源 信明(みなもと の さねあきら)は、平安時代中期の貴族・歌人。光孝源氏、右大弁・源公忠の子。官位は従四位下・陸奥守。父と同じく三十六歌仙の一人。
承平7年(937年)父・公忠の五位蔵人辞任に替わり朱雀天皇の六位蔵人に補任。式部丞を経て、天慶5年(942年)従五位下・若狭守に叙任される。
その後も、備後守・信濃守・越後守・陸奥守など、朱雀・村上・冷泉の三朝に亘って受領として長く地方官を歴任し、治国の功労により天暦2年(948年)従五位上、天徳5年(961年)正五位下、安和元年(968年)従四位下と昇進した。
天禄元年(970年)卒去。享年61。最終官位は散位従四位下。
宇多上皇が崩御したときの哀傷歌を始めとして、村上天皇の名所絵屏風歌、朱雀天皇皇女・昌子内親王裳着の折の屏風歌など数多くの歌が残されている。女流歌人である中務とはかなり親密な関係にあったらしく、彼女との贈答歌は『信明集』にも一連の歌群として収録される。他にも源公平(信明の叔父)の三女や閑院大君(源宗于の娘)とも交渉があったらしい。
『後撰和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に22首入集[1]。家集に『信明集』がある。
『三十六人歌仙伝』による。
注記のないものは『尊卑分脈』による。