八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日[2] - 2023年〈令和5年〉12月30日[5])は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代郡金剛村(現在の八代市)出身[6]。本名は橋本 明代(はしもと あきよ)[1]。血液型はB型。
来歴
生い立ち
幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ[7]。そうした影響もあり、八代は歌好きの子供になり、地元の歌唱コンクールなどにも出場していた。
八代が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き[7]、そのハスキーボイスに魅せられる。もともと自分自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。
15歳で上京してクラブ歌手に
八代市立第六中学校卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通(九州産交バス)でバスガイドとして勤務する。しかし人前で話すのが苦手なのと、業務中に歌声を披露する機会が無かったために3ケ月で退職した。その後は地元の「キャバレーニュー白馬」に歌手として雇われる[8]
[9]。ところが父の会社の従業員が客としてやってきたために3日で発覚してしまう。そして「不良は家にいらない。」と勘当され、東京にいる従姉妹を頼りに上京した[10]。
上京後は歌える喫茶店で学費を稼ぎながら音楽学院に通い基礎を学ぶ。数年で銀座のクラブで歌うようになり、学校へは行かなくなった。その頃は主にスタンダードジャズやポップスなどを歌っていた。同じクラブで歌っていた三谷謙(のちの五木ひろし)から芸能プロダクションを紹介される。
歌手デビュー
1971年にテイチクより「愛は死んでも」でデビューした。芸名の“八代亜紀”の姓は出身地の八代(やつしろ)市から採っており、語呂の良さから「やしろ」という読みにした[11]。本名である明代より呼びやすい2文字アキとし、また漢字の“亜紀”としたのは「アジア(亜細亜)で何世紀も活躍できるように」との願いが込められている[12]。
よみうりテレビ(日本テレビ系)のオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなったことで、徐々にレコードが売れ始める[13]。
1973年に「なみだ恋」が120万枚[14]とヒットした後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発する。
1979年に新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒットし、1980年に発表した「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞(TBSテレビ・ラジオ)を受賞する。これら2曲は「港町絶唱」と共に阿久悠、浜圭介、竜崎孝路のコンビによる「哀憐三部作」とされ、NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1、#NHK紅白歌合戦出場歴参照)では2年連続大トリを務めた。ほどなくして“演歌の女王”と称されるようになる[15][11]。
ベテラン歌手へ
1982年、センチュリーレコードへ移籍してこの頃からヒットスターからベテラン歌手としての存在へと変わってゆく。「海猫」「ブルーレイン大阪」「日本海」「陸の船乗り -ロンサム ロード-」「恋瀬川」などを発表する。
1986年に日本コロムビアへ移籍。1987年に個人事務所「ミリオン企画」を設立。1990年に「花(ブーケ)束」を発表。ポップス調バラードの同曲は八代の新たな一面を引き出し、演歌主体のファン以外からも支持されてロングセラーとなった。
演歌歌手では珍しく全盛期の楽曲全てが連続ヒットし、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップである。オリコンのシングルチャートにおけるトップ10獲得作品数も通算7作で、2011年6月に水森かおりが8作連続シングルチャートトップ10を更新するまで、女性演歌歌手歴代1位を続けた。
アルバムにおいても、オリコンの総合アルバムチャートのトップ10に5作品があり、演歌歌手としては氷川きよし、五木ひろし、森進一に次ぐ第4位である。総合アルバムチャートトップ10獲得連続年数は1974年から1976年まで3年連続で、オリコンによれば2007年9月現在で演歌歌手として、7年連続の氷川きよし、4年連続五木ひろしに次ぐ第3位[16]である。
晩年〜死去
2012年頃からジャズ、ブルースなどを本格的に歌うようになる(後述)。その後は、年間を通じて全国を巡るコンサートやディナーショーは、演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げた公演を続けていた。また、長年様々な形でのボランティア活動や故郷での地域社会貢献活動などにも積極的に関わっていた(後述)。
2023年9月12日、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため、年内の活動を休止することを発表した[17]。
以降は療養を続けてきたが、同年12月30日、東京都内の病院で死去した。73歳没。単独では9月5日長野県佐久市でのコンサートが、入院前日(翌日10日に入院)の9月9日に開催された日野皓正のコンサートへのゲスト出演が生涯最後のステージとなった。いずれも杖無しでいつものように最後までこなした。葬儀は八代の遺志により、明けて2024年1月8日に事務所スタッフのみで執り行われ、訃報は翌9日に所属事務所より公表された[18][19]。
2024年2月7日、熊本県は「国民に広く敬愛と感動を与えた」として「熊本県民栄誉賞」(11例目、物故者は川上哲治以来2例目)の授与を発表した。また、八代市も「名誉市民」(合併後の新・八代市としては初、旧・八代市を含めて6例目)の称号を授与する事を発表した[20]。
2024年3月26日、『八代亜紀 お別れの会~ありがとう…これからも~』が東京・蒲田の片柳アリーナで行われた。ステージ復帰を熱望していた八代の思いに応える形で、生バンドの演奏に八代の歌声を重ねたコンサート形式で開催した。歌手仲間や関係者、ファンら合わせて3000人が見守った。
「昨年暮れ、残念でしたが長い歌手人生に終止符を打ちました。苦しい時も、楽しい時も心の支えになったのは皆さんからの声援でした。感謝の気持ちでいっぱいです」
この日のメッセージ部分は全て最新AI音声。本人が2020年、声を音源データに残すことを希望し生前とかわらない包み込むような、やさしい温かい声が出席者を出迎えた。
中央の遺影は、鮮やかなピンクのドレスをまとった八代がほほえみ、スポットライトの先には生前着用していた青いドレスが飾られた。ステージセットと祭壇には胡蝶蘭や、バラ、カーネーションが盛大に並べられた。
会場には、フランスの由緒ある公募展ル・サロンに入選した絵画や熊本県民栄誉賞や八代市名誉市民の賞状など、ゆかりの品々が展示され、アトリエを再現したコーナーも設けられた。
発表された戒名は、「艶唱院釋信譽明煌清大姉(えんしょういんしゃくしんよみょうこうせいだいし)」。
貴重なコンサート映像や写真などで足跡を振り返り、「舟唄」からはじまり「雨の慕情」「なみだ恋」など全20曲が流され、"演歌の女王"として歌謡界、芸能界に貢献してきた八代に別れを告げるため、多数の歌手仲間、出席者らが思い思いの祈りをささげ献花した。
最後に、「皆さん、八代亜紀は幸せでした。幸せでしたよ」。そして「ありがとうね。バイバイ!!」の声とともにステージの幕を下ろした。
2024年11月21日、同年12月30日の「第66回輝く!日本レコード大賞」において特別功労賞を贈られることが発表された[21]。
楽曲・絵画等の各種権利については、八代の生前に、ミリオン企画の社長の大野誠が自身の資本で立ち上げた新会社「八代ミュージック&ギャラリー株式会社」に移管されている。また、八代の遺言により、ミリオン企画は2024年で解散となっている[22]。
2024年12月19日、菩提寺である安養院に等身大の銅像が建立され、除幕式が行われた[23]。八代の代表曲のひとつ「雨の慕情」を歌う姿を模した像である[24]。
人物
子供時代
父は浪曲など歌が非常に上手だった[注釈 1]。また、父親は若い頃画家志望だったこともあり、八代は幼い頃から絵画教室に通った。当時は休日に母が作ってくれた弁当を持って父と一緒に写生に出かけ、休憩がてら父のギターによる弾き語りを聞いていたという[7]。
父と母は19歳と20歳で駆け落ち同然に結婚し、懸命に共働きをして八代を育ててきた。普通の会社員だった父は八代が小学2年生の頃[25]に運送会社[15]を起業したが、会社経営の難しさから生活が困窮するようになる[注釈 2]。
その生活状況に加え、会社経営に苦悩する父の姿を見続けたことから、子供ながらに「早く大人になって働いて、家計を助けるんだ」と決意する[7][15]。12歳で先述の通りクラブ歌手を目指し始めるが、その理由は「一流の歌手はクラブで歌うもの」と勘違いしたことも一因[注釈 3]だった。
プロの歌手を目指して上京
将来クラブ歌手になることを念頭に置き、その前段階として中学卒業後15歳でバスガイドになった。しかし当時はまだ人前で話すことが恥ずかしくて上手く喋れず、そうこうしている内に観光名所を通り過ぎるなど失敗が多かった[7]。そんな中、友達の勧めで市内のキャバレー「キャバレー ニュー白馬」(2015年時点で現存)の歌のオーディションに年齢を誤魔化して参加し、店の専属歌手として採用される[7][13]。
両親に内緒でバスガイドを辞めてキャバレーで歌い始めるが、3日後父の友人がたまたま来店したことで両親にバレた[13]。父から「いつからそんな不良になったんだ。出ていけ!」と勘当されて上京した[7]。そのためここで歌ったのは3日間だけだったが、本人は「歌手としての自信を持った大事な場所。ここが歌手・八代亜紀の原点」と位置づけている[11][13]。
東京の親族の家で下宿させてもらいながら音楽学院に通い、学費と生活費を稼ぐため新宿の歌える喫茶店[注釈 4]でバイトを始める[注釈 5]。
銀座のクラブと歌手デビュー
18歳の頃銀座のクラブで歌うようになると、ホステスたちから「あきちゃんの歌には哀愁がある」と好評を得た[注釈 6]。後日ホステスたちから「レコードを出した方がいい」と背中を押され[注釈 7]、その後レコードデビューへと繋がった[7]。
そして1971年に歌手デビューした夜は嬉しさのあまり、デビュー曲「愛は死んでも」のシングルレコードを抱いて眠った[26]。同曲はヒットしなかったが、これまで応援してくれた人の気持ちに答えるためにも何とか売ることを決意し、八代はトランクに同曲のレコードをたくさん詰めて地方のキャバレー周りをほぼ毎日繰り返して売り歩いた[注釈 8]。
歌に対する考え方
「歌手としては表現者というより、それぞれの歌が持つ心を伝える代弁者でありたい」との考えを持っている[25]。
本人は、先述の15歳で八代市の「キャバレー ニュー白馬」で歌ったことが、「歌手・八代亜紀の原点」と位置づけている[13]。
学生時代に音楽の授業で歌ったところ、教師から「そんな声出しちゃいけない」などと言われ、ハスキーな声にコンプレックスを感じていた。しかし銀座のクラブで歌うようになってからホステスや客たちから歌声を褒められたことで、「自分の声はいい声だったんだ」と気づき、好きになったとのこと[13]。
デビュー当時から、「レコーディングでは、歌っている時の自分の顔を誰にも見せない」ということを決めていた。理由は、「私は辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。歌入れの時はそういう人の表情になっているはずで、それを見られるのは恥ずかしいから」とのことだった[26]。また「レコーディングは何回も録らない」との考えを持っている。これはスタジオで曲のイントロを聴き、最初に浮かんだイメージでそのまま歌うことを大事にしているため。これまでのレコーディングでは一曲につき、基本的に通しで3回までしか歌わないとのこと[26]。
2021年のインタビューで、今後歌ってみたい歌として「歌詞が徹底的なまでに短くて、ギター一本でも成立するようなシンプルな作りで、“どん底の悲しみ”を表現するような歌を歌いたい」との目標を持っていた[26]。
ジャズ、ブルース歌手として
2012年、日本コロムビアに所属しながら同社了承の下で、小西康陽プロデュースによるジャズアルバム『夜のアルバム』をユニバーサルミュージックから発売して世界75か国で同時配信され、歌手活動42年目で世界デビューする。マレーシアのiTunes Storeジャズチャートで1位、シンガポール2位、台湾4位、香港7位[27]、オリコン・アルバムチャートのデイリーチャートで最高9位、週間チャートで最高20位を記録し、ヒット作となった。オリコン・アルバムチャートTOP20入りは34年ぶりである。11月9日にジャズ歌手としてブルーノート東京のステージに立った[28]。
2013年3月27日にニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドでライブを開催し、八代が憧憬するヘレン・メリルをゲストに招き初共演した。また4月29日には、そのライブの模様がNHK総合テレビでドキュメンタリー番組『演歌の女王 ジャズを歌う〜八代亜紀・ニューヨークでの挑戦〜』として放送される。同番組が反響を呼んで8月21日に当日のライブを収録したアルバム『夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク』が発売された[29]。さらに9月7日に開催されたジャズ・フェスティバル「第12回 東京JAZZ」に出演するなど、演歌のコンサートと並行しジャズライブも積極的に実施した。
2015年10月、寺岡呼人プロデュースによる初のブルース・アルバム『哀歌 -aiuta-』を発表した。同アルバム発売を記念して11月には、3年ぶりにブルーノート東京で『AKI YASHIRO "aiuta" Special Night』を開催した。同じく12月には、東京国際フォーラムで『八代亜紀 "哀歌" クリスマスコンサート』も開催した[30]。
2017年10月、ジャズアルバム第2弾となる『夜のつづき』を発売し、前作『夜のアルバム』に続いてiTunesジャズチャートで1位を獲得する。同作品の発売を記念して11月にブルーノート東京、12月にビルボードライブ大阪、2018年1月にブルーノート名古屋でジャズライブを開催した[31]。
2022年10月21日・22日の2日間にわたり、フランス・パリ日本文化会館で公演を開催した。公演は2020年の八代亜紀デビュー50周年に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期し、2年越しの開催を迎えた。絵画の世界において、伝統と格式のあるル・サロンから、永久会員の称号を授与されたフランスは、画家としても活動する八代にとって縁の深い地で、パリ公演は2日間ともに完売した。超満員で幕を開けたパリ公演で、1部では公演のためにあつらえた着物を着用した。2部では装いを新たにドレスで登場した。オープニングの「雨の慕情」からエンディングの「舟唄」まで、全編を通して"八代演歌"で客席のパリジャンからスタンディングオベーションが起こった。
絵に関して
歌手活動だけに留まらず、画家としても活動した。画家志望だった父親の影響により、小学生の頃は将来画家になるつもりだった。また父親も実は、娘には歌手ではなく画家になってもらいたかったという[7]。
子供の頃から長年水彩画を描いていたが、40歳頃に油絵の質感に惚れ込んで市川元晴に師事した[32][33]。それ以来、写実的な油絵を描いていた[26]。その後フランスの由緒ある「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員[11])になった[7]。
歌と絵について本人は、「歌うことも絵を描くこともエネルギーがいるけど、私の場合は歌という肉体労働で酷使した自分を、絵を描くことでマッサージしている感じ」と語っていた[26]。
ボランティアなど
優しく面倒見の良い両親[注釈 9]の影響もあり、若い頃から色々とボランティア活動をしていた。
その一環として、1981年より女子刑務所の慰問公演を始めた。元々1973年に少年院の慰問を始めた[注釈 10]のがきっかけで、その後老人ホームや福祉施設、女子刑務所へ行くようになった。2000年、日本全国すべての女子刑務所を訪問した[34]。
ペルー元大統領・アルベルト・フジモリの両親が熊本県出身ということで、以前からフジモリを支援しつつ、ペルーに対するボランティア活動も行っていた。1994年には、ペルー共和国のラ・メルセにヤシロアキ工業技術学校を設立した。また、1999年にはペルーで開催された『NHKのど自慢』にゲスト出演している。
2011年の東日本大震災の後、何度か被災地に訪れて様々な支援活動を行った[注釈 11]。また、体育館で避難所暮らしをする被災者のために、当時の八代市長や市内の畳業者[36]の協力を得て数千枚の畳を宮城県石巻市や東松島市などに届けた[35][34]。
2016年4月に故郷で起きた熊本地震の後、被災地での無料コンサートへの参加や義援金を渡すなどの支援活動を行った[37]。
故郷での社会貢献活動
2002年に八代市の商工会議所などを中心とした「八代亜紀と共に明日の八代をつくる会」が発足し[11]、八代市の活性化を考える会合などに参加していた[38]。この会をきっかけとして、八代はそれ以降熊本や八代市での社会貢献活動が増えた[11]。
八代市で毎年5月に開かれるウォーキングイベント「九州国際スリーデーマーチ」に、2002年から毎年ゲスト出演しており、会場で絵画展やトーク&ミニライブを行っていた[39]。また、2017年の大会では八代にちなんだ「八代亜紀絵画コース」(10km)というコースもあった[40]。
2003年から八代地域の活性化と地域づくりを目的とした「八代亜紀絵画コンクール」の名誉会長を務めている。同コンクールには、八代自らが選ぶ「八代亜紀大賞」、「八代亜紀賞」などの賞がある[41]。
2004年に熊本県の観光や物産をPRする「くまもと誘友大使」に就任した[42]の名誉大使の第1号に就任[11]。また、八代市をPRする「八代よかとこ大使」としても活動していた[38]。さらに2009年10月から熊本市親善大使に就任した[43]。
2012年に熊本県の文化に振興する活動を行った功績を讃えられ、「第22回くまもと県民文化賞」の特別賞を受賞した[44]。また、2015年には八代市から市民栄誉賞を受賞された[45]。
2019年11月、熊本で開かれた世界女子ハンドボール選手権の大会特別サポーターに就任し、同大会テーマソング「Hand in Hand~つなぐ想い~」の歌唱も担当した[46]。
多方面での活躍
1973年に「なみだ恋」が大ヒットした後、トラック運転手から“トラック野郎の女神”として絶大な支持を得るようになり、「八代観音」と呼ばれる八代の顔を模した観音の絵が描かれたトラックが出現した。これがきっかけとなり、1977年に当時大ヒットを飛ばしていた東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手「紅弁天」役で出演し、八代の曲「恋歌」が挿入歌として使用された。配給収入も10億9000万円を記録した。当時の「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)出演時に、実際に運転して撮影したと話している。
1994年、少年漫画『とっても!ラッキーマン』で「ラッキー・クッキー・八代亜紀」というギャグが使われている。同作がアニメ化した際に本人がオープニングとエンディングを担当し、「ラッキー・クッキー・八代亜紀」と歌い上げた。
2005年から2006年に放送された朝日放送(ABC)『トリハダ 〜感じるボロ〜ン〜』では、バラエティ番組のレギュラー司会を初めて担当した。
2012年に故郷である熊本県八代市に新設された熊本県立八代清流高等学校の新校歌制作を依頼され、「故郷の若者がふるさとを思い、愛する気持ちを持ってもらえれば」と快諾し、自ら作詞・作曲した校歌を贈った[47]。
2013年10月20日、日本のヘヴィメタルフェス『LOUD PARK13』で鉄色クローンXのライブに飛び入り参加した[48]。
2020年、前年より猛威を振るっている新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け、来場者の健康・安全を最優先と判断し、クラスターを発生させないため、公演の多くが延期もしくは中止を余儀なくされた[注釈 12]。コンサート再開に於いては、会場本来の収容人数よりも大きく座席数を減らし、客席間もいわゆるソーシャルディスタンスに準じて十分に間隔を取るなど細心の注意を払った[注釈 13]。2020年秋より、介護施設向けにオンラインライブを開始した。
その他エピソード
厚化粧のイメージがついて回っていた時期があり、ギャグのネタにされたり、嘉門達夫に「リバーサイドホテル」の替え歌で「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われるなどしていたが、彫りの深い顔立ちをしているだけで、実際の化粧は薄い[49][50]。八代はその後、化粧品のテレビCMにすっぴんで登場し、テレビ画面から嘉門に対して「ざまあ見ろ!」というセリフを発していた。八代がフジテレビ『志村けんのオレがナニしたのヨ?』に出演した際は、「リバーサイドホテル」をこの歌詞で歌ったことがある。2001年に発行された書籍「素顔」の帯にも、この文言がダブル・ミーニング的に使用されている[51]。ビートたけしもツービートとして、「(八代は)厚化粧で、笑うとヒビが入る」などのギャグを飛ばしていた[52]。
スタイルが抜群であり、2008年にギャルと渋谷で買い物をする番組に出演した際、ギャルたちにタイトな服を勧められると「私は胸が大きいからこの服は着られない」と発言した。スリーサイズは未公開。
「お酒はぬるめの燗がいい」「肴はあぶったイカでいい」という歌詞が冒頭に登場する「舟唄」を歌っている中、本人は「炙ったイカは好きなものの、酒は呑めない」とのこと[53][54]。
スター千一夜(フジテレビ)のパーティで王貞治と話した際に、彼が846号目の本塁打をいつ打つか聞き、実際に打った後にそのときのバットが王から贈られた[55]。号数は語呂合わせで「やしろ」となることとかけており[56]、八代は礼として王の肖像画を描いて贈った[55]。
「舟唄」は多くの歌手にカバーされている。梶原しげるがイングリッシュ演歌としてカバーした他、2006年にボスのCMでトミー・リー・ジョーンズが歌い話題になった。八代本人も2001年に発売したアルバム『MOOD』では同曲をラップ調にアレンジして歌っている。
学園モノのコメディ漫画『ハイスクール!奇面組』の1コマにおいて、八代の名前を使ったダジャレ「三畳紀 ジュラ紀 白亜紀 八代亜紀」というものが登場する[注釈 14]。
1994年に元歌手でマネージャーだった男性と結婚した。父の助言で八代からプロポーズしたという。2021年1月に離婚した[1][58]。
2006年1月6日、タイヨーエレックのパチンコ台「CR 演歌の歌姫 八代亜紀」が稼動した。
2010年3月1日、リーガロイヤルホテル大阪で行われた大村崑の金婚式にサプライズゲストとして登場し、来場者を驚かせた。
芸能界きっての猫好きで、自らも猫を飼っている。保護猫歴60年と猫の扱い方は玄人だった。愛猫の絵を描いたこともある[59]。
俳優の新田純一とは公私ともに親しい関係で、ラジオや配信番組などでも共演機会が多かった。新田の妻が八代のヘアメイクを長年担当していており、八代が前述の療養の際には入院先の病室に入れる関係者を限っていたが、新田の妻は事務所スタッフらと共に、ほぼ付きっきりで寄り添ったという。新田は八代の危篤の報を受けて駆け付けており、臨終も夫妻で看取っている[60]。
受賞歴
ディスコグラフィ
シングル
# |
発売日 |
A/B面 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
オリコン 最高順位 |
規格品番
|
1
|
1971年 9月25日 |
A面 |
愛は死んでも
|
池田充男
|
野崎真一
|
伊藤雪彦
|
-
|
SN-1170
|
B面 |
赤坂はせつなくて
|
2
|
1972年 1月25日 |
A面 |
別れてあなたを |
悠木圭子
|
鈴木淳
|
森岡賢一郎
|
SN-1206
|
B面 |
淋しい朝 |
あきらはるお
|
3
|
1972年 10月25日 |
A面 |
恋街ブルース
|
悠木圭子
|
小谷充
|
88位
|
SN-1282
|
B面 |
ドアーを叩いて
|
4
|
1973年 2月5日 |
A面 |
なみだ恋
|
12位
|
SN-1300
|
B面 |
雨のカフェテラス |
二条冬詩夫
|
5
|
1973年 6月1日 |
A面 |
おんなの涙
|
悠木圭子
|
伊藤雪彦
|
17位
|
SN-1310
|
B面 |
未練恋
|
6
|
1973年 10月1日 |
A面 |
女ごころ |
千家和也
|
19位
|
SN-1333
|
B面 |
過去
|
悠木圭子 |
小谷充
|
7
|
1974年 1月25日 |
A面 |
しのび恋 |
伊藤雪彦
|
13位
|
SN-1377
|
B面 |
みれん雨 |
野本高平
|
伊藤雪彦
|
-
|
1974年
|
A面
|
長崎はみなと町
|
二条冬詩夫
|
-
|
SN-1381
|
B面
|
霧の摩周湖
|
水島哲
|
平尾昌晃
|
伊藤雪彦
|
-
|
1974年
|
A面
|
ひとり花
|
中山寛
|
野崎真一
|
-
|
SN-1382
|
B面
|
恋あざみ
|
泉淳三
|
彩木雅夫
|
-
|
1974年
|
A面
|
船は行く
|
吉田旺
|
-
|
SN-1383
|
B面
|
あなたのブルース
|
藤本卓也
|
8
|
1974年 5月25日 |
A面 |
愛ひとすじ
|
川内康範
|
北原じゅん
|
小谷充
|
10位
|
SN-1397
|
B面 |
別れのフェリーボート
|
9
|
1974年 9月25日 |
A面 |
愛の執念
|
伊藤雪彦
|
9位
|
SN-1417
|
B面 |
悲しい夢
|
10
|
1975年 1月25日 |
A面 |
おんなの夢
|
悠木圭子
|
鈴木淳 |
馬場良
|
3位
|
SN-1433
|
B面 |
雨の港町 |
竹村次郎
|
11
|
1975年 5月25日 |
A面 |
ともしび |
竜崎孝路
|
10位
|
SN-1451
|
B面 |
最終列車
|
鈴木淳
|
12
|
1975年 9月25日 |
A面 |
貴方につくします
|
SN-1474
|
B面 |
わかれ雨
|
13
|
1975年 10月25日 |
A面 |
愛していません |
ジェームス三木
|
野崎真一
|
伊藤雪彦
|
48位
|
SN-1480
|
B面 |
命つくして |
朝倉一雄
|
14
|
1976年 1月25日 |
A面 |
花水仙
|
池田充男 |
浜圭介
|
14位
|
SN-1494
|
B面 |
白い桟橋
|
伊藤雪彦
|
15
|
1976年 5月25日 |
A面 |
ふたりづれ
|
15位
|
RS-6
|
B面 |
霧笛
|
16
|
1976年 7月25日 |
A面 |
夢魔のブルース
|
川内康範
|
北原じゅん
|
小谷充
|
69位
|
RS-12
|
B面 |
かくれ妻
|
17
|
1976年 9月25日 |
A面 |
もう一度逢いたい |
山口洋子 |
野崎真一 |
竜崎孝路
|
9位
|
RS-22
|
B面 |
女の燈台 |
小島高志 |
広崎竜二 |
伊藤雪彦
|
18
|
1976年 11月25日 |
A面 |
あい逢い横丁 |
ジェームス三木
|
いずみたく
|
親泊正昇
|
87位
|
RS-37
|
B面 |
かげろうの唄 |
山川啓介
|
19
|
1977年 2月5日 |
A面 |
おんな港町 |
二条冬詩夫
|
伊藤雪彦
|
13位
|
RS-46
|
B面 |
盛り場
|
池田充男
|
20
|
1977年 5月25日 |
A面 |
恋歌
|
16位
|
RS-66
|
B面 |
迷い |
鳥井実 |
浜圭介 |
若草恵
|
21
|
1977年 8月5日 |
A面 |
愛されてみたい |
小野朱美
|
遠藤実
|
斉藤恒夫
|
50位
|
RS-80
|
B面 |
夜の顔 |
荒川利夫
|
22
|
1977年 9月25日 |
A面 |
愛の終着駅
|
池田充男
|
野崎真一 |
竹村次郎
|
13位
|
RS-85
|
B面 |
なみだの艶歌 |
伊藤雪彦
|
23
|
1977年 11月25日 |
A面 |
おんな橋
|
梅林貴久生
|
菊池俊輔
|
-
|
RS-100
|
B面 |
もう泣きません
|
24
|
1978年 1月25日 |
A面 |
愛の條件
|
川内康範
|
北原じゅん
|
小谷充
|
21位
|
RS-105
|
B面 |
ひとり寝
|
25
|
1978年 5月25日 |
A面 |
哀歌
|
谷村新司 |
竹村次郎
|
20位
|
RS-123
|
B面 |
ボンボヤージ |
小谷充
|
26
|
1978年 9月25日 |
A面 |
故郷へ… |
池田充男 |
野崎真一 |
竹村次郎
|
26位
|
RS-135
|
B面 |
愛の歳月 |
杉紀彦 |
弦哲也 |
伊藤雪彦
|
27
|
1979年 1月25日 |
A面 |
涙の朝
|
悠木圭子
|
鈴木淳
|
馬場良
|
17位
|
RS-151
|
B面 |
ながれ花
|
28
|
1979年 5月25日 |
A面 |
舟唄
|
阿久悠 |
浜圭介
|
竜崎孝路
|
15位
|
RS-165
|
B面 |
長いプラットホーム |
中村泰士
|
29
|
1979年 9月25日 |
A面 |
女だから
|
悠木圭子
|
鈴木淳 |
馬場良
|
27位
|
RS-180
|
B面 |
あなたの子守唄 |
小杉仁三
|
30
|
1980年 4月25日 |
A面 |
雨の慕情
|
阿久悠
|
浜圭介
|
竜崎孝路
|
9位
|
RS-195
|
B面 |
男と女・酒と歌
|
31
|
1980年 9月10日 |
A面 |
港町絶唱
|
28位
|
RS-220
|
B面 |
死ぬほど愛して
|
32
|
1981年 2月5日 |
A面 |
女の街角 |
悠木圭子
|
鈴木淳
|
斉藤恒夫
|
23位
|
RE-510
|
B面 |
私にお世話を… |
池田充男
|
33
|
1981年 4月25日 |
A面 |
あなたに逢いたい
|
五木寛之 |
弦哲也
|
竜崎孝路
|
41位
|
RE-524
|
B面 |
たそがれの歩道橋 |
呼子雅彦
|
34
|
1981年 7月10日 |
A面 |
女心は港の灯
|
山口洋子
|
弦哲也
|
京建輔
|
48位
|
RE-530
|
B面 |
港は日暮れ
|
35
|
1981年 10月5日 |
A面 |
うしろ影
|
北原じゅん
|
竜崎孝路
|
50位
|
RE-540
|
B面 |
なみだ俱楽部
|
36
|
1981年 12月20日 |
A面 |
はまなすの花が咲いたら
|
岡本おさみ
|
樋口康雄
|
-
|
RE-543
|
B面 |
黒い髪
|
37
|
1982年 4月5日 |
A面 |
あなたと生きる
|
五島新
|
森安俊行
|
斉藤恒夫
|
34位
|
7AC-0001
|
B面 |
銀座海峡
|
38
|
1982年 8月21日 |
A面 |
海猫 |
高橋直人 |
小林学
|
竜崎孝路
|
43位
|
7AC-0004
|
B面 |
さいごの恋人 |
杉紀彦 |
曽根幸明
|
39
|
1982年 10月21日 |
A面 |
いい顔になったね
|
八代亜紀
|
斉藤恒夫
|
-
|
7AC-0005
|
B面 |
新宿情話 |
みなみらんぼう |
八代亜紀
|
40 |
A面 |
うれし泣き
|
八代亜紀 |
竜崎孝路
|
7AC-0006
|
B面 |
新宿螢 |
斉藤恒夫
|
41 |
A面 |
夜更けの二人[注釈 15] |
竜崎孝路
|
7AC-0007
|
B面 |
北海おんな節 |
高田宏治
|
立花亮
|
42
|
1983年 1月21日 |
A面 |
積木の城
|
なかにし礼
|
浜圭介
|
竜崎孝路
|
7AC-0008
|
B面 |
異国の人
|
43
|
1983年 3月20日 |
A面 |
なみだ川 |
荒木とよひさ
|
三木たかし
|
45位
|
7AC-0010
|
B面 |
只今恋のド真中 |
里村龍一 |
野崎真一 |
竹村次郎
|
44
|
1983年 5月21日 |
A面 |
ブルーレイン大阪 |
荒木とよひさ
|
浜圭介
|
馬飼野俊一
|
61位
|
7AC-0013
|
B面 |
夢ならさめないで |
水木れいじ
|
45
|
1983年 8月21日 |
A面 |
日本海
|
阿久悠 |
大野克夫 |
三木たかし
|
79位
|
7AC-0014
|
B面 |
おんな北帰行 |
浜圭介 |
竜崎孝路
|
46
|
1983年 10月21日 |
A面 |
恋の彩
|
麻生香太郎
|
藤本卓也
|
-
|
7AC-0017
|
B面 |
想い出涙色
|
47
|
1984年 2月21日 |
A面 |
ふたりの夢 |
悠木圭子 |
鈴木淳 |
斉藤恒夫
|
57位
|
7AC-0020
|
B面 |
粉雪の手紙
|
池田充男
|
野崎真一
|
竹村次郎
|
48
|
1984年 5月21日 |
A面 |
涙の最終列車
|
69位
|
7AC-0022
|
B面 |
陸の船乗り -ロンサム ロード- |
山口洋子 |
中村泰士 |
川村栄二
|
49 |
A面 |
夢待草 |
荒川利夫 |
聖川湧 |
竹村次郎
|
-
|
7AC-0023
|
B面 |
恋慕夜曲 |
吉田旺 |
浜圭介 |
馬飼野俊一
|
50
|
1984年 10月5日 |
A面 |
恋瀬川 |
秋野めぐみ |
竹田賢 |
斉藤恒夫
|
52位
|
7AC-0031
|
B面 |
愛夢 |
山口洋子 |
中村泰士 |
川村栄二
|
51
|
1985年 4月5日 |
A面 |
愛しても今は他人
|
石本美由起
|
遠藤実
|
斉藤恒夫
|
86位
|
7AC-0034
|
B面 |
裏町しぐれ
|
52
|
1985年 9月21日 |
A面 |
命火 |
石原信一 |
浜圭介 |
竜崎孝路
|
79位
|
7AC-0043
|
B面 |
おんなの情念 |
秋野めぐみ |
竹田賢 |
小谷充
|
53
|
1986年 8月22日 |
A面 |
港町純情 |
水木かおる
|
鈴木淳
|
池多孝春
|
87位
|
AH-760
|
B面 |
あなたの噓 |
鳥井実
|
54
|
1987年 4月1日 |
A面 |
竜二
|
吉岡治
|
三木たかし |
川口真
|
84位
|
AH-817
|
B面 |
うぬぼれ鏡 |
佐藤寛
|
55 |
A面 |
砂の城 |
川口真
|
-
|
AH-818
|
B面 |
あばよ港町 |
佐藤寛
|
56
|
1987年 9月21日 |
A面 |
恋は火の川 |
池田充男
|
徳久広司
|
京建輔
|
49位
|
AH-863
|
B面 |
紅歌 |
石原信一
|
57
|
1988年 4月1日 |
A面 |
かもめの歌
|
阿久悠
|
浜圭介 |
馬飼野俊一
|
-
|
AH-930
|
B面 |
北都の女 |
桜庭伸幸
|
58
|
1988年 6月1日 |
A面 |
最終ひかり |
沢ひとし |
大船わたる |
かみたかし
|
AH-937
|
B面 |
こころうた |
曽我部博士 |
荒木圭男 |
前田俊明
|
59
|
1988年 9月1日 |
A面 |
冬の恋歌
|
阿久悠
|
浜圭介
|
馬飼野俊一
|
AH-974
|
B面 |
野暮
|
60
|
1989年 2月10日 |
01 |
下町 夢しぐれ
|
石本美由起
|
岡千秋
|
佐伯亮
|
49位
|
12CA-8153
|
02 |
信濃路の里
|
61
|
1990年 2月10日 |
01 |
花 (ブーケ) 束
|
阿久悠 |
服部克久 |
服部隆之
|
67位
|
CA-8390
|
02 |
たそがれ東京 |
服部良一 |
服部克久
|
62
|
1991年 2月21日 |
01 |
カクテル
|
川口真
|
若草恵
|
-
|
CODA-8666
|
02 |
接吻
|
63
|
1991年 8月21日 |
01 |
愛を信じたい
|
秋元康
|
中崎英也
|
川村栄二
|
CODA-8787
|
02 |
酒占い
|
64
|
1991年 10月1日 |
01 |
熱海あたりで[注釈 16] |
林哲司 |
服部隆之
|
CODA-8798
|
02 |
はっけよい |
高橋研 |
若草恵
|
65
|
1992年 4月10日 |
01 |
雪のれん
|
松井由利夫
|
遠藤実
|
佐伯亮
|
89位
|
CODA-9
|
02 |
風紋
|
66
|
1993年 3月21日 |
01 |
カラス |
岡田冨美子 |
浜圭介 |
若草恵
|
-
|
CODA-168
|
02 |
「思秋」奥嵯峨 |
MAKI |
竹田賢 |
桜庭伸幸
|
67
|
1994年 3月21日 |
01 |
あかんたれ |
もず唱平
|
弦哲也
|
前田俊明
|
94位
|
CODA-397
|
02 |
あなただけ |
石坂まさを
|
68
|
1994年 5月21日 |
01 |
ラッキーマンの歌 |
ガモウひろし
|
佐瀬寿一
|
矢野立美
|
-
|
CODC-426
|
02 |
恋はブーガ |
高田ひろお
|
69
|
1995年 3月21日 |
01 |
とおりゃんせ
|
悠木圭子
|
鈴木淳
|
竜崎孝路
|
91位
|
CODA-606
|
02 |
女は花になれ
|
70
|
1996年 2月21日 |
01 |
あんた逢いに来い |
麻こよみ |
西峰卓矢 |
前田俊明
|
-
|
CODA-883
|
02 |
夢のあとさき |
建石一 |
伊藤雪彦 |
若草恵
|
71
|
1996年 10月19日 |
01 |
泡沫〜UTAKATA〜
|
野村万之丞 |
竜崎孝路
|
CODA-1024
|
02 |
(大河ドラマバージョン)
|
野村万之丞
|
72
|
1997年 1月21日 |
01 |
ミスター サムシング ブルー
|
湯川れい子
|
長谷川智樹
|
CODA-1146
|
02 |
Sentimental Boat to Heaven |
鴨宮諒 |
長谷川智樹
|
73
|
1997年 5月21日 |
01 |
ほんね |
たかたかし |
杉本真人 |
矢野立美
|
CODA-1237
|
02 |
桜吹雪の中で
|
松本比呂 |
若草恵
|
74
|
1997年 11月1日 |
01 |
男はつらいよ |
星野哲郎 |
山本直純 |
山本純ノ介
|
CODA-1343
|
02 |
さよならあんた
|
河島英五 |
川口真
|
75
|
1998年 3月21日 |
01 |
盛り場流れ唄
|
悠木圭子
|
鈴木淳
|
池多孝春
|
CODA-1457
|
02 |
きずな
|
76
|
1998年 9月19日 |
01 |
あなたに乾盃 |
竜崎孝路
|
CODA-1622
|
02 |
おもかげ
|
前田俊明
|
77
|
1999年 3月20日 |
01 |
風のブルース |
吉田旺 |
杉本眞人
|
CODA-1717
|
02 |
紅の花 |
秋野めぐみ |
竹田賢
|
78
|
2000年 2月19日 |
01 |
朧月夜
|
阿久悠
|
弦哲也
|
CODA-1827
|
02 |
ひまわりワルツ
|
79 |
01 |
グアム慕情 |
ひさとみまこと
|
中谷靖之助 |
CODA-1838
|
80
|
2000年 8月19日 |
01 |
あなたの背中に
|
阿久悠
|
杉本眞人 |
南郷達也
|
CODA-1891
|
02 |
ステーションホテル24時 |
竜崎孝路
|
81
|
2001年 3月17日 |
01 |
これからがある |
もず唱平
|
伊藤雪彦 |
伊戸のりお
|
CODA-1938
|
02 |
愛の影 |
水木れいじ |
川口真
|
82
|
2001年 7月25日 |
01 |
あした天気になーれ[注釈 17] |
もず唱平 |
大谷明裕 |
伊戸のりお
|
CODA-1984
|
02 |
Memorie's |
西森三紗 |
亜乃庸
|
竜崎孝路
|
83
|
2002年 2月21日 |
01 |
友の焼酎
|
いではく
|
大谷明裕
|
CODA-2024
|
02 |
冬の鷗 |
桜庭伸幸
|
84
|
2002年 10月19日 |
01 |
哀しみよ隣りで眠れ |
荒木とよひさ |
徳久広司 |
伊戸のりお
|
69位
|
CODA-2063
|
02 |
友の焼酎 |
いではく |
大谷明裕
|
竜崎孝路
|
85
|
2003年 4月2日 |
01 |
裸足のシンデレラ |
悠木圭子
|
鈴木淳
|
129位
|
CODA-2095
|
02 |
春夏秋冬ふられ節[注釈 18]
|
荒木とよひさ |
伊戸のりお
|
86
|
2003年 7月23日 |
01 |
新宿なみだ町
|
川村栄二
|
84位
|
COCA-15501
|
02 |
昭和の灯り
|
87
|
2004年 4月21日 |
01 |
新宿なみだ町
|
-
|
COCA-15661
|
02 |
おのれ道 |
渡邊智央 |
一色真実 |
長谷川智樹
|
88
|
2004年 7月21日 |
01 |
不知火酒 |
荒木とよひさ |
聖川湧 |
石倉重信
|
77位
|
COCA-15682
|
02 |
愛を信じたい |
秋元康 |
中崎英也 |
川村栄二
|
89
|
2005年 3月23日 |
01 |
不知火情話 |
荒木とよひさ |
岡千秋 |
南郷達也
|
66位
|
COCA-15744
|
02 |
生まれ変わる朝 |
八代亜紀
|
長谷川智樹
|
90
|
2005年 9月21日 |
01 |
白い花
|
YANCY
|
-
|
COCA-15798
|
02 |
空に星があるように
|
荒木一郎 |
YANCY
|
91
|
2006年 1月18日 |
01 |
骨までしびれるブルースを |
荒木とよひさ |
水森英夫 |
矢野立美
|
104位
|
COCA-15832
|
02 |
最後の女 |
秋野めぐみ |
竹田賢 |
前田俊明
|
92
|
2006年 8月23日 |
01 |
女心と秋の空
|
所ジョージ
|
石倉重信
|
109位
|
COCA-15919
|
02 |
お酒を飲んで…
|
93
|
2007年 2月21日 |
01 |
鰻谷
|
河島英五 |
河島翔馬
|
179位
|
COCA-15959
|
02 |
月の花まつり |
若草恵
|
94
|
2007年 7月18日 |
01 |
立ち呑み『小春』 |
もず唱平 |
円広志 |
前田俊明
|
105位
|
COCA-16002
|
02 |
悲しみの法則
|
BORO |
矢野立美
|
95
|
2008年 2月20日 |
01 |
役者 |
たきのえいじ |
大谷明裕 |
竜崎孝路
|
100位
|
COCA-16063
|
02 |
宗谷岬
|
松山千春 |
石倉重信
|
96
|
2008年 5月21日 |
01 |
東京音頭〜Remixed by J.P.〜 |
西條八十 |
中山晋平
|
J.P.
|
-
|
COCA-16081
|
02 |
東京ブギウギ〜Remixed by J.P.〜 |
鈴木勝 |
服部良一
|
03
|
東京音頭(正調)
|
西條八十
|
中山晋平
|
石倉重信
|
97
|
2008年 9月24日 |
01 |
昭和の歌など聴きながら
|
荒木とよひさ
|
徳久広司 |
石倉重信
|
88位
|
COCA-16182
|
02 |
漢江の月 |
前田俊明
|
98
|
2009年 9月16日 |
01 |
純情カプチーノ
|
岡田冨美子
|
竜崎孝路
|
54位
|
COCA-16291
|
02 |
女の予感
|
99
|
2010年 4月7日 |
01 |
一枚のLP盤
|
荒木とよひさ |
杉本眞人 |
宮崎慎二
|
61位
|
COCA-16349
|
02 |
昭和の歌など聴きながら |
徳久広司 |
石倉重信
|
03 |
CRY ME A RIVER
|
Arthur Hamilton |
京建輔
|
100
|
2011年 1月19日 |
01 |
人生の贈りもの |
吉元由美 |
都志見隆 |
矢野立美
|
93位
|
COCA-16438
|
02 |
一枚のLP盤 |
荒木とよひさ |
杉本眞人 |
宮崎慎二
|
03 |
愛を信じたい |
秋元康 |
中崎英也 |
川村栄二
|
101
|
2011年 10月19日 |
01 |
デスティニーラブ |
石原信一 |
徳久広司
|
矢野立美
|
65位
|
COCA-16519
|
02 |
人生の贈りもの |
吉元由美 |
都志見隆
|
102
|
2012年 5月30日 |
01 |
クレオパトラの夢[注釈 19] |
ちあき哲也 |
鈴木キサブロー |
宮崎慎二
|
103位
|
COCA-16607
|
02 |
あの日の昭和がここにある |
鳥井実 |
大谷明裕 |
石倉重信
|
103
|
2012年 11月21日 |
01 |
この広い宇宙のかなたで |
高嶋渉 |
ゲール語民謡 |
間宮工
|
-
|
COCA-16669
|
02 |
この素晴らしき世界 |
鈴木博文 |
G.Douglas G.D.Weiss |
YANCY
|
104
|
2012年 12月5日 |
01 |
追憶の面影橋 |
喜多條忠 |
鈴木淳 |
竜崎孝路
|
143位
|
COCA-16670
|
02 |
五月雨の道 |
岡田冨美子 |
中崎英也
|
若草恵
|
105
|
2013年 10月23日 |
01 |
MU-JO |
伊藤薫 |
M.Friedman
|
106位
|
COCA-16771
|
02 |
愛しすぎる女 |
吉元由美
|
クリヤ・マコト
|
03 |
残心 |
渡辺淳一 |
浜圭介 |
竜崎孝路
|
04 |
赤い街 |
さくらももこ |
松雪陽 |
小林信吾
|
106
|
2014年 10月22日 |
01 |
心をつなぐ10円玉 |
かず翼 |
杉本眞人 |
矢野立美
|
83位
|
COCA-16930
|
02 |
あなたにありがとう |
小川容子
|
若草恵
|
03 |
五月雨の道 |
岡田冨美子 |
中崎英也
|
若草恵
|
107
|
2016年 10月19日 |
01 |
JAMAAS 真実はふたつ
|
伊藤薫 |
G.Jargalsaikhan
|
-
|
COCA-17230
|
02 |
みんな、こどもだった |
重実博
|
108
|
2020年 3月11日 |
01 |
明日に生きる愛の歌 |
悠木圭子 |
鈴木淳
|
鎌田雅人
|
152位
|
TYCT-30104
|
02 |
ワタシウタ
|
カタヤマケイジ
|
03 |
舟唄 (ピアノ・バラードVer.) |
阿久悠 |
浜圭介 |
武部聡志
|
109
|
2020年 12月9日 |
01 |
居酒屋「昭和」 |
中山正好 |
八代亜紀 大谷明裕 |
竹内弘一
|
58位
|
TYCT-30118
|
02 |
月ノ小舟 |
竹内清訓
|
八代亜紀
|
鎌田雅人
|
110
|
2023年 3月15日 |
01 |
想い出通り |
悠木圭子
|
-
|
TYCT-30136
|
02 |
六条御息所の恋[注釈 20] |
相田毅 |
相田毅 周防泰臣 |
周防泰臣
|
03 |
Le Portrait |
鮎川めぐみ |
C.Gioacchino |
-
|
04 |
なみだ恋2023 |
悠木圭子 |
鈴木淳 |
鎌田雅人
|
デュエット・シングル
アルバム
※オリコン100位内にチャート・インした作品のみ掲載
発売日
|
タイトル
|
最高位 (LP)
|
最高位 (CT)
|
最高位 (総合)
|
1973年3月1日 1994年10月21日 (CD) |
なみだ恋 |
35位 |
- |
-
|
1973年7月1日 |
おんなの涙 |
21位 |
- |
-
|
1973年9月1日 |
演歌ごころ |
41位 |
- |
-
|
1973年10月25日 |
女ごころ |
24位 |
- |
-
|
1973年11月25日 |
演歌の旅路 |
58位 |
- |
-
|
1974年2月5日 |
演歌ごころ〜花と蝶 |
55位 |
- |
-
|
1974年5月25日 |
ゴールデンスター・ツイン・デラックス |
13位 |
- |
-
|
1974年6月25日 |
愛ひとすじ |
8位 |
8位 |
-
|
1974年8月25日 |
オン・ステージ |
8位 |
12位 |
-
|
1974年10月25日 |
ベスト歌謡16 |
5位 |
- |
-
|
1974年11月1日 |
八代亜紀 |
- |
1位 |
-
|
1974年11月25日 |
愛の執念 |
66位 |
- |
-
|
1975年1月25日 |
愛・12章/おんなの夢 |
17位 |
14位 |
-
|
1975年2月25日 |
八代亜紀リサイタル I |
30位 |
11位 |
-
|
1975年3月1日 |
大ヒット曲集 |
- |
1位 |
-
|
1975年6月1日 |
ともしび |
- |
2位 |
-
|
1975年6月25日 |
ベスト歌謡16 |
19位 |
- |
-
|
1975年8月25日 |
八代亜紀が歌う不滅の演歌 |
42位 |
- |
-
|
1975年9月1日 |
昭和流し唄 |
- |
22位 |
-
|
1975年10月25日 |
ベスト歌謡16/貴方につくします |
10位 |
- |
-
|
1975年11月1日 |
全曲集 |
- |
1位 |
-
|
1975年11月25日 |
影を慕いて |
59位 |
- |
-
|
1976年1月25日 |
花水仙 |
19位 |
8位 |
-
|
1976年2月25日 |
いつの日も歌を |
60位 |
- |
-
|
1976年4月25日 |
大ヒット16曲 |
- |
5位 |
-
|
1976年4月25日 |
演歌熱唱 |
67位 |
- |
-
|
1976年6月25日 |
ベスト歌謡30 |
34位 |
- |
-
|
1976年7月25日 |
ふたりづれ |
44位 |
- |
-
|
1976年7月25日 |
演歌大全集 |
- |
11位 |
-
|
1976年10月25日 |
もう一度逢いたい |
28位 |
- |
-
|
1976年11月1日 |
スーパー・デラックス20 |
- |
2位 |
-
|
1976年11月25日 |
ヒット歌謡ベスト30 |
36位 |
- |
-
|
1977年1月25日 2014年10月22日 (CD) |
熱唱 八代亜紀リサイタル |
41位 |
35位 |
-
|
1977年3月5日 |
全曲集 |
- |
2位 |
-
|
1977年3月25日 |
おんな港町 |
42位 |
- |
-
|
1977年5月25日 |
ヒット歌謡ベスト30 |
49位 |
- |
-
|
1977年6月25日 |
激唱 |
90位 |
- |
-
|
1977年7月25日 |
恋歌 |
- |
12位 |
-
|
1977年7月25日 |
愛されてみたい |
43位 |
- |
-
|
1977年10月25日 |
スター・ゴールデン・デラックス |
- |
2位 |
-
|
1977年10月25日 |
オリジナル・スーパーヒット16 |
8位 |
- |
-
|
1977年11月25日 |
愛の終着駅 |
99位 |
- |
-
|
1978年1月25日 2014年10月22日 (CD) |
五周年記念リサイタル 燃えて翔べ |
86位 |
- |
-
|
1978年2月25日 |
絶え間なき愛の流れ |
82位 |
69位 |
-
|
1978年4月25日 |
華麗なる女心 |
73位 |
59位 |
-
|
1978年6月25日 |
哀歌 |
74位 |
- |
-
|
1978年10月25日 |
ベストセレクト20 |
- |
4位 |
-
|
1978年10月25日 |
オリジナル・ベスト |
37位 |
- |
-
|
1978年11月25日 |
八代亜紀 |
65位 |
- |
-
|
1979年1月25日 |
八代亜紀リサイタル 愛の季節…そして、亜紀はまだひとり… |
- |
76位 |
-
|
1979年2月25日 |
涙の朝 |
46位 |
8位 |
-
|
1979年4月25日 |
永遠のヒット全曲集 |
- |
10位 |
-
|
1979年5月25日 |
舟唄 |
52位 |
9位 |
-
|
1979年10月25日 |
スーパースター ビッグヒット20 |
- |
4位 |
-
|
1979年10月25日 |
オリジナルベスト |
46位 |
- |
-
|
1979年11月25日 |
演歌 |
- |
43位 |
-
|
1979年11月25日 |
オリジナルヒット30 |
59位 |
- |
-
|
1980年1月25日 2013年8月21日 (CD) |
八代亜紀リサイタル'79 〜私の愛する演歌〜 |
- |
38位 |
-
|
1980年4月25日 |
演歌全曲集 |
- |
26位 |
-
|
1980年5月25日 |
全曲集 |
- |
4位 |
-
|
1980年5月25日 |
雨の慕情 |
40位 |
- |
-
|
1980年6月25日 |
大全集 |
78位 |
- |
-
|
1980年10月25日 |
ワイド・デラックス20 |
- |
3位 |
-
|
1980年10月25日 |
オリジナルベスト16 |
34位 |
- |
-
|
1980年11月25日 |
演歌流し唄 |
- |
69位 |
-
|
1981年1月25日 2013年8月21日 (CD) |
八周年記念 八代亜紀リサイタル |
- |
64位 |
-
|
1981年2月25日 |
オリジナルヒット曲集 |
- |
17位 |
-
|
1981年5月25日 |
スーパースター・ヒット全曲集 |
- |
25位 |
-
|
1981年10月25日 |
ビッグヒット |
- |
47位 |
-
|
1982年5月21日 |
あなたと生きる |
- |
54位 |
-
|
1982年7月25日 |
全曲集 |
- |
54位 |
-
|
1982年9月21日 |
海猫 |
- |
62位 |
-
|
1983年2月21日 |
ヒット歌謡20 なみだ川 |
- |
57位 |
-
|
1983年6月21日 |
ブルーレイン大阪 |
- |
57位 |
-
|
1984年3月21日 |
ふたりの夢 |
- |
65位 |
-
|
1984年11月5日 |
全曲集 |
- |
68位 |
-
|
1990年10月25日 |
全曲集 |
- |
92位 |
-
|
1991年10月25日 |
全曲集 |
- |
64位 |
-
|
2012年10月10日 |
夜のアルバム |
- |
- |
20位
|
2015年10月28日 |
哀歌 -aiuta- |
- |
- |
80位
|
2017年10月11日 |
夜のつづき |
- |
- |
69位
|
近年のオリジナル、ライブ、企画アルバム
発売日
|
タイトル
|
備考
|
1995年9月21日 |
色彩花変化 |
25周年記念アルバム。河島英五作詞作曲「月の花まつり」「さよならあんた」が新境地。 2007年にシングル化された「鰻谷」はこのアルバム用に書き下ろされ、お蔵入りになっていた。
|
1998年1月21日 2008年12月1日 |
八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 〜LIVE IN QUEST〜 |
1997年9月、原宿クエストホールで行った初のジャズ・ライヴを収録した18年振りのライヴ・アルバム。 往年のスタンダード・ナンバーを中心に、八代自身のヒット曲もジャズ調にアレンジ。 2008年に再発売された。
|
2000年1月21日 |
いい男 いい女 いい時代 |
30周年記念アルバム。阿久悠が監修、全曲の作詞を担当。 ダンチョネ節から始まり、ダンチョネ節で終わる構成になっており、当初アルバムタイトルは『THE 舟唄』であったが変更された。 後にシングル・カットされた「あなたの背中に」はシングルとは別バージョン。
|
2001年11月21日 2010年1月25日 |
MOOD |
南佳孝、大貫妙子、大沢誉志幸、かの香織などポップス系アーティストの書き下ろし9曲の他、 セルフカバーとしてラップ調の「舟唄」、R&B調の「愛を信じたい」、 カバー曲「UNCHAINED MELODY」「FLY ME TO THE MOON」を収録し、演歌色の無い意欲的な企画アルバム。 2010年にオンデマンドCDとして再発売された。
|
2005年6月22日 |
VOICE |
35周年記念ミニ・アルバム。アコースティック・サウンドで全編が優しい音色で統一されている。 「花(ブーケ)束」「生まれ変わる朝」も新アレンジで再録。「この素晴らしき世界」を日本語でカバー。 「白い花」は後にシングル・カット。
|
2007年9月19日 |
彩月〜いろどりづき〜 |
円広志、荒木とよひさ、BORO、美樹克彦、弦哲也、河島英五、松山千春など多彩なアーティストが楽曲を提供。 シングル候補になった曲を集めたアルバム。2008年2月「役者」をシングル・カット。
|
2010年8月18日 |
人生の贈り物 |
40周年記念オリジナル・アルバム。 杉本眞人、伊藤薫、弦哲也、さとう宗幸、都志見隆、吉元由美、鈴木淳などが楽曲を提供。 2011年1月、「人生の贈りもの」のボーカルを新たにレコーディングし直してシングル・カット。
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2012年10月10日 |
夜のアルバム |
小西康陽プロデュースによる初の本格ジャズ・アルバム。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「サマータイム」など全12曲収録。 ユニバーサルミュージックより発売され、世界75ヵ国に同時配信。
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2013年8月21日 |
夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク |
2013年3月27日、ニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドで行ったライブを完全収録した15年ぶりのライブ・アルバム。
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2015年10月28日 |
哀歌 -aiuta- |
寺岡呼人プロデュースの初のブルース・アルバム。アメリカのブルース5曲、日本のブルース3曲のカバーに、 THE BAWDIES、横山剣(クレイジーケンバンド)、中村中らの書き下ろしによる新曲4曲を含む全12曲収録。
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2017年10月11日 |
夜のつづき |
『夜のアルバム』に続くジャズ・アルバム第2弾。「帰ってくれたら嬉しいわ」「フィーヴァー」「黒い花びら」など全13曲収録。 同年11月1日には完全生産限定でアナログLPも発売。
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2021年9月25日 |
八代亜紀ベストヒット 〜ニューレコーディングス&ニューシングルズ〜 |
ヒット曲12曲の新録音にVirgin Music移籍後に発売されたシングル曲を収録したベスト・アルバム。
|
タイアップ曲
映像作品
発売日
|
タイトル
|
備考
|
1984年6月21日 |
八代亜紀の世界 艶歌・女を歌う |
|
1984年6月21日 |
八代亜紀の世界 旅・港を歌う |
|
1992年7月21日 |
演歌の花道 |
|
1992年11月21日 |
史上最大の歌謡ワンマンショー!! 熱唱!! 八代亜紀 22年の軌跡 |
2本組
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1995年12月1日 |
歌手生活25周年記念リサイタル 明日にむかって |
NHKホールで行われた25周年記念リサイタルを収録 司会: 玉置宏、ゲスト: 上沼恵美子
|
2006年1月18日 |
八代亜紀DVDコレクション |
PV(ビデオ・クリップ)集
|
2012年1月18日 |
歌人伝説〜八代亜紀〜 |
BSフジで放映された番組『歌人伝説』出演時のロングインタビューとスタジオライブを収録
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楽曲提供
書籍
出版年月
|
タイトル
|
出版社
|
備考
|
1980年11月 |
八代亜紀写真集 熱唱 燃えて哭く… |
双葉社 |
|
1980年11月 |
八代亜紀 不知火 |
スポニチ出版 |
石原信一著
|
1985年11月 |
私の命火 -35才自伝的エッセイ- |
主婦の友社 |
八代亜紀著
|
1986年4月 |
八代亜紀写真集 望郷 |
美・来人 |
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1989年12月 |
愛蔵版 燃える恋歌 |
東京新聞出版局 |
20周年記念・半生記
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1991年10月 |
亜紀、夢をありがとう |
KKロングセラーズ |
橋本タミ子(八代亜紀の実母)著
|
1995年11月 |
幻の恋に燃えて -八代亜紀 うたの風景- |
日本短波放送 |
木戸征治著 写真とエッセイ、対談を収録
|
2000年4月 |
みんな、こどもだった 八代亜紀抒情画物語 |
PARCO |
八代亜紀著 初画集
|
2001年11月 |
素顔 |
青春出版社 |
八代亜紀著 自叙伝
|
2007年12月 |
舟唄ビューティー |
アスコム |
初のビューティー・ブック
|
2009年6月 |
八代亜紀のゆる〜い3カ月骨盤ダイエット 二の腕・ウエストに効く雨降れウォーク |
幻冬舎 |
フジテレビ「どーも☆キニナル!」編著
|
2010年11月 |
八代亜紀物語 時流れて、今 |
西日本新聞社 |
浜口雅也著 西日本新聞連載をまとめて単行本化
|
NHK紅白歌合戦出場歴
1973年・第24回に初出場以来、1987年・第38回まで15年連続で出場した。その間にトリ3回(大トリ2回)、トップバッター1回を経験した。
1988年は選に漏れ、翌1989年・第40回に再出場するが、八代自身もベテラン歌手であるにもかかわらず、その後は大物が立ち並ぶ終盤からは外され、番組の前半に曲順が回されるなど曲順上冷遇されて、1994年に2度目の落選となった。
1999年に50回記念で懐メロ重視の選考となったことから2度目の再出場を果たし、その後3年連続で出演するが、多ジャンル化を目指した2002年の紅白で3度目の落選となった。以降は出場していない(2005年の紅白では『スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜』に「舟唄」「雨の慕情」が上位200曲内に入ったものの出場はなかった)。
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
座長公演
年
|
上演期間
|
劇場
|
タイトル
|
第一部演目
|
第二部演目
|
1980年 |
5月28日 - 6月1日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀8周年記念公演 |
越前おんな節 |
演歌! 八代亜紀のすべて
|
1981年 |
5月2日 - 10日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
不知火おんな節 |
いま燃える亜紀の世界
|
1982年 |
4月29日 - 5月9日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀10周年特別公演 |
北海おんな節 |
亜紀 燃える演歌
|
5月26日 - 30日 |
梅田コマ劇場
|
1983年 |
7月3日 - 13日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 夏木勲特別出演 |
昭和疾風おんな節 |
ヒット・パレード 亜紀 演歌の夏まつり
|
7月21日 - 31日 |
梅田コマ劇場
|
1984年 |
7月1日 - 15日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 夏木勲特別出演 |
日本海疾風おんな節 |
八代亜紀 この夏情熱!
|
7月 |
梅田コマ劇場
|
1985年 |
10月3日 - 28日 |
新宿コマ劇場 |
デビュー15周年 八代亜紀特別公演 |
火の国疾風おんな節 |
亜紀・いま艶花!
|
1986年 |
3月1日 - 26日 |
梅田コマ劇場
|
10月3日 - 28日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
越前無情 -おんな節シリーズ第7弾- |
昨日・今日・明日 演歌ひとすじ
|
1987年 |
5月6日 - 31日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 左幸子特別出演 |
うず潮慕情 -おんな節シリーズ第8弾- |
亜紀演歌 十八番歌いっぱなし
|
7月3日 - 28日 |
梅田コマ劇場
|
1988年 |
3月4日 - 29日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
津軽人情おんな節 |
ヒット・パレード 八代演歌 今・炎える女ごころ
|
8月 |
梅田コマ劇場
|
1989年 |
2月2日 - 27日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
関東疾風おんな節 |
ヒット・パレード 春一番! 八代演歌まっ盛り
|
5月4日 - 29日 |
梅田コマ劇場 |
浪花疾風おんな節 |
'89八代演歌まっ盛り
|
1990年 |
6月2日 - 27日 |
新宿コマ劇場 |
デビュー20周年記念 八代亜紀特別公演 |
不知火お雪旅暦 |
歌に魅せられ20年 今、更なる飛翔!!
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7月4日 - 29日 |
梅田コマ劇場
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1991年 |
3月1日 - 26日 |
梅田コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
母恋道中旅日記 |
ヒット・パレード 今、新たな演歌時代
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6月2日 - 28日 |
新宿コマ劇場
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1992年 |
1月2日 - 28日 |
梅田コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
春姿千両纏 |
初春に舞う 演歌吹雪!!
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3月1日 - 28日 |
新宿コマ劇場 |
春に舞う 演歌吹雪!!
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1993年 |
6月2日 - 27日 |
大阪・劇場飛天 |
八代亜紀奮闘公演 |
花暦照姫人生双六 |
ヒット・パレード 亜紀、飛天を翔ける!!
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9月2日 - 28日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
闇の華・剣の舞 |
総ざらえ! 今、華やかに亜紀演歌
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1994年 |
8月2日 - 28日 |
大阪・劇場飛天 |
八代亜紀奮闘公演 |
人情ばなし 恋泥棒 |
ヒット・パレード 演歌繚乱 亜紀の花道
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10月2日 - 28日 |
新宿コマ劇場 |
八代亜紀特別公演 |
望郷疾風おんな節 -五社英雄監督を偲び-
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1995年 |
1月2日 - 28日 |
名古屋・中日劇場 |
歌手生活25周年記念 八代亜紀特別公演 |
闇の華・剣の舞 |
歌い初め!絢爛演歌大絵巻
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11月2日 - 27日 |
新宿コマ劇場 |
おりん事件帳千両飛脚 |
あなたにありがとう、 そして今遥かなる歌の道!
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12月2日 - 25日 |
大阪・劇場飛天
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1997年 |
5月3日 - 26日 |
大阪・新歌舞伎座 |
八代亜紀特別公演 菅原文太特別出演 |
豚と真珠とおもろい夫婦 |
八代亜紀オンステージ
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2001年 |
9月1日 - 28日 |
新宿コマ劇場 |
二人のビッグステージ 千昌夫・八代亜紀 |
じゃぱにーずどりーむ 「あした天気にな〜れ」 |
ミリオンセラー 愛のヒットパレード
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2002年 |
3月1日 - 27日 |
梅田コマ劇場
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2003年 |
4月4日 - 28日 |
大阪・新歌舞伎座 |
新歌舞伎座特別企画 八代亜紀・神野美伽 多岐川舞子・林あさ美 |
女の春夏秋冬 ふられ節 |
グランド・フィナーレ
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出演
映画
劇場アニメ
テレビドラマ
ドキュメンタリー番組
- 八代亜紀 ブラジルで「にほんのうた」を歌う(BSジャパン、2012年12月30日)
- 人生指南紀行 女の横町 東京・人情編(NHK BSプレミアム、2014年8月20日) - ナレーション
- 人生指南紀行 女の横町 地方・旅情編(NHK BSプレミアム、2014年8月27日) - ナレーション
- 八代亜紀 ブルース、魂の叫び〜聖地メンフィス、ミシシッピ・ブルース街道へ〜(BSフジ、2015年11月13日)
バラエティ・教養番組
ラジオ番組
- ラジオ喫茶 八代(ラジオ日本、2012年10月1日 - 2016年3月28日)
- 八代亜紀 RADIO PALETTE〜音のアトリエ〜(JFN系、2013年10月 - 2018年3月)
- 今日も八代亜紀晴れ(かっぱFM)
- ムーンラウンジ八代(ラジオ日本、2016年4月4日 - 2023年12月)
CM
ほか多数
脚注
注釈
- ^ 特に浪曲は、親戚や近所の人が時々聞きに集まっていたほどであった。
- ^ また父は、自分たちより従業員たちの生活を優先して給料を払っていたことも困窮する理由となった[7]。
- ^ 具体的には、ジュリー・ロンドンのレコード裏のプロフィールに書かれていた、「アメリカのクラブ歌手で、一流のシンガーとして…」という文言を勘違いした。また、当時アメリカのクラブは、既に知名度のある歌手やダンサーのショービジネスの場とされる。一方日本のクラブは店のママなどを相手に中年の男性客などが酒に酔う場所で歌手が下積みの一環として歌うことが多かったとされ、意味が全く異なるとされる[7]。
- ^ 詳細は不明だが、本人によると「美人喫茶」という業種とのこと[13]。
- ^ ちなみに後日音楽学院にやって来たレコード会社の社員によりスカウトされる。しかしそれは歌手志望の若者を狙うレコードデビューを騙った詐欺で、「デビューさせてあげるから200万円用意しなさい」と言われ、八代は「結構です!」と断るということがあった[7]。
- ^ 本人は大人っぽい歌を歌ってはいたが、当時はまだ女の哀しみや男女の恋愛についてよく分かっておらず、「哀愁がある」と言われてもピンと来なかったとのこと[25]。
- ^ 八代によると、当時店のホステスたちは勤務時は素敵に見えたが、その多くは給料日に恋人にほとんどの金を持っていかれるなど辛い思いをしていたという。彼女たちから「世の中には私たちみたいな悲しみを背負った女性が沢山いるから、レコードを出してそういう人たちにもあきちゃんの歌を届けてあげてほしい」と言われた。
- ^ 夜行列車に乗って見知らぬ街で降りた後、地図を見ながらキャバレーを巡ってそこで歌ってレコードを売り歩いた。その頃は重いトランクを引いていたため、手は豆だらけになったという[13]。
- ^ 子供時代に生活が困窮していた中でも、人付き合いのいい母は多めに肉じゃがを作って近所におすそ分けした。また父は冬のある日ホームレスの男性を「外は寒いだろう」と約1ケ月間家に住まわせることもあった[25][13]。
- ^ 当時「なみだ恋」が大ヒットし、「無名歌手だった私のレコードを多くの人に買ってもらえて嬉しかった。世の中の人へのお礼に何か恩返しできないかしら」との考えから慰問活動を始めた。
- ^ 被災地での慰問コンサートの開催、全国各地のコンサート会場での義援金の呼びかけ、自身の絵画展の収益の一部を寄付する等[35]。
- ^ 詳しくは、「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」・「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」・「2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響」、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく休業を参照のこと。
- ^ 今後もこの方針は続け、新型インフルエンザ等対策特別措置法、新型インフルエンザ等対策特別措置法第24条第9項等に従う意向である。
- ^ この時は原始時代を舞台にした架空の話で、教師が主人公たち生徒に俳句を教える授業をし、その一例としてこのダジャレを言う[57]。
- ^ デュエット:増田登。
- ^ デュエット:桂三枝。
- ^ デュエット:千昌夫。
- ^ 八代と、神野美伽、多岐川舞子、林あさ美の4人による楽曲。
- ^ デュエット:小林旭。
- ^ 啖呵:玉川奈々福。
- ^ B面は、石原裕次郎の「泣き砂浜」。
- ^ May J. duet with 八代亜紀名義。
- ^ 八代亜紀とモモエ名義。
- ^ 八代亜紀 with みやぞん名義。
- ^ 八代と、吉永小百合、風間杜夫の3人による楽曲。一部上映館において全国合計2020枚限定で発売。
- ^ 懸賞用非売品CD『SOUL of FIRE』収録。
出典
関連項目
外部リンク
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第11回 - 第20回 (1969年 - 1978年) | |
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第21回 - 第30回 (1979年 - 1988年) | |
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第31回 - 第40回 (1989年 - 1998年) | |
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第41回 - 第50回 (1999年 - 2008年) | |
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第51回 - 第60回 (2009年 - 2018年) | |
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第61回 - (2019年 - ) | |
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注釈
第1回から第10回までは制定なし。第12回 は発表なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表 (ただし第32回に限り演歌・歌謡曲、ポップス、ロックの3部門に分けて発表した)。
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第1回 - 第10回 (1968年 - 1977年) | |
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第11回 - 第20回 (1978年 - 1987年) | |
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第21回 - 第30回 (1988年 - 1997年) | |
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第31回 - 第40回 (1998年 - 2007年) | |
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第41回 - 第50回 (2008年 - 2017年) | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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大: 大トリ |
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10代 | |
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20代 | |
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30代 | |
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40代 | |
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50代 | |
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特別 賞 | |
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*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 |