長野市(ながのし)は、長野県の北信地方にある県内で最も人口が多い市であり、長野県の県庁所在地、中核市に指定されている。また、長野都市圏・北信地方の中心都市。
1998年には長野オリンピック・パラリンピックが開催された。また、2005年には第8回スペシャルオリンピックス冬季世界大会が行われた。
市内にある長野県庁本庁舎は、標高371.3メートルの地点に建っており[2]、日本の47都道府県庁舎の中で最も高い場所にある。
地理
地形
長野市は上信越高原国立公園の飯縄山、戸隠山、黒姫山などの北信五岳を背景に、市内の中央には一級河川である千曲川、犀川の2大河川が流れている。
長野盆地
長野盆地は、東部山地と西部山地に挟まれた、面積およそ300平方キロメートル、標高330~380メートルの盆地である。善光寺平とも呼ばれてきた。長野盆地の中には千曲川・犀川・裾花川など大小の河川が多数流れ込み、千曲川に合流している。長野盆地内の千曲川は高低差が小さいため、流れが穏やかである。千曲川沿いには、洪水の際に川が氾濫して土砂が堆積した沖積地が広がっている。洪水の被害を受けやすい沖積地は昔から主に耕作地として利用されてきたが、治水が進んだ現代では市街地化が進んだところも見られる。
西部山地から流れ込む犀川と裾花川は、上流から多量の砂礫を盆地内へ運び込んでいるため、傾斜が緩やかで大規模な扇状地を形成している。長野市の主な市街地は、こうした扇状地の上に形成されている[3]。
西部山地
西部山地は戸隠山や聖山、虫倉山など一部の山を除くと、標高1000メートル以下のなだらかな山々から構成されている。山地をつくっている地層が比較的新しくて軟質なため、地滑りが多く発生している。古い地滑りの跡地は、とてもなだらかな地形をしていて土壌も肥沃なため、耕作地や住宅地として利用されている。
西部山地の斜面は、かつては薪炭林や農耕に必要な採草地として利用されていたが、現在ではあまり利用や手入れが行われておらず、荒廃が進んでいる。[3]
東部山地
東部山地は、高いところで標高1200メートル以上もある高い山地で、しかも硬い岩盤でできているため、とても急峻な地形をしている。山地に平地が乏しいので耕作地は少なく、その大半が森林となっている。若穂や松代の山際には、小規模な扇状地が見られる。土壌が砂礫質で地表に水が乏しいため、一部が住宅地として利用されているほかは主に果樹園として利用されている。[3]
- 主な山
- 主な峠
- 主な高原
- 主な川
- 中洲
- 主な谷
- 主な湖
- 主な池
- 主な湿地帯
土地利用
2008年における地目別の土地面積は次の通りであった。
- 水田 - 38.36 km2
- 畑 - 78.71 km2
- 池沼 - 0.33 km2
- 山林 - 323.85 km2
- 宅地 - 61.67 km2
- その他 - 133.24 km2
- 総計 - 730.83 km2
隣接する自治体
- ※ 北の妙高市以外は、長野県。
気候
市の中心部は盆地に位置することから寒暖の差が激しい。夏に高温を記録することも多い一方で、冬の寒さは厳しい。このように、気温の日較差、年較差が大きい大陸性気候と言える。中央高地式気候の典型とされることもあるが、日本海側気候の特色も併せ持ち、市北部の山間部は日本海側気候の豪雪地帯である。一方で、市街地中心部は降雨も降雪も限られている。
気温は年間を通して東北地方南部の会津若松市や山形市と同程度であり、県庁所在地としても冷涼な都市に属する。冬季の寒さは日照時間の短さに由来するが、一方で平均的な雲量は7前後と決して多くないことから放射冷却が発生しやすく、日没後には気温が急速に低下する。1月の平均最低気温は−3.9 ℃と、全国的に見ても低い。ただし、長野県内では高い方である。最低気温記録は−17.0 ℃(1934年1月24日)であるが、これは長野県内では高い。曇天の日が多いこともあり日中の気温が上がらず真冬日を観測することも珍しくなく、長野県内の主要都市では諏訪市と並んで真冬日が多い地域とされる。最低気温については上昇傾向が見られ、これはヒートアイランド・都市化の影響を受ける市街地で顕著である。かつては毎年のように記録していた−10 ℃以下の気温が観測されることは80年代以降少なくなっている。21世紀に入ってからその傾向は顕著となり、2007年から2023年までの間で−10 ℃以下の気温を観測したのは2012年、2016年、2018年、2022年、2023年のみである。1961年以降の最低気温は−15.0 ℃(1967年1月17日)、2000年以降では−12.0℃(2001年1月16日)と、県内の気象観測地点では県南部の南信濃に次いで高い。
長野市でも北部山間部は、日本海側気候の特性が強い豪雪地帯である。その一方で、中心市街地より南は、山脈の下降気流の影響を受けるため、降雪量は少なくなり、そこそこ積もるという程度である。中心市街地に近い長野地方気象台(長野市箱清水1丁目)を例にとると、年間降雪量は163 cmで、従前の平年値に比較して100cmほど減少したものの、それでも豪雪地のイメージを持つ新潟市を上回る量であり、冬型の気圧配置による降雪だけでなく南岸低気圧の影響による降雪も見られるため、降雪が少ないとは言えない。ただし冬期の降水量は月間で50mm前後に過ぎず、年間の最深積雪も40cm以下に収まる年が多い。観測史上の最深積雪も1946年12月11日に観測された80 cmであり、より降雪量が少ない松本市の78cmと同程度となる。
降水は年間を通して少なく、都道府県庁所在地中最小の降水量である。長野市以外の県庁所在地で降水量が少ない都市として岡山市や甲府市、札幌市が挙げられるが、いずれも平年降水量は1100 mmを超えるのに対し長野市の平年降水量は965 mmと、際立って低い印象を受ける。ただし、2000年以降は年間降水量が1000mmを超える年が目立っており、2011年から2020年までの間で1000mmを下回った回数は2012年と2017年のみである。
夏は、日本国内で見れば晴天が多く、日照時間も多い方であり、日射しも強い。観測史上の最高気温は1994年8月16日の38.7 ℃である。8月の平均最高気温は31.1 ℃に達し、猛暑日が観測されることも珍しくないなど昼間の暑さは厳しい。1994年以降は年間の猛暑日日数が0日になったことがない。相対湿度も日本の中では上位だが、一方で日本気象協会が提唱する「ジメ暑日」は少ない。最低気温は比較的低く熱帯夜になることは稀に観測する程度で記録がない年も多く、朝晩は過ごしやすいと言える。
長野地方気象台は1889年から気象観測が行われてきたことと、観測露場の環境が良いために、気象庁による東日本の平均気温の算出地点の1つにされている。
長野市箱清水(長野地方気象台、標高418m)の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
18.1 (64.6)
|
22.5 (72.5)
|
24.7 (76.5)
|
30.8 (87.4)
|
34.2 (93.6)
|
35.9 (96.6)
|
37.9 (100.2)
|
38.7 (101.7)
|
36.3 (97.3)
|
32.2 (90)
|
26.2 (79.2)
|
22.0 (71.6)
|
38.7 (101.7)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
3.8 (38.8)
|
5.3 (41.5)
|
10.3 (50.5)
|
17.4 (63.3)
|
23.2 (73.8)
|
26.1 (79)
|
29.7 (85.5)
|
31.1 (88)
|
26.2 (79.2)
|
19.7 (67.5)
|
13.4 (56.1)
|
6.9 (44.4)
|
17.8 (64)
|
日平均気温 °C (°F)
|
−0.4 (31.3)
|
0.4 (32.7)
|
4.3 (39.7)
|
10.6 (51.1)
|
16.4 (61.5)
|
20.4 (68.7)
|
24.3 (75.7)
|
25.4 (77.7)
|
21.0 (69.8)
|
14.4 (57.9)
|
7.9 (46.2)
|
2.3 (36.1)
|
12.3 (54.1)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
−3.9 (25)
|
−3.7 (25.3)
|
−0.5 (31.1)
|
4.9 (40.8)
|
10.9 (51.6)
|
16.1 (61)
|
20.5 (68.9)
|
21.5 (70.7)
|
17.2 (63)
|
10.3 (50.5)
|
3.4 (38.1)
|
−1.5 (29.3)
|
7.9 (46.2)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−17.0 (1.4)
|
−16.4 (2.5)
|
−14.6 (5.7)
|
−6.5 (20.3)
|
−1.8 (28.8)
|
3.9 (39)
|
10.2 (50.4)
|
10.7 (51.3)
|
5.5 (41.9)
|
−1.9 (28.6)
|
−11.4 (11.5)
|
−15.2 (4.6)
|
−17.0 (1.4)
|
降水量 mm (inch)
|
54.6 (2.15)
|
49.1 (1.933)
|
60.1 (2.366)
|
56.9 (2.24)
|
69.3 (2.728)
|
106.1 (4.177)
|
137.7 (5.421)
|
111.8 (4.402)
|
125.5 (4.941)
|
100.3 (3.949)
|
44.4 (1.748)
|
49.4 (1.945)
|
965.1 (37.996)
|
降雪量 cm (inch)
|
63 (24.8)
|
50 (19.7)
|
17 (6.7)
|
2 (0.8)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
0 (0)
|
1 (0.4)
|
30 (11.8)
|
163 (64.2)
|
平均降水日数 (≥0.5 mm)
|
12.7
|
11.0
|
11.3
|
9.8
|
9.6
|
11.6
|
13.5
|
10.8
|
10.6
|
9.2
|
8.6
|
11.2
|
130.0
|
平均降雪日数
|
24.0
|
20.1
|
15.6
|
3.2
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
3.6
|
19.0
|
85.6
|
% 湿度
|
79
|
74
|
68
|
61
|
63
|
71
|
75
|
73
|
74
|
75
|
76
|
79
|
72
|
平均月間日照時間
|
128.4
|
140.2
|
173.3
|
199.4
|
214.8
|
167.4
|
168.8
|
201.1
|
151.2
|
152.1
|
142.3
|
131.1
|
1,969.9
|
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1889年-現在)[4][5]
|
長野地方気象台(1961 - 1990年平均)の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
平均最高気温 °C (°F)
|
3.1 (37.6)
|
4.2 (39.6)
|
8.6 (47.5)
|
17.1 (62.8)
|
23.3 (73.9)
|
25.0 (77)
|
28.7 (83.7)
|
30.5 (86.9)
|
24.9 (76.8)
|
18.5 (65.3)
|
12.6 (54.7)
|
6.4 (43.5)
|
16.8 (62.2)
|
日平均気温 °C (°F)
|
−1.2 (29.8)
|
−0.5 (31.1)
|
3.0 (37.4)
|
10.4 (50.7)
|
15.7 (60.3)
|
19.6 (67.3)
|
23.5 (74.3)
|
24.8 (76.6)
|
19.9 (67.8)
|
13.1 (55.6)
|
7.2 (45)
|
1.7 (35.1)
|
11.5 (52.7)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
−4.9 (23.2)
|
−4.3 (24.3)
|
−1.5 (29.3)
|
4.8 (40.6)
|
10.0 (50)
|
15.3 (59.5)
|
19.8 (67.6)
|
20.9 (69.6)
|
16.3 (61.3)
|
8.8 (47.8)
|
2.7 (36.9)
|
−2.1 (28.2)
|
7.2 (45)
|
出典:理科年表
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信州新町(1991年 - 2020年)の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
15.3 (59.5)
|
21.0 (69.8)
|
25.8 (78.4)
|
30.1 (86.2)
|
34.6 (94.3)
|
35.8 (96.4)
|
37.2 (99)
|
38.6 (101.5)
|
35.3 (95.5)
|
29.8 (85.6)
|
25.2 (77.4)
|
21.6 (70.9)
|
38.6 (101.5)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
3.6 (38.5)
|
4.9 (40.8)
|
9.9 (49.8)
|
17.1 (62.8)
|
22.8 (73)
|
25.8 (78.4)
|
29.2 (84.6)
|
30.4 (86.7)
|
25.4 (77.7)
|
19.1 (66.4)
|
13.2 (55.8)
|
6.8 (44.2)
|
17.4 (63.3)
|
日平均気温 °C (°F)
|
−1.4 (29.5)
|
−0.8 (30.6)
|
3.1 (37.6)
|
9.3 (48.7)
|
15.1 (59.2)
|
19.2 (66.6)
|
22.9 (73.2)
|
23.9 (75)
|
19.5 (67.1)
|
13.0 (55.4)
|
6.6 (43.9)
|
1.2 (34.2)
|
11.0 (51.8)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
−5.5 (22.1)
|
−5.4 (22.3)
|
−2.1 (28.2)
|
2.8 (37)
|
8.5 (47.3)
|
14.1 (57.4)
|
18.8 (65.8)
|
19.5 (67.1)
|
15.5 (59.9)
|
8.8 (47.8)
|
2.0 (35.6)
|
−2.7 (27.1)
|
6.2 (43.2)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−15.3 (4.5)
|
−13.4 (7.9)
|
−10.3 (13.5)
|
−5.8 (21.6)
|
−1.5 (29.3)
|
4.1 (39.4)
|
11.6 (52.9)
|
11.2 (52.2)
|
4.3 (39.7)
|
−0.6 (30.9)
|
−4.6 (23.7)
|
−12.3 (9.9)
|
−15.3 (4.5)
|
降水量 mm (inch)
|
56.2 (2.213)
|
52.4 (2.063)
|
76.3 (3.004)
|
76.4 (3.008)
|
88.7 (3.492)
|
123.2 (4.85)
|
146.5 (5.768)
|
111.2 (4.378)
|
148.7 (5.854)
|
122.8 (4.835)
|
53.8 (2.118)
|
51.3 (2.02)
|
1,107.4 (43.598)
|
平均降水日数 (≥1.0 mm)
|
10.4
|
8.8
|
10.8
|
9.4
|
9.5
|
11.0
|
13.4
|
9.9
|
10.4
|
9.1
|
7.6
|
10.3
|
120.7
|
平均月間日照時間
|
123.2
|
139.5
|
171.6
|
200.4
|
209.3
|
158.7
|
158.1
|
192.1
|
137.1
|
145.0
|
139.5
|
124.8
|
1,899.1
|
出典1:Japan Meteorological Agency
|
出典2:気象庁[6]
|
人口
|
長野市と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
長野市の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 長野市 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
長野市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
322,825人
|
|
1975年(昭和50年)
|
342,120人
|
|
1980年(昭和55年)
|
358,173人
|
|
1985年(昭和60年)
|
369,023人
|
|
1990年(平成2年)
|
377,261人
|
|
1995年(平成7年)
|
387,359人
|
|
2000年(平成12年)
|
387,911人
|
|
2005年(平成17年)
|
386,572人
|
|
2010年(平成22年)
|
381,511人
|
|
2015年(平成27年)
|
377,598人
|
|
2020年(令和2年)
|
372,760人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
地域
地区
14の管区と52の地区から構成される(以下の人口はいずれも2023年3月1日現在の推計人口。
長野管区 (人口215,642人)
大字・町丁
- あ行
- 稲里町中氷鉋(いなさとまち・なかひがの)
- 稲田 1 - 4丁目(いなだ)
- 稲葉(いなば)
- 居町(いまち)
- 入山(いりやま)
- 上松 1 - 5丁目・上松(うえまつ)
- 上野1~3丁目(うわの)
- 大岡乙(おおおか・おつ)
- 大岡甲(おおおか・こう)
- 大岡中牧(おおおか・なかまき)
- 大岡弘崎(おおおか・ひろさき)
- 大岡丙(おおおか・へい)
- 大橋南 1 - 2丁目(おおはしみなみ)
- 大町(おおまち)
- 小島田町(おしまだまち)
- か行
- 神楽橋(かぐらばし)
- 風間(かざま)
- 合戦場 1 - 3丁目(かっせんば)
- 門沢(かどさわ)
- 金井田(かないだ)
- 金箱(かねばこ)
- 上駒沢(かみこまざわ)
- 川合新田(かわいしんでん)
- 川中島町今井(かわなかじままち・いまい)
- 川中島町今井原(かわなかじままち・いまいはら)
- 川中島町今里(かわなかじままち・いまさと)
- 川中島町上氷鉋(かわなかじままち・かみひがの)
- 川中島町原(かわなかじままち・はら)
- 川中島町御厨(かわなかじままち・みくりや)
- 川中島町四ツ屋(かわなかじままち・よつや)
- 北尾張部(きたおわりべ)
- 北郷(きたごう)
- 北条町(きたじょうまち)
- 北長池(きたながいけ)
- 北堀(きたぼり)
- 鬼無里(きなさ)
- 鬼無里日下野(きなさ・くさがの)
- 鬼無里日影(きなさ・ひかげ)
- 桐原 1 - 2丁目(きりはら)
- 栗田(くりた)
- 小柴見(こしばみ)
- 小島(こじま)
- 小鍋(こなべ)
- さ行
- 坂中(さかなか)
- 桜(さくら)
- 桜新町(さくらしんまち)
- 差出南 1 - 3丁目(さしでみなみ)
- 里島(さとじま)
- 早苗町(さなえちょう)
- 三才(さんさい)
- 三本柳西 1 - 3丁目(さんぼんやなぎ・にし)
- 三本柳東 1 - 3丁目(さんぼんやなぎ・ひがし)
- 篠ノ井会(しののい・あい)
- 篠ノ井石川(しののい・いしかわ)
- 篠ノ井有旅(しののい・うたび)
- 篠ノ井岡田(しののい・おかだ)
- 篠ノ井御幣川(しののい・おんべがわ)
- 篠ノ井杵淵(しののい・きねぶち)
- 篠ノ井小松原(しののい・こまつばら)
- 篠ノ井小森(しののい・こもり)
- 篠ノ井塩崎(しののい・しおざき)
- 篠ノ井東福寺(しののい・とうふくじ)
- 篠ノ井西寺尾(しののい・にしてらお)
- 篠ノ井布施五明(しののい・ふせごみょう)
- 篠ノ井布施高田(しののい・ふせたかだ)
- 篠ノ井二ツ柳(しののい・ふたつやなぎ)
- 篠ノ井山布施(しののい・やまぶせ)
- 篠ノ井横田(しののい・よこた)
- 下駒沢(しもこまざわ)
- 下氷鉋1丁目(しもひがの)
- 伺去(しゃり)
- 塩生乙(しおぶ・おつ)
- 塩生甲(しおぶ・こう)
- 真光寺(しんこうじ)
- 信更町赤田(しんこうまち・あかだ)
- 信更町上尾(しんこうまち・あげお)
- 信更町今泉(しんこうまち・いまいずみ)
- 信更町桜井(しんこうまち・さくらい)
- 信更町三水(しんこうまち・さみず)
- 信更町下平(しんこうまち・しもだいら)
- 信更町高野(しんこうまち・たかの)
- 信更町田沢(しんこうまち・たざわ)
- 信更町田野口(しんこうまち・たのぐち)
- 信更町灰原(しんこうまち・はいばら)
- 信更町氷ノ田(しんこうまち・ひのた)
- 信更町古藤(しんこうまち・ふるふじ)
- 信更町宮平(しんこうまち・みやだいら)
- 信更町安庭(しんこうまち・やすにわ)
- 信更町吉原(しんこうまち・よしわら)
- 信更町涌池(しんこうまち・わくいけ)
- 信州新町上条(しんしゅうしんまち・かみじょう)
- 信州新町越道(しんしゅうしんまち・こえどう)
- 信州新町里穂刈(しんしゅうしんまち・さとほかり)
- 信州新町下市場(しんしゅうしんまち・しもいちば)
- 信州新町新町(しんしゅうしんまち・しんまち)
- 信州新町左右(しんしゅうしんまち・そう)
- 信州新町竹房(しんしゅうしんまち・たけぶさ)
- 信州新町中牧(しんしゅうしんまち・なかまき)
- 信州新町信級(しんしゅうしんまち・のぶしな)
- 信州新町日原西(しんしゅうしんまち・ひはらにし)
- 信州新町日原東(しんしゅうしんまち・ひはらひがし)
- 信州新町弘崎(しんしゅうしんまち・ひろさき)
- 信州新町牧田中(しんしゅうしんまち・まきだなか)
- 信州新町牧野島(しんしゅうしんまち・まきのしま)
- 信州新町水内(しんしゅうしんまち・みのち)
- 信州新町山上条(しんしゅうしんまち・やまかみじょう)
- 信州新町山穂刈(しんしゅうしんまち・やまほかり)
- 新諏訪 1 - 2丁目(しんすわ)
- 神明(しんめい)
- た行
- 戸隠(とがくし)
- 戸隠祖山(とがくし・そやま)
- 戸隠栃原(とがくし・とちはら)
- 戸隠豊岡(とがくし・とよおか)
- 徳間1丁目・徳間(とくま)
- 富田(とみた)
- 富竹(とみたけ)
- 豊野町浅野(とよのまち・あさの)
- 豊野町石(とよのまち・いし)
- 豊野町大倉(とよのまち・おおくら)
- 豊野町蟹沢(とよのまち・かにさわ)
- 豊野町川谷(とよのまち・かわたに)
- 豊野町豊野(とよのまち・とよの)
- 豊野町南郷(とよのまち・みなみごう)
- な行
- 中越 1 - 2丁目(なかごえ)
- 中御所 1 - 5丁目・中御所(なかごしょ)
- 中御所町4丁目(なかごしょまち(4ちょうめ))
- 中条(なかじょう)
- 中条日下野(なかじょう・くさがの)
- 中条住良木(なかじょう・すめらぎ)
- 中条日高(なかじょう・ひだか)
- 中条御山里(なかじょう・みやまさ)
- 中曽根(なかそね)
- 長野(ながの)
- 七瀬(ななせ)
- 七二会(なにあい)
- は行
- 箱清水 1 - 3丁目(はこしみず)
- 東犀南(ひがしさいなみ)
- 東鶴賀町(ひがしつるがまち)
- 東和田(ひがしわだ)
- 平柴(ひらしば)
- 平柴台(ひらしばだい)
- 平林 1 - 2丁目・平林(ひらばやし)
- 広瀬(ひろせ)
- ま行
- 真島町川合(ましままち・かわい)
- 真島町真島(ましままち・ましま)
- 松岡 1 - 2丁目(まつおか)
- 松代温泉(まつしろおんせん)
- 松代町岩野(まつしろまち・いわの)
- 松代町大室(まつしろまち・おおむろ)
- 松代町小島田(まつしろまち・おしまだ)
- 松代町清野(まつしろまち・きよの)
- 松代町柴(まつしろまち・しば)
- 松代町城東(まつしろまち・じょうとう)
- 松代町城北(まつしろまち・じょうほく)
- 松代町豊栄(まつしろまち・とよさか)
- 松代町西条(まつしろまち・にしじょう)
- 松代町西寺尾(まつしろまち・にしてらお)
- 松代町東条(まつしろまち・ひがしじょう)
- 松代町東寺尾(まつしろまち・ひがしてらお)
- 松代町牧島(まつしろまち・まきしま)
- 松代町松代(まつしろまち・まつしろ)
- 大豆島(まめじま)
- 大豆島西沖(まめじまにしおき)
- 檀田1- 2丁目・檀田(まゆみだ)
- みこと川(みことがわ)
- 三ツ出(みついで)
- 皆神台(みなかみだい)
- 南高田 1 - 2丁目(みなみたかだ)
- 南千歳 1 - 2丁目(みなみちとせ)
- 南長池(みなみながいけ)
- 南長野(みなみながの)
- 南堀(みなみぼり)
- 宮沖(みやおき)
- 三輪 1 - 10丁目・三輪(みわ)
- 村山(むらやま)
- 茂菅(もすげ)
- や・わ行
- 屋敷田(やしきだ)
- 屋島(やしま)
- 柳原(やなぎはら)
- 柳町(やなぎまち)
- 山田中(やまだなか)
- 吉(よし)
歴史
原始から古代 - シナノから信濃国へ
長野市域における人類のあゆみは飯綱高原などの高原や山地から始まった。代表的な飯綱高原の上ケ屋遺跡は約2万年前の旧石器時代のものである。縄文時代の遺跡も、豊野地区の上浅野遺跡(市有形文化財)、中条地区の宮遺跡をはじめとして多彩に見つかっており、当時のムラの様子をうかがうことができる[7]。
弥生時代には長野盆地でも稲作が行われるようになる。また、この時代にはコメなどをめぐり争いが発生。柳原地区の水内坐一元神社遺跡は、防御用の大きな溝を巡らせた環濠集落であり、そのことがうかがえる。弥生時代後半には「赤い土器(箱清水式土器)」が特徴的に使われだし、長野盆地を中心とした千曲川・犀川流域は「赤い土器のクニ」と呼ばれる独自の文化圏を形成した[8]。
4世紀の中ごろ以降、千曲川を見下ろす山の上には、川柳将軍塚古墳(篠ノ井石川)や和田東山3号墳(若穂保科)といった大型の前方後円墳が築かれるようになる。これらは地域の「王」であるのと同時に、ヤマト政権のメンバーでもあった。5世紀中ごろになると、大型古墳の築造と入れ替わるように、大室地区に集中的に古墳が築かれるようになる。総数500基を超える大室古墳群は朝鮮半島とかかわりのあった人々の墓と考えられる[9]。
善光寺平の中心とした「シナノ」のクニは少なくとも4世紀前半にはヤマト政権のもとに入っていたと考えられる。「シナノ」は和銅5年(712年)編纂の『古事記』では「科野」、養老4年(720年)の『日本書紀』では「信濃」が統一的に使われている。このことから、7世紀後半には「科野」が用いられ、大宝令の制定を経た大宝4年(704年)に諸国の刻印が初めて鋳造された際、「信濃」の表記に改称されたと推定される[10]。
中世 - 門前町の発展と相次ぐ戦乱
長野市の代表的な寺社に善光寺と戸隠神社がある。善光寺の名が文献上初めて登場するのは平安時代、10世紀に成立した『僧妙達蘇生注記』で、このころには地方の有力寺院となっていたことがわかる。一方、戸隠神社は、11世紀初めの『能因歌枕』で歌枕のひとつに「とがくし」が挙げられているなど、存在が中央に認められつつあったことがわかっている[11]。
治承4年(1180年)、木曾義仲は平氏を追討するため兵を挙げ、中信から東北信に進出した。これに対し、越後の平氏方の城資職は数万騎を率いて信濃に入る。平氏約4万、源氏約3千の両軍が養和元年(1181年)に篠ノ井の横田で戦った。これが横田河原の戦いである。義仲は、高井郡の井上光盛ら北信濃の豪族たちの助力によって勝利した[12]。
長野市は善光寺の門前町として発展してきた。善光寺は治承3年(1179年)焼失したが、源平合戦に勝利した源頼朝の命によって10年後の建久2年に再興された。その後も執権・北条家が善光寺を篤く信仰し、鎌倉時代には善光寺信仰が全国に広まり、門前町として地域が形成されていくことになる。『一遍聖絵』からは、この当時の善光寺と門前の賑わいを見て取ることができる[13]。
鎌倉幕府が滅びると、北条時行が諏訪氏を頼って挙兵。八幡河原、篠井河原、四宮河原で信濃守護・小笠原貞宗と戦った。中先代の乱(青沼合戦)である。観応の擾乱に続く南北朝の争いでは国人領主達が2派閥に別れ、これらが守護や関東管領の命令に従わず、市内や近隣の各所は戦場と化した。
南北朝の動乱がようやく治まった応永6年(1399年)、室町幕府の足利義満は小笠原長秀を信濃守護に任命。それに対し、地元の北信濃きっての有力国人「村上氏」たちは大文字一揆を形成。二者は対立し、大塔合戦が起きた。結果、小笠原氏は降伏し、京都に逃れることとなる[14]。
戦国時代になると武田信玄と上杉謙信が対立し、天文22年(1553年)に両軍は川中島で決戦することとなった。戦いは小競り合いも含めて5回起き、中でも永禄4年(1561年)秋の戦いは激戦となった。この川中島の戦いは地域の武将だけでなく、寺社にも影響を与える。善光寺の本尊・善光寺如来は権威の象徴として、武将の手を転々とすることになる。まず武田信玄とその子・勝頼、次に織田信長、徳川家康、そして豊臣秀吉の手に渡る。最終的に善光寺に帰るまでの44年間、本尊は各地を流転し、そのため門前町も衰退することになった。また戸隠神社は騒乱に巻き込まれたため、信徒たちは文禄3年(1594年)まで、30年間も小川筏ヶ峰(現在の小川村)に避難を余儀なくされた[15]。
戦国時代後期、現長野市域を含む北信濃は武田領であったが、1582年の武田氏の滅亡によって一時的に織田領となった後、本能寺の変以降は上杉氏が北信濃の川中島四郡(高井郡、水内郡、更級郡、埴科郡)を慶長年間初頭まで支配した。なお、川中島の合戦の際に武田方の拠点として松代に造られた海津城は、江戸時代に入ると川中島四郡を治める信濃国最大の領国の中核として発展した。
近世 - 繁栄と災害
江戸時代になると主要5街道に次ぐ脇街道として北国街道が整備された。北国街道は追分宿(軽井沢町)で中山道から分岐し、矢代宿(千曲市)を過ぎて2つに分かれる。ひとつは千曲川と犀川を越えて善光寺宿から牟礼宿(飯綱町)に至るルート、もうひとつは松代城下を通り、福島宿(須坂市)北で千曲川を渡り長沼宿から牟礼宿に至るルートであった。江戸時代初期以降、繁栄する善光寺町を通る前者が北国街道の主となり、後者は犀川の洪水による舟留めの際の迂回ルートとして利用された[16]。
北国街道は諸大名が参勤交代するルートとしても使われた。また、江戸まで距離も短く難所も少ないため、佐渡金銀の「御金荷」を運ぶ輸送路にもなっていた。
またこの時代、長野市域の大半は松代藩領で占められ、そこに善光寺や戸隠山といった寺社領、飯山藩領、須坂藩領、上田藩領、塩崎知行所などが所在した。その松代藩の政庁である松代城は、先に述べた海津城がその始まりとされる。その後、城下町も整備され、松代城は北信濃支配の拠点として重要な役割を担うようになっていった。
元和8年(1622年)、真田信之が移管されて初代松代藩主となる。ここに真田氏による松代藩の治世が始まり、それは明治維新まで10代250年も続いた。信之は町づくりや産業振興に力を尽くす一方、質素倹約を励行すると共に文武を奨励。それは幕末や明治に活躍する佐久間象山や長谷川昭道を輩出する下地となった[17]。
一方、衰退していた善光寺と門前町だが、本尊が戻ったことによって次第に復興していく。本堂が火災で焼失すると、その資金調達のために自ら出向いて出開帳を行い、全国へさらに善光寺信仰を広めるきっかけとなった。全国各地から善光寺参りの参詣者が集まり、門前町はより繁栄。信濃へ入る道はすべて善光寺道と呼ばれた。
発展した長野市域だが、江戸時代には巨大な災害が2つ起きている。寛保2年(1742年)、7月下旬から起きた大暴風雨によって千曲川本流支流ともにすさまじい氾濫が起きた。被害は甚大で、松代藩領では住宅の被害が2835軒、死者1220名、死んだ馬が32匹に及んだ。松代城にまで浸水し、「戌の満水」と呼ばれる[18]。
また弘化4年(1847年)3月24日夜10時ごろ、マグニチュード7.4と推定される大地震が北信濃を襲った。今日では善光寺地震と呼ばれ、長野県下で発生した地震の中でも最大規模とされている。折しも善光寺では御開帳が行われ、大勢の参詣者が集まっていた。多数の家屋が倒壊すると共に、門前町は猛火に包まれ、数千人の犠牲者が出たとされる。また二次災害として山崩れ、洪水なども起き、死者は8586人に及んでいる[19]。
近代 - 長野市の誕生
長野県の前身は中野県だったが、松代騒動に続く明治3年(1870年)の中野騒動により、現在の中野市にあった中野県庁が焼き討ちに遭って焼失。結局、明治4年(1871年)に長野村の善光寺町へ県庁を移転、長野県に名前を変更することが決まった。最初の長野県は旧幕府領を管轄する県だったが、明治4年の廃藩置県に伴い、東北信6郡を管轄する長野県となった。さらに明治9年(1876年)、筑摩県の中南信4群をあわせて、旧信濃国10郡が長野県となった。
明治7年(1874年)、長野村は長野町となり、同9年(1876年)長野町は箱清水村と合併。さらに同22年(1889年)の町村制で長野町、南長野町、西長野町、鶴賀町と茂菅村が合併して新たな長野町が誕生した。さらに、明治30年(1897年)には県下最初の市制を施行して、ついに長野市となった。
明治21年(1888年)、長野から直江津まで鉄道が開通したことをきっかけに、商工業が発展し近代的市街地が形成された。大規模敷地を要する官庁や文化施設は市街地縁辺部に設置され、市街地との連絡道路が建設されることで、新しい町が生まれて市街地が拡大していった。
明治には富国策として繊維産業に力が入れられ、その影響で市域でも蚕を飼う養蚕農家が急増した。そんな中、明治7年(1874年)には旧松代藩士・大里忠一郎ら数名が、松代町西条に国内初の民間資本による器械製糸場を設立した(西条村製糸場、後に六公社と改称)。六公社には官営の富岡製糸場で工女として働き、蒸気器械製糸技術を学んだ和田英らの十数名も技術指導者として参画した。
しかし、世界恐慌が起きると昭和5年(1930年)には生糸関連の価格が大暴落する昭和恐慌が始まった。ほとんどの農家が養蚕を行い、製糸工場の女工も多かった長野市の影響は甚大だった。昭和7年(1932年)には景気が急激に回復するが、製糸工場はその波に乗り遅れ、少しずつ衰退していった。
太平洋戦争の敗色が濃厚になった昭和19年(1944年)、天皇と直属の最高作戦指導機関の大本営を東京から長野に移す計画が始まる。同年10月に松代の象山、舞鶴山、皆神山に巨大な地下壕を設ける工事が開始。翌年8月15日、日本の降伏で戦争が終結したため工事は中止されたが、本体の8割方は完成していた。工事の主要な労働は勤労動員、学徒動員、朝鮮労働者らが担ったとされる。
またアメリカ軍による本土爆撃も激しさを増した昭和20年(1945年)、8月13日の早朝午前6時50分ごろから午後3時50分ごろまで、6回に渡って長野市は機銃の掃射や爆撃を受けた。終戦2日前のことであり、長野空襲と称される。この時の死者は47人であったとされる。
現代
昭和22年(1947年)10月、昭和天皇の戦後巡幸が行われた。市内の学校、療養所などに行幸[20]。
戦後から現在に至るまで、4回の市町村合併が行われた。まず昭和28年(1954年)の昭和の大合併で、長野市へ周辺の10か村が編入された。次に昭和41年(1966)年にはさらに篠ノ井市など7市町村と大合併を行う。そして平成の大合併では平成17年(2005年)に4町村を、同22年(2010年)にはさらに2町村を長野市に合併した。
一方、昭和40年(1965)年から松代で微小の地震が日に何度も起こる松代群発地震が発生。4年後終息するまで、64万8000回を数えた。昭和60年(1985年)には地附山で大規模な地滑りが発生し、26人の死者と多くの住宅被害を出した。台風による犀川や千曲川の氾濫、堤防の決壊は戦後何度も起こり、そのたびに農地や家屋が被害に遭った。特に令和元年(2019年)の台風19号災害では、長沼地区や豊野地区を中心に例を見ないほどの多くの被害が出た。
また交通分野では、平成5年(1993年)に長野自動車道・上越自動車道が開通。平成9年(1997年)には、長野新幹線が開通した。さらに、平成27年(2015年)には長野‐金沢間が開通し、北陸新幹線として開業した。
平成10年(1998年)に開催された長野オリンピック・パラリンピックでは競技会場が充実すると共に、外国からの訪問者との交流も盛んになった。その中でも一校一国運動はその後、世界的に広まった。現在、長野市は国際会議観光都市として認定されている。
沿革
町村制施行前の沿革については上水内郡、更級郡、埴科郡、上高井郡も参照
「長野」という地名の由来
「長野」という地名が歴史上初めて登場するのは、戦国時代・元亀元年(1570年)の武田信玄の書状である。長野市立図書館のある長門町一帯が、近世には「長野町」とも呼ばれていたようで、上長野・下長野という小字名がある。また、現在の信大教育学部のあたりには袖長野・中長野・西長野の小字名があり、信大教育学部あたりから長門町付近にかけての緩傾斜地についた小土地名が「長野」と考えられる[23]。
この「長野」という地名は、善光寺平に裾花川が砂礫を運んでつくった扇状地に由来すると思われる。「野」はゆるく傾斜する場所を意味することから、長い緩やかな傾斜地を「長野」と呼んだのだろう[23]。
「長野村」と「善光寺町」
「長野村」という地名は、中世末期から見られたらしい。中世末から近世にかけての「水内郡長野村」は、おおよそ現在の長野市大字長野に相当する。1601年(慶長6年)に、同郡箱清水村、七瀬村、及び三輪村の一部(間もなく平柴村に変更)と共に善光寺領とされた。
箱清水村は、1875年(明治8年)に長野町と合併、七瀬村は1876年(明治9年)に鶴賀村の一部となり鶴賀町を経て長野町へ、三輪村は1889年(明治22年)に三輪村、平柴村は1889年(明治22年)に安茂里村を経て、いずれも現在は長野市に属する。長野村のうち、善光寺南の参道は門前町として、また北国街道のルートとされたことから宿場町としても発展して市街地化(町場化)した。こうして市街地化した区域、および松代藩領でこれに隣接して同様に市街地化した妻科村(現長野市大字南長野)および権堂村(現長野市大字鶴賀の一部)のそれぞれ一部も含めて、町場全体の総称として善光寺町(または「善光寺宿」)という呼称が行われるようになった。その結果「長野村」とは、同村のうち町場の「善光寺町」および善光寺境内を除いた北西部の農村区域を指すものと理解されていた。
しかし、検地帳上の公的な村名は善光寺町の区域も含めて「長野村」であり、そのまま明治維新後に至った。すなわち、「善光寺町」とは本来「長野村」の一部であり、明治になってから「善光寺町」が「長野村」と改称されたわけではなく、「善光寺町」が「長野村」の旧称であったわけでもない。
行政
市長
- 歴代市長
歴代市長[24]
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日 |
備考
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官選
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1 |
佐藤八郎右衛門 |
1897年(明治30年)7月14日 |
1899年(明治32年)1月13日 |
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2 |
鈴木小右衛門 |
1899年(明治32年)4月22日 |
1905年(明治38年)4月21日
|
|
1905年(明治38年)4月22日 |
1911年(明治44年)4月21日
|
3 |
牧野元 |
1911年(明治44年)6月7日 |
1917年(大正6年)6月6日
|
|
1917年(大正6年)6月7日 |
1921年(大正10年)1月25日
|
4 |
三田幸司 |
1921年(大正10年)4月30日 |
1921年(大正10年)12月27日 |
|
5 |
丸山弁三郎 |
1922年(大正11年)4月26日 |
1926年(大正15年)4月25日
|
|
1926年(大正15年)4月26日 |
1930年(昭和5年)4月25日
|
1930年(昭和5年)4月26日 |
1934年(昭和9年)4月25日
|
6 |
七沢清助 |
1934年(昭和9年)5月1日 |
1934年(昭和9年)7月12日 |
|
7 |
藤井伊右衛門 |
1934年(昭和9年)12月7日 |
1937年(昭和12年)5月23日 |
|
8 |
高野忠衛 |
1937年(昭和12年)10月4日 |
1941年(昭和16年)10月3日 |
|
9 |
石垣倉治 |
1941年(昭和16年)10月20日 |
1942年(昭和17年)4月7日 |
死去
|
10 |
高野忠衛 |
1942年(昭和17年)4月17日 |
1946年(昭和21年)4月16日
|
|
1946年(昭和21年)6月21日 |
1946年(昭和21年)11月12日
|
公選(旧・長野市)
|
11 |
松橋久左衛門 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1951年(昭和26年)4月4日
|
|
1951年(昭和26年)4月25日 |
1954年(昭和29年)11月19日
|
12 |
倉島至 |
1954年(昭和29年)12月12日 |
1958年(昭和33年)12月11日
|
|
1958年(昭和33年)12月12日 |
1962年(昭和37年)12月5日
|
13 |
夏目忠雄 |
1962年(昭和37年)12月6日 |
1966年(昭和41年)10月15日 |
[注釈 1]
|
公選(現・長野市)
|
1 |
夏目忠雄 |
1966年(昭和41年)11月14日 |
1970年(昭和45年)11月13日
|
[注釈 2]
|
1970年(昭和45年)11月14日 |
1973年(昭和48年)10月18日
|
2 |
柳原正之 |
1973年(昭和48年)11月11日 |
1977年(昭和52年)11月10日
|
|
1977年(昭和52年)11月11日 |
1981年(昭和56年)11月10日
|
1981年(昭和56年)11月11日 |
1985年(昭和60年)11月10日
|
3 |
塚田佐 |
1985年(昭和60年)11月11日 |
1989年(平成元年)11月10日
|
|
1989年(平成元年)11月11日 |
1993年(平成5年)11月10日
|
1993年(平成5年)11月11日 |
1997年(平成9年)11月10日
|
1997年(平成9年)11月11日 |
2001年(平成13年)11月10日
|
4 |
鷲澤正一 |
2001年(平成13年)11月11日 |
2005年(平成17年)11月10日
|
|
2005年(平成17年)11月11日 |
2009年(平成21年)11月10日
|
2009年(平成21年)11月11日 |
2013年(平成25年)11月10日
|
5 |
加藤久雄 |
2013年(平成25年)11月11日 |
2017年(平成29年)11月10日 |
|
2017年(平成29年)11月11日
|
2021年(令和3年)11月10日
|
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6
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荻原健司
|
2021年(令和3年)11月11日
|
現職
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|
環境事業
長野県は1995年の段階で、ゴミのリサイクル率17.0パーセントと、当時の日本の都道府県の中で2位の水準にあった[注釈 3][25]。そんな背景がある中で、長野市では環境問題への取組みとして、第6回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストに参加した。
議会
長野市議会
長野県議会
- 選挙区:長野市・上水内郡選挙区
- 定数:11人
- 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
- 投票日:2019年4月7日
- 当日有権者数:330,530人
- 投票率:41.39%
候補者名 |
当落 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数
|
加藤康治 |
当 |
47 |
公明党 |
新 |
14,812票
|
西沢正隆 |
当 |
47 |
自由民主党 |
現 |
14,556票
|
風間辰一 |
当 |
57 |
自由民主党 |
現 |
11,740票
|
鈴木清 |
当 |
71 |
自由民主党 |
現 |
11,418票
|
服部宏昭 |
当 |
74 |
自由民主党 |
現 |
11,347票
|
高島陽子 |
当 |
50 |
無所属 |
現 |
11,310票
|
和田明子 |
当 |
59 |
日本共産党 |
現 |
10,081票
|
望月義寿 |
当 |
50 |
無所属 |
新 |
9,462票
|
埋橋茂人 |
当 |
66 |
立憲民主党 |
現 |
9,292票
|
池田清 |
当 |
64 |
無所属 |
新 |
8,580票
|
山口典久 |
当 |
58 |
日本共産党 |
現 |
8,447票
|
金沢敦志 |
落 |
56 |
無所属 |
現 |
6,934票
|
野本靖 |
落 |
46 |
無所属 |
新 |
6,866票
|
衆議院
- 長野1区
- 選挙区:長野1区 (長野市(旧大岡村・豊野町・戸隠村・鬼無里村・信州新町・中条村域を除く)、須坂市、中野市、飯山市、上高井郡、下高井郡、下水内郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 当日有権者数:425,440人
- 投票率:59.74%
- 長野2区
公的機関
行政機関
司法機関
- 裁判所
独立行政法人
施設
警察
- 本部
- 交番
- 権堂町交番(長野市権堂町)
- 長野駅前交番(長野市南石堂町)
- 若里交番(長野市若里五丁目)
- 安茂里交番(長野市安茂里)
- 若松町交番(長野市若松町)
- 三輪交番(長野市三輪九丁目)
- 吉田交番(長野市吉田三丁目)
- 柳町交番(長野市柳町)
- 和田交番(長野市東和田)
- 東北交番(長野市富竹)
- 若槻大通り交番(長野市若槻東条)
- 大豆島交番(長野市大豆島)
- 豊野町交番(長野市豊野町豊野)
- 信州新町交番 (長野市信州新町新町)
- 駐在所
- 長野中央
- 七二会駐在所(長野市七二会甲)
- 芋井駐在所(長野市桜)
- 綿内駐在所(長野市若穂綿内)
- 保科駐在所(長野市若穂保科)
- 川田駐在所(長野市若穂川田)
- 戸隠駐在所(長野市戸隠豊岡)
- 鬼無里駐在所(長野市鬼無里)
- 中条駐在所(長野市中条)
- 長野南
- 共和駐在所
- 信里駐在所
- 塩崎駐在所
- 信更駐在所
- 大岡駐在所
消防
- 本部
- 消防署
- 中央消防署(大字長野旭町)
- 鶴賀消防署(大字鶴賀)
- 篠ノ井消防署(篠ノ井会)
- 松代消防署(松代町西寺尾)
- 新町消防署(信州新町里穂刈)
- 分署
- 中央
- 安茂里(安茂里小市)
- 七二会(七二会己)
- 飯綱(大字上ヶ屋)
- 鬼無里(鬼無里日影)
- 鶴賀
- 若槻(大字若槻東条)
- 柳原(大字柳原)
- 東部(大字南長池)
- 豊野(豊野町豊野)
医療
- 主な病院
- 長野市保健所
- 2021年4月に松本市保健所ができるまでは、県内市町村の中で唯一、単独で保健所を設置する、保健所政令市であった。
図書館
郵便局
集配郵便局
無集配郵便局
- 青木島郵便局
- 浅川郵便局
- 浅野郵便局
- 朝陽郵便局
- 安茂里郵便局
- 稲荷山駅前郵便局
- 芋井郵便局
- 大岡郵便局
- 小島田郵便局
- 川田郵便局
- 川中島駅前郵便局
- 小市郵便局
- 更府郵便局
- 更北郵便局
- 三本柳郵便局
- 塩崎郵便局
- 篠ノ井郵便局
- 信更郵便局
- 善光寺郵便局
- 祖山郵便局
- 津和郵便局
- 寺尾郵便局
- 戸隠神社前郵便局
- 戸隠郵便局
- 豊栄郵便局
- 豊野郵便局
- 長沼郵便局
- 長野相ノ木郵便局
- 長野旭郵便局
- 長野駅前郵便局
- 長野栗田郵便局
- 長野県庁内郵便局
- 長野古牧郵便局
- 長野権堂郵便局
- 長野桜枝郵便局
- 長野鶴賀郵便局
- 長野中御所郵便局
- 長野七瀬郵便局
- 長野箱清水郵便局
- 長野緑郵便局
- 長野柳町郵便局
- 長野吉田一郵便局
- 長野吉田東町郵便局
- 長野吉田郵便局
- 長野淀ヶ橋郵便局
- 長野若里郵便局
- 七二会郵便局
- 日原郵便局
- 古里郵便局
- 保科郵便局
- 牧郷郵便局
- 松代郵便局
- 大豆島郵便局
- 柳原郵便局
- 若槻郵便局
- 若穂郵便局
簡易郵便局
- 赤沼簡易郵便局
- 上ケ屋簡易郵便局
- 朝陽駅前簡易郵便局
- 伊勢宮簡易郵便局
- 市場簡易郵便局
- 尾張部簡易郵便局
- 御幣川簡易郵便局
- 上駒沢簡易郵便局
- 共和簡易郵便局
- 五明簡易郵便局
- 犀南簡易郵便局
- 犀北簡易郵便局
- 三陽簡易郵便局
- 篠ノ井高田簡易郵便局
- 東福寺簡易郵便局
- 徳間簡易郵便局
- 中越簡易郵便局
- 中氷鉋簡易郵便局
- 長野アークス簡易郵便局
- 長野上松簡易郵便局
- 長野宇木簡易郵便局
- 長野九反簡易郵便局
- 長野小柴見簡易郵便局
- 長野新諏訪簡易郵便局
- 信里簡易郵便局
- 東和田簡易郵便局
- 日詰簡易郵便局
- 北部簡易郵便局
- 真島簡易郵便局
- 松岡簡易郵便局
- 御厨簡易郵便局
- 南郷簡易郵便局
- 母袋簡易郵便局
- 屋島簡易郵便局
- 若槻団地簡易郵便局
- 若穂団地簡易郵便局
文化施設
- 集会施設
博物館・記念館
-
長野県民文化会館
-
長野市立博物館
-
真田宝物館
-
長野県立美術館
-
北野美術館
-
長野松竹相生座
運動施設
- 主なプール
- 長野運動公園総合運動場総合市民プール(アクアウィング)
- 南長野運動公園プール
- サンマリーンながの
- 長野市営北部市民プール
- 長野市営安茂里市民プール
- 長野市営青垣公園市民プール
- 長野市営犀南市民プール
- 主なスキー場
(かつては飯綱高原スキー場、聖山パノラマスキー場、地附山スキー場があった。)
- 主なキャンプ場
公園・交通公園・自然公園
対外関係
姉妹都市・提携都市
国外
- 姉妹都市
- 友好都市
国内
- 集客プロモーションパートナー都市
教育
大学
- 国立
- 信州大学 長野(教育)キャンパス・長野(工学)キャンパス
- 公立
- 私立
短期大学
- 私立
専修学校
- 公立
- 私立
- OKA学園トータルデザインアカデミー
- 信越情報専門学校21ルネサンス学院
- 信州スポーツ医療福祉専門学校
- 専門学校カレッジオブキャリア
- 豊野高等専修学校
- 長野看護専門学校
- 長野社会ふくし専門学校
- 長野スクールオブビジネス
- 長野美術専門学校
- 長野ビジネスアカデミー
- 長野平青学園
- 長野法律高度専門学校
- 長野調理製菓専門学校
- 長野理容美容専門学校
- 文化学園大学保育専門学校
- 学校法人大原学園長野校
- 大原簿記情報ビジネス医療専門学校長野校
- 大原スポーツ公務員専門学校長野校
高等専門学校
- 国立
高等学校
県立:12校(普通科9校、職業科3校)
- 長野県の県立高校は、校名の前に「長野県」と付く。
市立:1校(職業科1校)
私立:8校(普通科8校)
中学校
国立:1校
市立:25校
私立:4校
小学校
特別支援学校
交通
長野市は都市圏人口が約60万人である。車社会が進展している一方で、日本の中規模地方都市としては公共交通手段を利用した通勤・通学が盛んであり、朝夕のラッシュ時には鉄道駅やバス停が多くの通勤・通学客で混雑する。そのため信越本線は朝ラッシュ時6両の編成による運行が見られ、長電長野線においても短い間隔で通勤形車両によって運行されるほか、通勤利用による混雑の対策として長野駅には自動改札機が設置されている。また、路線バスにおいては川中島バスが長野駅~松代間にて座席指定制の「通勤ライナー」を運行するなど、通勤利用対策を行っている[27]。
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)、しなの鉄道、長野電鉄の3社の路線が市内を通る。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 北陸新幹線
- ■信越本線
- ■篠ノ井線
- 長野駅 - 安茂里駅 - 川中島駅 - 今井駅 - 篠ノ井駅 - 稲荷山駅 -
- ■飯山線
- しなの鉄道
- ■しなの鉄道線
- - 篠ノ井駅 - 今井駅 - 川中島駅 - 安茂里駅 - 長野駅
- ■北しなの線
- 長野電鉄(長電)
- ■長野線
過去の路線
- 長野電鉄
- 岩野駅 - 象山口駅 - 松代駅 - 金井山駅 - 大室駅 - 信濃川田駅 - 若穂駅 - 綿内駅
- 善光寺白馬電鉄
- 南長野駅 - 山王駅 - 妻科駅 - 信濃善光寺駅 - 茂菅駅 - 善光寺温泉東口駅(仮設駅、1936年廃止) - 善光寺温泉駅 - 裾花口駅
- 長野市開発公社
- 雲上台駅 - 地附山頂駅駅
新交通システム・LRT構想
2011年12月6日、松代・若穂・篠ノ井・更北・川中島の沿線5地区の住民自治協議会長の連名で、長野電鉄屋代線廃止後の跡地を活用したLRTの導入を求める請願が長野市議会に提出され、同年12月16日の長野市議会12月定例会にて全会一致の賛成で採択された。これを受けて長野市は市の交通対策審議会に諮問、新交通システム導入検討部会において、LRT及び長野駅‐松代駅間の新交通システム導入に関する調査検討を行った。
2013年5月29日から同年6月21日に実施した「長野市新交通システム導入可能性調査」の結果を踏まえて、長野市交通対策審議会は2014年2月12日に、旧屋代線を除いた計画中の5ルート(長野駅 - 善光寺、長野駅 - 若槻団地、長野駅 - 綿内駅、長野駅 - 松代、長野駅 - 篠ノ井駅)での採算性や事業実施の難易度(市が検討する中で最も営業区間の長い長野駅 - 篠ノ井駅ルートの場合、市が負担する事業費を172億円、年間運行経費が6億4000万円と見込み1人当たりの平均運賃を試算すると、LRTで570円、BRTでは280円にのぼる)を考え、中期的にはBRTについて検討を進め、長期的には将来の需要喚起や技術革新などを勘案した上で、LRTへの移行を踏まえ今後検討を深めていく必要があるとした。
その後、2014年7月30日に発表された「新交通システムの導入に関する中間報告書」においては、「LRT化には、大規模な投資が必要となるが、投資を上回る事業便益が生じてこない状況」(「継続した運行のためには、相当高い運賃設定」か「相当な観光客の誘客(現状松代地区に年間60万人であるところ、215万人)」が必要)とし、運行は「沿線人口の大幅な増加又はLRT利用観光客の大幅な増加」もしくは「赤字分を全て行政で負担」が条件だが、いずれもその可能性は低いと評価した[28]。
バス
- 路線バス
道路
- 高速道路
- 東日本高速道路(NEXCO東日本)
- E18 上信越自動車道
- E19長野自動車道(市内をかすめているがICは無い。)
- 一般国道
県道(一部)
- 有料道路
- その他主要道路
- 中央通り、長野大通り、ターミナル通り、東通り、若槻大通り、サンロード、戸隠バードライン、浅川ループライン、長野環状道路、北信五岳道路、南長野公園通り、二線路通り、ユメリア通り
- 道の駅
経済
都市の成り立ちが県庁所在地であり、官公署が集中していたことから、卸売業を中心に商業が発達している。現在は卸売業・小売業・宿泊業・飲食サービス業の企業が多い。これらのうち卸売業・小売業では飲食料品小売業が、宿泊業・飲食サービス業では飲食店が、それぞれ最も多い業種である。[29]
また、工業の特色としては、企業数で食料品、印刷業、生産用機械器具がトップ3を占め、製造品出荷額では、電子回路基板、みそ、無線通信機械器具、オフセット印刷、電子計算機(パソコンを除く)の品目が出荷額の多い順になっている。[29]
明治以降から印刷業が発達してきたため、長野市では印刷業の企業数およびその製造品出荷額が非常に多い。近年のデジタル化、紙離れなどにより業界は厳しい状況にあるが、現在でも脈々とその流れは続いている。[29]
また、出荷額の多い電子回路基板、無線通信機械器具、電子計算機の品目を製造する企業のほとんどは、昭和初期から戦争中の疎開によって長野市に移転したものである。戦後も当地に留まり、時代の流れと共に大きく発展した。[29]
製造品出荷額のトップ20には食料品製造業の「みそ」を筆頭に、惣菜、精米・精麦があり、自然の豊かな長野市の気候風土を反映しているといえる。[29]
産業別生産
第1次産業 - 農業産出額(2020年)163.4億円(県3位)[30]
第2次産業 - 工業製造品出荷額(2020年)5938億円(県2位)[31]
第3次産業 - 年間商品販売額(卸売業・小売業、2015年)1兆6850億円(県1位)[32]
日本一
- きのこの人工栽培・販売・売上高・生産量
- 市に本社を置くきのこメーカーのホクト株式会社はきのこの年間売り上げ高、ブナシメジの生産シェア、エリンギの生産シェアで日本一になっている。[33]
- そば粉・そば茶
- 日本最古のスキーメーカー
商業
- 長野駅周辺の主な商業施設
- 主な繁華街
市内に本社機能を置く主な企業
マスメディア
FM長野は松本市に本社を置くが、それ以外の局は長野市に本社、本部を置く。
新聞・通信社
- 地方紙
- 全国紙・ブロック紙
放送
- テレビ
- ※ テレビはリモコンキーIDのチャンネルで掲載。長野市では全般的にはテレビ・FMラジオは善光寺平中継局の電波を受信する。
- ケーブルテレビ
- 長野市(一部地域を除く)をサービスエリアとするケーブルテレビ局。インターネット接続サービスや、テレビ局は長野県の地上波放送局 (NHK, SBC, NBS, TSB, abn) に加え、テレビ東京(キー局)を再送信。ラジオ局は長野県のFM局(NHK-FM、FM長野、FMぜんこうじ)に加え、関東地方のTOKYO FM(キー局)とJ-WAVE(キー局)を再送信。
- ラジオ
- FMぜんこうじは長野市を中心に北信地方を放送範囲とするコミュニティFM放送局。
- ※その他、場所により関東地方のAM局を終日聴取可能。東海・関西地方のAM局は深夜に限り聴取可能。
観光・文化
エリア別解説
善光寺・表参道エリア
- 善光寺は今から1400年前に創建されたとされる。本堂は国宝、山門は重要文化財となっており、その他にも境内では様々な建築・仏像・塚などを見ることができる。善光寺一山には、大勧進を本坊とする天台宗25院と、大本願を本坊とする浄土宗14坊があり、宿坊として参詣客を迎え、信仰を支えている。また、仲見世通りには、50以上の店が軒を連ね、景観も素晴らしい。その門前町にも注目である。
松代エリア
- 松代藩の繁栄により、今なお多くの武家屋敷や古寺が残り、往時の面影を忍ばせている。松代城、映画やドラマのロケにもよく使われる文武学校、旧横田家住宅、など松代藩を象徴する重要な建物や史跡がある。また、真田邸、真田家の菩提寺である長国寺、重要文化財の真田信之霊屋、など藩主にまつわるもの、さらに佐久間象山を祀る象山神社、第二次大戦末期に大本営を移すため掘られた象山地下壕など、いわれのある神社仏閣や歴史的遺跡が数多くある。
川中島エリア
篠ノ井エリア
飯綱エリア
戸隠エリア
- 太古の神話に彩られた山岳信仰のメッカ。霊山戸隠山の麓にあり、奥社・中社・宝光社・九頭竜社・火之御子社の5社からなる戸隠神社は、その中心的存在である。中でも奥社への参道は、2キロにも及ぶ樹齢約400年の杉並木が続いており、圧巻の景色である。また、中社・宝光社には伝統的な宿坊が立ち並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。このほか、鏡池や戸隠牧場、戸隠キャンプ場などで自然と触れ合うこともできる。
鬼無里エリア
- 豊かで美しい自然を多く抱える、伝統と文化の里。奥裾花自然園では、広大なブナの原生林の中で、7ヘクタールもの湿原地帯があり、81万本ものミズバショウが群生している。秋には一帯が紅葉狩りの名所となる。ほかに白髯神社、鬼女紅葉伝説の松厳寺、鬼無里神社などがある。春と秋には鬼女紅葉祭りが開かれ、普段は鬼無里ふるさと資料館に展示されている屋台が町を練り歩く。
信州新町エリア
- 琅鶴湖とジンギスカンで有名。琅鶴湖は屋形船遊覧も楽しめ、秋には景勝地「久米路峡」で船上から見事な紅葉を楽しむことができる。昭和20年代からジンギスカンは信州新町の名物料理として知られており、国道19号線は料理店が多いことから「ジンギスカン街道」と呼ばれる。その他にも、信州新町美術館、有島生馬記念館、信州新町化石博物館、ろうかく梅園のほか、その上部の武富佐神社は知る人ぞ知る親孝行のパワースポットであるなど、様々な見どころがある。
国指定等文化財
仏像
- 金銅阿弥陀如来及び両脇侍立像(善光寺)
- 銅造釈迦涅槃像(世尊院・釈迦堂)
- 木造阿弥陀如来像(蓮台寺)
- 木造聖観音立像(七二会己瀬脇)
- 木造伝子安荒神坐像(三宝寺)
- 木造聖観音立像(若穂保科・清水寺)
工芸品・書跡など
- 紙本墨書法華経残闕(戸隠神社)
- 牙笏(戸隠神社)
- 鉄鍬形(若穂保科・清水寺)
- 青江の大太刀(真田宝物館)
- 善光寺造営図(善光寺大勧進)
- 紙本墨書源氏物語事書(善光寺大勧進)
絵画
- 絹本著色了界曼荼羅図(若穂保科・清水寺)
- 絹本著色阿弥陀聖衆来迎図(善光寺大本願)
-
善光寺山門
-
善光寺経蔵
-
真田信之霊屋
-
大室古墳群
-
素桜神社の神代ザクラ
その他の名所・旧跡
寺院・神社
-
かるかや山西光寺
-
戸隠神社中社
-
飯綱神社
-
象山神社
-
白髯神社
城跡・古戦場
近代遺産
- 西条村製糸場跡
- 旧信濃中牛馬合資会社社屋
- 旧三河屋商店(ちょっ蔵おいらい館)
- 三原屋商店
- 長野電燈株式会社発電所跡
- 内務省堤防(千曲川堤防)
- 久米路橋
- 善白鉄道跡
- 松代大本営跡
- 長野飛行場跡
- 旧長野県庁舎
- 長野刑務所跡
- 往生地浄水場
- 旧日本赤十字社長野県支部
- 長野聖救主教会
- 旧ダニエル・ノルマン邸
- 旧長野県師範学校教師館
- 旧作新学校本館
- 信州大学教育学部書庫
- 安茂里小学校赤心館
- 長野高等学校旧南校舎
旧住宅
-
川中島古戦場
-
象山地下壕(松代大本営跡)
-
旧ダニエル・ノルマン邸
-
旭山城主郭部
-
旧樋口家住宅
温泉
認定物
名産物・郷土食
名産品
- 信州牛
- 長芋 - 松代地区を代表する特産品。
- 綿内れんこん - 若穂綿内でつくられる。
- 戸隠大根
- おかわさび - 葉や茎を酒粕と合わせてわさび漬けとして食べる。信州新町が産地。
- マコモタケ - 豊野地区
- 果物 - 長野市は標高が高く、雨量が少ないので果樹の栽培に大変適している。6月のアンズから2月のりんごまで、年間を通して旬の果物を楽しめる。
- その代表であるりんごは、平成18年市町村別生産量で全国2位だった。[35]また、2012年から2014年に総務省が日本の県庁所在地と政令指定都市を対象に家計調査を行った結果、りんごの1世帯当たりの年間購入量の平均値は、長野市が日本一であった[36]。
- ももは川中島の名前を冠した「川中島白桃」「川中島白鳳」が全国で栽培されて人気を博している。ほかに、「なつっこ」「黄金桃」なども川中島で生まれた。[37]
- ネクタリン - モモの変種である。長野県は2014年現在、ネクタリンの収穫量で日本の74.9パーセントを占めており、長野県内では松本市周辺などと並んで長野市周辺もネクタリンの産地として知られている[38]。
- プルーン - 長野県は2014年現在、日本におけるプルーンの収穫量の67.7パーセントを占めており、長野県内では佐久市周辺などと並んで長野市周辺もプルーンの産地として知られている[39]。
- その他にも、ぶどう、なしなどが収穫される。
- 信州そば - 日本三大そばのひとつ「戸隠そば」、善光寺界隈で有名な「門前そば」、「鬼無里そば」「大岡そば」「信州新町左右高原のそば」など、各地で特色がある。
- 七味唐辛子 - 八幡屋礒五郎の七味唐辛子は日本三大七味の一つとされる。
- 善光寺精進料理 - 39ある宿坊でそれぞれのものを味わえる。
- ジンギスカン - 信州新町。国道19号は「ジンギスカン街道」と呼ばれる。
- 信州みそ - 日本で消費される味噌の4割が信州みそと言われ、市内には老舗の味噌蔵が多くある。[40]
- 地酒 - 「よしのや」「今井酒造店」「酒千蔵野」「尾澤酒造所」「西飯田酒造店」「大信州酒造」「東飯田酒造店」など。
- 松代焼 - 陶器
- 戸隠竹細工 - 根曲がり竹を使用する。
郷土食
- おしぼりうどん - 大根のしぼり汁で食べる。
- お煮かけ
- うすやき・せんべい
- 丸なすのおやき
- 丸なすのしん焼き
- はたきなす
- おぶっこ
- やしょうま
- こりんと
- 大豆のてんぷら
- おとうじ
- えご
- つるしがき - 干し柿
- つけば
祭事・催事
伝説
- 善光寺
- 天岩戸伝説
- 神々の時代、天照大神が怒り、天岩戸の中に隠れてしまった。困った神々は天照大神の隠れた岩戸の前でにぎやかに歌い、踊った。その様子を聞いた天照大神が岩戸を少し開けたとき、手力雄命がその岩戸を引き開けて飛ばしてしまった。その岩戸の落ちた場所が、今の戸隠だという。
- ダイダラボッチ伝説
- ダイダラボッチが飯縄山に座り、一歩踏み出したときに湿地帯に足がはまってしまった。そうしてできたのが大座法師池だという。
- 鬼女紅葉伝説
- 平安時代、紅葉という女性が京の都から水無瀬(今の鬼無里)に追放されてきた。紅葉は妖術で村を荒らすようになり、鬼女と呼ばれるようになった。朝廷は平維茂に鬼女退治を命じる。維茂は征伐に向かうが、最初は太刀打ちできず失敗してしまう。そこで維茂は上田の別所にある北向観音に祈願した。すると紅葉の妖術は聞かなくなり、退治に成功。水無瀬は「鬼無里」と呼ばれるようになったという。
- 一夜山の鬼伝説
- 天武天皇が遷都を計画し、その候補地に水無瀬(今の鬼無里)がよいのではないかという案が出た。それを知った水無瀬の鬼たちは、都ができぬように里の真ん中に山を造ってしまった。そのために遷都ができなくなり、天武天皇は阿倍比羅夫に命じて鬼たちを退治してしまった。このときから水無瀬は鬼無里と呼ばれるようになったという。また、鬼たちがつくった山を一夜山と呼ぶようになったともいう。
スポーツチーム
- 野球
- サッカー
- フットサル
- バスケットボール
出身・関連著名人
近代以前の人物
政財界
法曹界
官界
学界・教育界
社会科学・人文科学
自然科学
文学
芸術
サブカルチャー
芸能
報道機関
音楽
スポーツ
囲碁・将棋
長野市を舞台・ロケ地にした作品
アニメ
映画
脚注
注釈
- ^ 合併に伴う新長野市発足により任期途中で失職(その後の新長野市の市長選で当選)
- ^ 1966年の新長野市発足後初めて再選され、2期務める(旧長野市時代も入れて3期)。
- ^ ちなみに、1995年当時の日本の都道府県の中で、ゴミのリサイクル率が1位だったのは千葉県だった。なお、ここで言う「ゴミのリサイクル率」とは、ゴミの総排出量に対する、ゴミの再資源化量の割合である。
出典
参考文献
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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行政
ライブカメラ
その他
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注: 順位は2021年国勢調査時の市域人口による。 |
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