根津 甚八(ねづ じんぱち、1947年〈昭和22年〉12月1日 - 2016年〈平成28年〉12月29日)は、日本の俳優、演出家、脚本家、歌手。本名、根津 透(ねづ とおる)。芸名は、劇団「状況劇場」入団時に主宰の唐十郎が苗字の「根津」に合わせて、真田十勇士の根津甚八から取って命名した[2]。ユマニテに所属していた。
山梨県谷村町(現・都留市)出身[3]。日本大学第三高等学校卒業、獨協大学外国語学部フランス語学科中退[3]。
来歴
曾祖伯父は東亜同文書院を創立した根津一[3]。歯科医師の家の男ばかりの4人兄弟の三男として生まれる[4]。一家は親戚の家に居候していた[3]。小学3年時に[3]一家で山梨から神奈川県川崎市に転居した[3][4]。ここでは山梨弁を笑われ馴染むことが出来なかった[3]。両親は教育熱心で[3]、中学は東京の田園調布中学に越境入学[3]。高校は当時赤坂にあった日大三高に進学。
高校時代から演劇に興味を持ち[4]、進学した獨協大学を二年で中退[4]。1969年、唐十郎が主宰する状況劇場に入団[4]。1974年、『唐版 風の又三郎』で主役を務め、以降、同劇団の看板俳優となる[4]。
劇団以外の仕事は1975年の『娘たちの四季』が初めてだったが、唐に相談したところ「俺たちはずっと外へ出てゆかずにやるけど、お前は外でやってもいいよ」と言われ[4]、途方もない疎外感に襲われ、精神的に唐と大きな溝が出来た[4]。このドラマ出演は、主役だった中野良子が『唐版 風の又三郎』を観て、根津に惚れ込み熱烈にオファーしたもので[3]、演劇ファンの女性は「あまり人気が出ないでほしい」と願ったが、テレビ出演後はやっぱり、全国の女性ファンからファンレターが山積みの事態となった[3]。
1978年、『黄金の日日』に石川五右衛門役で出演して注目される[4]。劇団に根津ファンの若い女性が押し寄せるようになり、劇団に居づらくなったことから[4]、1979年に退団[4][5]。
その後、黒澤明監督作品に主要な役で出演。
2002年頃からは右目下直筋肥大という顔面の病気を患い活動を縮小していた。
2004年7月に交通事故を起こし、被害者を死亡させた[6]。警察の調べに対し、「安全確認が足りなかった」と供述した。その後しばらくの間活動を休止していたが、2006年5月よりブログを開始した。
2007年にユマニテに所属。
2009年、雑誌『週刊現代』8月22・29日合併号に掲載された夫人の手記において、根津がうつ病を患っていることが明らかにされた。持病の椎間板ヘルニアも悪化しており、療養生活を送っていた。2010年9月、俳優業を引退することを公表。演出家や脚本家としての活動は行うが、テレビ出演など表舞台には立たないとした[7]。また同時に、夫人の取材と回想により、闘病生活と俳優時代を回顧した『根津甚八』(根津仁香著、講談社)が刊行された。
2015年、石井隆監督の要望に応え、映画『GONIN サーガ』に出演し、一度限りの銀幕復帰を果たした[8]。
2016年12月29日、肺炎のため東京都内の病院で死去[9][1]。69歳没。
戒名は天映甚八居士。墓所は静岡県駿東郡小山町の冨士霊園。
人物
出演
テレビドラマ
映画
Vシネマ
- 闇稼業詐欺道(2000年) - 主演・工藤
- 極悪 人間魚雷ブルース(2000年) - 鮫島一家若頭 一色
舞台
状況劇場
- ジョン・シルバー 愛の乞食篇(1970年)
- 吸血姫(1971年)
- 少女仮面(1971年)
- 二都物語(1972年)
- 鐡假面(1972年)
- ベンガルの虎 白骨街道魔伝(1973年)
- 海の牙 黒髪海峡篇(1973年)
- 唐十郎版 風の又三郎(1974年)
- 夜叉綺想(1974年)
- 腰巻おぼろ 妖鯨篇(1975年)
- 糸姫(1975年)
- 下町ホフマン(1976年)
- おちょこの傘持つメリー・ポピンズ(1976年)
- 蛇姫様(1977年)
- 唐十郎版 俳優修行(1977年)
- ユニコン物語 台東区篇(1978年)
- 河童(1978年)
その他
OVA
劇場アニメ
吹き替え
バラエティ
ラジオ
CM
その他
- THE RULE 1億3千万人のクルーたち(1998年、国税庁企画の租税教育用ビデオ) - キャプテン 役
ディスコグラフィー
シングル
- ほたる草(1976年、テイチク、RS-5)
- (c/w 地図のない旅)
- ゆきずり(1976年、テイチク、RS-31)
- 作詞:池田充男 / 作曲:森山慎也 / 編曲:伊藤雪彦
- (c/w ろくでなしの唄)
- こころ泣き(1977年、テイチク、RS-53)
- 作詞:池田充男 / 作曲:上原賢六 / 編曲:伊藤雪彦
- (c/w あじさいの宿で)
- ピエロ(1979年9月、キャニオン、C-153)
- (c/w まだ浅い別れ)
- FAR AWAY(1980年6月、キャニオン、C-182)
- (c/w セントルイスブルース演ってくれ)
- ボヘミア・ロマン(1980年10月、キャニオン、7A-0021)
- (c/w ランブリング・マン)
- 上海帰りのリル(1982年5月、キャニオン、7A-0182)
- (c/w しゃんそん)
- エトランゼ(1983年5月21日、キャニオン、7A-0276)
- (c/w 夜も更けて)
- 恋のかけら(1986年8月21日、キング、K07S-10119)
- (c/w 仕事なので)
オリジナル・アルバム
- ゆきずり 根津甚八・男の哀歌(1976年、テイチク、GM-43)
- 後に5曲を追加して『やすらぎ 根津甚八・男の哀歌』と改題の上でCD化された。
- ル・ピエロ(1979年11月、キャニオン、C25A-0064)
- 火男(1982年5月、キャニオン、C28A-0215)※チト河内プロデュース
- +B 1984 BERLIN(1984年4月5日、キャニオン、C28A-0327)※佐久間正英プロデュース
- PLAY IT AGAIN(1986年11月21日、キング、LP:K28A-763 / CD:K32X-105)
ライブ・アルバム
- 根津甚八ファーストコンサート(1980年3月、キャニオン、C25A-0081)
ベスト・アルバム
- DUST SHOOT(1983年9月5日、キャニオン、C28A-0289)
書籍
著書
写真集
関連書籍
関連項目
脚注
外部リンク
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