『黄金の日日』[注釈 1](おうごんのひび)は、1978年1月8日から12月24日にかけて放送されたNHK大河ドラマ第16作。クレジット上での原作は城山三郎の同名の小説(1978年刊)、脚本は市川森一の書き下ろし(詳細は別途記述)。六代目市川染五郎(現・二代目松本白鸚)主演。
安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た豪商・呂宋助左衛門(ドラマ内では助左または納屋助左衛門と呼ばれている)と泉州・堺の町の栄枯盛衰、今井宗薫の妻・美緒をめぐる今井宗薫と助左衛門らの争いを描いた作品である。
従前は武士を主人公に取り上げた作品がほとんどだったが、今作では初めて商人を主人公に据え、庶民の暮らしと経済面から時代を描く物語の展開となった。この設定は「武将が主人公のドラマなら民放でもできる。NHKにしかできないもの」というプロデューサーの近藤晋(大河ドラマは初参加)の意向によるものであった[1]。
当初は『日本誕生』というタイトルで壬申の乱を題材とした作品を中島丈博の脚本で作ることを企図したが、飛鳥時代の生活習慣がわからないことや近親婚も含む皇族を扱う困難さから中島が降板し、企画が変更された[2][注釈 2]。
ほとんど史実の記録がない人物を主役にするにあたり、森鴎外が『阿部一族』を「史実と違う」と非難した評論家に対して「歴史小説を書いたので、歴史ではない」と反論した故事を念頭に置いたと述べている[4]。
日本史上の中でも人気が高い豊臣秀吉を関白就任後は徹底した悪役に描き、憎まれどころの石田三成は善意の人物に描き、それまでにはなかった意外性を活かした構成となった。
今作は大河ドラマとしては初の試みとして、スタッフと小説家(城山三郎)と脚本家(市川森一)の三者が合議でおおまかなストーリーを作り、それを基本路線として城山は小説を、市川は脚本を同時進行で執筆していくというスタイルが採られた(実際の脚本執筆では長坂秀佳が協力している)[5]。
配役は六代目市川染五郎が主演した(歌舞伎役者が大河に大役で出演する際の通例に漏れず、本作でも染五郎の長男・藤間照薫[注釈 3]が少年助左〈主人公とは同名・別人〉役で、染五郎の父・八代目松本幸四郎が助左衛門の実父と思われる人物役で出演した)。状況劇場を主宰する唐十郎や李礼仙、根津甚八、川谷拓三などが起用され、テレビには出番の少なかった新顔(歌舞伎・アングラ劇・大部屋俳優)が主要登場人物を占めた[6]。アングラ劇出身者の起用にはNHK上層部から批判もあったという[6]。
名シーンといわれる川谷扮する杉谷善住坊の鋸引き処刑(第21回)は、1976年の東映映画『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』で川谷が演じたシチュエーションと全く同じに再現された[7]。
ベテラン俳優を歴史上の重要人物に振り、織田信長と秀吉の配役は『太閤記』と全く同じ(高橋幸治と緒形拳)にしている(「同じ人物が出てくるのに違う役者が演じるのはおかしい」という近藤の提案で芸能局長だった川口幹夫が賛同して実現したという[8])。
制作面では、大河ドラマとして初めて海外ロケをフィリピンで行い、フィリピン人俳優も出演したことが特筆に値する[9]。フェンシングなどスペイン人が使用する武術の考証も徹底された。過去の日比関係などから実現は困難視されたが、前作『花神』のスタジオ見学に来たフィリピン大統領フェルディナンド・マルコスの娘アイミーが、母親のイメルダ・マルコスに手紙を書いたため、大統領とフィリピン観光省の協力が得られることになった。ロケは、ルソン島北部のサン・エステバンで2週間に渡って行われた。政情不安の面もあり、フィリピン政府はロケに際して兵士の護衛を付けた[9]。日陰のない浜辺での撮影により、スタッフは熱射病に近い症状にもなり、それでも撮影を続けることにフィリピン人は「日本人はなぜこんなにも仕事をするのか」と驚いたという[9]。なお、オープニングの夕陽が徐々に水平線に沈んでいく映像は、フィリピンロケの際に現地で撮影されたものである[10]。
また、堺の町が生田のオープンセットに再現され、従来、江戸の町並だったものを戦国期のものに見せるため、二階建ての家屋では下の屋根にもうひとつ屋根をかぶせ、傘をささずに雨の日も買い物ができたことを表現するために軒を前に張り出させるなどした。商人の町らしく、格子も太めにして、屋根の瓦と瓦の間には棒瓦を敷くなど土蔵造りを表現したという。
ドラマの航海シーンに登場する船には、全長3メートルのガレオンタイプの南蛮船、2メートルの和船、三十石船などのミニチュアを合計5隻、砧撮影所の特殊撮影用プールに浮かべて収録した。
平均視聴率は1978年当時、歴代でも『赤穂浪士』の31.9%、『太閤記』31.2%に次ぐ25.9%を記録、最高視聴率も34.4%という高い数字を記録した。
永禄11年、和泉国。堺の町は会合衆(えごうしゅう)による自治が行われ、商売が栄え、黄金の日々を謳歌していた。両親を亡くし、豪商・今井の納屋番として働く助左は父親のように船で交易に出ることを望んでいた。助左は今井宗久の目に留まり、杉谷善住坊、石川五右衛門とともに織田信長との融和作戦を成功させる。善住坊は信長狙撃の依頼を受けるが、的を外し追われる身となる。助左は善住坊、石川五右衛門と琉球行きの船に乗り込むが難破してルソン島に流れ着く。
帰国した助左は千宗易から「納屋」姓を譲られ、納屋助左衛門を名乗る。ルソンと堺を行き来する助左衛門は、豊臣秀吉亡き後、秀吉に蹂躙された堺を復興しようとする。天下を手中にした徳川家康は、イスパニア・ポルトガルとの交易を廃し、エゲレス・オランダと交易するため、堺の港を閉じて商人たちを江戸へ移すことを画策。従わなければ町を焼き払うと言われた助左衛門は、自由を守るため堺を丸ごとルソンに移転することを決意。住民を次々船で送り出す。慶長5年(1600年)の秋、納屋助左衛門は自ら堺の町に火を放ち、黄金の日日と別れて、最後のルソン行きの船で旅立つ。
その後の日本は寛永元年(1624年)3月、ルソンとの交易を断絶し、やがて鎖国する。
俳優の名前は放送当時のクレジット表記に準じる。
全話が完全な形で保存されていたため、BSで1990年に全話再放送がされている。またCSでも全話、及び総集編の再放送もされている。
2021年4月4日より2022年3月27日まで、毎週日曜日6:45〜7:30にNHK BSプレミアムで再放送された。
NHKでは総集編だけではなく、本作の全話が保存されており、完全版ソフトの発売とNHKオンデマンドによる本編映像の配信の両方が行われている。次回作の『草燃える』でも画像の乱れや部分欠落、ノイズの混入などの不具合はあるものの、全話現存しており、また、次々回作の『獅子の時代』以降は1インチVTRでの保存となっているため、実質的には本作以降の大河ドラマはすべてのエピソードが現存している事になる。
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