藤原 時光(ふじわら の ときみつ)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、関白太政大臣・藤原兼通の次男。官位は従二位・中納言。
右兵衛尉・左近衛将監を経て、円融朝初頭の天禄元年(970年)従五位下に叙爵する。また、天禄4年(973年)春宮大進に任ぜられ、春宮・師貞親王に仕える。
天延2年(974年)父・藤原兼通が関白太政大臣として執政の座に就くと、時光も同年正月に従五位上、11月に正五位下と続けて昇叙され、天延3年(975年)従四位下・蔵人頭兼右近衛権中将と急速に昇進し、天延4年(976年)参議に任ぜられ公卿に列す。貞元2年(977年)3月に従四位上に叙せられるが、同年11月に兼通が没すると昇進は止まってしまう。
議政官の傍らで、左兵衛督・大蔵卿などを兼帯し、この間の永観2年(984年)かつて春宮大進/亮として仕えた師貞親王の即位(花山天皇)に伴って正四位下、永延3年(989年)従三位と昇叙されている。
藤原道長執政下の長徳3年(997年)参議の職20年以上を経てようやく中納言に昇任する。長保3年(1001年)正三位に、三条朝の長和2年(1013年)従二位に至る。長和4年(1015年)10月4日薨去。享年68。最終官位は従二位中納言弾正尹。
注記のないものは『公卿補任』による。
『尊卑分脈』による。