但馬皇女(たじまのひめみこ)は、天武天皇の皇女。母は氷上娘。
『万葉集』に四首の作歌が見え、『歌経標式』にも一首が残されている。高市皇子の宮にいたことが、『万葉集』の題詞にみえており、彼の妻ではなかったかとする説、また兄弟中最年長であった高市皇子に養われていたとする説がある。歌人としては穂積皇子を偲んだ歌などがあり、その内容からこの皇子と恋愛関係にあったとも言われるが、以上の説はすべて『万葉集』からの推測で、史書には誰と結婚したという記録はない。
高市皇子の死後、穂積皇子と婚姻したともいわれるが、藤原京跡から、彼女の宮があったことを示す木簡が発見されており、独立した宮を持っていたことが推測される。
和銅元年(708年)6月25日、没。同年冬の作であると思われる、穂積皇子が詠んだ悲傷歌がある。
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