『光る君へ』(ひかるきみへ)は、2024年(令和6年)1月7日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第63作[2][3]。平安時代中期の貴族社会(平安貴族)を舞台に、世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』を執筆した紫式部の生涯を描く[2]。
2022年(令和4年)5月11日、脚本は大石静、主演は吉高由里子であることが発表された[2]。大石は2006年(平成18年)の『功名が辻』以来、2作目の大河ドラマ担当であった[4]。
タイトルの「光る君」とは、『源氏物語』の主人公・光源氏とそのモデルのひとりといわれる藤原道長を指しており[2]、本作品では紫式部と道長との関係を「生涯のソウルメイト」と設定している[5]。
西暦3桁の平安時代中期を舞台とした大河ドラマは、1976年(昭和51年)の『風と雲と虹と』以来48年ぶりとなる2作目で、史上2番目に古い時代を描く作品となった[6]。また、女性が主人公の大河ドラマは、2017年(平成29年)の『おんな城主 直虎』以来7年ぶり15作目で、令和改元後は初となる[7]。なお、主演・脚本・制作統括・演出をすべて女性が担当するのは史上初となった[4]。
平安時代の女性の多くは本名(諱)が不明であり、「まひろ」「ききょう」などは本作独自の命名となった[8]。大石は発表会見で、「藤原家が摂関家として権力を誇った平安王朝は、山崎豊子の小説『華麗なる一族』と映画『ゴッドファーザー』を足して3倍にしたような、権力闘争と面白い話がいっぱいある」と説明し、平安王朝の権力闘争といった「セックス・アンド・バイオレンス」を描きたいとした[4]。また、制作統括の内田ゆきは、紫式部が主人公であるため『源氏物語』の内容を劇中劇等にする予定はないとしつつ、「『源氏物語』には恋愛ストーリーだけでなく、権力闘争や女性たちの喜びや悲しみが描かれている」とコメントした[9]。
2023年(令和5年)5月22日、題字が発表された[10]。28日、京都の平安神宮でクランクイン[11]。10月30日、初回放送日が決定したことが発表された[12]。11月24日、メインビジュアルが公開された[13]。また、同年12月18日にもメインビジュアルの第2弾が公開された[14]。
2024年(令和6年)10月25日、東京渋谷のNHKスタジオでクランクアップした[15]。
吉高由里子の大河ドラマ出演は、2008年(平成20年)の『篤姫』以来2度目である。大石の脚本作品では、2020年に日本テレビ系列で放送された『知らなくていいコト』の主演を務めており、大石は同作での印象から本作の主演に吉高を推薦した[16][注釈 1]。
2022年11月8日、第1次出演者発表が行われた[17]。以降、2023年2月21日に第2次[18]、3月20日に第3次[19]、5月23日に第4次[20]、7月25日に第5次[21]、8月31日に第6次[22]、11月17日に第7次[23]、2024年7月25日に第8次[24]、2024年9月11日に第9次[25]の出演者発表が行われた。
2023年6月16日、藤原隆家役に決定していた永山絢斗が大麻取締法違反で逮捕され、同役を降板したことが発表された[26]。代役については、同年8月31日に行われた第6次出演者発表の中で竜星涼が務めることが発表された[27]。
貞元三年(978年)、貧しい下級貴族の娘・まひろ(紫式部)は幼い日、身分を隠して散楽を見ていた右大臣家の三男・三郎(藤原道長)と親しくなる。しかしある日、三郎に会おうと急ぐまひろは、偶然三郎の兄・藤原道兼を落馬させ、激高した道兼に母・ちやはを殺害されてしまう。まひろは父・藤原為時に道兼の所業を訴えるが、為時は道兼の父・藤原兼家の斡旋で東宮・師貞親王(花山天皇・花山院)教育係の職を得ており、この事件を表沙汰にしなかった。まひろは以来、父との確執を抱えたまま永観二年(984年)裳着を迎え、自由なふるまいで従者の乙丸を振り回しつつ、市中で代書屋として創作をすることに生きがいを見出す日々の中、元服した三郎こと道長と再会する。
一方、兼家は一族の繁栄をすべてに優先し、道兼の殺人をもみ消した上で彼を手先に使い、政治的有利のために円融天皇を退位させようと暗躍する。毒を盛られ健康を害した円融天皇は譲位を受け入れるものの、犯人が右大臣家出身の女御・詮子であると誤解する。何も知らぬまま夫と引き裂かれた詮子は激怒し、父・兼家らと決裂する。まひろは、道長と互いに本当の身分を明らかにしようとしていた矢先、花山天皇即位関連行事の五節の舞で舞姫のひとりに選ばれ、その場で道長の身分と、彼の兄こそが母の敵・道兼であることを知ってしまう。親しくなった散楽の一員・直秀の計らいでまひろに再会し、身分を明かした道長もその事件を告白され、一族の暗黒面を目の当たりにする。
この出来事を経たまひろは、右大臣側による間者的役割を負わされて通っていた左大臣源雅信の娘・源倫子の文学サロンに主体的に参加し、家のためにも右大臣家以外の上級社会と縁を深めようと決意する。まひろは道長から恋の歌を贈られるも、彼への思いを断ち切ろうと悩み、散楽一座に演目を提案するなど没頭できるものを追求する。そんな折に、偶然藤原公任ら道長の同僚が語るまひろら下級の女への蔑視と、結婚相手に対する家柄重視の言葉を耳にして傷つく。
その頃、花山天皇と対立する兼家が突然倒れ、意識不明の状態になる。しかしこれは陰陽師安倍晴明と共謀した兼家の策で、実際には回復していた兼家は道兼を使い天皇に取り入って信頼を得るように仕向けており、さらに詮子の産んだ東宮・懐仁親王(一条天皇)への譲位に追い込む計画(寛和の変)を子供たちに明らかにする。そんな中、右大臣家の邸宅に侵入した盗賊が捕らえられ、それが直秀ら散楽一座による義賊集団だと判明する。道長は彼らの罰が軽くなるよう計らうが、その行動が仇となって直秀らは殺害されてしまう。鳥辺野で彼らの遺体を発見したまひろと道長は、彼らを埋葬し嘆き悲しむ。兼家主導で一家を挙げて計画が進む中、道長とまひろは文をやり取りした末、廃屋で密会し初めて体を重ねるが、駆け落ちを持ちかける道長に対し、まひろは道長の使命は自分と結ばれることではなく、高貴な身分の者として政(まつりごと)によって世を変え、直秀に起きたような悲劇をなくすことだと諭す。
寛和の変は成功し、一条天皇が即位、兼家は幼帝の摂政となる。これに伴い為時も職を失う。家が困窮してゆく中、再度道長に誘われたまひろは、彼から妾(しょう)になるという形での求婚をされる。しかし、同時期に兼家の推挙により道長と倫子の結婚話が進んでおり、それに加えて詮子の推挙により兼家と因縁を持つ高貴な姫・源明子との結婚話も進む。まひろは妾に対する父の姿勢や、親類の藤原宣孝が持ち込む縁談などを経て葛藤した末、一度は妾になる決意を固める。しかし、道長から倫子との結婚を告げられ、妾になることも含めて彼との関係を諦める。
4年後、道長は倫子・明子と結婚、倫子との間には娘の藤原彰子が生まれていた。また道長の兄・藤原道隆の娘・藤原定子が一条天皇に入内する。明子が父親の仇である兼家を呪詛する中、兼家は次第に弱り、道隆を後継に指名して世を去る。一方、まひろは結婚をしないまま、家の生活を支えるため働き口を探しつつ、貧しい民を少しでも救いたいという思いから、農民の子・たねに文字を教えるが、その親たちに拒絶され苦い思いを味わう。このような中でまひろはさわや定子の女房清少納言ことききょう、兼家の妾藤原寧子らの女性貴族と交流する。
京では疫病が猛威を振るい始め、悲田院に収容されたたねの両親、そしてたね自身も命を落とす。まひろは悲田院で罹患者たちの世話を続け、自身も感染し倒れる。一方で道隆は定子を中宮として栄華を極めるとともに独裁に走り、疫病に苦しむ民にも無関心を貫く。これに憤る道長は、彼に励まされ兼家死後の自暴自棄から立ち直った道兼とともに悲田院を視察した際、病に倒れたまひろを見つける。道長はまひろを為時の家に連れ帰って自ら一晩中看病し、まひろは一命をとりとめる。道長は以降、倫子の協力も得て私財を投じて疫病対策に力を入れる。やがて道隆は病の悪化により病死し、関白を継いだ道兼も疫病で死亡する。道隆の子・藤原伊周と道長のどちらを後継とするかで、伊周の妹である定子と、女院となった母・詮子の間に立つ一条天皇は、詮子の強い説得で、道長に内覧の宣旨を下し、ひと月後には道長を右大臣に任じる。このころ、まひろはききょうの紹介で定子、そして一条天皇に拝謁して政への提言をし、その話を聞いた道長は為時を越前国の国司に任命、為時は10年ぶりに官職への復帰が叶う。
一方、道長に追い越され荒れていた伊周は、通っていた女の不貞を疑う。それを聞いて伊周の弟・藤原隆家は相手に矢を放つ嫌がらせをするが、その相手が花山院であるとわかり大騒動となる(長徳の変)。伊周・隆家は左遷を命じられ、伊周は検非違使の連行に抵抗して逃走、一条天皇との別離と中関白家の没落に、定子は絶望のあまり自ら剃髪する。ききょうはまひろの勧めで、定子を励ますため『枕草子』の執筆を始める。
まひろは道長と別れを交わしたあと、為時に付いて越前へ旅立ち、宋から来た商人・朱仁聡らに出会う。宋との交易を求める商人らと国司の部下となる人々との利害をめぐる対立がみられる中、朱が殺人の罪を疑われる。朱に仕える薬師見習い・周明は主人をかばうために、日本出身で宋語・日本語双方に堪能であることを明らかにし、証人を連れてきたため朱の疑いは晴れる。宋に興味を持つまひろは周明に宋語を教えてもらうようになるが、周明には左大臣となった道長とつながるまひろを利用して朱の目的である交易を進めようとする思惑があった。まひろはこれを見抜いて拒絶し、周明は何処かへと去る。
このころ、京では体調を崩した詮子の回復のための恩赦で伊周らが帰京、定子と一条天皇との間に脩子内親王が誕生する。天皇は周囲の反対を押し切って定子と脩子を職御曹司に入れ、通い詰めるが、やがて政務に支障をきたすようになる。道長は安倍晴明の勧めに従い、朝廷を正常な状態に戻すための一種の生贄として彰子を入内させるが、天皇は人間的に幼い彰子に惹かれず、定子を変わらず寵愛する。また、女院詮子が四十賀を迎えて間もなく世を去る。
為時の留守中に突然越前にやってきた宣孝から求婚されたまひろは、その申し出を受け入れて京に戻る。しかし宣孝の不貞やふたりで交わした文を周囲に見せびらかす行為をめぐっていさかい、宣孝の通いは途絶える。悩んだまひろは石山寺に参詣し、偶然道長に出会う。ふたりは激情に流されて一夜の関係を結び、まひろは道長の子を懐妊する。罪悪感に苛まれたまひろは宣孝に離縁を申し出るが、宣孝はすべてを受け入れ、やがて娘・賢子が生まれる。まひろたちは家族として幸せを得るが、それからしばらく後、まひろは宣孝の北の方から、彼が病死したとの知らせを受ける。折しも、為時は国司に再任されずに帰京し、まひろの家は再び困窮する危機を迎えるが、道長が嫡男・田鶴(藤原頼通)への漢詩指南役を為時に斡旋したことと、まひろも公任の屋敷(四条宮)での和歌の指南役の職を得たことで暮らしを立てる。その中でまひろは娘のために物語を書き、四条宮でも評判になる。
宮中では、定子が立て続けに一条天皇の子を産むも、第三子の出産の際に命を落とす。残された子のうち、敦康親王は彰子の元で養育されることになる。定子は道長により死に追い込まれたとして、伊周は道長を逆恨みし、道長の追い落としと自身の復権を目論む。そして『枕草子』を利用して一条天皇が亡き定子との思い出に囚われ続けるように図ったため、彰子は成長後も一条天皇に見向きもされない日々が続く。この問題に頭を悩ませた道長は、公任からまひろの物語の評判を偶然聞いたことで、まひろの物語の力で天皇の関心を引くという賭けにでる。
まひろは自身の経験や道長から聞いた宮中の話を元に、新しい物語を書き始め、一条天皇の関心を引くことに成功する。一条天皇が作者にも興味を示したため、道長の頼みでまひろは彰子の女房として出仕することになる。こうしてまひろは藤式部という女房名を与えられ、家族と別れて慣れない宮中で苦労しながらも、光る君の物語(『源氏の物語』)を書き進める。父の政争の道具として入内し、自らの意志を表現できず思い悩んでいた彰子は、源氏物語に心を動かされ、まひろと語り合う中で他人を理解することや、自分の考えを表現することを学んでいく。
彰子は一条天皇に長年秘めてきた想いを告白し、それに心を動かされた一条天皇は彰子を寵愛するようになる。こうして待望の皇子・敦成親王が生まれ、翌年には敦良親王が生まれる。まひろの紹介であかね(和泉式部)も出仕し、彰子のサロンは華やぐ。しかし、道長は外孫を得たことをきっかけに変わり始め、「敦成親王を即位させ、その後見として自身が安定的に政をおこなうことが国のためになり、かつてのまひろとの約束を果たすことになる」という信条の元、一条天皇の譲位に向け動き出す。道長は藤原行成を通じて一条天皇を説得し、敦康親王を外して敦成親王を次の東宮に指名させることに成功する。敦康親王を実子同然に扱ってきた彰子はこの決定に激怒し、父と距離を置くようになる。
体調を崩した一条天皇は崩御し、居貞親王(三条天皇)が即位する。三条天皇は道長の次女・藤原妍子を娶っていたが、長年連れ添ってきた藤原娍子の方を寵愛し、政においても道長に対立する姿勢を見せる。対応に悩まされる中で道長は体調を崩し、宇治の邸宅で療養する。光る君の晩年を書き終えたまひろは、道長を見舞って語らい、光る君の子供たちを描く物語(宇治十帖)の執筆を始める。
政に復帰した道長は三条天皇の身体の異変に気付いて譲位を迫り、ますます対立は深まるが、天皇はついに退位し崩御、敦成親王(後一条天皇)が即位する。道長は幼帝の摂政となり、娘の藤原威子を天皇の中宮とし、太皇太后彰子、皇太后妍子と、三后を自分の娘で占めるという前代未聞の権力を得るが、父に利用されるばかりの娘たちの態度は冷ややかであった。この慶事を祝う祝宴で、道長は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」と歌を詠む。藤原実資をはじめ貴族らがこの歌を唱和する中、まひろは道長に初めて抱かれた夜に見た月を回想する。
成長した賢子は彰子に仕えることに決まり、『源氏の物語』も書き終えたことで、自身の役目は終わったと考えたまひろは女房を辞し、長年の夢であった宣孝の任地・大宰府へ旅に出ることを決める。道長は反対し引き留めるが、まひろに別れを告げられると共に、賢子が自分の娘であることを告白される。衝撃を受けた道長は出家し、頼通に摂政を譲ってその後見となる。
乙丸とともに大宰府を訪れたまひろは、周明と再会を果たす。周明との語らいの中で、物語を書き終えた後の生き方を見出したまひろだったが、異国からの賊が九州北部を襲撃し、周明は流れ矢に当たって命を落とす。大宰権帥となっていた隆家と双寿丸ら武士の活躍によって、多大な犠牲を出しながらも賊たちは退けられたが、頼通や公任ら公卿にとっては遠い話で、朝廷ははかばかしい動きをせずに終わる(刀伊の入寇)。帰京したまひろは彰子に再出仕を求められるが、心の整理のためその要請を保留する。
まひろは倫子に道長との関係について問いただされ、過去の出来事を話す。はじめは寛容な態度を示し、体調を崩しつつあった道長の妾になることを勧めていた倫子だったが、二人の絆が想像よりも深く重いことを知って翻意し、死ぬまで関係を胸に秘めるように求める。以後、まひろは再出仕もせず、自宅でひっそりと年月を過ごす。
万寿4年(1027年)、道長の死期が迫ったことを悟った倫子はまひろを呼び出すと、道長の命をつなぎとめるよう依頼する。病床で何事も成せなかったと悔いる道長に対し、まひろは生きる希望として新しい「物語」を毎夜語って聞かせる。僅かながら穏やかな時間を過ごした後、道長は死す。
年が明け、再び乙丸を伴って旅に出たまひろは、東国で始まる戦に参陣する双寿丸ら武者たちを見送り、「道長様、嵐がくるわ」とつぶやく[28][29]。
登場人物の歴史的事項については、当該記事を参照のこと。
2024年12月29日に総合、BSプレミアム4Kで5部構成で放送。まひろが自らの半生を振り返る形式から始まっており、語りも吉高由里子が務めている。構成も大幅に異なっており、主要人物の一人であった周明の出演シーンはなくなっている[155]。最終シーンでは道長の「この世をば」の歌を受けてまひろが「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」の歌を詠む形で締めくくられた[156]。
コラボレーション企画をはじめ、本作に合わせて2023年末から2024年にかけて放送、および配信された企画である。2023年以前の放送分が期間内に再放送される場合もある。
NHKアーカイブス内の「NHKクリエイティブライブラリー」で、本作にも登場した平安時代の仮名文字を使い、文をつくる体験ができるWEBサービス「かなふみ」が公開され、2025年3月31日まで公開される[330]。仮名文字は全て題字担当・根本知が清書したものであり、平仮名48文字と変体仮名74文字が使用可能となっている[331]。
NHK for Schoolでは、平安時代に関する過去の番組が「平安時代まるわかりプレイリスト」として動画配信されている[332]。
本作の全話の期間平均視聴率は10・7%で、前作「どうする家康」の11・2%を0・5ポイント下回り、大河歴代ワースト2位となった。一方で配信は好調であり、NHKプラスでは大河歴代最高視聴数を記録した。スポーツニッポンは本作の最終回放送後、「『合戦シーンがない』など、当初あった初の『平安貴族大河』への不安視の声を覆し、視聴者を魅了。好評を博し、大河ドラマの新たな可能性を開拓した。」と評価した[333]。
道長・公任・斉信・行成は行動をともにすることが多く、出演者の間では「藤原氏の4人」ということで漫画『花より男子』の登場人物とかけた「F4[要曖昧さ回避]」と呼ばれていた[339][340][341]。
また、乙丸と百舌彦の従者コンビも視聴者の人気を博した。この二人は視聴者から名前と従者(お供)であることをかけた「オトモズ」の愛称で呼ばれた[342][343]。
2024年1月7日、初回放送当日に「パブリックビューイング&トークショー in 京都」が行われ、吉高由里子と柄本佑が参加した[344]。同様に、1月7日[345]・6月16日[346]に越前市、1月30日[347]・4月14日[348]に大津市、3月20日に宇治市[349]、5月26日に敦賀市[350]でもパブリックビューイングや出演俳優のトークショーが行われた。
大津市、越前市、宇治市で大河ドラマ館/大河ドラマ展が開催された。
また、「光る君へ」展として以下の会場でドラマの衣装・小道具やパネルなどが展示されている。
2023年10月30日、越前市の總社大神宮では紫式部切り絵御朱印の頒布を発表した[358]。また、ドラマ放送を記念して、2024年1月1日から宇治市の三室戸寺では光源氏・薫大将・浮舟・紫式部の御朱印[359]、京都市の梨木神社では源氏物語の特別御朱印[360]、1月15日から紫式部の氏神とされる京都市の大原野神社では特製の紫式部御朱印[361]が配布されている。
2024年1月6日から3月18日まで、京都市観光協会の第58回「京の冬の旅」では「紫式部と源氏物語」をテーマの一つとして、普段は見学できない文化財が特別公開された[362]。
3月18日、石山寺ではドラマの放送に合わせて修復中だった紫式部人形が披露された[363]。
5月23日、滋賀県内の郵便局では源氏物語の世界が描かれた切手の販売が始まり、石山寺で贈呈式が行われた[364]。
以下の路線でラッピング電車が運行されている
ドラマ放送期間およびその前後に、ドラマの舞台地を始め全国各地で紫式部や平安時代、源氏物語に関する展覧会が開かれている。