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千葉 美加(ちば みか、1972年8月7日 - )は、日本の歌手、女優。岩手県釜石市出身、東京都世田谷区育ち。
来歴
1986年に「ホリプロスカウトキャラバン」で本田美奈子の「1986年のマリリン」を歌い、ボーカリスト賞を受賞。これがきっかけによりホリプロ所属になる(現在は移籍)。本田、小比類巻かほる、森川美穂のような高い歌唱力をもつボーカリストを目標に歌手デビューを目指す。そして、約3年間のボイストレーニングに励む。
歌手デビュー前には、榊原郁恵主演の連続ドラマ『新・熱中時代宣言』(日本テレビ)、フジテレビ系連続ドラマ『花のあすか組!』といったドラマをはじめ、『パオパオチャンネル』(テレビ朝日)などのバラエティ番組にもレギュラー出演し、さらに『刑事物語』(東宝)などの映画にも出演するなど、幅広い分野で活動を行った。
その後1988年に連続ドラマ『電脳警察サイバーコップ』(日本テレビ)に上杉智子婦警役で出演し、そのエンディング主題歌「シューティング・スター」でCBS/SONY RECORDSからプレデビューする。
本格的歌手デビューは1989年5月21日発売「BRAND-NEW TOMORROW」。キャッチコピーは『新しい可能性をもったMUSIC・IDOL』。当時のアイドルの中では高い歌唱力をウリとして「ミュードル」という新ジャンルで売り出された。「ミュードル」とは「ミュージシャン+アイドル」という造語である。「外見はアイドルなのに、女性ミュージシャン並みに歌がうまい」という意味からつけられたものであるという。
但し、デビュー当時明星などのアイドル誌において「新人賞が獲りたい!」などと発言しており、スタッフと本人の意識に温度差があり、プロモーションにおいてちぐはぐさが目立ち、セールスは低迷した。ラジオで共演していた関根勤が他局でランキング番組を持っているのに、自分の曲が箸にも棒にもかからないことを気にするあまり、生放送中に「オリコンなんて関係ねーんだ!」とキレてしまったこともあった。
その後、恵比寿ファクトリーや銀座SOMIDOなどで定期的にライブ中心の活動がはじまる。また、島田紳助が千葉の歌唱力を認め、『CLUB紳助』(朝日放送)にゲストとして呼び「最近のアイドルは歌の下手なのが多いから、是非大物になれや」と発言し、「10年後にこの番組で共演しよう」と約束した。しかし、この番組は途中で終了してしまったため、「約束」は実現していない。
レギュラー出演していた『東京イエローページ』(TBSテレビ)では歌唱力を毎週のように披露していた。
1991年夏に行なわれた東京芸術劇場のライブを最後に、千葉美加の活動は日本を離れアジア中心に移る。アジアでは芸名を「チェンイェー・メイジァ」としてデビュー。国外(アジア)では人気を得てトップアイドルとなる。
帰国後、山口百恵のカバーなどを発売し、歌を中心とした活動を行い、原宿クエストホールで2DAYSのライブも行なう。ミュージカルにも出演を果たし、『FANTASIA』ではディック・リーと共演した。
1998年、ホリプロとの契約を終了し、一旦引退。
2003年、連続ドラマ『超星神グランセイザー』(テレビ東京)へのレギュラー出演で復帰を果たす。
2014年4月より、USTREAM発信情報番組「wikiwiki湘南」毎週月曜朝11:00〜11:30放送のパーソナリティー担当。
現在は、中学校時代の同級生の獣医と結婚し、2児の娘の母親。
2016年6月10日に放送された『爆報! THE フライデー』に出演の際、現職種はドッグセラピストをしている。夢はドッグカフェを開業する事と語った[1]。
ディスコグラフィー
シングル
アルバム
台湾アジア発売 アルバム
- 頑皮MIKA青春・起飛(1990年)
- 快樂神仙(1991年)
- 別離選擇了我(1992年)(邦題:和魂漢才(1992年)・Made in〜別離選擇了我(1992年))
- 再見!我的愛 (1993年)
- 彩蝶/午夜情人夢(1994年)
タイアップ曲
メディア
TVドラマ
TV
映画
ラジオ
ミュージカル
CM
アニメ
脚注