京 マチ子(きょう マチこ、本名:矢野 元子(やの もとこ)[1]。1924年〈大正13年〉3月25日[2] - 2019年〈令和元年〉5月12日[3])は、日本の女優。大阪府大阪市出身[4]。
生涯
一人っ子として出生したものの、5歳のときに父が蒸発し生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ[2]。
1936年(昭和11年)に大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に入団して、娘役スターとして戦時中に活躍した[2]。1949年(昭和24年)に大映に入社、女優デビューした。後輩の若尾文子、山本富士子と共に大映の看板女優として活躍した。160cmと当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した[2]。
溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる[4]。1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台を中心に移し、活躍の幅を広げた。
大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、生涯独身を通す[2]。1965年(昭和40年)には、日本で初めての「億ション」、コープオリンピア(東京・表参道)を購入して話題となった[5]。
月丘夢路とは映画『華麗なる一族』、ドラマ『犬神家の一族』などで共演し、共に家庭内の壮絶な抗争に執念を燃やす中年女性の狂気を熱演した。1976年12月公開の『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でマドンナ柳生綾を演じ、マドンナの中では唯一渥美清より年上である。
2000年(平成12年)に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では第7位になった。
80歳を過ぎた2006年(平成18年)の舞台まで活動を続けたが、その後は引退状態であった。2014年(平成26年)1月には池畑慎之介のブログに登場した[6]他、2017年6月にも仲代達矢が近況について「元気です」と伝えていた[7]。
2019年(令和元年)5月12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去。95歳だった[1][4]。生前からハワイの墓に納骨するように遺言していた[3]。
第92回アカデミー賞の逝去した映画人を称える“In Memoriam”(イン・メモリアム)のコーナーで追悼された[8]。
受賞・受章歴
- ノミネート
出演作品
映画
テレビドラマ
バラエティー番組
舞台
CM
脚注
関連書籍
- 水野晴郎『水野晴郎と銀幕の花々』(近代文芸社、1996年) ※水野による京を含む女優たちのインタビュー集
- 北村匡平『美と破壊の女優 京マチ子』(筑摩選書、2019年)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
京マチ子に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
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