僐子内親王(ぜんし(よしこ)ないしんのう、平治元年(1159年) - 嘉応3年3月1日(1171年4月7日))は、平安時代後期の皇族。賀茂斎院。名は繕子あるいは僖子とも表記される。二条天皇の第1皇女で、母は大外記・中原師元の娘。上西門院統子内親王の猶子。
嘉応元年(1169年)10月20日、叔父・高倉天皇の賀茂斎院に卜定される。同3年(1171年)2月22日に病のため退下、3月1日に13歳で薨去(『玉葉』では2月29日戌刻薨去と記載)。
|
---|
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 |
飛鳥時代 | |
---|
奈良時代 | |
---|
平安時代 | |
---|
鎌倉時代 | |
---|
南北朝時代 |
|
---|
室町・ 安土桃山時代 | |
---|
江戸時代 | |
---|
カテゴリ |