正月映画として公開された[出典 6]。当初は同時上映に『グアム島珍道中』がつけられていたが、途中から本作品の1本立て興行に改められた[24]。
映画化の企画は東宝プロデューサーの田中友幸によって小説の刊行前から進められており[26][24][注釈 13]、「映画化のあと、TBSでテレビドラマ化する」という契約が交わされていた。このため、撮影現場にはテレビドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影参加している。
監督は黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験がある森谷司郎が、脚本は同じく黒澤作品に参加していた橋本忍がそれぞれ担当した[4][24]。製作期間は約4か月と短かったが、約880万人の観客を動員し、配給収入は16億4,000万円(1974年邦画部門配給収入1位)[27]を挙げる大ヒットを記録した[出典 7]。また、中野昭慶が監督した特殊撮影もアジア映画祭の特殊効果賞を受賞する評価を受けた[9]。本作品の成功で、森谷司郎は『八甲田山』などの大作映画を任せられる監督の地位を確立し、東宝も本作品に続く形で『ノストラダムスの大予言』(1974年)、『東京湾炎上』(1975年)、『地震列島』(1980年)までパニック映画を一つの路線として敷くこととなった[出典 8]。
アメリカ合衆国では、1975年にロジャー・コーマンのニューワールド・ピクチャーズにより『Tidal Wave』のタイトルで公開された[30][31]。ハリウッド俳優を使った追加撮影も行われたが、オリジナルより大幅に短縮されている[31]。アメリカでは100万ドルの配給収入を挙げた[32]。
出演者(1973年の映画)
以下の順番は本編クレジットに準拠。
- 原作者の小松自身も、冒頭で小野寺と吉村が打ち合わせをするシーンでカメオ出演している[4][34]。
- 竹内均は東大退官後に自ら創刊した科学雑誌『Newton』掲載[要文献特定詳細情報]の自伝において、「迫真の演技である、として皆にからかわれた」と書いている。また、DVD版の特典映像には、小松と竹内の対談の模様が収録されている。
- 夏八木演じる結城の名前は『恒久』(本編43分04秒)
- 内閣調査室「邦枝」の名前は『康雄』(本編40分45秒)
- 防衛庁・メカニック「片岡」の名前は『潔』(同上)
- 幸長助教授の名前は「信彦」ではなく『秀彦』(同上)
スタッフ(1973年の映画)
参照[17][18][9]
テロップ非表示であるが、作中でマントル対流などを再現するアニメーションは月岡貞夫が作画を担当していたことが、後年に明かされている[37]。
特別スタッフ(1973年の映画)
特撮
本作品で特技監督を務めた中野昭慶は、東宝特撮映画では円谷英二・有川貞昌に続く3代目の同役職に就任した[38][39][注釈 23]。本作品では建物の倒壊に建築工学を考慮するなど、科学的に裏付けされた描写を重視しており、従来の怪獣映画などのような特撮のイメージを払拭している[34][注釈 24]。制作費のうち、特撮には2億5千万円が費やされた[23]。
俯瞰した日本列島のセットでは、従来の特撮で海の表現に用いられていた寒天に代わり、青い染料を溶かしたディストメイトを用いている[出典 15]。ディストメイトは、接着剤としてだけでなく食品や化粧品などにも用いられていた化学合成製品の糊であり、カビが生えたり、ネズミが食べてしまうなどの苦労があったという[40]。後年東宝映画の社長を務めた富山省吾は、学生時代に特撮美術のアルバイトとして本作品に参加しており、日本列島セットの富士山は自身が作ったと述懐している[41]。
東宝第7スタジオに建てられた富士山のセットは[注釈 25]、スタジオの外から望遠カメラで撮影し、空気感を再現している[40][34]。頂上の雪は、白い粉を撒いて再現している[40]。
倒壊する日本家屋のミニチュアは、ディテールを表現するため、壊れる描写からの逆算で1/10スケールで作られた[38]。都市のミニチュアには、『モスラ』(1960年)で制作されたものなど過去の造形物も総動員された[42]。振動にはコンピュータ制御による工業用のバイブレータが用いられた[42][19]。
コンビナートの爆破シーンでは、炎がステージの天井を焦がしている[43][44]。特殊効果の渡辺忠昭は、爆発が小さいと中野が指摘したため、ナパームを3倍に増やしてリテイクした結果であったと語っている[44]。特撮助監督の田淵吉男は、自身が渡辺にガソリンの量を多くするよう指示したのが原因であったと述べている[43]。また、渡辺は、本作品以降中野は火を好むようになったと証言している[44]。
泥乱流の描写は、本物の泥や富士山で採取した砂のほか、絵の具、顔料、煙など多数の素材を組み合わせて表現している[45]。撮影も7種類の手法をモンタージュしている[45]。
隅田川の洪水シーンは、操演の松本光司の提案により一発撮りで行われた[42]。倒壊する永代橋は、松本自身がミニチュアを手で押している[42]。
原作者の小松は、本映画の唯一の不満点として、潜水艦が進む海底が明るすぎることを挙げている[5]。
特撮班助監督を務めた川北紘一は、本作品がヒットしてもゴジラシリーズの予算が増えたということはなく、東宝本社は本作品が特撮の力で成功したという認識ではなかったと述懐している[46]。
『ゴジラ対メカゴジラ』では、本作品のコンビナート爆破シーンの映像やミニチュアを流用しており、美術助手の好村直行は流用を前提にコンビナートのシーンが設けられたと証言している[47]。
関連ソフト(1973年の映画)
- 映像ソフト
- 日本沈没(レーザーディスク)(1993年9月1日、東宝 TLL-2206[48])
- 日本沈没(VHS)(1994年8月1日、東宝 TG-4535S[48])
- 日本沈没(DVD)(2003年9月25日、東宝 TDV-2731D)
- 日本沈没 東宝特撮Blu-rayセレクション(Blu-ray Disc)(2009年11月20日、東宝 TBR-19210D)
- 日本沈没 東宝特撮映画DVDコレクション 第6号 2010年1/5号(DVD付き分冊百科)(2009年12月8日、デアゴスティーニ・ジャパン TTD-06N)
- 日本沈没 期間限定プライス版(DVD)(2013年8月2日、東宝 TDV-23335D)
- 日本沈没 東宝DVD名作セレクション(DVD)(2015年8月19日、東宝 TDV-25261D)
- 日本沈没 公開50年記念 4K リマスター数量限定愛蔵版(Blu-ray Disc)(2023年12月20日、東宝 TBR-33269D)
- CD
- 日本沈没〈J-CINE サントラコレクション〉(1996年10月2日、VAP VPCD-81172)
外部リンク(1973年の映画)
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関連作品 |
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関連項目 |
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2006年の映画
TBSなどが製作費20億円を投じて、東宝の配給で2006年7月15日に公開された。監督は、1973年版の映画を「自分が映画制作を志すきっかけとなった作品」と語る樋口真嗣が務めた。主演は草彅剛。初登場ランキング1位となり、興行53億4000万円の大ヒットとなった。海外の多数の国でも公開されている。
本作品のポスターはイラストレーターの生頼範義の描いた北海道、東京、京都、九州の「ご当地沈没」ポスターが4種類作成された。それとは別に中京地区の東宝宣伝部が独自に「名古屋沈没」のポスターを作成したため、急遽予定になかった名古屋崩壊シーンが追加されたいきさつがある。
タイトルの読みは監督の樋口によれば「にほんちんぼつ」。1973年版と紛らわしいことを理由に、樋口は旧作の読みは「にっぽんちんぼつ」であるとして使い分けている[50]。
原作や前作との相違点
| この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2021年6月) |
本作品は、原作や前作と比較し、登場人物の設定や役回りが大きく異なっている。
監督の樋口は前作の映画のリメイクというよりも原作小説の再映画化というスタンスで挑み、前作に欠けていた一般の市井の庶民の視点を意識して取り入れたとしている。
物語の設定
- 前作では、田所博士や山本首相の行動を中心にストーリーが展開され、小野寺と玲子の交際は中心的な位置づけではなかったが、本作品ではストーリー展開の主軸となっている。
- 原作では、田所博士の唱える「日本沈没」説が検証し切れていない仮説の段階から始まっていて、立証データ収集の調査や対応策の検討を秘密裏に進める必要から政界のフィクサーである渡老人の支援のもとで幸長助教授・邦枝・片岡・中田といった見識ある実力者が集められ、体制を整えていく。また「日本沈没」の情報の真偽に苦悩する政府の姿も描かれる。一方、本作品では、まず学界の最高権威(アメリカ測地学会)より「40年以内に日本は沈没する」と説明される[注釈 26]ことにより、政府が「日本沈没」を既成事実として受け入れてしまい、渡老人の登場や政府の苦悩を描く必然性がなくなっている[注釈 27]。
- 原作や前作では、物語終盤にて日本政府や世界各国が日本人救出に全力を尽くすが、本作品では逆に、政府首脳が“難民受入交渉”と称し我先に海外逃亡、また世界各国があまりにも多く押し寄せてきた日本人の受け入れに難色を示すなど冷淡な態度を取られる。一方で日本海溝にあるプレート切断作戦のために掘削機を提供したりするなど協力してくれる国もある。
- 原作では南関東直下地震で250万人、73年版では360万人の死者・行方不明者が出る。それに対し、2006年公開版では東京は終盤の全ての住民の退避後に津波が襲来している[注釈 28]。
- 原作では架空の深海探査艇である「わだつみ」と「ケルマデック」が潜水調査に用いられたが、本作では実在の深海探査艇である「しんかい6500」「しんかい2000」がそれぞれ「わだつみ6500」「わだつみ2000」の名で登場する。D1計画の中心になる調査船も、原作や1973年映画版の艦船から、実在の地球深部探査船「ちきゅう」に変更された。
- 作中での時代設定は2007年。
各地の被害
登場人物の設定
- 前述の通り、ストーリー設定が変更されたため、登場人物も原作より設定変更などがなされている。
- 小野寺は原作では神戸市出身だが、会津地方の造り酒屋の息子に変更されている。
- 玲子は原作では下田市出身だが、本作品では神戸出身で阪神・淡路大震災によって両親を亡くし、東京の叔母に引き取られたことになっている。
- 田所博士は原作よりも若く設定され、鷹森大臣と元夫婦の設定。
- 中田は登場するが、原作の情報学者でなく防衛連絡調整官となっている。
- 福原教授は、原作では前述の救済策を練る比較文明論の教授である。
- 野崎官房長官は、原作では難民受入交渉の先頭に立つ外交官(名前は異なり八郎太)である。
- 渡老人が登場しない。
- 下記のように原作などにも登場しなかった人物が何人かいる。
- 田所の元妻、鷹森危機管理大臣。
- 駿河湾沖の震災を生き残った、倉木美咲(福田麻由子)。
- 阪神大震災で両親を失った玲子を女手一つで育てた「ひょっとこ」の女将、田野倉珠江(吉田日出子)とその常連客たち。
- 登場する女性の役割が異なっている(原作などではお嬢様だった玲子が東京消防庁ハイパーレスキューの救助隊員[注釈 29]、政府内で大災害対策の陣頭指揮を執るのが、女性である鷹森大臣)。
結末
- N2爆薬という架空の兵器の使用が重要なポイントとなる。
- 当初の設定では核兵器が使用されることになっていたが、製作に加わっているTBSが「核兵器の使用」という設定に難色を示したため、核兵器と同等の破壊力を得られるという設定の架空の兵器に変更された。
- 原作などと異なり、結城・小野寺は物語中で命を落とす[注釈 30]。逆に、原作・映画(1973年版)では日本列島と運命を共にした田所博士は、生命の危険に遭うこともなく生き残る。
- 原作などでは「ほぼ完全」に日本は沈没してしまった[注釈 5]が、本作品では部分的には水没するものの、最終的には日本沈没とはならない。
登場兵器・メカニック
キャスト(2006年の映画)
肩書きは公開当時のもの。
スタッフ(2006年の映画)
特別スタッフ(2006年の映画)
脚本のクレジットについて
劇場公開時のクレジットでは「脚本 加藤正人」となっており、加藤の単独脚本ということになっていた[注釈 33]。しかし、DVDのクレジットでは成島の名前が追加されている。加藤は公開時の桂千穂との対談で、脚本は二人の共作(成島の名前は出していない)であるが、諸事情で自分の名前しか出ていないと話していた[51]。
主題歌(2006年の映画)
関連ソフト(2006年の映画)
- CD
-
- 日本沈没 オリジナルサウンドトラック(2006年7月26日、ビクター・エンタテインメント VICL-62028)
- 見知らぬ明日
- ある生き物の記録
- ユートピアの終焉
- 墓標かえりぬ
- 継ぐのは誰か?
- 地には平和を
- 果しなき流れの果に
- 雨と、風と、夕映えの彼方へ
- 夜が明けたら
- Gordian knot 〜神への長い道〜
- こちらニッポン…
- 復活の日
- Keep Holding U (movie edit) -特別収録-
- 各曲の題名は、「Keep Holding U」を除き、すべて小松左京の著作の題名に由来する。
- DVD
-
- 日本沈没 スタンダード・エディション(2007年1月19日 GNBD-7380)
- 日本沈没 スペシャル・コレクターズ・エディション(3枚組)(2007年1月19日 GNBD-7381) - 初回生産限定版
- 日本沈没 スタンダード・エディション(2007年9月4日 GNBD-7380D)- 低価格版
- 日本沈没 大辞典 ENSYCLOPEDIA OF SINKING JAPAN(2006年6月21日 REDV-00478)
テレビ放送
- 2008年4月13日に、TBS系列にてテレビ放映された。
受賞
外部リンク(2006年の映画)
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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関連項目 |
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1974年のテレビドラマ
1974年10月6日から1975年3月30日まで、TBS系列(一部地域を除く)・日曜20:00で全26回にわたって放送された(1975年12月31日には、総集編が放送されている)。おりしも、これに先駆けた19:30-20:00には同じく小松左京(他2名)が原作を務めた特撮サスペンスドラマ『SFドラマ 猿の軍団』が放送されており、90分間・2本連続で小松左京作品が放送された時代でもあった。
総製作費は前年の映画版同様の5億円、テレビドラマ史上空前となる巨額費用が投じられた[52]。
小松左京と東宝との「映画化の後TBSでテレビドラマ化する」との契約に従い、映画版(1973年版)と同時進行で撮影された。このテレビ版スタッフの撮ったカットには、映画版に使用されたものもあるという。『空の大怪獣ラドン』や『妖星ゴラス』、『ノストラダムスの大予言』[53]など過去の東宝特撮映画のシーンが映画版の特撮カット以外も流用されている。逆に映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)は、名古屋城の破壊シーンに、本作品第4話の姫路城倒壊シーンを流用している[54]。
特撮(映画からの流用カットのみに頼ることなく、随所において意欲的な画面を作りあげた)だけではなく、ドラマ部分にも多額の予算が費やされ「キャスティング費用だけで1億円」といわれた[55]。田所博士役の小林桂樹以外は映画版と配役が異なるが[14]、下記の主要キャスト以外にも浜美枝、土屋嘉男、藤木悠ら東宝特撮作品でおなじみの面々をはじめ、豪華な顔ぶれがゲスト出演し、各回の物語を彩った。第14話「明日の愛」には、同名の主題歌を歌った五木ひろしも、玲子の機知で田所にあるデータを提供した航海士・桂省吾[注釈 35]役で出演している。1975年3月9日に放送された第23話「海に消えた鎌倉」には、松川首相の緊急記者会見を放送するテレビ画面に見入る一般国民として特技監督の川北紘一と俳優の大葉健二がカメオ出演している。
小説では中盤に大地震の発生によって大ダメージを受ける東京が終盤まで無傷だったり、幸長助教授(細川俊之)が海外調査という設定で途中から姿を消し(演者の降板による)[注釈 36]、代わりにそれまで対立していた野末技官(佐原健二)が田所博士の研究の補佐役に転じたり、小野寺の婚約者が第1回冒頭で地震に巻き込まれて死亡したり、小野寺の上司の吉村が会社の利益のために小野寺を利用し、玲子との仲を裂こうと暗躍したり、田所博士にマリアという生き別れの娘がいたりといったドラマ版独自の設定・展開がある。結末も、映画版では存在感を放っていた渡老人があまり登場せず、中田秘書官の台詞でその死が伝えられ、田所博士は生き残り、小野寺と玲子の逃避の成否を描かずに幕を閉じる(後に放送された総集編のナレーションでは、2人は生還しオーストラリアに脱出したとされている)。
本放送当時、関西でのネット局は朝日放送(ABC)だったが、後のTBS系列からNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列へのネットチェンジの準備も重なっていた。奇しくも最終回が放送された3月30日は、ABCにおけるTBS系列として最後の放送日でもあった。
後に関西での再放送は、1987年秋から火曜深夜枠にて現在の系列局である毎日放送(MBS)にて流れた。
1995年に福岡県で深夜番組(早朝番組)として再放送されていたが、同年1月17日に第2話の放送が終わった直後、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起こったため、3話目からの放送は打ち切られた。
さらに、2016年はCS放送の日本映画専門チャンネルで放送されていたが、熊本地震発生の翌日である同年4月15日午前中に放送された第7話をもって事実上の打ち切りとなっている[56]。
キャスト(1974年のテレビドラマ)
- 小野寺俊夫:村野武範
- 阿部玲子:由美かおる(第1話-第14話、第16話、第19話、第21話-最終回)
- 中田一成秘書官:黒沢年男(第3話-第4話、第8話-第13話、第16話-第20話、最終回)
- 幸長信彦助教授:細川俊之(第1話-第4話)
- 結城達也:橋本功(第1話-第3話、第14話、第16話)
- 吉村秀夫(運航課長):仲谷昇(第1話-第7話)
- 辰野記者:田中邦衛(第2話、第4話-第6話)
- 山城教授:佐々木孝丸(第1話-第2話、第6話、第8話-第9話、第11話)
- 野末技官:佐原健二(第1話、第2話、第5話-第6話、第14話、第19話-第21話)
- 谷口:松下達夫(第1話-第2話、第8話-第9話[注釈 37])
- 大泉:幸田宗丸(第1話-第2話、第6話、第8話-第9話)
- 中河原:伊豆肇(第1話-第2話、第8話-第9話)
- 技官:勝部義夫(第1話-第2話、第5話-第6話、第8話-第9話、第16話-第17話[注釈 38])
- D計画職員:鹿島信哉(第13話、第19話-第20話、第22話-第23話[注釈 39])
- D計画職員:加藤茂雄(第19話-第20話、第22話-第23話[注釈 40])
- マリア・ベイリー:マリ・クリスティーヌ(第1話-第3話、第9話、第16話、第25話)
- 小野寺春子(俊夫の妹):沢田亜矢子(第1話-第2話、第4話、第6話)
- 小野寺周二(春子の夫。婿養子):岡本信人(第1話、第5話、第6話、第15話、第23話)
- 小野寺健一(周二と春子の子):小塙謙士(第1話、第5話、第6話、第23話)
- 小野寺加代(俊夫の母):丹阿弥谷津子(第1話、第2話、第6話)
- 小野寺千造(俊夫の祖父):小栗一也(第1話、第6話)
- 阿部信太郎(玲子の父):内田朝雄(第7話-第8話、第11話、第16話)
- 信太郎の部下:三重街恒二(第8話、第11話、第16話)
- 信太郎の部下:村上幹夫(第8話、第11話、第16話[注釈 41])
- 京子(渡老人の付き人):麻里とも恵(阿川泰子)(第3話、第11話)
- 坂本平助・シゲ子夫妻(アパートの管理人):鳳啓助、京唄子(第1話-第3話、第7話-第9話、第11話-第14話、第21話、第24話)
- 有吉摩耶(パイロット):小川知子(第17話-第18話、第20話)
- 邦枝助教授:山本圭(第23話-第25話)
- 大木二佐(D2計画隊員):轟謙二(第23話-第25話)
- 機動隊員(D2計画隊員):杜沢泰文(第23話-第25話)
- 山川ノブ子(木下外科の看護婦):大井小町(第2話、第21話-最終回)
- 松川首相:山村聡(特別出演)[57](第13話、第20話、第23話)
- 渡老人:中村鴈治郎(第3話、第11話)
- 田所雄介博士:小林桂樹(第1話-第16話、第18話-第23話、第25話-最終回)
スタッフ(1974年のテレビドラマ)
サブタイトル
話数カウントは「第○回」である(第26回は「最終回」と表記)
映像ソフト(1974年のテレビドラマ)
- レーザーディスク
-
- 日本沈没 LD-BOX D-1(7枚組)(1996年10月25日、アミューズソフトエンタテインメント AML-37)
- 日本沈没 LD-BOX D-2(6枚組)(1997年2月21日、アミューズソフトエンタテインメント AML-48)
- DVD
-
- 日本沈没 TELEVISION SERIES(全9巻、アミューズソフトエンタテインメント)
- M-1.0(第1巻)からM-3.0(第3巻)は、2001年4月27日に発売。各3話を収録。
- M-4.0(第4巻)からM-6.0(第6巻)は、2001年5月25日に発売。各3話を収録。
- M-7.0(第7巻)からM-9.0(第9巻)は、2001年6月22日に発売。M-7.0(第7巻)・M-8.0(第8巻)は3話を収録、M-9.0(第9巻)は2話収録。
- 日本沈没 TELEVISION SERIES プレミアム・ハザードBOX(DVD 9枚組)(2006年7月7日 アミューズソフトエンタテインメント ASBP-3423)
外部リンク(1974年のテレビドラマ)
TBS 日曜20:00枠 【当番組のみドラマ、関西地区は腸捻転解消のため除く】 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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日本沈没 (テレビドラマ版)
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朝日放送 日曜20:00枠 |
日曜ワイドスペシャル (19:30 - 20:55) 【単発特別番組枠一旦中断】
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日本沈没 (テレビドラマ版)
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2021年のテレビドラマ
2020年のWebアニメ
1973年の連続ラジオドラマ
映画版、テレビ版より早い1973年10月8日から1974年4月5日の半年間、毎日放送制作で、9:00 - 15分の帯番組として、月曜から金曜の毎日、全国ラジオネットワーク(NRN)系列局で放送された。全130回。
主人公小野寺の名前を俊夫から浩介へ、小野寺が乗る潜水艇の呼称をケルマデックからケマルデックへ、などの設定の変更がされている。また、小野寺の亡母が三保(現在の静岡市)で入水した、などの追加がされた。
スタッフ(1973年の連続ラジオドラマ)
キャスト(1973年の連続ラジオドラマ)
1973年の単発ラジオドラマ
上記のラジオドラマとは別に、1973年11月4日には文化放送にて『小松左京「日本沈没」より ここを過ぎて悲しみの都へ』と題したラジオドラマが放送された。原作から「日本が沈む」という設定だけを取り込み、政府の思惑や地殻変動の仕組みを知らない一市民が未曾有の大災害に翻弄される姿を描いた作品[58][59]。
第28回(1973年)文化庁芸術祭ラジオ部門優秀賞受賞[60]。
音源は放送ライブラリーで保存・公開[61]されていた一方、文化放送社内では長らく作品のことは「忘れ去られたまま」[62]だったという。その後、当時の放送を収録したオープンリールが小松宅で偶然見つかったことをきっかけに、2023年12月から2024年1月にかけて計4回放送された年末年始特番『小松左京クロニクル 「日本沈没」を探す旅』の中で、50年ぶりに再放送された[59][62][注釈 47]。
スタッフ(1973年の単発ラジオドラマ)
キャスト(1973年の単発ラジオドラマ)
ほか
1980年のラジオドラマ
NHK連続ラジオドラマ(1980年「連続ステレオ小説」としてNHK-FMで放送、のちにAMで再放送)。1話15分の全10回放送。設定年代を「198X年」とした他はほぼ小説通りのストーリー展開である。FMでの初回放送の直前に総合テレビの『NHK番組ガイド』で取り上げられ、東京大地震の群集シーンの収録風景が紹介された。
キャスト(1980年のラジオドラマ)
1970年代と2000年代の漫画
玩具
- 『おおくに&メカコレクション』(青島文化教材社) - テレビ版に登場したメカの商品化。おおくに、わだつみ、ケルマデック、はやとが含まれる[注釈 48]。
- 『日本沈没 D1計画篇』『日本沈没 D2計画篇』(タカラトミー) - 映画リメイク版のメカコレクション。主に劇中登場した自衛隊の装備や深海潜水艇が中心だが、撮影に用いられたタグボートもラインナップに含まれる。
- 『海上自衛隊輸送艦しもきた』(タカラトミー) - 映画リメイク版で登場した輸送艦「しもきた」の1/700模型。
実現しなかった映画化案
『日本列島沈没』
1971年ごろに『日本沈没』を原作とした映画『日本列島沈没』を大映が製作発表した[23]。経緯としては、1971年ごろにマスコミで東京大地震が話題になっていたことに着目して大映社内で東京大地震を特撮映画にする企画が浮上。そんな中、1972年秋に『放送朝日』の対談記事で小松左京がその種の話を執筆していることが判明し、東京大地震のストーリー提供を打診したところ、『日本沈没』の執筆を教えられ、小松から出版前の生原稿を提供される。これを大映社内の企画会議で検討した結果、前向きに企画が動き出すことになる。ところが大映社長の永田雅一が、社内でこの企画を動かしていた担当者に何の連絡もなく独断で突然『日本列島沈没』を製作発表。制作費の目処が立っておらず、正式な契約書も交わしていない段階で小松に無断での発表だった。結局『日本列島沈没』の企画はそのまま棚上げとなり、原作の出版後に東宝が正式に映画化権を取得した[63][64][注釈 49]。
『続日本沈没』の企画
1973年末夕刊紙に東宝の翌年以降の大作ラインナップの広告が出された際、『エスパイ』、『ノストラダムスの大予言』などと共に発表された[65]。製作前の各作品に「抽選で50名を試写会にご招待」とまで告知された。
監督と特技監督には前作と同じ森谷司郎と中野昭慶を起用。タイトル横に付けられたキャッチ・コピーは「祖国を失った日本人は世界史から抹殺されるのか?」だった。プロットとしてはジュネーブで再会する小野寺と玲子、難民化した日本人の受難、日本政府の裏資金での国土調達活動などが描かれると言われた。しかし、小松の原作執筆が進まず、公開予定が1976年に延期されたのち、製作は立ち消えになり幻の企画となった[66][65]。
『新日本沈没』の企画
1995年から1998年にかけて、東宝により企画された再映画化案。北山裕章と映画『さよならジュピター』の監督を務めた橋本幸治がプロデューサーとされ、脚本家として米村正二らが候補に上がった。ストーリーには原発事故による複合災害や新島での日本再建といった要素が盛り込まれ、CGと特撮の併用による撮影が計画されていたが、同時期に企画されていた松竹の『日本沈没1999』が先行して映画化の許諾を得ていたことから、企画は立ち消えとなった[67]。
『日本沈没1999』の企画
1998年9月30日に銀座東急ホテルで、松竹が1999年12月から公開する2000年の正月映画として『日本沈没1999』の製作発表を行なった。監督には大森一樹を起用。ストーリー面では、大森と小松両氏が1995年の阪神・淡路大震災の被災者でもあることから、その経験を活かそうと阪神・淡路大震災当時に見られた若者たちのボランティア活動やインターネット上の動向を盛り込もうと意欲を見せたほか、原作小説におけるD-2計画に重点を置いたものになる予定であった。また、先述の『新日本沈没』と同様に原発災害を盛り込む案も存在した[68]。映像面ではスペクタクルシーンにCGを活用する方針を採用。光吉俊二、大原伸一といったスタッフの名前が挙げられ、パイロット映像も作成されていた。
総製作費12億円、配収目標30億円の大作になる予定だったが、業績不振の松竹は制作費を調達できず、1999年3月5日の記者会見で大谷信義社長が「検討中」とコメントし、同作の関係社員を異動させたことも明らかとなり、事実上の製作中止が確定した[69][注釈 50]。結局、2000年の松竹の正月映画には大島渚の監督作『御法度』が公開された。
小説『日本沈没 第二部』
小説の続編である『日本沈没 第二部』が、2006年の再映画化に合わせ、谷甲州との共著という形で2006年7月に出版された。
執筆までの経緯
テレビでの対談において続編の構想について質問された小松は「日本沈没時、大量に発生した火山灰のため地球全体が寒冷化し、地球規模の食糧不足となり、そのような状況の下、世界各地に散らばった国を失った日本人がどうなるかを考えていたが、昨今の火山の噴火に伴う同様の状況の現出など、あまりに現実的すぎるテーマとなってしまい筆が進まないでいる」という趣旨の回答をしており、第2部においても「地球寒冷化」が「日本人の行く末」と並んで重要なテーマとされている。
後に小松と彼を慕う若手SF作家(谷や森下一仁ら)を中心として『日本沈没』の続編を執筆するプロジェクトが立ち上げられて、沈没後に残された日本人と地球がたどるであろう運命について議論が交わされて小松の元で基本的なプロットがまとめられた。だが、小松が既に老齢であったこともあり、実際の執筆は沈没後の日本人が活躍の舞台とするであろうアジア地域での生活が長かった谷が担当したが、出版後の2011年に小松は逝去することになる。
あらすじ(第二部)
日本列島の大半が海底に沈んだ「異変」から25年が過ぎた。かつて日本列島があった海域は、領有権の主張はおろか、学術的な調査すらも凍結された状態で残されていたが、その付近には中国の海洋調査船がひそかに入り込んでいた。海上自衛隊のワタリ准尉らは、白山の一部[注釈 51]が岩礁として残っているのを発見する。
かつてのD計画の中心人物で、現在は日本国の首相となっている中田一成は、日本国を再建するために大和堆の上にメガフロートを建設する計画を進めようとする。しかし、それは中国をはじめとする周辺諸国との軋轢()を招くことになった。
ところがその矢先、地球シミュレータによるシミュレーションで、「異変」にともなって噴出した膨大なエアロゾルが地球の寒冷化を促し、新たな氷河期が近づきつつあることが判明する。
鳥飼外相は中田首相に対し、メガフロート計画を人類救済のために転用するように主張するが、中田は納得できず鳥飼は外相を辞任する。中田はアメリカとの軍事同盟に頼って事態打開を図るが、アメリカは責任を日本政府に押し付けるような情報操作を行ったうえで地球シミュレータを接取しようとする。
設定(第二部)
登場人物(第二部)
- モーシェ・雅俊()・ワタリ
- 海上自衛隊准尉で、護衛艦「くらま」の搭載ヘリ乗員。イスラエルと日本の二重国籍。渡花枝の長男で、桜の異父兄。
- 渡 桜()
- 渡花枝の長女で雅俊の異父妹。戸籍上の姓は吉村だが、母方の姓を名乗っている。中田首相の私的秘書として、「異変」を記録する役割を与えられる。
- 渡 花枝()
- 「日本人の子を産め」という渡老人の遺言に忠実に従い、さまざまな国の何人もの男性と結婚・離婚を繰り返したため、多数の国籍と名字を持っている。第一部から登場しているが、「渡」姓は第二部で初めて言及される(渡老人との血縁関係は明言されていない)。
- 神代()
- 海上自衛隊三佐。「くらま」搭載ヘリ機長。雅俊の上司。
- 邦枝()
- 中田首相の旧友で、花枝とも旧知の間柄。第一部においてD計画のメンバーの一人として活動した。
- 中田 一成()
- 日本国首相。かつてのD計画の中心メンバーの一人であり、政治家となってからも学者時代の旺盛な好奇心を覗かせる。第一部ではニヒルな態度をとることがしばしばあったが、第二部では失われた「日本」に対する深い執着を見せる。
- 世界各地に散らばった日本人難民の再編と、メガフロートによる日本国の再建を進めようとするが、その矢先に地球シミュレータにより全地球の寒冷化が判明。計画を中止し首相を辞任、鳥飼元外相にその地位を禅譲する。
- 鳥飼()
- 日本国外務大臣。中田首相と対立して外相を辞任した後、首相の地位を禅譲される。
- 日本列島が沈没した年の外務省入省組で沈没まで海外経験がほとんどなく、そのため、日本国にこだわらず人類の存続を考えることができる。
- 篠原()
- 農業開発機構所員。農地開発の専門技術者で、パプアニューギニア入植地の開発を担当している。日本沈没を経験した一世世代。
- 桑島 千絵()
- ガイア農業開発研究所長。
- 矢板()
- 海洋開発機構所属の「ずいほう」の船長。
- 荻原()
- 海洋開発機構研究員。
- 梶川()
- 日本国農林水産省(オーストラリアのダーウィンに置かれている)の官僚。地球シミュレータのプロジェクトリーダー。
- 染谷()
- 農林水産省技官。
- 倉橋()
- 農林水産省技官。
- 巌谷
- 日本国建設省官僚。
- 山崎()
- 日本政府連絡員。
- 田原
- 国際連合日本政府代表部一等書記官。
- 阿部 玲子()
- 国連難民高等弁務官事務所職員。第一部では富士山の噴火に巻き込まれ、真鶴道路附近で行方不明となっていたが、生存していた。生き別れとなった元婚約者である小野寺のことが忘れられず、業務のかたわら、小野寺を探している。
- 梁()
- 駐ニューヨーク中国領事館副領事。中国国内のNGO活動にも深く関わっている。
- 小野田()
- カザフスタンの日本人難民リーダー。じつは記憶喪失となった小野寺俊夫本人(第一部の結末近くで、摩耶子から誤って「小野田」と呼びかけられる場面がある)。摩耶子と結婚していたが、5年前に死別した。
「第二部」以降の展開
第三部の構想もあった。2006年にラジオ番組『サントリー・サタデー・ウェイティング・バー』に小松が出演した際、「第三部をもし作るとしたら、第二部で生きてた日本人はもう宇宙まで行くしかない。宇宙にメガフロートを作ろうかと谷(甲州)と話している」といった趣旨の発言をしていた[70][信頼性要検証]。
『日本沈没』が執筆開始された後から『SFマガジン』に連載され、出版は1966年と『日本沈没』に先んじる形になった小松の別の長編小説『果しなき流れの果に』には、短いエピソードとして、国土を失ったさらに未来の日本人の行く末に触れており、ここでは宇宙に進出する日本人の姿が描かれている。また、「お祭り」というショートショート作品では、国土を失った日本の民族が宇宙開発を率先して進めたため、その貢献への返礼としてお盆に太平洋上で巨大「大文字焼き」を行う権利を得、月面や衛星軌道上から眺めるという新たな風物詩を定着させている、ということになっている。
現実に日本列島が沈没する可能性
地球物理学者の上田誠也(当時、東京大学教授)は、『中央公論』1973年7月号に掲載された小松との対談において、量子力学上のトンネル効果を援用したところが日本を沈没させるための「トリック」であることを指摘しており、小松も上田の指摘を認め、「あれ〔トンネル効果〕がないと、日本列島だけ沈んでくれないんですよ」と述べている。
日本列島の土台は複数のプレートの運動によって形成された付加体である。これは大陸側のプレートと太平洋側のプレートの衝突によって、海洋プレートの上の堆積物が押し上げられる形で隆起したものである。よって、このプレートの動きが変わらない限り日本列島が沈没することはなく、むしろ沈下ではなく隆起している。実際にプレートの動きが変わっても完全に沈没するまで100万年以上かかると計算されており、差し迫って沈没時のための準備や心配、対策などをする必要はないとされている[71]。
また、愛媛大学教授の入舩徹男は、『ネイチャー』2008年2月14日号に発表した論文で、地表から地中に沈下したプレートは地下600キロ前後で滞留しそれ以上は沈下しないとしている[72]。
2006年版の映画において使用された「プレート」を爆破して沈没を防ぐというアイディアも、現実科学的にはありえない。これは、マグニチュード5.25クラスの地震でも史上最大級の核爆発による人工地震に相当しており、日本列島を沈没させるプレート幅は余裕で1000kmを上回る。これを破壊するためには、マグニチュード10クラスの地震を引き起こすだけのエネルギーが必要であり、その量はTNT換算で150億トンにも達するためである(日本最大の巨大地震として知られる「東北地方太平洋沖地震」がマグニチュード9で、40分の1の規模)。
上記のことは作者の小松も承知していることであり、作品中でも示唆されている通り「日本沈没」は「何十億年に一度かの天変地異が今起こったら?」という、あくまでも仮定の話である。仮定が現実となった場合であっても天変地異が日本列島のみに限定されることや、僅か数年の前触れだけで起こることは、まずあり得ない。仮に作品で描かれるような日本列島が沈没するケースが起きた場合は、日本周辺からプレートの繋がる各大陸での地殻変動、朝鮮半島や中国大陸、台湾など周辺諸国、また環太平洋地域の諸国への影響はまず避けられず、巨大津波来襲などまさに世界規模の大災害につながるであろう。
パロディ
- 日本以外全部沈没
- 筒井康隆作のパロディ小説。『日本沈没』が第5回星雲賞(日本長編部門)を受賞したのと同時に、第5回星雲賞(日本短編部門)を受賞。
- 2006年の『日本沈没』の公開に便乗する形で映画化が発表された。監督は河崎実。初代映画版とテレビドラマ版でそれぞれ小野寺役を演じた藤岡弘、と村野武範がそろって出演し、話題となった。なお、こちらの映画版の田所博士役は寺田農で、寺田はリメイク版『日本沈没』からも出演のオファーを受けていたそうだが、結局こちらを選んだ。また、2006年版に出演した松尾貴史が、気象予報士・森田良純役でこちらにも出演している。なお、この作品には小松が公認(お墨付き)を与えている。
- 日本漂流
- 小松左京による自己パロディ[要検証 – ノート]。初出は『話の特集』1966年8月号。松代群発地震の調査でボーリングを行ったところ、なにやら柔らかいものに行き当たり、同時に日本列島すべてを激震が襲い、直後に日本列島は南に向かって泳ぎ出す。「地下にナマズがいるというのは本当で、日本列島の下には巨大な一匹のナマズのような怪物がいた」という話。超々特大日本鯰竜(アルキウルトラギガントナマザウルス ニッポニクス)という名が付けられている。
- 日本ちんぼ*
- 横田順彌のナンセンスパロディ小説。
- 日本ふるさと沈没
- 2006年版公開に合わせて出された徳間書店から刊行されたパロディ漫画集。「(作家たちの)故郷が沈没したら?」というコンセプトで書かれており(「ご当地」のみが沈没ないし残存するという場合もある)、鶴田謙二や吾妻ひでおなどSFファンには馴染みの深い作家から、いしいひさいちまでと執筆者の範囲が幅広いのも特徴である。
- SMAP×SMAP
- 関西テレビ・フジテレビで放送のバラエティ番組。2006年版の主演である草彅剛が出演しており、この映画のパロディであるコント「日本陥没」が放送された。
- ケロロ軍曹
- テレビアニメ。「日向家沈没」の題で、地下基地年末拡張工事で緩んでいた地盤が日向家もろとも沈降するというストーリー。水中調査船のネーミングも、「わだつみ」ならぬ「つみだわ」となっている。
- ドラえもん
- 漫画。「世界沈没」の題で小学館てんとう虫コミックス版の単行本では4巻に収録。のび太が12時間後に起こる現実をドラえもんの道具(イマニ目玉)で見ると世界中で大雨が降り世界が沈没するという内容。実はのび太が見たのは夜に自分が見ることになる夢で、実際に世界が沈むことはない。
- 王様はロバ〜はったり帝国の逆襲〜
- ギャグ漫画。タイトルは「日本ちょっと沈没」、数回にわたり連載されていた。局地的な地盤沈下により、日本が80cmだけ沈没(浸水)したという設定で、その環境で暮らす人々の生活を描いている。
- ふしぎの海のナディア
- テレビアニメ。第21話「さよなら…ノーチラス号」でノーチラス号が撃沈される海溝の名前が「ケルマディック海溝」。第31話「さらばレッドノア」でのハンソンの説明が1973年版映画の田所教授の説明のパロディ。第31話にはほかにも細かなパロディが存在。なお、第21話の絵コンテおよび第31話の監督は2006年版の監督をした樋口真嗣。
- ハヤテのごとく!
- 漫画。メイドのマリアが、ヒロインの三千院ナギの暇つぶしに見ていた映画DVDの中に「練馬沈没」という作品を見つける場面がある。この場面が登場した物語はリメイク版が放映された年に掲載された。
- 絶体絶命でんぢゃらすじーさん
- 『コロコロコミック』の漫画。「じーさんの日本沈没」という絵本をじーさんが書いたという話が登場した。
- 復活の日 人類滅亡の危機との闘い――
- 小松左京の『復活の日』の新井リュウジによるジュニア版リメイク。直接登場はしないが、主人公・吉住の恩師に「田所」という地質学者がいる。また「石坂兵吉」という日本の副総理が登場しており、これは2006年の映画版で総理大臣役を演じた石坂浩二が名前の元ネタである[注釈 52][73]。この他にも国会議事堂に向かうデモ隊に警察のヘリコプターが警告する場面は、1973年の映画版で避難民を乗せた漁船群に小野寺がヘリコプターから警告する場面のパロディとなっている。
- レッドサン ブラッククロス
- 佐藤大輔の仮想戦記小説。作中における日本の反応兵器開発の計画名が「D計画」。計画を推進している海軍大佐の名前が「田所雄介」になっているなどのパロディが存在する。
- WORLD WAR Z
- 海外小説。全世界にゾンビが発生し、日本でも被害が発生する中、日本人が日本列島を脱出して国を失くす、という描写が作中で描かれている。また作中で日本脱出を提案した「小松由紀夫博士」という登場人物は、小松左京が元ネタとなっている[注釈 53][74]。
日本沈没を引用したメディアなど
- 大韓民国の新聞社
- 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による巨大地震や大津波の浸水による水没で、韓国の全国紙『中央日報』とソウル特別市の地方紙『ソウル新聞』は、3月12日朝刊の記事で、このことを本作品にたとえ「日本沈没」という見出しをつけて掲載した。しかし、このことが本作品を想起させて、日本人の震災被害者の心情を侮辱すると、読者からクレームが殺到した[75]。『中央日報』は同年末12月26日付けの特集で「災害に苦しむ日本人を傷つけた」として、当時の紙面を取り消す旨の「反省文」を掲載し[76]、改めてその水没した被災地の写真を使い、「がんばれ日本」と書いた訂正記事を発表した[77]。
- ハケンの品格 第2シリーズ(日本テレビ)
- 実際の書籍(1973年のカッパノベルス版)がドラマ内に登場。また、大前春子が「日本沈没」と叫ぶ場面があり[78]、エンディングには、協力としてクレジットされている。
- 継母の連れ子が元カノだった (AT-X、TOKYO MX、BS日テレ、毎日放送、BSフジ)
- 第1話「元カップルは呼びたくない「そういうところが......!」」で、リビングテーブルに2020年の角川文庫版の本がある描写があり、「小松左京」も明記されている。同様に出た有川浩の「海の底」とも エンディングクレジットには書かれていない。
脚注
注釈
- ^ 悲観的な未来予測をおこなったローマクラブの「成長の限界」が、前年の1972年に発表されている。なお、小松は日本万国博覧会においてテーマ館サブプロデューサーを務めていた。
- ^ 上田誠也(当時東京大学教授、地球物理学)は、『中央公論』1973年7月号に掲載された小松左京との対談において、「あれならうちのマスター論文ぐらいにはなるかな、なんて思っておったんですがね」と発言している。
- ^ 作中では「日本海溝」とされているが、正確には伊豆・小笠原海溝である。
- ^ 原作発表当時の表現。2011年以降は「死火山でなければすべて活火山」と解釈されている。
- ^ a b 原作本編でも、最後の大爆発後に日本列島の完全消滅を確認する記述は不詳にされている。『日本沈没 第二部』によれば、北陸地方の白山の一部と見られる部分(白山岩)が岩礁化して海面上から露出しており、日本政府はこれを根拠に旧日本列島海域における日本の国家主権の存続を主張している。
- ^ 1970年代初め、伊丹空港に代わる「関西新空港」の立地については神戸沖・泉州沖を含めて複数の候補があり、泉州沖とする答申が出されたのは本書刊行と同じ1973年であった。
- ^ 現代ならスーパーコンピュータ(スパコン)とするべき箇所だが、Cray-1の誕生以前で、スパコンという概念がまだない。
- ^ ただし、1974年ドラマ版では「Danger」のDであると説明されている(第4話「海の崩れる時」)。
- ^ 作中に登場する構成国は、タンザニア、アメリカ、ソ連、マルタ、イギリス、ドイツ(本作発表当時は東西に分断されていたが、単に「ドイツ」とのみ記載されている)、フランス、インドネシア、ヨルダン、バングラデシュ、カナダ、オーストラリア。
- ^ 小説中ではフルネームは登場しない。
- ^ 第5章第7節で2か所、野党第3党の党首と経済団体の会長からそれぞれ「緒形」と呼びかけられる場面がある。
- ^ 資料によっては、「144分」[17][13]、「2時間」[14]と記述している。
- ^ 田中は原作の新聞広告を見て、小松に連絡をとったという[5]。田中と小松は以前から交流があり、小松は自身が携わっていた雑誌『S-Fマガジン』で東宝から賞金を出してもらっていたことに対する恩義もあったことを述べている[5]。
- ^ 資料によっては、役名を田所雄介博士と記述している[17][22]。
- ^ 資料によっては、役名を山本甚造総理と記述している[22]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、役名を結城達也と記述している[17]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、役名を吉村秀夫と記述している[17]。
- ^ 資料によっては、役名を幸長信彦助教授と記述している[17][22]。
- ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、隊員と記述している[9]。
- ^ 書籍『東宝特撮映画全史』ではD1本部委員[33]、書籍『東宝特撮映画大全集』では本部委員の学者と記述している[9]。
- ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、役名を指揮官と記述している[9]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、役名を中田浩一郎と記述している[17]。
- ^ 「円谷以外で初めて」とする書籍[34]もあるが誤り。
- ^ 中野は、東宝特撮がこれまで培ってきた技術がどこまでリアリティに迫れるかという、自身にとって一つの実験であったと述べている[38]。
- ^ スケールは、書籍『東宝特撮映画全史』では「約300分の1」[40]、書籍『東宝特撮映画大全集』では「1200分の1」[34]と記述している。
- ^ 後に田所博士の調査で沈没は1年以内と判明。
- ^ 旧作と原作では渡老人が有識者を招集し、富士山麓にこもらせ日本救済策を練ったシーンが存在したが本作品ではまったく描写されていない。複数の有識者による検討で「何もしない方がいい」という極論も提示されたことは山本首相のセリフによって示されるのみである。
- ^ 原作では震災から約半年後の地盤沈降下で襲った梅雨の集中豪雨による。なお、1974年のテレビドラマ版でも東京での震災と沈没は終盤のシーンに該当するが、その段階で全住民の退避には至っていない。
- ^ 実際には東京消防庁ハイパーレスキューに女性隊員は存在しない。女性職員については、毒劇物などに係る災害活動への従事制限があるためである。
- ^ 1974年のテレビドラマ版第24回で小野寺が似たような状況に陥っているが間一髪で救出されている。
- ^ 1973年のラジオ版では田所教授役で出演していた。
- ^ 写真のみ。写真は映画用に新たに撮り下ろした。
- ^ 劇場パンフレットでクレジットが確認できる。
- ^ a b c 特技監督
- ^ 出港した彼が戻るころ、既に故国は失われた後だという田所のセリフで締め括られた。
- ^ チリ大地震の調査で日本を留守にしているという台詞がある。
- ^ 第2話のみノンクレジット。
- ^ 第1話、第16話はノンクレジット。
- ^ 第13話、第20話はノンクレジット。
- ^ 第20話のみノンクレジット。
- ^ 第16話のみノンクレジット。
- ^ オープニング・クレジットでは「あしたの愛」と表記された。また、第14回のサブタイトルとしても使用された。
- ^ 第5話予告以降(一部を除く)。
- ^ 第9話にクレジットされている。
- ^ 日本沈没(1973年版)からの流用。
- ^ 日本沈没(1973年版)からの流用。映画では野崎特使。
- ^ 年始の特番の放送2日前(1月1日)には令和6年能登半島地震の本震が発生したが、予定どおり放送された。
- ^ 元は本放送当時に今井科学から発売されていたプラモデルキット。
- ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、大映の倒産により実現しなかったと記述している[23]。
- ^ 1998年に松竹では奥山家の解任騒動という内紛が尾を引き、映画製作ができる状態ではなかったとも言われている。
- ^ 後日、篠原から中田首相への報告によって、白山の山頂部分そのままではなく「異変」によって崩落した跡が岩礁化したものであることが判明する。
- ^ 石坂浩二の本名は「武藤兵吉」。
- ^ 下の名前は三島由紀夫が元ネタと思われる。
出典
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出典(リンク)
参考資料
関連項目