荒木 由美子(あらき ゆみこ、1960年1月25日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。堀越高等学校卒業。愛称は「由美ちゃん」。身長153cm。血液型はB型。夫は歌手の湯原昌幸。湯原との間に息子が1人いる。所属事務所はハブ・マーシー。
佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。16歳まで地元で育ち[1]、神埼中学校時代はバスケットボールの選手だった[2]。1976年(昭和51年)、『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』にて、小川順子の「過ち」を歌い審査員特別賞を受賞(グランプリは榊原郁恵)。
翌1977年6月10日、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からアイドル歌手としてデビューした。デビュー曲は『渚でクロス』(オリコン最高56位、4.4万枚のセールスを記録)。同年デビューの女性歌手で、当時「フレッシュ3人娘」と呼ばれた榊原郁恵・清水由貴子・高田みづえらと共に、各音楽賞の新人賞を獲得した。他の同期デビュー歌手では大場久美子、香坂みゆき、狩人、川崎麻世、清水健太郎、太川陽介などがいる。
その後女優・タレント業に転じる。特に、1979年より放送された自身主演ドラマ『燃えろアタック』(テレビ朝日系列)で人気を博す。(2013年に傑作選Vol.1~Vol.3として、全71話のうち36話がDVD化)のちに中国でも『燃えろアタック』が『排球女将』というドラマ名で放送され、視聴率80%以上を記録する大ヒットとなった。1979年、年鑑女性アイドルのマルベル堂でのブロマイド売り上げ、第5位を記録した。
1983年に歌手・タレントで13歳年上の湯原昌幸と結婚、芸能界を一時引退(なお主婦業専念時も、夫の湯原と共に洗剤のテレビCMなどに出演していた)。しかし、結婚後わずか2週間で倒れた義母を20年に渡って介護する。その後、自身の介護体験を基に「覚悟の介護」を出版。これを機に2004年から芸能活動に復帰。湯原とは今昔変わらぬ夫婦仲のよさで知られ、旅番組など夫婦でのテレビ番組やCMでも多数共演している。
2007年5月30日、夫の湯原とのデュエット曲『千年の旅人』(湯原のミニアルバム『途中駅~Never Ending Life~』の収録曲)を発表、27年ぶりに歌手活動を再開させた。また同年6月10日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)にも湯原と共演。認知症と診断された義母の20年にわたる壮絶な介護生活など、湯原と共に終始涙ながらに想い出を語った。近年、こうした経験を基にした講演活動も精力的に行っている。
2017年12月6日、ソロとして37年ぶりの新曲『私はブランコ』をリリース。同曲はNHK『みんなのうた』の2017年12月~2018年1月期の新曲に選出された。12月7日には、報道関係者向けに新曲を披露。12月17日には、NHKラジオ第1放送の『日曜バラエティー』に初出演し、新曲『私はブランコ』とカップリング曲『ありがとうはエンドレス』をスタジオ観覧者及びラジオリスナー向けて披露し、ソロとしての歌手活動を本格的に再開した。
2018年1月18日には、『私はブランコ』を作曲した小原孝とともに、ソロとしての歌手活動再開後、初めてのライブ&トークショーを開催する。
2021年10月、佐賀県の有田焼とコラボしたティーセット6点を、中国の上海高島屋で販売することが決定した。
2023年6月10日のデビュー記念日に合わせ、Twitter、Instagram、Facebookを開設。[3]
2024年4月よりテレビ東京「なないろ日和!」の金曜日MCに香坂みゆきと共に就任。[4]
九州佐賀国際空港ブランドアンバサダーに2024年3月に就任した。佐賀と上海の直通便が春秋航空で運行されており、現在でも中国で相当な人気を誇ることでの任命となった。[5]
湯原昌幸とのデュエット
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