長野地方裁判所(ながのちほうさいばんしょ)は、長野県長野市にある日本の地方裁判所の一つで、長野県を管轄している。略称は、長野地裁(ながのちさい)。上田、佐久、松本、諏訪、飯田、伊那に支部を置いている。
長野県を管轄しており、長野地方裁判所には長野市に置かれている本庁のほか、上田市、佐久市、松本市、諏訪市、飯田市、伊那市の6市に地方裁判所と家庭裁判所の支部を設置しているほか、飯山市、木曽福島(木曽郡木曽町)、大町市、岡谷市の4箇所を加えた計11箇所に簡易裁判所を設置している。また本庁および上田、松本、飯田の各支部の所在地には、検察審査会も設置されている。
福島県と並んで、政令指定都市を抱えていない県で裁判員裁判の管轄が複数に亘る県のひとつでもある。また、政令指定都市を抱えていない県で唯一労働審判の管轄が複数に亘る県でもある。
所在地
- 本庁:長野県長野市旭町1108 北緯36度39分16.4秒 東経138度10分50.8秒 / 北緯36.654556度 東経138.180778度 / 36.654556; 138.180778 (長野地方裁判所本庁)
- 北陸新幹線, JR信越線, 篠ノ井線, 飯山線, しなの鉄道しなの鉄道線, しなの鉄道北しなの線, 長野電鉄長野線 長野駅善光寺口4番のりばから市街地循環バス「ぐるりん号」またはアルピコ交通41系統「自治会館行き」で「合同庁舎前」下車
- 上田支部:長野県上田市中央西2丁目3-3 北緯36度24分31.6秒 東経138度14分46.5秒 / 北緯36.408778度 東経138.246250度 / 36.408778; 138.246250 (長野地方裁判所上田支部)
- 北陸新幹線, しなの鉄道しなの鉄道線, 上田電鉄別所線 上田駅から千曲バス「秋和行き」で「花園」下車
- 佐久支部:長野県佐久市岩村田1161 北緯36度16分32.3秒 東経138度28分30.2秒 / 北緯36.275639度 東経138.475056度 / 36.275639; 138.475056 (長野地方裁判所佐久支部)
- JR小海線 岩村田駅から徒歩約5分 車では佐久ICより車約7分
- 松本支部:長野県松本市丸の内10-35 北緯36度14分24秒 東経137度58分10.3秒 / 北緯36.24000度 東経137.969528度 / 36.24000; 137.969528 (長野地方裁判所松本支部)
- JR篠ノ井線, 大糸線, アルピコ交通上高地線(通称・松本電鉄) 松本駅から徒歩約20分,駅前松本バスターミナルからアルピコ交通31系統「美ヶ原温泉行き」,32系統「浅間温泉行き」などで「松本城・市役所前」下車,松本周遊バス・タウンスニーカー“北コース”で「松本城北」下車
- 諏訪支部:長野県諏訪市諏訪1丁目24-22 北緯36度2分43.9秒 東経138度7分7秒 / 北緯36.045528度 東経138.11861度 / 36.045528; 138.11861 (長野地方裁判所諏訪支部)
- JR中央線 上諏訪駅から徒歩5分
- 飯田支部:長野県飯田市江戸町1-21 北緯35度31分3.4秒 東経137度49分47.2秒 / 北緯35.517611度 東経137.829778度 / 35.517611; 137.829778 (長野地方裁判所飯田支部)
- 中央自動車道飯田ICからは,国道153号飯田バイパス「別府」交差点(左折)経由で約15分
- 伊那支部:長野県伊那市西町4841 北緯35度50分20.5秒 東経137度57分19.3秒 / 北緯35.839028度 東経137.955361度 / 35.839028; 137.955361 (長野地方裁判所伊那支部)
- JR飯田線 伊那市駅から徒歩約10分
管轄区域
本庁
上田支部
佐久支部
松本支部
諏訪支部
飯田支部
伊那支部
※ただし、行政事件は本庁で、佐久支部管内の合議事件および少年事件は上田支部で、諏訪支部の合議事件は松本支部で、伊那支部の合議事件は飯田支部でそれぞれ取り扱う。
※本庁および上田、佐久支部管内の裁判員の参加する刑事裁判および労働審判は本庁で、松本、諏訪、飯田、伊那支部管内の裁判員の参加する刑事裁判および労働審判は松本支部で行う。
管内の簡易裁判所
- 本庁
- 上田支部
- 佐久支部
- 松本支部
- 諏訪支部
- 飯田支部
- 伊那支部
歴史
前身の裁判所の歴史も含める[1]
- 1876年12月 - 長野区裁判所が設置。執務は善光寺大勧進内の建物を借り受けて行う。
- 1877年12月 - 松本裁判所長野支庁に改組。
- 1878年8月 - 立町(信州大学教育学部北側)に庁舎を新築。
- 1882年1月 - 長野始審裁判所と名称変更。
- 1883年2月 - 管轄を長野県全域とする。
- 1887年4月 - 花咲町に木造一部2階建て庁舎を新築、移転。
- 1890年11月 - 長野地方裁判所に改称。
- 1966年5月 - 旭町の現在地に移転。
歴代所長
任期の後ろは後職
出来事
- 1951年1月19日 - 公安条例違反をめぐる公判に際し、長野自由労働組合員約100名が正門前に押しかけて全員の傍聴を要求。さらに正門を押し破ろうとしたため警備にあたっていた長野市警察の警官隊300人と乱闘になった。また、自由法曹団の弁護士ら5人が裁判所長室に押し入ろうとして警官と乱闘となった[6]。
脚注
出典
- ^ “長野地方・家庭裁判所の沿革” (PDF). 長野地方裁判所. 2022年5月21日閲覧。
- ^ “裁判官検索”. 2023年7月25日閲覧。
- ^ “裁判官検索”. 2023年7月25日閲覧。
- ^ “裁判官検索”. 2023年7月25日閲覧。では「R5.3.12 横浜地家裁所長・横浜簡裁判事
」とされているが、横浜は地裁と家裁の所長は異なるのが通例であり、かつ、“最高裁人事(12日付)”. 2023年7月25日閲覧。でも横浜家裁所長とされているため、後者によった。
- ^ “裁判官検索”. 2023年7月25日閲覧。
- ^ 「警官三百と乱闘 長野地裁前で」『朝日新聞』昭和26年1月20日3面
外部リンク