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茅ヶ崎市(ちがさきし)は、神奈川県の湘南地域中部に位置する市。施行時特例市に指定されている。人口は約24.5万人。市名は中世以来の郷名による。
概要
相模川下流域の沖積平野に位置し、高座郡のうち、旧茅ヶ崎村、鶴嶺村、松林村が合併し現茅ヶ崎市の原型である茅ヶ崎町ができた。1955年の小出村の合併を加えほぼ現況に至る。
人口は2022年度現在で243,921人と県内第7位で施行時特例市の一つである。市域の広さは東西6.9km、南北7.6kmである[1]。市の面積は神奈川県下19市の中で7番目に小さく、隣接する藤沢市や平塚市と比べると約半分の面積である[2]。市域は海岸線から北部に広がっており、地形は湘南砂丘となだらかな丘陵からなる[2]。気候は温暖で、夏は比較的涼しく、冬は暖かい気候である[2]。
1898年(明治31年)の茅ケ崎駅開業によって別荘地、保養地として発展[2]。1947年(昭和22年)に神奈川県下8番目の市として市制を施行、急激な都市化によって1989年(平成元年)には人口20万都市となり、2003年(平成15年)に特例市となった[2]。
観光都市の側面も持っており湘南海岸の一翼を担い、夏には海水浴場としてサザンビーチちがさきがオープンし多くの海水浴客が訪れる。サーフィンやマリンスポーツをする人も一年を通して多く存在する。市内の海岸線にはサイクリングロードが設けられ、多くの市民が烏帽子岩、江の島や富士山、伊豆半島を眺めながらサイクリングやジョギング、散歩を楽しむ。また茅ヶ崎漁港付近には釣り船もあり、投げ釣り以外にも釣り客は多い。海の日に関東三大奇祭である浜降祭が行われ、茅ヶ崎の夏の訪れとなる。
茅ヶ崎市の海岸線は約6kmで[1]、海岸部は茅ヶ崎市の最大の観光資源になっている[2]。一方で河川からの土砂供給の減少により、1954年(昭和29年)から1985年(昭和60年)までの間に、菱沼地区・柳島地区では約40メートル、中海岸地区では約60メートル海岸線が後退した[3]。
このように砂浜の侵食が激しいため、ヘッドランド(通称「Tバー」)と呼ばれる養浜施設が設けられている。なお、Tバーはサーフィン、釣りの好スポットとなっている。海のレジャー以外にもゴルフ場が丘陵に2か所、海沿いに2か所ある。アウトドアでは2013年に柳島キャンプ場がリニューアルオープンし、「茅産茅消」を謳ういわゆる地産地消型の食材があり、また海沿いの好立地を活かし活況である。北部は相模原台地の丘陵地帯であり特別緑地保全地区の清水谷や市民の憩いの場である神奈川県立茅ケ崎里山公園を中心に里山の豊かな自然を残そうと努力している。その他市内に2か所の温泉施設がある。
市内の鉄道駅にJR東日本東海道線茅ケ崎駅がある。茅ケ崎駅はJR東日本相模線の始発駅であり、同線北茅ケ崎駅、香川駅とあわせ市内に三駅が存在する[注釈 1]。核となる地域は茅ケ崎駅周辺であり、行政、商業の中心地となっている。市内東部の住民は隣接する藤沢市の辻堂駅を利用する者も多い。辻堂駅再開発事業湘南C-X(テラスモール湘南など)には同駅西口を中心に茅ヶ崎市も一部財源を負担している。また湘南ライフタウン付近の住民は辻堂駅以外に小田急江ノ島線湘南台駅の利用が便利で直通のバスも出ている。
市内の道路は幹線道路を除くと道が狭く、かつ東海道線南北の移動は踏切が多いことも拍車をかけ国道134号線、新湘南バイパス、湘南新道、産業道路を除き事情は良くない。特に行政・商業の中心となる茅ケ崎駅北側を通る国道1号線を筆頭に市内各所にて渋滞が多いため、自動車での移動に手間がかかる。一方で鉄砲道の全面開通を初め少しずつ改善の方向に向けているが、遅々として進まない。そのため自転車利用者が多い。
地理
相模原台地の丘陵地帯と相模川の河口に形成された砂州地帯で、市内には小出川(こいでがわ)と千ノ川が南西に流れ相模川に注いでいる。小出川流域の西久保は民話・河童徳利の舞台である。
江戸時代は東海道五十三次藤沢宿と平塚宿の間の農村地帯で、東海道中に2か所しかない左富士(道中ではいつも右に見える富士山が左手に見える)の場所として浮世絵の題材としても知られた。現在、国道1号鳥井戸橋で「南湖の左富士」のレリーフを見ることができる。
かつて柳島湊が存在したが、現在は消滅している。また藤間温泉も柳島に存在した。
河川
地域
概ねJR東日本東海道線によって南北に分けられる。北部は更に旧小出村部分と分けられる。市役所及び主な商工業地域は北部茅ケ崎駅周辺に集中している。また南部は湘南海岸に面し、いわゆる湘南らしい高層施設の少ない街並みとなっている。旧小出村地区には神奈川県立茅ケ崎里山公園があり長閑で自然環境豊かな地域である。又、東部は鎌倉時代に藤沢市辻堂と共に八的が原と呼ばれていた。
隣接している自治体
人口
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茅ヶ崎市と全国の年齢別人口分布(2005年)
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茅ヶ崎市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 茅ヶ崎市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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茅ヶ崎市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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129,621人
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1975年(昭和50年)
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152,023人
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1980年(昭和55年)
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171,016人
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1985年(昭和60年)
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185,030人
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1990年(平成2年)
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201,675人
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1995年(平成7年)
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212,874人
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2000年(平成12年)
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220,809人
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2005年(平成17年)
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228,420人
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2010年(平成22年)
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235,081人
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2015年(平成27年)
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239,348人
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2020年(令和2年)
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242,389人
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総務省統計局 国勢調査より
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歴史
行政
市長
- 現職市長
佐藤光(2018年11月18日、2期目)
- 歴代市長[9]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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初代 |
添田良信 |
1947年10月1日 |
1948年12月24日 |
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2代 |
内田俊一 |
1949年2月24日 |
1953年2月9日 |
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3代 |
出口肇 |
1953年2月20日 |
1957年2月17日 |
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4代 |
内田俊一 |
1957年2月18日 |
1961年2月17日 |
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5-6代 |
野村宣 |
1961年2月18日 |
1967年4月5日 |
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7-10代 |
柾木一策 |
1967年4月28日 |
1983年4月27日 |
北海道出身。
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11-14代 |
根本康明 |
1983年4月28日 |
1999年4月27日 |
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15代 |
添田高明 |
1999年4月28日 |
2003年4月27日 |
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16-19代 |
服部信明 |
2003年4月28日 |
2018年10月4日 |
任期中死去
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職務代理者 |
2018年10月4日 |
2018年11月18日 |
副市長・夜光広純
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20-21代 |
佐藤光 |
2018年11月18日 |
現職 |
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警察
- 茅ケ崎警察署
- 茅ケ崎駅前交番
- 中海岸交番
- 茅ケ崎駅南口交番
- 平和町交番
- 今宿交番
- 浜見平交番
- 小和田交番
- 鶴が台交番
- 浜竹交番
- 東海岸駐在所
- 西久保駐在所
- 南湖駐在所
- 小出駐在所
消防
- 茅ヶ崎市消防本部
- 茅ヶ崎市消防署
- 小和田分署
- 小出出張所
- 鶴嶺出張所
- 松林出張所
- 海岸出張所
医療
放送
指定金融機関
パブリックコメント制度
茅ヶ崎市では、市の計画などの策定過程における公正の確保と透明性の向上を図ることで市民の意見や要望を積極的に市政に反映させるために、パブリックコメント制度を設けている。2003年(平成15年)11月1日から施行され、現在に至る。もちろん、過去の記録も残っている。
地区
茅ヶ崎市は、南部の旧茅ヶ崎村・旧小和田村周辺が、後世の開発によって区分が細分化しており、また現在は市内の諸地区が自治会基準で13の地区に再区分されている[10][11][12]。そこで以下、自治会基準の区分を【】で示す。
- 小出(こいで) - 旧小出村
- 【小出】
- 芹沢(せりざわ) - 旧芹沢村
- 行谷(なめがや) - 旧行谷村
- 下寺尾(しもてらお) - 旧下寺尾村
- 堤(つつみ) - 旧堤村
- 松林(しょうりん) - 旧松林村
- 【湘北】
- 香川(かがわ) - 旧香川村
- 甘沼(あまぬま) - 旧甘沼村
- 【松林】
- 赤羽根(あかばね) - 旧赤羽根村
- 高田(たかだ) - 旧高田村
- 室田(むろた) - 旧室田村
- 菱沼(ひしぬま) - 旧菱沼村
- 旧小和田村
- 【小和田】
- 赤松町(あかまつちょう)
- 本宿町(ほんじゅくちょう)
- 代官町(だいかんちょう)
- 小桜町(こざくらちょう)
- 【松浪】
- 浜竹(はまたけ)
- 出口町(でぐちちょう)
- ひばりが丘(ひばりがおか)
- 美住町(みすみちょう)
- 松浪(まつなみ)
- 富士見町(ふじみちょう)
- 常盤町(ときわちょう)
- 緑が浜(みどりがはま)
- 汐見台(しおみだい)
- 【浜須賀】
- 旭が丘(あさひがおか)
- 松が丘(まつがおか)
- 平和町(へいわちょう)
- 浜須賀(はますか)
- 白浜町(しらはまちょう)
- 菱沼海岸(ひしぬまかいがん)
- 鶴嶺(つるみね) - 旧鶴嶺村
- 【鶴嶺東】
- 西久保(にしくぼ) - 旧西久保村
- 円蔵(えんぞう) - 旧円蔵村
- 浜之郷(はまのごう) - 旧浜之郷村
- 矢畑(やばた) - 旧矢畑村
- 下町屋(しもまちや) - 旧下町屋村
- 【鶴嶺西】
- 萩園(はぎその) - 旧萩園村
- 平太夫新田(へいだゆうしんでん)
- 今宿(いまじゅく) - 旧今宿村
- 【湘南】
- 中島(なかじま) - 旧中島村
- 松尾(まつお) - 旧松尾村
- 柳島(やなぎしま) - 旧柳島村
- 浜見平(はまみだいら)
- 柳島海岸(やなぎしまかいがん)
- 茅ヶ崎(狭義) - 旧茅ヶ崎村
- 【茅ヶ崎】
- 【茅ヶ崎南】
- 若松町(わかまつちょう)
- 幸町(さいわいちょう)
- 共恵(ともえ)
- 中海岸(なかかいがん)
- 【海岸】
- 【南湖】
議会
市議会
神奈川県議会
- 選挙区:茅ヶ崎市選挙区
- 定数:3人
- 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日
氏名 |
会派名
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永田輝樹 |
自由民主党神奈川県議会議員団
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平野みぎわ |
立憲民主党神奈川県議会議員団
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桝晴太郎 |
自由民主党神奈川県議会議員団
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衆議院
- 選挙区:神奈川15区(平塚市、茅ヶ崎市、中郡)
- 任期:2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日
- 当日有権者数:473,497人
- 投票率:57.32%
姉妹都市・提携都市
国内
海外
- 姉妹都市
- - ホノルル(ハワイ州) 2014年(平成26年)10月25日提携。「ビーチ」「サーフィン」「アロハ」といった共通した文化的な背景から。同日にはハワイ商工会議所と茅ヶ崎商工会議所との姉妹会議所の調印も行われている。締結出張の中で茅ヶ崎側とホノルル側でサーフィンを行ったが、その際に木村竹彦副市長(当時)が溺死した。
文化施設
教育
小学校
公立
私立
中学校
公立
私立
高等学校
- 神奈川県立
- 私立
特別支援学校
大学
専門学校
その他
経済
産業
- 茅ヶ崎漁港
- 東邦チタニウム株式会社・茅ヶ崎工場(金属チタンなどを製造する企業)
- 株式会社アルバック・茅ヶ崎本社工場(真空装置を製造する企業)
- モリタ宮田工業株式会社・本店(消火器などを製造する企業)
- AGCセイミケミカル株式会社・本社および工場(AGCグループのファインケミカルメーカー)
- AGCプライブリコ株式会社・本社および工場(AGCグループの耐火建築部材メーカー)
- パナソニック株式会社エナジー社・茅ヶ崎・辻堂工場
- パナソニックCCグラフィックス株式会社
- 株式会社オーテックジャパン・本社(日産グループ。特装車の企画開発・製造。初代社長は桜井眞一郎。)
- BASFポゾリス株式会社・茅ヶ崎工場(コンクリートの混和剤などを製造する企業)
- TOTO株式会社・茅ヶ崎工場
- 電源開発(J-POWER)・茅ヶ崎研究所
- 第一カッター興業・本社
- 東海カーボン・茅ヶ崎工場
- 明治・神奈川工場
- 大村紙業株式会社・本社
- 相模鉄道本社
交通
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東海道線・■上野東京ライン・ 湘南新宿ライン
- ■相模線
路線バス
道路
みちの愛称事業
茅ヶ崎市は「みちの愛称検討委員会」を職員と公募した市民で開き、道路愛称を街頭インタビューや公募などで決定し発表している。
2000年(平成12年)度には国道1号の南側14路線、2001年(平成13年)度には国道1号と新湘南バイパスの間10路線、2002年(平成14年)には新湘南バイパス北側の7路線の愛称が発表された。
みちの愛称
- 茅ヶ崎中央通り(茅ヶ崎駅北口から茅ヶ崎中央インターに至る南北の道。)
- 雄三通り(駅南口の東側から、サザン通りに平行して南北に走る。以前は加山雄三邸が海岸付近にあった。旧くは加山雄三の父親の名から上原謙通りとも呼ばれた。)
- サザン通り(駅南口の西側から、小さい丘を越えてサザンビーチに至る南北の尾根道)
- ラチエン通り(烏帽子岩が美しく見える。ルドルフ・ラチエン(ユダヤ系ドイツ人)の邸宅があったことによる。)
- 一中通り(市立第一中学の東側を通る南北の道)
- 高砂通り(高砂緑地の西側を通る南北の道。)
- 香川駅前通り(香川駅付近を通る南北の道。)
- 香川小学校通り(市立香川小学校の北側を通る東西の道。)
- 学園通り(平和学園小学校、アレセイア湘南中学校・高等学校西側を通る南北の道。)
- 大岡越前通り(大岡越前守忠相の墓のある浄見寺の北側を東西に走る)
- 一里塚通り(茅ケ崎駅北口から東海道一里塚に至る南北の道。)
- 一里塚北通り(北茅ケ崎駅付近を通る南北の道。)
- 赤松通り(辻堂駅西口北側から東小和田交差点に至る南北の道。)
- 小和田通り(小和田を通る南北の道。)
- 赤羽根通り(市立赤羽根中学校西側を通る南北の道。)
- 松林通り(室田通りから小和田通りに至る東西の道。)
- 室田通り(市立松林中学校東側を通る南北の道。)
- 梅田通り(十間坂交差点から円蔵交差点に至る南北の道。)
- 鶴嶺通り(矢畑から萩園に至る東西の道。)
- 萩園通り(市立萩園中学校の東側を通る南北の道。)
- 柳島通り(市立柳島小学校の東側を通る南北の道。)
- 南湖通り(南湖院跡付近を通る南北の道。)
- 石神古墳通り(国道1号線の南側の下道。駅北口から相模線の踏切を通り、東に抜ける。駅構内にあった古墳による命名。)
- 鉄砲道(1728年に江戸幕府が腰越村(現:鎌倉市内)から柳島村(現:茅ヶ崎市内南西部)にかけて設置した相州炮術調練場にちなむ)てっぽうみちと読む。
- 浜竹通り(辻堂駅西口から湘南新道を通じ、湘南海岸に至る)
- 桜道(茅ケ崎駅南口から浜竹通りに至る。かつて桜の多い道路ではあったが、近年はラチエン通りとの交差点に残る程度である。)
- 小出県道(本村交差点から小出交差点に至る南北の道。)
- 小出中央通り(旧小出村の中心部を通る東西の道。)
- 産業道路(神奈川県道46号相模原茅ヶ崎線の市内で使われてきた愛称)
- 左富士通り(国道134号線・浜見平入口交差点から北上し鶴嶺八幡宮大鳥居のある国道1号・鳥居戸橋交差点までの道)
- 大谷通り(芹沢を通る南北の道。)
- 精麦通り(一里塚通りから一中通りへ抜ける道。日本精麦の工場があったことが由来)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 烏帽子岩(姥島)
- 平島
- 旧相模川橋脚 - 国の史跡に指定。大正12年(1923年)関東大震災と大正13年の地震によって地表に現れ、沼田賴輔(歴史学者)により旧相模川橋脚であるとされた。最近の調査では相模川本流ではないと推測されている。史跡整備事業が行われ、2008年(平成20年)3月29日にオープンした。
- 堤貝塚 - 県指定史跡。
- 下寺尾官衙遺跡群 - 茅ヶ崎北陵高校校舎建て替えの際に発見された高座郡の郡衙跡。2015年(平成27年)3月国の史跡に指定。官舎、祭祀場、船着場、下記七堂伽藍等がまとまっている。
- 七堂伽藍跡 - 茅ヶ崎北陵高校のある高台の南側、一段低くなった畑地の広がる一郭の下寺尾、「七堂伽藍跡(しちどうがらん)」と刻まれた高さ3メートル余りの石碑が建っている。七堂伽藍とは、寺院を構成する主要建物を指す(古代寺院の場合は塔、金堂、講堂、経蔵、鐘楼、食堂(じきどう)、僧坊)。昔からこの辺りに大きな寺があったという言い伝えがあり、試掘調査の結果、古瓦片をはじめ、灯明皿など寺の存在を裏付ける遺物が数多く出土している。
- 国木田独歩の碑
- 平塚らいてうの碑
- 仮名垣魯文の碑 - 父親の実家が萩園にあり、魯文も一時期いた。
- 佐々木卯之助の碑 - 現在の鉄砲道と旧道との分岐点(東海岸五丁目)にある。役人だが幕府に内緒で困窮の農民に鉄砲場内での耕作を許して島流しとなった。
- 鉄砲道 - 相州炮術調練場(幕府の鉄砲場)に至る道であったという説がある。近年、東西に開通したので俗に「鉄砲通り」ともいう。かつては行き止まりであったので「道」と称した。
- 團十郎山の碑 - 九世市川團十郎の別荘跡地(茅ヶ崎市平和町)に建立された。[13]
- 藤間家住宅主屋 - 国の登録有形文化財。昭和初期の和洋折衷住宅の先駆け。一般住宅なので要注意。
- サザンストリート
- ラチエン通り - 通り名とは無関係だが寛文3年(1663年)、旧茅ヶ崎村と旧小和田村で漁場争いが起きた時、ラチエン通りから見る烏帽子岩を裁定ラインに設定した事がある。同道を題材にしたサザンオールスターズの楽曲がある。
神社仏閣など
レジャー
観光
温泉
祭り
サーフスポット
市内東から
- クソ下 藤沢市境(汐見台地域。同市の下水処理場が近い事から)
- チサン 学園通り前(チサンホテルがかつて営業していた為)
- チーパー ゴルフ場前(チサンとパシフィックホテルの間)
- パーク 第一中学前(かつてあったパシフィックホテルの前。Tバー東側。離岸流が非常に強いので要注意)
- 裏パーク Tバー西側(ヘッドランド西側の為、グーフィー中心)
- 白樺 中海岸前(同名の屋号を持つ食堂があった事から)
- 西浜 茅ヶ崎漁港の西側(かつて市内でも有数のビッグウェーブが来るポイントであったが、近年砂浜の侵食が激しくスポットとして後退している)
かつての西浜を除き、概ねビギナーから始められるポイントが多いが、ビッグウェーブが来ている際は上級者が幅を効かせるので自分のレベルにあった波乗りを心掛けたい。
ゆかりの有名人(五十音順)
茅ヶ崎市出身の有名人
芸能・音楽関係者
映画・映像作品プロデューサー
アナウンサー・ナレーター
スポーツ選手
作家
その他
茅ヶ崎市に関係のある有名人
歴史上の人物
画家
芸能人
俳優
フリーアナウンサー
作家
音楽関係者
映画監督
スポーツ選手
宇宙飛行士
デザイナー
その他
表彰および褒章
歴代名誉茅ヶ崎市民
茅ヶ崎市民栄誉賞歴代受賞者
- 野口聡一(宇宙飛行士)
- 土井隆雄(宇宙飛行士)
- 山本昌(本名:昌広。中日ドラゴンズ投手)
- 三科真澄(ソフトボール日本代表内野手(ルネサスエレクトロニクス高崎 女子ソフトボール部所属)/北京オリンピック金メダリスト)
- 杉山愛(プロテニスプレーヤー)
- 加山雄三(俳優、歌手)
- 出口彩香(女子プロ野球選手)
- 桑田佳祐(歌手)
- 小俣夏乃(シンクロナイズドスイミング日本代表/リオデジャネイロオリンピック銅メダリスト)
茅ヶ崎を舞台とした作品(年代順)
茅ヶ崎に関係する詞(コトバ)が歌詞中にある主な歌
脚注
注釈
- ^ 茅ケ崎駅・北茅ケ崎駅とも大きい「ケ」であるが、市名は小さい「ヶ」である。
- ^ 古代より平坦な砂地で、鎌倉時代に弓の練習場として八つの的が置かれたことから。
- ^ 低い丘や芝原に松が多く、「八的」が後に「八松」と書かれるようになったといわれる。
- ^
- 茅ヶ崎市民憲章
- 美しい海
- きれいな空気
- おだやかな四季
- 私たちは、このめぐまれた自然に感謝しながら、未来へ力強くはばたくための愛市憲章をここに定めます。
- 1. 美しい自然は、私たちみんなの誇りです。
- 1. 私たちは、元気で仲良く、きょうも働きます。
- 1. 私たちは、きまりを守り、安全で住みよいまちづくりにはげみます。
- 1. 私たちは、文化の花咲く、明るい平和なまちをきずきます。
- 1. 老いも若きも手を取りあって、輝かしい明日へむかって前進しましょう。
出典:[5]
出典
関連項目
外部リンク
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注: 順位は2021年国勢調査時の市域人口による。 |
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