中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3月30日[1][2][3][4][5] ‐ 1994年〈平成6年〉10月5日[3][4])は、日本の俳優。本名、中條 靜雄(読み同じ)[2][4][5]。
東京府八王子市出身[3][注釈 1]。東京府立第二商業学校(後の東京都立第二商業高等学校)卒業[3][5]。田上事務所に所属していた[1][2]。
来歴
新聞記者の父がもうけた二男二女の長男として静岡で生まれる[4]。名の静雄は生誕の地名・静岡の一字からとられたものだという[4]。小学生の時、父の仕事の都合で上京(新宿から八王子へと移る)[4]。1943年12月、東京府立第二商業学校を繰り上げ卒業して兵役につき、1945年9月に復員[3]。従軍当時の上官から「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か、お前がチュウジョウなわけがない、お前はナカジョウだ」と理不尽な説教をされてたびたび殴られたと後年テレビインタビューで述懐している[要出典]。
1946年4月、神戸製鋼所東京工場にセールスマンとして入社するが、一攫千金()を夢見て1948年に大映東京撮影所に入社[3]。大部屋俳優として通行人役から出発し、1954年の『金色夜叉』『馬賊芸者』あたりから脇役として台頭する[3][5]。1971年12月の大映倒産まで在籍し、その後は福田恆存の主宰する劇団欅を経て、劇団昴に所属[3]。
1965年から始まった『東京警備指令 ザ・ガードマン』(宇津井健主演)に小森隊員役でレギュラー出演し[5]、以来テレビの世界で人気を得て多くの作品で活躍し、下積み時代の蓄積を開花させた[3]。1973年には大映時代から旧知の仲だったうしおそうじが企画・原案を務めた『鉄人タイガーセブン』に出演[6]。1974年に出演した『6羽のかもめ』では、演技が高い評判を呼び[注釈 2]、中条自身も後年のインタビューで「俳優・中条静夫は、倉本聰さんとの出会いによって作り上げていただいた」「僕の代表作ですよ」と語っている[7]。そのほか、山口百恵主演の赤いシリーズや、『あぶない刑事』シリーズなどで印象深い役柄を演じた[3]。また、連続テレビ小説『雲のじゅうたん』で演じた頑固な父親役も人気を博した。
1994年8月、肝臓障害のため顔に黄疸が出るなどの症状が出始め、肝硬変と診断され、出演中だった『オトコの居場所』を途中降板して療養生活に入るが[3]、同年10月5日午後11時59分、癌による肝不全のため死去。68歳没。夫人に看取られての最期であった[3]。遺族によると、葬儀の際には本人の希望により、最も好きであった『夢千代日記』と『花へんろ』の台本が棺に収められたという。告別式には、『あぶない刑事』などでの共演者をはじめとして、既に芸能界を引退していた山口百恵も参列した[8]。
戒名は『信楽院端正日静居士』で、墓所は東京都八王子市の本立寺にある[4][9]。
人物・エピソード
- 趣味は、ゴルフ[2]。
- 1955年3月30日に結婚し[3]、一女あり[5][10]。弟夫婦は若くして逝去したため、弟の遺児となった甥も引き取り養育していた[4][5]。
- 『ザ・ガードマン』出演中である1968年の紹介記事では、後輩の共演者に対しても必ず敬称で呼び、「脇役は画面の空いている部分を効果的にまとめて、作品にスキを与えない仕事です」と述べている[5]。
- 『鉄人タイガーセブン』で共演した南城竜也は、現場でよく『ザ・ガードマン』の話を聞かせてもらったという[11]。また、中条について「とても紳士で優しく、現場に良いムードを作って下さった」と述懐している[11]。
- 1976年『速報!日本レコード大賞』、及び1978年11月15日放送の『第9回輝け!日本歌謡大賞』にノミネートされた山口百恵の歌唱中にお祝いゲストとして高橋昌也と共に出演した[12]。
- 役者になってから印象深かったこととして、1978年にテレビ大賞の優秀個人賞を受けたことを挙げ、役者として初めてもらった賞として特に印象に残っていると語っている[13]。
- もともとはアドリブ嫌いで有名であったが、『あぶない刑事』シリーズで演じた捜査課長・近藤卓造役では、主演の2人に乗るようにさまざまなアドリブを取り入れ、重厚な存在感を出しながらもドラマの雰囲気にあわせ、所々にコミカルな芝居を取り入れた。没後に製作された『あぶない刑事リターンズ』(1996年)では、本編終了後に「To The Memory of 中条静夫」というテロップ表示が用意され、近藤課長の存在が本編中で幾度も言及されるなど、全編にわたり中条へのリスペクト色が強い作品構成が取られた。共演した主要キャストである舘ひろし、柴田恭兵、浅野温子、仲村トオルらとは親交も深く、幾たびか共演[注釈 3]しており、中条の死去がシリーズ復活への後押しとなったほどである。
出演作品
映画
- 十代の誘惑(1953年、大映)- 出版ゴロ
- こんなアベック見たことない(1954年、大映) - 借金取A
- 馬賊芸者(1954年、大映)
- 楊貴妃(1955年、大映) - 侍従
- 幻の馬(1955年、大映) - 新聞記者
- 滝の白糸(1956年、大映)
- 透明人間と蝿男(1957年、大映) - 山田
- 穴(1957年、大映)
- かあちゃんは犯人じゃない(1958年、大映) - 勝田
- 野火(1959年、大映) - 兵隊5
- 女妖(1960年、大映) - 刑事
- 偽大学生(1960年、大映) - 刑事主任
- 婚期(1961年、大映)
- 女は二度生れる(1961年、大映)
- 爛(1962年、大映)
- 黒蜥蜴(戯曲:三島由紀夫 1962年、大映)-松吉
- 黒シリーズ(大映)
- スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ(1962年、大映)
- わたしを深く埋めて(1963年、大映)
- 妖僧(1963年、大映)
- ぐれん隊純情派(1963年、大映) - テレビプロデューサー
- 「女の小箱」より 夫が見た(1964年、大映)
- 喧嘩犬(1964年、大映)
- 黒の超特急(1964年、大映) - 証券会社の社員
- ザ・ガードマン(大映) - 小森警備員
- 大怪獣ガメラ(1965年、大映) - ナレーション[注釈 4]
- 陸軍中野学校(1966年、大映) - 中野学校教官 役
- あの試走車を狙え(1967年、大映)
- にせ刑事(1967年、大映)
- 大悪党(1968年、大映) - 鑑識主任
- あゝ海軍(1969年、大映)
- やくざ絶唱(1970年、大映) - 宮沢
- 野獣狩り(1973年、東宝) - 今井重役
- 日本沈没(1973年、東宝) - D1本部委員[14]
- 動脈列島(1975年、東宝) - 猿渡教授
- 季節風(1977年、松竹) - 倉田
- ブルークリスマス(1978年、東宝) - 沼田報道部長
- あぶない刑事シリーズ(東映) - 近藤卓造(港署捜査課長)
- 免許がない!(1994年、東宝) - 新日本映画社長 岡山松男
テレビドラマ
オリジナルビデオ
舞台
- ヴェニスの商人(1973年) - ヴェニス王
- 黄金の国(1974年) - 朝長作右衛門
- サイゴンから来た男(1974年) - 久保田武吉
- 美女と野獣(1975年) - クレメント氏
- 解ってたまるか!(1978年) - 大浜茂
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脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
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