片岡 礼子(かたおか れいこ、1971年12月20日 - )は、日本の女優。愛媛県伊予郡松前町出身[1]。ハイイロ所属[1][2](元:芹川事務所[3][注 1]、pdash、カクトエンタテインメント[2][4])。
来歴
松前町立岡田小学校[5][6]、松前町立岡田中学校[6][7]、愛媛県立伊予高等学校[8][9]、明星大学理工学部土木工学科卒業[10][11][12]。
幼少期 - 高校時代
小さいころはおとなしい子どもで、何かものを作ることや、本、漫画、水泳が好きで球技は弱かった[11]。小学4年生から6年生まで鼓笛隊に所属してトランペットを吹いていた[13][14]。また同時期に音楽クラブに入り、アコーディオンや小太鼓をしていた[5]。
小学生のころはマラソンに関して苦手意識があったが、次第に周りの友人が一生懸命スポーツに取り組んだり、速いスピードで走る姿に影響を受け、片岡もベストタイムを出そうと努力したり10年くらいかけて意識が変わっていったという[15]。
テレビで放送されたジャッキー・チェンが出演する映画『酔拳』を見て憧れの人となる[11][16]。映画館で初めて見たのは『五福星』。ジャッキー・チェンをきっかけに映画が好きになり、多くの映画をのめり込むように見た[11]。女優になりたいというのはまだなかったが、「映画に何か関わりたい」という気持ちはあった[11]。
中学生の頃『ミス南ちゃんコンテスト』に応募して、コンテストに出場したことがある[11]。
高校でもマラソン大会があり、苦手意識はあったが仲の良い双子の姉妹が練習時から1位と2位を取る姿に憧れる[17]。3ヵ年計画で「どれくらいタイムが縮まるか」を自分に求めてみた[17]。20位までは表彰されるためやれるだけやってみようと思って、毎日ではないが水泳部で走ることなど少しずつ練習を増やしていった[17]。1年生は半分より少し前だったが、3年生は19位で入賞して嬉しい思い出であると述べている[17]。水泳部[17]と、生徒会に所属して副会長だった[18]。
東京の大学に行くと決めた時は映画に関わる夢を抱える状態だった[10]。両親は女優に反対で、大学の4年間でチャンスをつかめなければ、土木の勉強を活かして愛媛に帰って就職すると約束し、挑戦することにした[10][11]。
女優として
1991年に民社党4代目の『'91年キャンペーンキャラクター』に選ばれて[19]、党のアピール活動以外に、一週間に一回党新聞にエッセイを書いた[20]。1992年の5代目のキャンペーンキャラクターも選ばれた。キャンペーンキャラクターは、第2代の人が朝ドラのヒロインに選ばれていて[注 2]、夢だった映画俳優への道になるかもと思って応募した[21]。大学は軽音学部に籍を置いていた[13]。
1992年に女子大生モデルとして『週刊朝日』の表紙(撮影:篠山紀信)を飾る[11]。表紙モデルは一度応募したがその時は受からず、次の年に応募したら合格した[11][22][注 3]。
1993年、橋口亮輔監督の『二十才の微熱』でスクリーンデビュー[1][11]。大学3年生の夏休みに実家に帰省していた時に、この映画のオーディションを受けないかと連絡が入る。最初は実年齢より年下の高校生「あつみ」の役を受けたが不合格で、もう一度オーディションを受けるチャンスがあり「鈴木頼子」の役で合格した[23]。
駆け出しのころは、出演者がケガなどで舞台に立てない時のための補欠として公演に同行していた[24]。
1994年、高橋伴明監督の『愛の新世界』で鈴木砂羽と競演し、体当たりの演技で注目を集める[11]。
1995年、『KAMIKAZE TAXI』の演技が認められ、第17回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞[11][23]。
1996年ごろよりラジオドラマにも積極的に出演。
1997年の『鬼火』の演技でも高い評価を受け、第19回ヨコハマ映画祭最優秀助演女優賞を受賞[11]。
1998年に結婚し、1999年に第一子を出産する[23]。
1999年のFMシアター『スモーキング・タイム〜煙の行方』は、第37回ギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞を受賞。後に映画化される『ヴァイブレータ』、オーディオドラマ奨励賞を受賞した『月の記憶』など話題になった作品も多い。
2001年の『ハッシュ!』では、キネマ旬報賞および第45回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞[4][11][23]。
2002年1月5日、舞台での稽古中に「脳動静脈奇形による血管出血(脳出血)」で倒れ、一時生死をさまよっていたが、脳の出血部分にできたかさぶたを除去する手術を行い奇跡的に回復した。キネマ旬報の主演女優賞の受賞の知らせもベッドの上で聞いたという。その後、自宅で治療しながら通院するなど懸命にリハビリに励む[16]。夫の実家がある愛媛県の島に転居し静養に充てる[4][16]。
2003年、片岡礼子 公式ホームページを開設。
島で暮らして2年目に『帰郷』の話があり、2年ぶりに女優業に復帰した[23][25]。
2006年1月21日よりブログをスタートした[26]。
病気で倒れて約10年間は女優業をほぼ休業し、体調回復に努めていた[27]。子育て中心の生活を送り[24]、7年ほど愛媛県の島で暮らした[21][28]。
再び東京に拠点を移し、2013年11月、劇団江戸間十畳Vo.3「明日は天気になる」で久々に舞台へ出る[24]。2014年3月、宮沢章夫作・演出の「ヒネミの商人」に出演し、同年7月と8月、三浦大輔作・演出の「母に欲す」に出演[24]。
2018年1月、『FIGARO japon』で俳優の斎藤工と写真撮影を行う。対談の中で片岡は「野望としてクレイアニメーションを撮りたいんです」と話している[4][29]。2021年1月16日に『次の窓をひらく〜齊藤工×片岡礼子×クレイアニメ〜 』(WOWOWプライム)が放送され、同年3月31日より『オイラはビル群』(WOWOWオンデマンド)で配信がスタート[30]し、20年の構想が実現した[31]。
2021年9月27日から、地元愛媛県の南海放送ラジオ (Fnam・エフナン)で『片岡礼子のシトラスレター』がスタート[32]。番組では出演作品の裏話や、地元のこと、自身や家族の話をしている[33][34]。この番組を前後して南海放送ラジオの番組に出演する機会が増えた。
2022年4月、「エフナン松前町応援サポーター」に就任。サポーターとして情報発信をしている[35]。
7月28日、「まさきオフィシャルサポーター」に就任した[6][36]。
8月28日、ラジオドラマ『幕末デェスぺラード 小松藩心中』(南海放送ラジオ)に出演[37]。
11月4日、母校の愛媛県立伊予高等学校が創立40周年を迎え、記念講演会にゲストで出演[9][17]。
人物
趣味・嗜好・特技
資格・免許
好きな場所
アルバイト
家族
エピソード
- 小学生で所属していた鼓笛隊では、警察学校のパレードや、毎年夏休みに『RNBこども音楽コンクール[52]』に出場した[5]。コンクールの参加記念として貰ったト音記号のキーホルダーは、思い出として大切に取っている[5]。
- 小さい頃は考古学者と天文学者で研究者はなってみたいことの一つだった。映画『北京原人 Who are you?』で演じた役が研究者だったので盛り上がった。生まれ変われるとしたら井戸掘りのアシスタントの仕事で、何もない所から水が出る瞬間を体験でいいからしてみたい。ドッグトレーナーも興味がある。犬とコミュニケーションを取って、人とでも難しいのに話が通じて競技に向かったり、散歩でもだが人と人のやり取りを超えて凄いと思っている。登山家、お菓子屋さんもなりたいが、興味は無限に出てくるので一番は決めづらいほどある[53]。
- 中学3年間、自転車で松山市余戸の「松山EM塾」に通っていた[54]。ラジオ番組『片岡礼子のシトラスレター』宛てに「いよてつそごうにいた時に、片岡さんが肩をポンと叩いて声をかけてきた」と同じ時期に塾へ通っていた男性のリスナーからメッセージが届いた[55]。片岡によると現在も当時の先生や生徒と連絡を取っており[55]、「その塾で勉強が思ってたより楽しいと思えたのが、私の中の宝物みたいな時間でした」と述べている[54]。
- 高校生の時にみかん一座のミュージカル『吸血鬼inジャパン』(1986年7月[56])を見る機会があり、初代ヒロインを演じたのが戒田節子だった。その後ラジオドラマ『幕末デェスぺラード 小松藩心中』(2022年8月28日、南海放送ラジオ F-nam)で共演している[57]。
- 土木の学部に通おうと決めたのは「水の勉強」をしたいと思ったから。子どもの頃、父親の故郷に帰省して川で朝から晩まで石を投げたり、石を積んで水の流れを変えてみたり、兄弟や近所の子とずっと遊んでいてすごく楽しかった思い出がある[11]。
- 初めてラジオドラマに関わったのは20代の頃で、冒頭や最後に一言という役だった。大学時代に東京で一緒に住む叔母がラジオやラジオドラマが好きであった。片岡がラジオドラマに対して強い思いがあるのは、叔母がいつも点字図書館で借りたテープを聴いて感動している姿を見て素敵だと思ったから。片岡は「恩返し」として何かしたいと思った時に、点字図書館の本を朗読する仕事のオーディションを受ける機会があった。オーディションは不合格だったが、「決まった時間の中で文字を読んで、物語を届けないといけないというのは物凄く技術がいることで、一生懸命やればいいものではない」ということを知った。それから「形は違ったけれどもラジオドラマで叔母に恩返しができるかもしれないと、ラジオドラマを気にするようになった」という[58]。
- 家からピアノの音が聴こえて来るのが憧れだった母が片岡にピアノを習わせてくれたが、幼稚園に通っていた時から3年で辞めた[5]。その後女優になってから『鬼火』のオーディションを受けて、ピアニストの役をすることになる。役が決まり撮影に入るまでの1ヵ月、朝は住んでいる地元の先生、昼は映画のチームが紹介してくれた先生と共に普段ジャズバーとして使っているところへ行って、何時間も練習した[5]。映画では5曲弾くことになり、最後まで弾けると良い曲は1曲、それ以外は途中でも良いのでと弾くシーンで実際に弾けたらということで、朝から夜まで先生に付いて習っていた[5]。大阪での撮影に入ってからは、大阪の芸大出身でプロのピアニストをしている小学生時代の友人に教わっていた[5]。
出演
映画
テレビドラマ
テレビ・バラエティ
テレビ・情報番組
テレビ・ドキュメンタリー
オリジナルビデオ
配信ドラマ
配信アニメ
ラジオドラマ
- FMシアター (NHK-FM 土曜日 21:00 - 21:50)
- 開いた窓 (1996年1月6日)
- 盆踊り (1997年7月26日)
- ヴィジョン (1998年1月24日)
- スモーキング・タイム〜煙の行方 (1999年6月12日)
- ヴァイブレータ (1999年7月31日)
- アンヌ・ダーター (1999年8月21日)
- あなたは誰 (2000年4月15日)
- ツバメ飛ぶ (2004年9月4日)[91]
- 夏の影踏み (2005年6月25日)[92]
- 月の記憶 (2005年11月19日)[92][93]
- しづ子〜魂の俳句 (2009年11月14日)[94]
- 探しもの (2015年11月28日)[95]
- 通い猫アルフィーの奇跡 (2018年1月27日)[96]
- ヘルプマン -俺たちの介護物語-(2022年9月3日 - 2022年10月8日 全5回放送)[97][98]
- 青春アドベンチャー (NHK-FM 毎週月 - 金曜日 22:45 - 23:00 10回放送)
- 新・夢十夜 (1996年2月-3月)
- 記憶の城 (1997年2月)
- 嘘の誘惑 (1998年2月)
- ポップスライブラリー (NHK-FM 毎週月 - 金曜日 24:20 - 25:00 5回放送)
- 針がとぶ (2004年3月1日 - 5日) 吉田篤弘作品の朗読
- 離婚ドライブ
- 青春ラジオ小説 オートリバース(2020年12月、民放ラジオ99局・radiko)
- 幕末デェスぺラード 小松藩心中(2022年8月28日、南海放送ラジオ F-nam)[37][99]
ラジオ・情報番組
MC
CD
- 外間隆史 Album「サンビカ(St.Bika)」(2000年8月2日発売)の 01-28.fictional radio program「ラジオ・サンビカ」にキャストで参加。
PV
舞台
- 明日は天気になる(2013年11月7日 - 11月12日、ウッディシアター中目黒) - 青島景子 役
- ヒネミの商人(2014年3月20日 - 3月30日、座・高円寺1) - 乾七重 役
- 母に欲す(2014年7月10日 - 7月29日 PARCO劇場 / 8月2日 - 8月3日 森ノ宮ピロティホール) - 智子 役
- ベッド&メイキングス「サナギネ」(2014年11月10日 - 11月16日、青山円形劇場) - 幼生サイド・ソメコ 役
- ここにある真空(2015年3月12日 - 3月15日、下北沢駅前劇場) - 溝口爽子 役
- 花はどこへ行ったの?(2016年3月24日 - 3月27日、ユーロライブ)
- コントと音楽Vol.3 「くたばるものかよ」(2021年10月15日 - 10月23日、コットンクラブ)
CM
- 白鶴酒造「白鶴・香るからくち」(2000年)
- シンキ「ノーローン」(2000年)
- 大塚製薬「Nature Madeマルチビタミン」(2000年)
- P&G「アリエール 漂白剤プラス」(2001年 - 2002年)
- 花王
- セブンイレブン「耳打ちヒソヒソ」篇(2004年)
- NTT「インフォスフィア」
- 丸井「X'mas」
- ゆうちょ銀行「父の単身赴任」篇(2016年)
- リブ・マックス「リブマックスリゾート」(2017年 - 2018年)
- JTEKT「大丈夫?」篇(2018年)
- Amazon Prime Video 「年末年始を、プライムに。」篇(2018年)
- ネスレコンパクト栄養食アイソカル わたせる栄養、もらえる元気。 「父の好物」篇(2019年)
- ドコモ「カンナとミナミ」篇(2019年)
- コスモウォーター「家族の小さな物語 無言のエール」篇(2021年)
- 養命酒「養命先生のいる街、夏を乗りきる」篇(2022年)
YouTube
- ハタチ〜オトナビトプロジェクト〜(2021年1月8日[106])
書籍
写真集
雑誌
- 週刊朝日 (1992年8月28日号 表紙) [11]
- 週刊ポスト (1994年4月8日号、1994年10月21日号)
- NoWon ナオン (1996年2月 Vol.15)
- PENTHOUSE JAPAN (1996年2月)
- キネマ旬報 (1996年12月)
- 週刊プレイボーイ (1997年6月24日)
- SWITCH (2001年12月)
- キネマ旬報 (2001年12月)
- キネマ旬報 (2002年1月)
- 映画感染 5 (2002年)
- 婦人公論 (2005年7月22日号)[107]
- ジャッピー! (2007年、連載)
講演会
脚注
出典
注釈
- ^ 「40代までに着物を着れるようになりたいというのが自分にとっての凄く大きな夢で、デビュー当時から在籍させて頂いた事務所の社長。16年在籍させて頂いた芹川事務所の芹川武己社長に、礼子ちゃん女優さんでね着物を着れるのはと20歳の頃にして頂いて。自分で着れるというのは素敵なことだよっていうのを和物の舞台を観に行ってる最中か、観た後だったかに実際に舞台に出ていらっしゃる方が当たり前に所作としても見事だという話を社長が出会った方から、社長の体験としてお話を聞いたんですね。」と本人談。
- ^ 市川翔子が主演に内定したが、民社党のキャンペーンキャラクターに内定して既に契約を交わしていたことが発表後に判明。「特定政党のイメージキャラクターを起用するのは不偏不党を謳う公共放送の性質上そぐわないと」内定を取り消された。その後渡辺梓に内定した。
- ^ 同じ年に進藤晶子も受かっている。
- ^ 『片岡礼子のシトラスレター 』2023年8月21日放送分。『仁義』シリーズ12 流血の縄張(1997年)は片岡が演じる役で400ccハーレーダビッドソンのバイクに乗るシーンがある。久しぶりのバイクで、共演の俳優・山口祥行に広場で現場に出ても問題ない状態まで練習に付き合ってもらった。「バイクの免許は持っているが、仕事で迷惑をかけてはいけないので、普段バイクは乗らない」という。
関連項目
外部リンク
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括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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