盛子内親王(せいし/もりこないしんのう)は、村上天皇の第5皇女。母は更衣・源計子(中納言・源庶明の娘、広幡御息所といわれた)。同母姉に理子内親王がいた。無品。
貞元2年(977年)以前に藤原顕光と結婚する。貞元2年に重家を、引き続いて元子(一条天皇女御)、延子(敦明親王(小一条院)妃)の二女をもうける。長徳4年(998年)7月20日、薨去した。
祖父・源庶明、母・計子を経て、広幡第を継承したとされる。広幡第はその後、夫である藤原顕光を経て僧・仁康に施入され、広幡寺とされた。
参考文献
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 |
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