B.B.クィーンズ(ビービークィーンズ、英語: B.B.QUEENS)は、ビーイングが企画した音楽グループ[3]。
コーラス隊(B.B.クィーンズシスターズ)以外、同じレーベルのミュージシャンを集め結成。グループ名の由来は、所属事務所であるビーイングと当時の所属レコード会社であったBMGルームスの頭文字(後述の通り、ネガティブなイメージ回避のための後付け)で「B.B.」となるため、アメリカ合衆国のブルース歌手、B.B.キングをもじって「B.B.クィーンズ」とした。
また、仮歌歌手やスタジオミュージシャンなど通常陽の目を見ることのない裏方の寄せ集め、「ビーイングのB級メンバー」という自虐的な意味も込められている。当初は『おどるポンポコリン』1曲のためだけに結成された暫定的なバンドであり恒久的活動意思が全くなかったため、ビーイング幹部からも「適当なバンド名でよい」と言われており、実質リーダーの近藤が自虐的な意味で命名しても一切異論は出ず、すんなり決定された。
実質マネージャーすらおらず、メンバー個別のマネージャーも当時は不在。特に坪倉は一緒に仕事をした経験のあるビーイング社員数人以外とは全く面識がなく、自らスケジュール管理をしていた。
当初はメンバーもビーイング社員も誰一人として『おどるポンポコリン』が売れるとは思っておらず、特に坪倉は普段の仮歌とほぼ同等の仕事と割り切っており、報酬は買い取り契約とした。これに対し近藤は印税契約を結んでおり、収入に大きな差が生まれた。しかし余りもの爆発的ヒットに「坪倉が『およげ!たいやきくん』大ヒット時の子門真人の二の舞になるのは気の毒」と、リリース数ヵ月後の再版分からBMGルームスの温情により改めて印税契約を結んでいる。
なお、B.B.クィーンズシスターズは後にMi-Keとして単独活動も行っていた。
概要
1990年、アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『おどるポンポコリン』でデビュー(当初は覆面ユニットであったためメンバーのプロフィール等は伏せられた)。同年のオリコン年間シングルチャート1位のヒットとなり、同年の第32回日本レコード大賞ポップス・ロック部門を受賞。『第41回NHK紅白歌合戦』にも出場している。
当初、メンバーはB.B.クィーンズとしてのテレビ出演を考えてはいなかった[4]。『おどるポンポコリン』の爆発的ヒットにより出演要望が殺到した後も、しばらくはメンバーのスケジュール調整が取れないこと、早回し音源を使った曲のため生歌唱での再現が難しいことを理由に辞退し続けていた[4]。1990年8月29日放送のフジテレビ『夜のヒットスタジオSUPER』がテレビ初出演となった[4]。なお、同年10月3日に終了した『夜ヒット』にとって最後の初登場アーティストとなった。
1991年2月、コーラス隊の3人(B.B.クィーンズシスターズ)が派生ユニット「Mi-Ke」として単独CDデビュー。
1993年2月26日放送の『ミュージックステーション』で披露された『クレヨンしんちゃん』のオープニングテーマ『夢のENDはいつも目覚まし!』の出演を最後に活動休止した。
「ぼくらの七日間戦争〜Seven Days Dream〜」は、A面シングルの専属作曲家であった織田哲郎がすべての楽器を使用している。
2011年2月、近藤より復活が宣言され、近藤・坪倉・宇徳・増崎の4人で19年ぶりの復活(残る4人は音楽家活動専念や活動休止・引退などで不参加)。結成20周年をきっかけに活動再開し、5月には『おどるポンポコリン〜ちびまる子ちゃん 誕生 25th Version〜』がリリースされた。同年には荒吐ロックフェスティバルの出演が決まり、同グループでは初のライブとなった。
2012年3月28日に神聖かまってちゃんとのシングル『夢のENDはいつも目覚まし!』をリリースした。
2013年以降は近藤・坪倉の2人で活動している。
2016年8月27日、『Animelo Summer Live 2016 刻-TOKI-』に出演。
構成メンバー
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
オリジナルアルバム
セルフカバーアルバム
ベストアルバム
DVD
- BEING LEGEND Live Tour 2012 (2013年4月10日、T-BOLAN、FIELD OF VIEW、DEENと共演)
タイアップ
テレビ
NHK紅白歌合戦出場歴
年度 |
放送回 |
回 |
曲目 |
出演順 |
対戦相手
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1990年 |
第41回 |
初 |
おどるポンポコリン |
12/29 |
植木等
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- 注意点
CM
- NTT西日本 フレッツ光ネクスト隼「みんなのフレッツ光篇」CMソング担当
出典
外部リンク