藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2009年〈平成21年〉3月27日)は、東京都文京区根津出身の日本舞踊家、女優。本名は喜熨斗 綾子(旧姓: 河野→藤間)。
日本医科大学元学長で理事長、日本私立大学協会会長も務めた河野勝斎の長女(9人兄弟のうち、4人が芸能、2人が医師)。12歳の時、六世藤間勘十郎に入門した。
夫は三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁、二代目藤間紫)。三世藤間勘祖(藤間高子)と俳優藤間文彦は、前夫六代目藤間勘十郎(二世藤間勘祖)との子。二代目中村藤太郎(前夫の養子となり3代目藤間大助を襲名後、六代目中村歌右衛門の芸養子になり中村藤太郎を襲名[3])、六代目中村東蔵は弟。宗家藤間流家元の八世藤間勘十郎(高子と梅若六郎 (56世)との婚外子)、元ジャニーズJr.[4]で紫派藤間流の舞踊家・初代藤間翔(藤間貴彦、文彦の子)[5]と紫派藤間流の家元で女優の藤間爽子(三代目藤間紫、文彦の子)[6]は孫。
1944年、21歳の時、勘十郎から「紫」の名を貰い若くして名取となり、24歳年上の藤間勘十郎と結婚。一男一女を儲けたが、1960年代から16歳年下の市川猿之助と生活を共にするようになり、1985年に勘十郎と離婚。2000年に猿之助と正式に結婚した。
1948年の『淀君』をはじめとして、昭和30年代に帝国劇場での『椎葉の里』、明治座での『青銅のキリスト』(長与善郎原作)等を発表、舞踊劇の創作に注力。舞踊家としても藤紫会公演を大劇場にて行なう。1985年の勘十郎との離婚訴訟をきっかけに、宗家藤間流のお家騒動が起こり、1987年に宗家藤間流を離れ、紫派藤間流を創流[1]。毎年東京と大阪にて舞踊会を開催。1993年10月、国立大劇場にて自身のリサイタル「藤間紫の会」を開催する。
女優として映画や舞台、テレビドラマにも数多く出演。女優初出演は1949年、舞台が新国劇『野口英世』、映画が新東宝作品『グッドバイ』。1995年9月より翌年にかけ猿之助演出の舞台『西太后』で主演、圧倒的な存在感を見せつけた。
2009年3月27日、肝不全のため死去。享年87(満85歳)[1]。戒名は優照院賢徳紫芳大姉。
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