豊川 悦司(とよかわ えつし、1962年〈昭和37年〉3月18日 - )は、日本の俳優。愛称は、トヨエツ。
大阪府八尾市出身。アルファエージェンシー所属。八尾市立志紀中学校、大阪府立清水谷高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。
来歴
関西学院大学文学部在学中は劇研究会(現・劇研究部劇団狸寝入)に所属し[2]、やがて本格的に俳優を志して中退。上京し演劇集団 円の研究生を経て、1983年に渡辺えり子(現・えり)主宰の劇団3○○(さんじゅうまる)に入団。同年、渡辺作・演出による『瞼の母』で初舞台を踏み、1989年に退団するまで7年間の在籍中は数々の舞台に出演。
退団後は、渡辺の紹介で現在のアルファエージェンシーに移り、1989年に渡邊孝好監督の映画『君は僕をスキになる』のオーディションに受かり、加藤雅也の同僚役で映画初出演。以後、多数の映画・テレビドラマに出演。
1990年のフジテレビ『あいつがトラブル』の最終回にゲスト出演したのを皮切りに、NHK『赤頭巾快刀乱麻』1991年などいくつかに顔を見せていた。映画では、1990年の北野武監督作『3-4X10月』に出演[3]。
1992年にテレビドラマ『NIGHT HEAD』で武田真治と共に主演して注目を浴びる。深夜枠にもかかわらずカルト的な人気を博す。同年に松岡錠司監督の映画『きらきらひかる』で岸田睦月役を務める。日本アカデミー賞、ヨコハマ映画祭などの新人賞を多数受賞し、エランドール賞新人賞も受賞。20代女性を中心にブレイクを果たす。
1994年にテレビドラマ『この世の果て』や『この愛に生きて』などの話題作に出演し、一般にも認知されるようになった[3]。
1995年に映画『Love Letter』(岩井俊二監督作品)で秋葉茂役を務め、第19回日本アカデミー賞にて優秀助演男優賞と話題賞を受賞。同年に『愛していると言ってくれ』にて耳が不自由な青年画家役として、障害を乗り越えながら愛を深めていく姿を演じ[3]、最高視聴率28.1%を記録した。
1997年にテレビドラマ『青い鳥』のヘアメイクを担当していた女性と結婚し、一男一女を儲けたが、2005年12月31日に離婚、子供は妻が引き取った。
1999年に放送されたテレビドラマ『危険な関係』に出演し、話題になった。
2001年、放送された春クールの主演ドラマ『Love Story』(中山美穂とW主演)の平均視聴率が20%越えを達成した。
以後、2003年に放送されたテレビドラマ『Et Alors-エ・アロール-』、2006年に放送されたテレビドラマ『弁護士のくず』といったドラマに出演した。
2008年、自宅でカキ鍋を食していたところ、突然体調を崩して救急車で病院に搬送されるという事態が発生した。原因は鍋の中の具材(どの具材が症状を引き起こしたかは不明)によるアナフィラキシーショックだったが、症状は軽く済んだ[4]。
2011年、第36回湯布院映画祭にて平山秀幸監督の『必死剣鳥刺し』、瀧本智行監督の『犯人に告ぐ』、阪本順治監督の『傷だらけの天使』、行定勲監督の『今度は愛妻家』の4作品が特集上映される。上映後は行定勲監督とのトークショーが開催された。同年にNHK大河ドラマ『江・姫たちの戦国』に出演し、織田信長役を務めた。
2015年5月、元エステティシャンの女性との再婚と女児の誕生を公表[5]。
エピソード
子供時代
商売(詳細は不明)をする両親と、3歳年上の姉のもとで育つ[3]。両親が仕事で忙しく夜遅くまで帰って来なかったため、帰宅後はお菓子などを自由に食べ、このため当時は肥満児で性格も地味だった[3]。小学生時代の将来の夢は、畳屋さん[注釈 1]。
親の仕事の関係での引っ越しが多く、学校に馴染んだ頃に転校になったため友達作りに苦労した[3]。イジメはなかったが言葉(方言)にも苦労し、中学生の頃に大阪から千葉に引っ越した後、再び大阪に戻った時はその都度同級生に話し方をからかわれた[注釈 2]。
ちなみに姉との仲は良く、子供の頃から本人が高校生の頃まで同部屋で、二段ベッドで寝起きしていた。また当時は姉の影響で、主に『りぼん』や『別冊マーガレット』などの少女漫画を読んでいた[3]。
高校在学中の進路を考える頃、姉は大阪の自宅から京都の同志社大学に通っていた[3]。すると父親から「お前も同志社大学に行け、(姉と)二人で京都で下宿していいぞ」と言われた。しかし高校卒業後も姉と一緒に暮らすのはさすがに気が進まなかったことから、兵庫県にある関西学院大学に進学した[3]。実は本来大学進学は考えておらず、高校卒業後に世界を放浪したいと思っていた[注釈 3]。しかし親から「世界を放浪するなら大学を出てからやりなさい」と猛反対されたため、大学に進学することにした[3]。
芝居との出会い
大学進学後は寮生活を始めたが、それまで芝居には興味なかった。寮の目の前に演劇部の部室があり、ある日自室からボケッと練習を見ていた所、部員に誘われて入部[注釈 4]。
7月に入部して練習に参加した後、8月か9月の公演に端役として出演[注釈 5]。台詞は1つか2つだったが、この舞台で人前に立つ快感を感じたことから、以後芝居にハマった[3]。
本格的に演劇をやりたいと思うようになり、2年生で大学を中退して上京[3]。後日、渡辺えり主宰の「劇団3○○」の舞台を観てその芝居に感激し、公演直後「劇団に入れて下さい」と直訴して入団した[3]。その後劇団が過渡期になったらしく初期メンバーが抜けたこともあり、7年在籍した「劇団3○○」を退団[3]。本人によると、退団後の舞台出演は30歳の頃に1回だけやったのが最後とのこと(2022年現時点)[3]。
演技に関して
実在の人物[注釈 6]を演じる時は、できるだけ事前に本人に会っておくという癖がある。本人によると、その人が本当に存在していた証を確かめたくなるとのこと。織田信長など故人の場合でも、その人の墓参りに行くなどしている[3]。
本人は「役者としてはわりと役に“飛び込む”[注釈 7]のをウジウジ考えてから演じるタイプ」と自己分析している[3]。
役者をする上で大事にしていることは、「自分の気持ちが冷めないよう、各作品の出演期間に一定の“温度”を保つこと」[3]。また、内容が似たような作品にはなるべく連続で出演しないようにしている[3]。
人物
出演
テレビドラマ
ネットドラマ
ラジオ
映画
Vシネマ
- タフ PART Ⅰ 誕生篇(1990年)
- 獣のように・完結編(1992年)
舞台
- 新宿梁山泊 第77回公演「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」(2024年)[30]
テレビアニメ
ゲーム
ドキュメンタリー
- NHKスペシャル(NHK総合)
- 「昔 父は日本人を殺した〜ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦〜」(2011年6月19日、NHK総合) - デール・マハリッジのモノローグを朗読
- 新・ドキュメント太平洋戦争
- 「1941 第1回 開戦(前編)」(2021年12月4日) ※ 朗読
- 「1941 第1回 開戦(後編)」(2021年12月5日) ※ 朗読
- バルテュスと彼女たちの関係(2014年5月17日、NHK BSプレミアム) - ナビゲーター
- プラネットアースII(2016年12月25日 - 、NHK BSプレミアム) - ナレーション
- NHKスペシャル ブループラネット(2018年5月6日 - 、NHK総合) - ナレーション
トーク・バラエティ
CM
原案・脚本・演出作品
テレビ演出家・豊川悦司の特徴
初期は、監督やテレビ演出家をあえて重要な役に配していた。例えば「父、帰る…」では清水千賀扮するヒロインの父親役には『この愛に生きて』『星になった少年』の河毛俊作、「冷やす女」では水野美紀扮するヒロインが冷凍する亡き恋人役に『千年旅人』の辻仁成、そして「退屈な部屋」「懐かしいひと」では主人公・津部役に『二十才の微熱』『ぐるりのこと。』の橋口亮輔を起用している。『夫婦漫才』では、ヒロイン・中山美穂の晩年役に、吉本新喜劇の女優・中山美保を起用する遊びをやっていた。
書籍
- 秋風羽織の教え 人生は半分、青い。(秋風羽織名義、北川悦吏子と共著)
受賞歴
映画
テレビドラマ
その他
脚注
注釈
- ^ 当時住んでいたアパートの近所の畳屋のおじいさんの畳を縫う作業が面白くカッコよく見えて、帰宅後に入り浸っていた時期があるとのこと[3]。
- ^ 千葉に行った時は大阪弁をバカにされ、千葉の言葉に馴染んだ頃に大阪に戻った時は「なんだその喋り方(笑)」と言われた[3]。
- ^ 本人はこれについて、「大学に行ってまた勉強するのかとうんざりしていました。また、自分が将来何をしたいのかは、世界を見てからじゃないと見つからないと思ったのかもしれません」と回想している[3]。
- ^ 練習を見ているのに気づいた部員から、「君は何か部活とか入ってないの?と聞かれた。「はい」と答えると、「一緒にやってみない?」と言われ、誘われるまま何気なく入部したという[3]。
- ^ 本人によると「この時は演劇部オリジナル作品で、当時演劇界ではアングラが流行っていた。このため初めての役は、人間かどうかも分からない、説明しようがない役だった」とのこと[3]。
- ^ 実在した人をモデルにしたフィクションの作品も含む。
- ^ 出典の対談記事において、クセのある役や濡れ場などの役を思い切って演じるのを、水に飛び込むことに例えた発言。
- ^ 豊川によると、2022年10月時点で映画「あちらにいる鬼」を含めて、これまでに6回か7回共演したという[3]
- ^ 本人は、「80歳近くでサーフィンをやっている方もおられる。僕の中では、サーフィンはスポーツというジャンルとはちょっと異なる。サーフィンをやる中で、板にまたがって波を待つ“波待ち”の時間が一番好き。波待ちの時は、役者・父親・社会人・男のようないくつもの自分という“コスチューム”を全部脱いで、本来の“裸”の自分になれる」と語っている[3]。
出典
外部リンク
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