下高井郡(しもたかいぐん)は、日本の長野県の郡。北信地方の北信地域に属する[1]。
人口17,560人、面積423.18km²、人口密度41.5人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
現在は以下の1町2村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町2村のほか、下記の区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領(中野代官所)
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90村
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上条村、高遠村、大俣村、立ヶ花村、坂井村、天神堂村、下木島村、山岸村、山口新田村、市之割村、野坂田村、○計見村、高石村、計見新田村、平沢村、馬曲村、○西条村、稲荷村、和栗村、東大滝村、志久見村、箕作村、野沢村、虫生村、七ヶ巻村、平林村、針田村、前坂村、笹沢新田村、神戸村、関沢村、○小菅村、北原新田村、○岩船村、中村、●西間村、●○松川村、○東江部村、○新保村、○中野村、●○一本木村、○竹原村、●○若宮村、○金井村、庚新田村、●赤岩村、○上新田村、○越村、○寒沢村、○戸狩村、○深沢村、南鴨ヶ原村、北鴨ヶ原村、○更科村、吉田村、○小田中村、○新野村、牛出村、○西江部村、○夜間瀬村、○篠井村、山根村、○間山村、吉村、其綿村、○上木島村、小見村、○内山村、○坪山村、○犬飼村、○重地原新田村、下笠原村、柳沢村、田上村、岩井村、○柏尾村、岩井新田村、安田村、片塩村、上笠原村、安源寺村、安源寺新田村、間長瀬村、間長瀬新田村、七瀬村、田麦村、厚貝村、壁田村、新井村、栗林村
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幕府領(松代藩預地)
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1村
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○桜沢村
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藩領
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信濃松代藩
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3村
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○湯田中村、○佐野村、○沓野村
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信濃須坂藩
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1村
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草間村
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松代藩・越後椎谷藩
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1村
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○大熊村
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幕府領・藩領
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幕府領(松代藩預地)・松代藩
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1村
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小沼村
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- 慶応4年2月17日(1868年3月10日) - 幕府領の一部(中野代官所)が名古屋藩の管轄となる。
- 明治2年2月30日(1869年4月11日) - 幕府領の一部(中野代官所)が伊那県の管轄となる。
- 明治3年
- このころ幕府領(松代藩預地)が伊那県の管轄となる。
- 9月17日(1870年10月11日)
- 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。
- 中野村が県庁の設置にともない改称して中野町となる。(1町96村)
- 明治4年
- 明治7年(1874年)(1町94村)
- 4月 - 間長瀬新田村が間長瀬村に合併。
- 岩井新田村が岩井村に合併。
- 明治8年(1875年)(1町81村)
- 1月
- 東江部村・西江部村が合併して江部村となる。
- 安源寺新田村が安源寺村に合併。
- 2月 - 西間村が西条村に、松川村が中野町にそれぞれ合併。
- 6月 - 志久見村・箕作村が合併して堺村となる。
- 東大滝村・虫生村・七ヶ巻村・平林村・坪山村が合併して市川村となる。
- 野沢村・北原新田村・重地原村・柏尾村が合併して豊郷村となる。
- 小沼村・大熊村(南大熊村・北大熊村)が合併して三ツ和村となる。
- 明治9年(1876年)(1町56村)
- 5月
- 市之割村・計見村・高石村・計見新田村・平沢村・馬曲村・庚新田村・南鴨ヶ原村が合併して往郷村となる。
- 上条村・湯田中村・沓野村が合併して平穏村となる。
- 赤岩村・越村・深沢村が合併して科野村となる。
- 針田村・前坂村・笹沢新田村・神戸村・関沢村・小菅村・犬飼村が合併して高野村となる。
- 6月 - 下笠原村・上笠原村が合併して笠原村となる。
- 稲荷村・和栗村・中村・北鴨ヶ原村・小見村・内山村が合併して穂高村となる。
- 山根村・上新田村・安田村が合併して木島村となる。
郡発足以降の沿革
- 明治12年(1879年)
- 1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、高井郡のうち1町56村の区域に行政区画としての下高井郡が発足。郡役所を中野町に設置。
- 3月4日 - 山口新田村が上木島村に合併。(1町55村)
- 明治13年(1880年)8月25日 - 市川村が分割されて東大滝村・虫生村・七ヶ巻村・平林村・坪山村となる。(1町59村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町19村)
- 中野町 ← 中野町、一本木村、西条村(現・中野市)
- 延徳村 ← 三ツ和村、桜沢村、篠井村、新保村(現・中野市)
- 高丘村 ← 安源寺村、草間村、立ヶ花村、牛出村、栗林村(現・中野市)
- 平野村 ← 江部村、片塩村、岩船村、吉田村(現・中野市)
- 日野村 ← 間山村、新野村、高遠村、更科村、小田中村(現・中野市)
- 穂波村 ← 佐野村、寒沢村、戸狩村(現・山ノ内町)
- 平穏村、夜間瀬村(それぞれ単独村制。現・山ノ内町)
- 平岡村 ← 竹原村、若宮村、金井村、間長瀬村、笠原村、新井村(現・中野市)
- 長丘村 ← 大俣村、七瀬村、田麦村、厚貝村、壁田村(現・中野市)
- 科野村(単独村制、現・中野市)
- 倭村 ← 柳沢村、田上村、岩井村(現・中野市)
- 木島村 ← 木島村、下木島村、野坂田村、天神堂村、坂井村、其綿村、吉村、山岸村(現・飯山市)
- 上木島村、往郷村、穂高村(それぞれ単独村制。現・木島平村)
- 高野村(単独村制、現・飯山市)
- 豊郷村 ← 豊郷村、坪山村(現・野沢温泉村)
- 市川村 ← 虫生村、七ヶ巻村、平林村、東大滝村(現・野沢温泉村)
- 堺村(単独村制、現・下水内郡栄村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治25年(1892年)10月14日 - 高野村が豊郷村の一部(柏尾組・北原組・重地原組)を編入のうえ改称して瑞穂村となる。
- 明治27年(1894年)4月1日 - 日野村の一部(小田中)が中野町に編入。
- 明治29年(1896年) - 長野県議会で下高井郡を分合する建議書が否決[3]。
- 明治36年(1903年) - 藤沢倉之助(穂波村戸狩)作詞の「下高井唱歌」を制定。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和28年(1953年)8月18日 - 豊郷村が野沢温泉村に改称。
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 2月1日 - 穂高村・往郷村・上木島村が合併して木島平村が発足。(1町6村)
- 4月1日(1町4村)
- 平穏町・穂波村・夜間瀬村が合併して山ノ内町が発足。
- 野沢温泉村が飯山市の一部(前坂)を編入。
- 昭和31年(1956年)9月30日(1町2村)
- 堺村が下水内郡水内村と合併して下水内郡栄村が発足し、郡より離脱。
- 野沢温泉村・市川村が合併し、改めて野沢温泉村が発足。
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前
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明治22年4月1日
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明治22年 - 大正15年
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昭和1年 - 昭和19年
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昭和20年 - 昭和29年
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昭和30年 - 昭和64年
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平成1年 - 現在
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現在
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堺村
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堺村
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堺村
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堺村
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昭和31年9月30日 下水内郡 栄村
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下水内郡 栄村
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下水内郡 栄村
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木島村
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木島村
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木島村
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昭和29年8月1日 飯山市
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飯山市
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飯山市
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飯山市
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高野村
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明治25年10月14日 瑞穂村
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瑞穂村
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豊郷村
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昭和30年4月1日 野沢温泉村に編入 (前坂区)
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野沢温泉村
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野沢温泉村
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豊郷村
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豊郷村
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昭和28年8月18日 野沢温泉村
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昭和31年9月30日 野沢温泉村
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市川村
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市川村
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市川村
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市川村
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穂高村
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穂高村
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穂高村
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穂高村
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昭和30年2月1日 木島平村
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木島平村
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木島平村
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往郷村
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往郷村
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往郷村
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往郷村
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上木島村
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上木島村
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上木島村
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上木島村
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中野町
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中野町
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中野町
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昭和29年7月1日 中野市
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中野市
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平成17年4月1日 中野市
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中野市
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日野村
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日野村
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日野村
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延徳村
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延徳村
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延徳村
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平野村
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平野村
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平野村
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長丘村
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長丘村
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長丘村
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平岡村
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平岡村
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平岡村
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高丘村
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高丘村
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高丘村
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科野村
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科野村
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科野村
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倭村
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倭村
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倭村
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平穏村
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平穏村
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平穏村
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昭和29年4月1日 町制
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昭和30年4月1日 山ノ内町
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山ノ内町
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山ノ内町
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穂波村
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穂波村
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穂波村
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穂波村
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夜間瀬村
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夜間瀬村
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夜間瀬村
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夜間瀬村
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主な出来事
行政
- 歴代郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
大井泰 |
明治12年(1879年)1月4日 |
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2 |
関長尭 |
明治13年(1880年)1月 |
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3 |
松尾重義 |
明治14年(1881年)9月 |
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4 |
市川量造 |
明治18年(1883年)3月 |
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5 |
箕輪鼎 |
明治19年(1884年)8月 |
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6 |
丸山英一郎 |
明治23年(1890年)6月 |
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7 |
田辺信成 |
明治25年(1892年)4月 |
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8 |
筧朴郎 |
明治26年(1893年)7月 |
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9 |
太田茂 |
明治30年(1897年)12月 |
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10 |
岩崎亀太郎 |
明治32年(1899年)2月 |
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11 |
平林斧吉 |
明治33年(1900年)12月 |
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12 |
芥川忠蔵 |
明治35年(1902年)6月 |
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13 |
河村備衛 |
明治37年(1904年)4月 |
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14 |
長田章 |
明治41年(1908年)4月 |
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15 |
鈴木庄之助 |
明治41年(1908年)12月 |
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16 |
小山忠雄 |
明治43年(1910年)12月 |
明治45年(1912年)5月18日[6] |
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17 |
大浦頼 |
明治45年(1912年)5月18日[6] |
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18 |
松浦昌 |
大正3年(1914年)9月 |
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19 |
野々山弥太郎 |
大正5年(1916年)7月 |
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20 |
宮原顕三 |
大正7年(1918年)7月 |
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21 |
武盛仲太 |
大正7年(1918年)12月 |
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22 |
阿蘇温蔵 |
大正10年(1921年)5月 |
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23 |
佐藤三男 |
大正12年(1923年)2月 |
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24 |
中山徳十 |
大正12年(1923年)8月 |
大正15年(1926年)6月30日 |
郡役所廃止により、廃官
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脚注
- ^ “北信地域の情報”. 長野県庁 (2020年4月1日). 2022年1月1日閲覧。
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 高社山を境に岳北地方を下水内郡と統合し「市川郡」とし、岳南地方を上高井郡と統合し「高井郡」とする議案
- ^ 「長野県は無警察状態に」『大阪毎日新聞』1926年7月19日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.520 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「全県に霜害、桑畑三万町歩に被害」『信濃毎日新聞』1927年5月13日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p.539 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b 『官報』第8673号、明治45年5月20日。
参考文献
- 「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。
関連項目