赤木 春恵(あかぎ はるえ、1924年〈大正13年〉3月14日[1] - 2018年〈平成30年〉11月29日[3])は、日本の女優。本名、小田 章子(おだ あやこ)[4]。旧芸名、赤木 春生(あかぎ はるみ)。身長152cm、血液型はB型。自身の個人事務所でもあったオフィスのいりに所属。日本喜劇人協会相談役。満州長春県(現・中華人民共和国吉林省長春市)出身[5]。東京都府中市に居住していた。
来歴・人物
父は南満州鉄道の産婦人科医だったが、赤木が3歳の時に死去した[5]。
1933年に帰国して京都に住み[5]、女学校卒業後の1940年に松竹にニューフェイスとして入社し、同年に映画『二本松少年隊』でデビュー[6]。この時の芸名は赤木春生(あかぎ はるみ)だった(名付け親は映画監督の伊藤大輔[7])。
1943年、大映へ移籍、1945年、松竹で助監督をしていた兄が設立した慰問劇団に参加するため大映を退社し、満州各地を巡業した(この時に森光子と知り合い、森が結核で療養し音信不通となっていた時期を除いて深い親交があり、本人は「ソウルメイトのようなものですね」と振り返っている。)。途中で兄が現地召集されたため、劇団の座長となり満州全土を慰問で巡った。終戦時にはハルビン市にいたが、アパートのような所で仲間数人と暮らしながら、街路で長襦袢など身の回りの物を売って食い繋いだ。満州ではソ連兵による日本人女性に対する性暴行事件が激発していたが、実際に赤木らの部屋をソ連兵が訪ねて来た際は、女優の機転で「一番汚い衣装を身にまとって、顔はドーランを塗って影をつけて。頭は粉おしろいとか練りおしろいで、サッサッサッとハケで」「とても汚い女たちの集まり」「変なおばあさん」に変装、ソ連兵は『ニェ・ハラショー(良くない)』と言って立ち去り事なきを得たという。ソ連軍撤退後に中国共産党の八路軍が入って来たため入れられた現地の収容所では、藤山寛美らと泉鏡花の『婦系図』を演じた。ダンスホールで働いた事や、発疹チフスに感染し生死の境を彷徨った事もあった。1946年10月、葫芦島からの日本人送還船で博多港に帰国[5][8]。
その後、大映へ復帰した際、片岡千恵蔵から「春生では男か女か分からないから、春恵にしたらどうか」と勧められ、芸名を改める[7]。
1947年、東映のプロデューサーであった栄井賢(本名;小田 賢五郎)[9] と結婚[10] し、一女を儲け、1948年、東映に移籍(これ以降、大作や小品の別なく年相応の脇役を長く務めた)。
1959年、森繁久彌主催の森繁劇団に参加するためにフリーとなる。
1973年に公開された「海軍横須賀刑務所」では勝新太郎の母親役を演じた。
1974年の『四季の家』初出演以降、橋田壽賀子や石井ふく子プロデュース作品への出演が増加。
1979年からは『3年B組金八先生』にて当時としては珍しかった女性校長の君塚美弥子役でレギュラー出演し、当たり役を得る(レギュラー降板後もゲスト出演しており、教育関係者から講演も頼まれたほどだった)。
1983年、著書『おばあちゃんの家事秘伝』がベストセラーになる。
1991年、夫・栄井が肺がんで他界。
1990年からは『渡る世間は鬼ばかり』がスタートし、角野卓造演じる勇の母親であるキミ役で出演し、嫁をイビり、何かに付けて文句を言ったり難癖を付ける憎まれ役が評判を呼び、再び当たり役となった。2005年に「舞台の仕事に専念したい」との本人の意向で、一時的に降板となるが、途中で復帰しており、ほぼすべてのシリーズに出演した。
2007年(平成19年)秋に乳がんが見つかり、同所属事務所所属で公私共に仲が良かった後輩で友達でもある大空眞弓に相談して病院を紹介してもらい、年末に左乳房を全摘出して完治後に再び渡鬼最終シリーズ最終回で復帰し、2013年SP(ドラマ遺作)まで出演を続けた。
2011年(平成23年)6月13日には、コロッケの東京・明治座7・8月舞台公演の製作発表会に座長のコロッケと共に出席して会見を開き、親交の深いコロッケの舞台を最後に「これで私の卒業公演にしたい」と舞台からの引退を宣言した(理由は「現在は健康だが、いつご迷惑を掛けるか分からない。余裕のあるときにお別れした方がいいと思った。」と述べている)。舞台エンディングでは親友の森光子から花束と共に届いた「戦争のつらい経験を乗り越えてきたからこそ、ここまで頑張ってこられました。いつも二人で支え合って来たわね。」という手紙を共演の熊谷真実に代読され、「森さんの手紙がグッときました。心友(親友)なんで…。」と感極まっていた。
2012年11月10日、親友の森光子が死去。逝去後にはマスコミから森との思い出話などのインタビューにも応じた。12月7日に青山葬儀場で開かれた森の本葬には、ドラマ共演などが縁で森を実母のように慕って親交が深かった浅丘ルリ子と一緒に参列した。
2013年には『ペコロスの母に会いに行く』に主演し、88歳にして映画初主演を果たす。これは2008年に82歳で映画初主演を果たした菅井きんの記録を大幅に更新するもので、“世界最高齢での映画初主演女優”として、ギネス世界記録に認定された[11]。また、映画への出演も1980年の『二百三高地』以来33年ぶりとなる。同作品では第68回毎日映画コンクール女優主演賞を受賞し[12]、孫の野杁俊希に車椅子を押されて授賞式に出席している。
2014年3月14日に卒寿を迎え、橋田壽賀子・石井ふく子・『渡る世間は鬼ばかり』出演者らと祝いの席に迎えられるも、その席で同日午後6時5分に亡くなった宇津井健の訃報を知らされ、一同悲しみのコメントを述べる[13]。
2015年9月、東京都内の自宅で転倒し左足大腿部を骨折、ただちに入院し、翌10月よりリハビリに専念した。12月には一時帰宅できるまでに回復し、同月、自宅で森の追悼番組の取材に応じた。2013年頃から車椅子を常用する生活となっているが、関係者は「ナレーションや朗読劇などは問題ない」と話しており、本人もなお女優復帰を目指していた。
ちなみに「女優として様々な役を演じてきたが、殺人事件の犯人役だけは大嫌いで断り続けてきた」と発言している[14]。
夫との死別後は娘一家と同居していた。2017年6月9日放送の『爆報! THE フライデー 金八の出演者は今大追跡SP』によると、要介護度4とのことで、また「田原俊彦に会えないのが残念」とも発言していた。最晩年には上述の骨折のほかパーキンソン病により療養生活を送っていたが、2018年11月29日午前5時7分に心不全のため東京都府中市内の病院で死去した[3][15]。94歳没。
石井組(橋田ファミリー)の代表格だった赤木に対し、石井ふく子は「この世界で唯一ママと呼んでいた」、橋田壽賀子は「厳しさと優しさを同時に表現できる稀有な役者だった」と故人を偲んだ。12月3日の通夜には音無美紀子、えなりかずき、大和田獏、沢田雅美、藤田朋子、武田鉄矢、中村雅俊、名取裕子、杉田かおるなどが訪れ、翌日の4日に杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所で葬儀・告別式が営まれ、中村玉緒、佐久間良子、長山藍子、角野卓造、東てる美、岸田敏志、太川陽介、川崎麻世、植草克秀、小林綾子、武田鉄矢、森田順平、沢田亜矢子、石黒賢、宮川一朗太、伊藤つかさなどの赤木と親交があった芸能関係者が500人参列して、石井ふく子、大空真弓、映画「里見八犬伝」・「大殺陣」、「水戸黄門」で共演した里見浩太朗の3人が代表で弔辞を読んだ。法名は「圓優院釋尼春慧」(えんゆういんしゃくにしゅんけい)。通夜、葬儀に出席できなかった泉ピン子や池畑慎之介、宇野なおみなどは自身のブログ内やマスコミからのインタビューなどで哀悼の意を表している。墓所は葬儀が営まれた築地本願寺和田堀廟所。
生前は長年に演じていた役柄は違い、とてもおっとりとした人柄で面倒見も良く、料理が得意だったために調理した弁当やおかずなどを共演者の楽屋へ差し入れしていたという。愛煙家でもあり共演者や関係者からは「赤木ママ」と慕われていた。2019年1月18日放送の『爆報!THE フライデー』内の赤木逝去後の番組特集では生前の自宅療養中には赤木の意向で親しい芸能人や関係者の訪問、見舞い等は全て断っていたことを赤木の娘である野杁泉が告白している。3月11日の『徹子の部屋』で赤木追悼放送時には野杁泉と大空真弓が出演したが、大空は赤木の形見である着物を着て登場した。
2019年9月16日放送の『渡る世間は鬼ばかり 2019年SP』では、本人同様、生前赤木が23年間演じ続けた小島キミも死去した設定となり、四十九日法要が営まれるシーンが盛り込まれ、遺影という形で6年ぶりに出演した。OPテーマでも大トリで往年と同じく出演者として名前がクレジットされるなど、反響を受けた。また作中では、赤木の実際の法名「圓優院釋尼春慧」が用いられた[16]。
出演作品
テレビドラマ
NHK
映画
舞台
テレビアニメ
バラエティ
CM
キャラクター
株式会社ピュア(名古屋市)(現NHC)健康食品(宣伝講習販売) 1999年(平成11年)会場入口、ポスター貼付けの写真として(私もピュアのファンです。-女優 赤木春恵)
著書
- おばあちゃんの家事秘伝(小学館、1983年)
- 続・おばあちゃんの家事秘伝(小学館、1987年)
- おばあちゃんの冠婚葬祭知恵袋(主婦と生活社、1987年)
- 嫁・姑・小姑・婿 同居の知恵集(主婦と生活社、1990年)
- わたしの遅咲き人生(講談社、1994年)
- あせらず、たゆまず、ゆっくりと。 93歳の女優が見つけた人生の幸せ(扶桑社、2017年)
受賞歴
脚注
外部リンク
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