放送回 |
放送日 |
題 |
演出
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第1回
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1984年1月8日 |
昭和十一年、雪が(日本を愛する二世) |
村上佑二
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1946年:東京裁判開廷、天羽賢治は通訳をチェックするモニターとして参加する。回想で1936年:賢治は大学卒業をし柔道大会のため来日していた弟、忠と共に鹿児島の叔母を訪れる。帰りの汽車で富士山に見とれ途中下車する二人。
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第2回
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1984年1月15日 |
戒厳令 (2.26事件) |
伊豫田静弘
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1936年2月26日:二・二六事件勃発、途中下車して泊まった旅館を囲む兵に追われた賢治は知り合った娘典子と逃げ、そのまま一緒に東京へ。町に戒厳令が敷かれる。
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第3回
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1984年1月22日 |
悲しみへの序曲 (平和を愛す市民) |
佐藤幹夫
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賢治は映画字幕入れのバイト。銀座の喫茶店で啓介ら「外国映画鑑賞会」の仲間と楽しく談笑する、だが忠は浪花節が好き。啓介は特高警察に捕まるが典子の許婚の久永大尉の口利きで釈放される
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第4回
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1984年1月29日 |
別れの絵草子 (日本の軍部の圧力) |
村上佑二
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再会した賢治と典子はUAP通信社のトムソン記者を訪れ日本が軍国主義化していると聞く。二人は惹かれ合い記念写真を撮るが情婦の告げ口で久永大尉に知られ、賢治は偽日本人だと大尉に殴られる。
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第5回
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1984年2月5日 |
家族 (アメリカを祖国として懐かしむ二世) |
伊豫田静弘
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1936年11月:賢治は帰国、梛子やエミーなど幼馴染の女性陣にもてもて、日本は好きだが2世にはアメリカが祖国だ。しかしチャーリーは貧乏で不潔だと日本を貶す。賢治は梛子と生まれ育った荒廃した土地インペリアルバレーを訪れ懐かしむ。
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第6回
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1984年2月12日 |
リトル・トーキョー (日系人への差別) |
佐藤幹夫
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チャーリーの父親が突然刺され死ぬ、借金取りに嫌気のさした母親は日本へ帰るがチャーリーは迷い、所持金を博打で全てなくしアメリカで生きていく事を決める。賢治は就職しようとするが厳しい差別に遭う。そのため父のクリーニング店の跡を継ごうとするが、大和魂を鍛え直せと却って父の怒りを買い、日本でやり直す事を選ぶ。
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第7回
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1984年2月19日 |
草原情歌 (二世と同じ立場の中国人) |
村上佑二
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賢治は日本のUAP通信社の記者になるが2世というだけで警察に取り調べを受ける。喫茶店の張美齢が大金がいると急に言い出す。それは中国人だという理由だけで警察の捜査を受ける仲間の逃走資金だった。日本に帰化しろという賢治に血は変えられないと張は言う。
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第8回
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1984年2月26日 |
大陸へ (特高に弾圧される平和主義者) |
伊豫田静弘
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1937年8月:賢治は上海支局へ転勤になる。林田という平和主義者が来て、今日本の大陸での戦争を止めさせる事が大事だと説かれる。彼は部下に化けて一緒に上海へ連れて行ってくれと言うが賢治は断る。
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第9回
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1984年3月4日 |
上海に一滴の涙を (日本軍の謀略による戦争) |
佐藤幹夫
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上海支局の通訳楊は活動家で、賢治を密航した林田に会わせる。彼は満州事変が日本の謀略であると言い日本警察に殺される。賢治は彼の情報で中国軍が日本人殺害を偽装した現場を目撃するのだった。
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第10回
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1984年3月11日 |
戦都 (上海の戦争) |
村上佑二
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日本人殺されるの報に海軍陸戦隊と中国軍の間で戦闘が始まる、撮影する川辺。楊が久永大尉に捕らえられ拷問されるが賢治は昨日のフィルムと引き替えに解放させる。慰問浪曲団として来た典子は久永に捕まり強姦される。戦火は止まる所を知らず賢治は上海を去る。
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第11回
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1984年3月18日 |
いまひとたびの (軍国主義が日米の恋人を引き裂く) |
伊豫田静弘
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賢治は典子への求婚を決意、典子は久永らの仲間に拘束されていた部屋を脱出し百蘭らと日本に帰る。典子の父は啓介の逮捕のため左遷されたことと典子の婚約が潰れたことの怒りを典子にぶつける。典子は身の汚れと父の為、賢治の求婚を拒絶し自分はアメリカ人にはなれないと言う。
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第12回
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1984年3月25日 |
大陸からの手紙 (南京陥落) |
佐藤幹夫
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忠は南京陥落の賑やかな提灯行列に参加するが賢治は悲しむ。従軍カメラマンとして南京入りした川辺は兵士・民間人の多くの死体を見る、しかし写真は没収され嘘の記事しか書けない。日本軍が南京を地獄に変えた、楊も殺されたと手紙をよこす。忠は喜び日本のためなら銃も撃つと言い、賢治を非国民と非難して満州に鉱石捜しに行こうとする。しかし、父から貰った大金を元手に得た株が大暴落する憂き目に遭う。
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第13回
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1984年4月1日 |
それぞれの青春 (米国記者の暗殺・満州移民の悲しみ) |
村上佑二
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1938年4月:トムソンが殺される、彼は南京での日本軍捕虜虐殺を指摘、条約違反の巨大戦艦建造の情報を調べていた。殺した男は貧しい満州移民の村の出身者で同じ村出身の特高は庇う。賢治は敢然と大日本帝国に挑戦する事を特高警察の荒木に宣言するが、これが荒木を大いに怒らせ、賢治のアメリカへの強制送還の布石となっていく。
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第14回
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1984年4月8日 |
さらば日本よ (真に国を愛する賢治は国外退去になる) |
伊豫田静弘
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トムソン殺人犯は行方をくらまし賢治は特高に逮捕される、島木の計らいで釈放と交換に国外強制退去になる。日本を愛せない自分は日本人なのかと嘆く賢治に東郷大使は今の日本は愛せるいい国ではないと説く。失意の下、賢治はアメリカに向かう。
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第15回
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1984年4月15日 |
開戦前夜 (ハルノートこそが最後通牒だった) |
佐藤幹夫
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1941年10月:東郷茂徳が外相になる、戦争回避を目指すが就任演説は強気だ。賢治は仏印、中国、満州から撤兵するのが最低条件と東郷に手紙を書く。軍部は強く戦争を主張し12/1までに外交で妥結しなければ戦争開始と決定。外務省本省と在米日本大使館との間での、開戦に向けて危機が間近である旨の電話のやりとりがアメリカ海軍に極秘傍受される。11/27米よりハルノートが来る。「これは最後通牒ではないか!」と東郷は言う。
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第16回
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1984年4月22日 |
1941年12月8日 (譲歩の提案は日米双方から攻撃される) |
松岡孝治
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1941年11月29日:ハルノートにより開戦が決議される、東郷外相は宣戦布告となる交渉打ち切りの通告が攻撃前に手渡される事を部下に確認する。開戦4時間前ルーズベルトからの親書が届けられるが手遅れだ。賢治は日米双方に譲歩を要求する記事を書いて日米双方から攻撃される。12/8東郷の最後通告を打ち消すように賢治は平和に向けて努力すべきだという自分の社説を読み上げる。
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第17回
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1984年4月29日 |
パール・ハーバー(開戦・逮捕される日系人) |
村上佑二
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12月8日:真珠湾攻撃、ラジオはジャップの奇襲/だまし討ちと伝える、驚く東郷。日系人社会は動揺し加州新報の編集長は逮捕される。海軍おばさんの名で知られる気のいい日系女性はスパイ容疑で取り調べを受け自殺する。典子は忠と偽装結婚した上でアメリカに向かう竜田丸に乗船していたものの、日米開戦を機に船は横浜港に帰還、賢治に結局会えないことを悟った典子は号泣する。
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第18回
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1984年5月6日 |
戦下の隣人達 (日系人への迫害) |
佐藤幹夫
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賢治は海軍おばさんの死を記事にし当局に正当な扱いを要求する。だが葬式も警察が禁止、ラジオは日系人は日本に忠誠を誓うので監視すべきといい日系人の店が暴徒に襲われ逮捕者が続く。勇は自分はアメリカ人だ親父も日本の為に戦えと言うが、友人にも卑怯なジャップとののしられる。
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第19回
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1984年5月13日 |
日本刀を埋めた日 (アメリカへの忠誠を誓う二世) |
伊豫田静弘
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1941年12月:忠は典子とともにアメリカへ向かっていた船により日本へ帰還、忠は徴兵される。典子は戦争に私たちは引き裂かれた、これからは「生き抜く」ことが戦争に負けない事だと言う。賢治はFBIに逮捕され厳しい審問を受け弟と戦えるかと言われ、アメリカへの忠誠を誓う。
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第20回
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1984年5月20日 |
大統領令9066(強制退去それは日系人の罪なのか) |
村上佑二
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強制退去が発表される、チャーリーは今まで米国社会に溶け込もうとしなかった日系人の罪だと言い、勇は素直に従いアメリカへの忠誠を示し今こそアメリカ人になる機会だと言う。乙七は店を買い叩こうとする白人に怒り、テルと春子は泣く。追い立てる兵士の態度はまるで捕虜を扱うようだ。賢治は釈放され列車に乗るが「お前はジャップか?」と聞かれ真珠湾の敵として袋叩きにあう。
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第21回
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1984年5月27日 |
マンザナール収容所(ひどい日系人収容所) |
村上佑二
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マンザナール収容所は砂漠の中のひどい収容所で、兵士の捕虜のような扱いにアメリカ市民として見られていない事に愕然とする。そんな中でも畑中は多量の物品を身につけ少しでもいい目を見ようと画策する。池島は当局に抗議せよといい、チャーリーは忠誠を尽くせと言う。
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第22回
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1984年6月3日 |
荒野のパーティー(日系人の不幸な収容所生活) |
伊豫田静弘
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1942年夏:賢治は収容所の情報部で米国と日系人達の中間に立つ。父は全てを諦めたかのように皆の嫌う死体処理係になる。収容者の中では反抗的な親日派とFBIスパイのチャーリーら親米派に分かれ始める。
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第23回
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1984年6月10日 |
虹の彼方に(日本軍の初年兵虐め) |
佐藤幹夫
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1942年8月31日・日本:忠は厳しい新兵訓練で二世のためことさら虐められる。使用済み薬莢を回収しなかった伊佐新吉は探すよう命じられ、夜中幽霊がありかを教えてくれた。しかしそれは脱走兵だった。
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第24回
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1984年6月17日 |
祖国アメリカ(収容所で分裂する日系人) |
松岡孝治
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1942年冬:収容所の食料横流しが噂される。親日派は人権侵害や食料横流しを告発する手紙を長官に出すがチャーリーは告発文を秘かに没収する。退役軍人であるケン松原は権利を主張し訴える事の正しさを賢治に説く。
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第25回
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1984年6月24日 |
暴動(日系人の暴動) |
伊豫田静弘
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親日派のリーダーが逮捕、賢治は話しあいを求めるが睨み合いになり、ケン松原は米兵に撃たれて死ぬ。親日派に殺されそうになったチャーリーは逃げ出す。しかし新聞には多数の日系人による危険な暴動で死者は正当な鎮圧のためと載る。
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第26回
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1984年7月1日 |
人間テスト(米国への忠誠を問われる日系人たち) |
佐藤幹夫
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忠誠テストが行われ1世は反発し賢治は回答を拒否するが、勇はYesと答え兵士に志願する。立派な米軍将校姿のチャーリーが賢治を軍の日本語学校の教官に誘いに来る。日本では忠が出征し典子が見送る、啓介は反戦主義者の敗北を認め自首する。
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第27回
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1984年7月8日 |
さらば収容所(日本人を差別しないアメリカ人) |
村上佑二
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収容所の幼い子供が急病になり民間病院へ、医師は人間には敵性外国人もアメリカ人もないと言い貴重な薬品を使ってくれる。感動した賢治は惨めな敗北から少しでも日本を救うために日本語学校教官になる。
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第28回
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1984年7月15日 |
アメリカ陸軍日本語学校(梛子とチャーリーの不和) |
伊豫田静弘
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賢治はミネアポリスの陸軍日本語学校で2世を相手に日本語と日本軍について教える。教官同僚をスパイしても成り上がろうとするチャーリーに梛子はついていけず収容所の父を訪ねる。
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第29回
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1984年7月22日 |
離婚(賢治とエミーの亀裂) |
佐藤幹夫
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チャーリーはエミーとよりを戻そうと昔1度寝た事を種に口説こうとした上で、賢治にその寝たことを告白したと嘘をつき、エミーは激しく動揺する。このことをエミーから聞かされた梛子はチャーリーと別れることを決意し交換船で日本へ帰る。エミーは酒に逃避する。ラジオでは戦争が連合国側の優勢に転じた事を伝える。
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第30回
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1984年7月29日 |
血の証し(暗号解読・日系人部隊の欧州での戦闘) |
田島照
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賢治はワシントンで暗号解読をする、それはドイツにいる島木の鹿児島弁の本国との会話だった。恩人を裏切ることを拒否するが祖国への忠誠とは国家の命令に従うことだと言われ従う。自分がわからなくなり前線へ志願する。勇は二世部隊で勇敢に戦うがひどい負傷をおう。
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第31回
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1984年8月5日 |
太平洋戦線(捕虜尋問・東京ローズ) |
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1944年11月:賢治は捕虜を尋問し激しいやりとりの末投降に協力させる。日本軍の文書を解読し満州の部隊がフィリピンに回されてきている事を明らかにする。忠はその師団にいて米軍潜水艦の攻撃を受ける。梛子は東京ローズをやるよう特高警察に強要される、チャーリーはその放送を聞いて梛子ではないのかと思う。
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第32回
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1984年8月12日 |
二つの戦場 (死体だらけの戦場) |
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1944年12月フィリピン:忠の船は攻撃で沈没、救助されてフィリピンに上陸。米軍と激しい戦闘、だが弾薬食料もつきるが補給はなく後退も許されず大隊長は勝手に玉砕電文を打つ。賢治は捕虜捕獲のため死体だらけの戦場を歩くが、米兵は負傷兵を撃ち殺しゲリラは語学兵を日本兵と間違えて殺そうとする。故郷鹿児島の師団が来ていることを知った賢治は忠の行方を聞き出そうとする。
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第33回
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1984年8月19日 |
誰が故郷を想わざる(餓死・病死、日米兵士の死) |
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1945年2月ルソン島:忠は敗残兵となりジャングルを連隊を目指し歩く、道には死体だらけ。食料を奪った現地女はゲリラで攻撃される。餓死・病死・哀れな死。語学兵も狙撃され、日米の兵士が共に家族の為、国の為に死ぬ姿が交互に映し出される。賢治は日本兵を餓死から救おうと反対を押し切って投降ビラを大量に撒く。
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第34回
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1984年8月26日 |
東京大空襲 (死ぬ日本人・100万人救うためなら10万人殺すも可) |
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1945年3月9日:B29爆撃は低空からの絨毯爆撃での民間人皆殺しに変えるという、100万人救うためなら10万人殺すのも可だと米軍は言う。これから空襲される東京の「リラ」ではマスターが平和な時を懐かしむが、武がお別れに来て特攻に行くという。エミーは賢治への手紙を出そうと外出するとジャップの女だ!と白人浮浪者に強姦される。
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第35回
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1984年9月2日 |
兄弟対決(二世がしたのはジャップのジャップ狩りだ) |
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1945年4月ルソン島:兄弟はついに双方が戦場にいることを知る。忠は夜間切り込みで賢治の陣地に入り食料を奪う。山中を彷徨し偶然兄と遭遇するが撃てない。賢治は投降を呼びかけるが忠と同行の軍曹の攻撃をきっかけに忠を撃つ。負傷で済んだ忠に精一杯の事をするが忠は賢治のした事を許さない。
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第36回
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1984年9月9日 |
終戦 (終戦の経緯) |
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1945年7月26日:ポツダム宣言、受諾しなければ日本は壊滅だ。東郷茂徳は受諾を会議で説くが軍部は強硬だ。広島への原爆、ソ連の参戦で東郷の和平調停も望みはつき、天皇の判断で降伏が決まる。捕虜の忠は賢治の差し入れに自分は日本兵であり語学兵の兄は米兵だと二人が敵対している事を、明言する。
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第37回
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1984年9月16日 |
ヒロシマ(被爆者の怒り・アメリカは謝るべきだ) |
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1945年秋:GHQにマッカーサーが来る。賢治は広島の原爆調査に参加、被爆者の心理面調査のため話を聞く。悲惨な死を答える被爆者に衝撃を受け、被爆者がアメリカへの恨みを述べないのは追従や恐れの為だ、アメリカはなぜ許しを請わないのかと報告して拒絶される。
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第38回
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1984年9月23日 |
東京裁判開廷(東京裁判は公正であるべきだ) |
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キーナン検事が会見し東京裁判は公正だというが天皇については質問も禁じられる。島木は公正性に懸念を示し賢治は公正さを保とうとモニターを志願する。チャーリーはバラックに住んでいた万里子を立派な宿舎に住まわせ、敗戦国の人間と差があるのは当たり前だと言う。
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第39回
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1984年9月30日 |
モニター (モニターは米軍の手先なのか) |
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1946年5月3日:東京裁判開廷、裁判長の忌避動議は却下される。忠は鹿児島に復員するが叔母は生き恥を晒したと非難する。帰郷した賢治を叔母は歓迎するが、母校の生徒にお前は先輩ではないと言われ、忠からは裁判で米軍の手先のような仕事をしていると拒絶される。悲しむ叔母。
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第40回
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1984年10月7日 |
変身(戦争が日本人を醜く変えた・田中隆吉と典子) |
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1946年7月5日:田中隆吉元少将が満州事変が日本軍の陰謀であった事を証言し、板垣らが犯人だと指さす。忠は騙され石鹸を安く買いたたかれてしまう。賢治は取り締まり情報から典子が今は米軍将校の情婦となり米軍物資の横流しをしているのを知り会うが、二人とも変わってしまった事を嘆くしかない。
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第41回
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1984年10月14日 |
凱旋(二世達の戦後) |
松平保久
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1946年7月:賢治は休暇でロサンゼルスに帰る、ランドリーは再建され加州新報も元気だ。442部隊の帰還に大統領は偏見とも闘ったと讃えてくれる。帰還した勇は耳が聞こえないがランドリーを継ぐ決心をし恋人マリアンは反対を押して結婚するという。乙七は賢治たちが今は立派なアメリカ人になったのだと諭し、兄弟和解を望む。
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第42回
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1984年10月21日 |
英霊(BC級戦犯の不当な処刑) |
佐藤幹夫
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1946年8月13日:焼け跡で死者の迎え火を焚く賢治は川辺と再会する。彼はシンガポールで従軍カメラマンをしていたが真実は何も伝えられなかったと言う。再会したメイリンは恋心を伝えるが川辺は突然の逮捕、戦犯としてシンガポールで裁判にかけられる。間違いだすぐ帰ると言った川辺の行方を調べた賢治は既に処刑された事を知る。泣き悲しむメイリン。
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第43回
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1984年10月28日 |
古都憂愁(原爆病の梛子のはかない恋) |
小林武
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1946年8月27日:忠はチャーリーの口利きで米軍物資の横流しをするが警察につかまり賢治が受け出しに来る、しかし兄弟の仲は冷たい。梛子は賢治と京都へ旅行一緒に旅館に泊まる、しかし彼女の体は日増しに悪くなっていた。一方エミーは賢治が父に送金していることも知らない。
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第44回
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1984年11月4日 |
真珠湾攻撃の謎(ルーズベルトは日本の攻撃を知っていた) |
松岡孝治
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1946年11月1日:東京裁判は日米開戦の真相を暴く(1)日本の外交はごまかしだったのか(2)真珠湾攻撃は騙し討ちだったのか?が焦点。検事は日本は11月中には開戦を決意、後の外交はごまかしだ、ハルノートに何も回答をよこさずいきなり攻撃、その後の通知も宣戦布告ではなく偽装外交を続けた。と解読した日本の暗号を証拠に弁論。弁護側はそれは諸刃の剣だ、米国が日本の開戦を知りながら攻撃をさせたと反対尋問で明らかにする。奇襲成功は米の陰謀と、日本軍の優秀さ、米軍のミスが重なったためだろう。だが忠は帝国軍人であれば潔く有罪を認め死ぬべきだと泣く。
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第45回
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1984年11月11日 |
ワシントン・ハイツ(エミーのアル中発覚) |
伊豫田静弘
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エミーは日本へ、瀟洒な米軍住宅ワシントンハイツで賢治の帰りを待つが隠れて酒を飲む。ブレイクニー弁護士は原爆が戦争犯罪である事を指摘するが速記録では消されていた。啓介は民主的な教育基本法に感銘を受け教師に復帰する。パーティーでエミーは酒をがぶ飲み、ついにアル中を告白し「ジャップめ、真珠湾のお返しだ」と強姦されたと賢治を罵る。
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第46回
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1984年11月18日 |
限りある生命(梛子は原爆病で1年と宣告される) |
佐藤幹夫
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賢治はエミーの酒浸りと裁判での無力感から帰国を考える。梛子が倒れ広島の病院に入院、賢治が見舞うと原爆による白血病であと1年と言われる、賢治との京都の思い出を大事にする梛子。パール判事は戦後まだ時間がなく公正な裁判は無理だがやがて時間がそれを変えるだろう諦めるなと言う。賢治は裁判を見届ける事を決意する。しかし、このことを帰宅後に賢治がエミーに告げると、それは梛子とともにいたいためだとエミーに誤解され、エミーは狂乱する。
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第47回
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1984年11月25日 |
焼跡の聖夜(チャーリーは二世の哀歓を味わう) |
田島照
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エミーのアル中はひどい、そこにチャーリーは自分と一緒になれと誘うが断られる。子爵令嬢と見合いをしたチャーリーは皆の前でハーモニカを吹く羽目になり恥をかき破談、しかしマッカーサーの代行で天皇に拝謁すると婚約成立となる。だがその謁見では自分が日本人である事を思い知らされる。東郷外相は海軍が当初騙し討ちを計画したことを証言騒然となる。
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第48回
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1984年12月2日 |
兄弟和解 |
村上佑二
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忠は梛子のため高価な結核の特効薬を買い込むが梛子は白血病で数ヶ月と宣告される。東條英機が開戦も天皇の命令だと取れる発言をする。賢治は米兵からの二世侮蔑に怒り喧嘩をする。梛子の忠告により忠が改心し、賢治と和解する。
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第49回
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1984年12月9日 |
最終論告 |
佐藤幹夫
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1947年12月31日:エミーはアル中で入院。東條の天皇戦争責任発言は検事との馴れ合いの質疑で否定される。実は田中隆吉を使った日米関係者の謀議によるものだった。勇夫婦に娘が生まれる。
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第50回
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1984年12月16日 |
宣告 |
伊豫田静弘
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梛子は死ぬ。賢治は判決文翻訳の為の服部ハウスからの軟禁を抜け出すが間に合わない。アル中が治ったエミーは広島から帰った賢治を優しく迎える。賢治は亡霊に悩まされる。広田弘毅が軍事参事官という翻訳間違いは指摘にも関わらず直らず死刑判決が出る。
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最終回
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1984年12月23日 |
新たなる旅立ち(そして誰もいなくなった…) |
村上佑二
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1949年1月:東京裁判被告の処刑執行。チャーリーはまったくの偶然で暴漢に刺されて死ぬ、アル中の治ったエミーはアメリカへ一足早く帰る。忠は典子に婚姻関係継続を望むが拒否される。賢治は戦争に加担してしまった自分の罪を自ら裁き法廷で拳銃自殺する。その後、ロサンゼルスにいる父乙七が、賢治が生前に送っていた覚悟の手紙を読んだ上で息子の死を悟り、嘆く。
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