鈴木 保奈美(すずき ほなみ、1966年〈昭和41年〉8月14日[3] - )は、日本の女優。本名は同じ。東京都大田区出身[3]。アライバル所属[注 1]。元夫はモータースポーツジャーナリストの川井一仁とお笑いタレントの石橋貴明(とんねるず)。
略歴
東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。神奈川県立鎌倉高等学校卒業、成城大学文芸学部中退[1]。身長160cm。
1984年、高校時代に第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募し、応募総数12万人の中から審査員特別賞を獲得したのがデビューのきっかけとなる。合格者には寮生活があるときいたのがホリプロを選んだ理由の一つだったが、結果的に本人は寮生活をすることはなかった。
1986年、女優デビュー。芸能活動に専念するため大学を中退。カネボウ化粧品のCMに水着姿で出演したほか、ドラマ『おんな風林火山』、NHK連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』、当時全盛期だったトレンディドラマに出演し、知名度を上げていく[1]。
1991年に主演したフジテレビ月9ドラマ、『東京ラブストーリー』が大ヒット。「月曜日の夜に街から女性が消えた」と言われるほどの社会現象となる。ヒロイン・赤名リカ役で鮮烈な印象を残し、一躍人気女優となる[注 2]。当時のフジテレビの花形プロデューサーであった大多亮との不倫関係も背景に、以後次々とフジテレビのゴールデンタイムドラマの主役に抜擢され、女優としての地位を確実なものとする。また、アジア圏でも日本のトレンディドラマが放映されて高視聴率を確保していたこともあり、鈴木の名前と顔が知られることになる。特に中国や韓国で日本の化粧品に人気が集まっていたこともあいまって、鈴木がイメージガールを務めていたカネボウ化粧品のポスターを入手出来ないものかとメーカーに問い合わせが多々あった。
1990年代に主演したフジテレビ月9ドラマ、1992年の『愛という名のもとに』、1994年の『この世の果て』、1995年の『恋人よ』は、いずれもヒットし、話題となった。
1999年の大河ドラマ『元禄繚乱』に出演したが、撮影中に妊娠が判明。このため当初の予定より出演が大幅に削減されることとなった。このため、所属事務所のホリプロとの関係が悪化し、そのまま退所した[4]。
2008年12月4日、娘たちが小学生となったことから、石橋の事務所であるアライバルに所属し[注 3]、徐々に芸能活動を再開することを発表した。同年12月6日発売の文化出版局『ミセス』2009年1月号の表紙を飾り、エッセー「ほなみ食堂」を連載開始[5]。
2011年、大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』で12年ぶりに本格的に女優復帰し[6]、同年公開の『のぼうの城』で11年ぶりに映画に出演した[7]。
2016年には『ノンママ白書』で18年ぶりに連続ドラマの主演を務めた[8]。
2017年にテレビのクイズ番組で獲得した賞金を使ってマンションの一室を借り、「部活」と称して一般人と共に、中田顕史郎らとの演劇のワークショップを始めた。
小劇場にも多く足を運び、2018年に観た冨坂友の作品に衝撃を受けて出演を希望した結果、2024年に人生初コメディとして「逃奔政走」(および前段としてのフジテレビで放送された生放送ドラマ『生ドラ!東京は24時 -Starting Over-』)に主演することになった。
私生活
1995年1月1日にモータースポーツ解説者の川井一仁と結婚したが、1997年11月に離婚[9]。
1998年11月13日、とんねるずの石橋貴明との再婚を発表。自身の妊娠3か月と芸能界引退も発表した[2]。翌日には2人で結婚会見を行った[2]。既に撮影を終えていた主演映画『いちげんさん』(2000年公開)を最後に表舞台から姿を消した。その後3人の娘を出産し、専業主婦として生活をしていた。2021年7月16日、石橋のYouTubeチャンネルで離婚を発表[2]。「子育てが一段落した事を機に」と離婚理由を説明している[10]。
人物
エピソード
- プロデューサーの大多亮、ドラマで共演した江口洋介と交際していた時期があるが、破局している[11]。
- 『東京ラブストーリー』の赤名リカ役の髪型やメンズライクなファッション、スカーフ使いは当時の同世代の女性がこぞって真似をするほどであった。また、共演の織田裕二演じる永尾完治の渾名を呼ぶ「カンチ!」は流行語にもなった。
嗜好
- バービーボーイズの大ファンであった。バービーボーイズの解散ライブ(1992年1月24日)とドラマ『愛という名のもとに』の撮影が重なったが、ドラマのスタッフに無理を言って30分程時間を作って貰い、解散ライブに駆けつけた。2 - 3曲ほど聞いてドラマの撮影現場に戻ったという[12]。
- 横浜DeNAベイスターズファンである[13]。また、石橋は基本的に読売ジャイアンツファンだが、鈴木の影響や牛島和彦(2005 - 06年の同球団監督)もあって、同球団のエクゼグティブ・アドバイザーにもなっている。
- 長年のくるみパン好きが高じて、くるみパンオブザイヤーの審査員を務めている。ただし近年はグルテン摂取を減らしているため、普段はパン食の機会も少なくなってきている。
発言
- 朝日新聞の取材に対して「朝日新聞はいつまでグラビアの写真を含めた週刊誌の広告を載せるのでしょうか。もちろん広告費の問題もあるのでしょうが、「明らかに女性を商品として扱っている」と気になっています」と苦言を呈した[14]。
出演
テレビドラマ
配信ドラマ
映画
バラエティ・情報番組
ドキュメンタリー
- 鈴木保奈美のハワイ体あたり・欲ばりアドベンチャー (1997年7月27日、テレビ朝日)
- 鈴木保奈美 NY発ミュージカル・シカゴ徹底取材! (1998年12月13日、TBS)
- 鈴木保奈美の文豪の湯 〜名作が生まれた湯けむりの里〜 (2012年2月12日、BS-TBS)
- ラスト・ライオン 特別編(2013年3月17日、ナショナル ジオグラフィック チャンネル)ナレーション
- 情熱大陸(2024年7月14日、TBS)
ラジオ
舞台
CM
受賞歴
- 1984年
- 1995年
- 1998年
- 第16回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『ニュースの女』)
- 2013年
- 2014年
- 2020年
- SUITS OF THE YEAR 2020[39]
書籍
エッセイ
写真集
脚注
注釈
- ^ かつては、ホリプロに所属していた。
- ^ 1996年7月に生まれた前田穂南も両親がすずきの大ファンで同じ読み方の「穂南」と命名したとされる
- ^ アライバルはもともととんねるずの個人事務所として発足した経緯があり、他の所属者は杉本清しかいなかった。
出典
関連項目
外部リンク
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ディスコグラフィ | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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10代 | |
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50代 | |
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60代 以上 | |
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男性 | |
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特別 賞 | |
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*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 |
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1回 - 10回 | |
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11回 - 20回 | |
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21回 - 30回 | |
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31回 - 40回 | |
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41回 - 50回 | |
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51回 - 60回 | |
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61回 - 70回 | |
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71回 - 80回 | |
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81回 - 90回 | |
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91回 - 100回 | |
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101回 - 110回 | |
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111回 - 120回 | |
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121回 - 130回 | |
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