草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9月19日[1][2][3] - 2007年〈平成19年〉11月11日[3])は、日本の俳優。本名:草薙 幸次郎[3][注 1]。
東京市[1]北豊島郡王子町(現:東京都北区)出身[3]。日本大学文学部哲学科中退[1][3]。劇団民藝を経て[1]、アクターズカンパニーに所属していた[1]。
長男の草薙仁は俳優[3]で、長女の草薙かおりも元女優。
1941年に巣鴨商業に入学したが、戦災により三重県の津市立励精商業に転校し卒業。戦後、日本大学文学部哲学科に入るが中退。定職もなく過ごすうち1951年に土方与志の人民演劇集団の移動隊に加わり農漁村を巡回し、翌年から本格的に新劇俳優を志して劇団民芸の勉強会に研究生として入団。1956年から1971年に退団するまで民芸の一員として『郡上の立百姓』『イルクーツク物語』ほかの舞台に立つ。映画初出演は民芸=近代映協作品「夜明け前」(53)。56年、八海事件を扱った今井正監督「真昼の暗黒」に主役で抜擢され、老夫婦殺害の主犯として死刑を宣告され、「まだ最高裁があるんだ」と絶叫する植村清治の役を迫真的に演じ、第1回製作者協会新人賞を受ける。なお、同時受賞者に石原裕次郎、高倉健、川口浩がいる。これをきっかけに映画出演の誘いがあいついでかかり、とくに日活アクションには数多く出演。凄腕の刺客や謎の中国人など悪役を数多く演じた。痩せこけた頬に細い目の光る容貌を巧みに誇張した陰惨なムードでしたたかな演技者ぶりを見せた。
70年代以降も時代劇から現代劇、ロマンポルノにアイドル映画、コメディとジャンルを問わず、映画、テレビドラマと晩年まで数多くの作品にバイプレーヤーとして活動した。
2007年11月11日、間質性肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。78歳没。
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