南信地方(なんしんちほう)とは、長野県の南部(木曽地域を除く)の地域を指す。
諏訪湖周辺および天竜川流域に位置し、西を木曽山脈に、東を赤石山脈(中央構造線)に挟まれた地方である。
長野県に属するが、日本海側である北信地方との繋がりは中信地方以上に浅い。戦国時代には武田信玄や徳川家康(江戸入封前)の所領だった地域で、中央本線沿線の松本地域と山梨県、天竜川流域で遠州灘沿岸(静岡県遠江地域と愛知県東三河地域)との繋がりが深い。遠江や東三河との間では行政面の交流が活発であり、「三遠南信」という自治体間の交流圏を形成している。
特に南端部に位置する矢作川(上村川)流域の根羽村や平谷村は、隣接する愛知県豊田市等の自治体との関わりが深い。
(→伊那谷、木曽谷、諏訪盆地)
律令制度下で五畿七道が整備され、東山道伊那郡・諏訪郡に属した。令制国では、伊那谷と諏訪盆地の一帯が諏方国として分立した時期もあったが、短い年月で信濃国に編入された。
戦国時代には武田信玄の所領になった。武田信玄と徳川家康の抗争に由来する地名として、兵越峠がある。
江戸時代になると、現在の上伊那郡のうち太田切川・分杭峠以北の地域(一部除く)は高遠藩の所領となり、下伊那郡は飯田町周辺の地域で飯田藩、残りの地域から上伊那南部にかけて幕府領(一部地域に白河藩領、高須藩領なども)、諏訪郡は高島藩の所領となった[2]。また、江戸時代から明治時代に渡って、伊那地方は日本でも有数の林業地帯となり、伊那地方産の木材は、天竜川の舟運を利用して、下流の遠州灘沿岸に運搬されていた。この伊那地方産の木材は、明治以降に浜松で楽器産業が興った要因にもなっている。
明治維新期の廃藩置県では、伊那地方の幕府領は伊那県に、高島藩は高島県に、飯田藩は飯田県に、高遠藩は高遠県にそれぞれ再編されたが、1871年12月31日には全て筑摩県に編入された。そして、1876年8月21日に筑摩県が分割されると、長野県に編入された。
諏訪地方や上伊那郡の北端の辰野に1905年から1906年に中央本線が通じた一方、伊那谷は明治前中期の官営鉄道建設からは漏れたものの、1909年に伊那電気鉄道が開業し、1927年には伊那電・三信鉄道が伊那地方を縦貫するようになり、1937年8月には神宮前(名古屋市)から辰野まで5社による私鉄路線網が形成された(伊那電、三信鉄道を含めた私鉄四社が統合し、国有化した飯田線が発足したのは、第二次大戦中の1943年)。他方、茅野と東信の田中を結ぶ私鉄が計画されて、1919年に佐久諏訪電気鉄道も発足したが開業すること無く破産。1944年には茅野 - 花蒔間に貨物専用の諏訪鉄山鉄道も開通したが、旅客化することはなかった。
1981年には中央自動車道が開通した。
南信地方における都市雇用圏(10% 通勤圏)。一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
国土交通省が基準として定めている都市圏では以下の市町村が含まれる(2000年現在)。
朝日新聞社発行の「民力」で定義されている都市圏は以下の通り(2015年現在)。
2020年国勢調査によれば、昼夜間人口比が100%を超え、流入超過となっている自治体は諏訪市(106.56%)、飯田市(103.91%)、駒ヶ根市(103.85%)、伊那市(100.83%)、大鹿村(109.38%)、富士見町(107.95%)、阿南町(103.44%)、売木村(103.10%)、阿智村(102.78%)、天龍村(100.08%)となっている。
国土交通省の「全国幹線旅客純流動調査」(第6回、2015年度)の生活圏間流動において、諏訪・伊那及び飯田を出発地とする目的地は以下のようになっている。ただし、同調査では同じ都道府県内の生活圏へのデータがないため、それらを除く。
松本空港(松本市・塩尻市)か中部国際空港(知多半島沖)が最寄りの空港である。
タクシーの営業区域
諏訪地域(岡谷市、諏訪市、茅野市、諏訪郡)を対象として、2006年10月10日以降、ご当地ナンバーとして「諏訪」ナンバーが交付されており、さらに南信州地域(飯田市、下伊那郡)を対象として、2025年5月7日以降、「南信州」ナンバーが交付される。
2009年(平成21年)11月11日、南信地方9市町村の9団体(店舗数150以上)によって発足した。各団体ごとにご当地グルメとしての丼物(ご当地丼)を開発し、地域おこしにつなげる[5]。加盟団体およびメニューは下記の通り[6][7]。
北信地域 | 長野地域
上田地域 | 佐久地域
北アルプス地域 | 松本地域 | 木曽地域
諏訪地域 | 上伊那地域 | 南信州地域
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