三浦 徳子(みうら よしこ、1949年[注 1] - 2023年11月6日)は、日本の作詞家。本名は高原 徳子(たかはら よしこ)[1]。青森県弘前市出身。生前はアップフロントグループに所属していた。別名義に「亜伊林」(あいりん)がある[2]。
1970年代後半から日本を代表する作詞家として活動し、1980年代における作詞家総売上枚数は松本隆、売野雅勇、秋元康に次ぐ4位、女性作詞家としては1位であった[3]。兄は文芸評論家の三浦雅士。
1949年、青森市で出生[4]。小学校3年までは青森県の大鰐町、それ以後は八戸市で育った。三浦が中学生のとき、兄の雅士が青森県立弘前高等学校に進学し下宿したため、同兄と一緒に育ったのはそれまでである。
青森県立弘前中央高等学校を卒業後[5]上京し、明治学院大学に入学。大学卒業後、コピーライターを経て、1977年に高田みづえのシングル「硝子坂」のB面「DÔMO DÔMO」にて作詞家デビュー(当時の名義は「みうらよしこ」)。1978年には石川ひとみのデビュー曲「右向け右」、および2作目の「くるみ割り人形」を手掛け、その年の日本歌謡大賞新人賞を受賞させた。翌1979年には岩崎宏美へ提供した「万華鏡」が日本レコード大賞金賞を獲得。同年に手掛けた松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」は2020年頃からリバイバルヒットし、世界的な人気曲となった[6]。1980年には松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」を手掛け、以降松田の5枚目のシングルまで専属で担当し、当時のオリコン連続1位記録の礎を担った。この他にも柏原芳恵、早見優、堀ちえみ、工藤静香らの楽曲の作詞を多数手掛け、1970年代後半から1980年代にかけての女性アイドル歌手全盛時にヒットチャートを席捲した。また、沢田研二、郷ひろみ、田原俊彦、少年隊などの男性アイドル歌手や、八神純子、浜田省吾、TUBEらのシンガーソングライターにも数々のヒット作品を提供していたほか、デリカスイトのイメージソングの作詞も担当。晩年はアップフロントグループに所属し、主にハロー!プロジェクト関連、および旧ジャニーズ(後のSTARTO ENTERTAINMENT)関連のアイドルグループの楽曲や、NHK Eテレの子供向け番組の楽曲の作詞を手掛けていた。
2023年11月6日午前1時21分、肺炎のため死去[7]。同月14日にアップフロント音楽出版が公表した[8][9]。75歳没[注 2]。後述するモーニング娘。の元メンバーだった佐藤優樹のシングル「Ding Dong/ロマンティックなんてガラじゃない」の通常盤Cに収録された「プラスティック・ジェネレーション」(2023年3月29日発売)が遺作となった[10]。同年、第65回日本レコード大賞特別功労賞を受賞した[11]。
「亜伊林」名義を含む[3]
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