東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府の中河内地域に位置する市。大阪市の東に位置し、市域の東側は生駒山地で奈良県と府県境を接する。
中核市に指定されている。人口は約48万人であり、大阪市および堺市の両政令指定都市に次いで大阪府第3位の人口を擁する。大阪市の衛星都市・ベッドタウンであるとともに、大阪都市圏における中心都市の一角でもある。
ラグビーの聖地である東大阪市花園ラグビー場を擁する「ラグビーのまち」として、また技術力の高い製造業の中小企業が多数立地するものづくりのまちとして全国に知られる。
地理
大阪平野の東部に位置する。市域の大半は平坦な低地で河川の多くは天井川であり、この地形的要因から1972年(昭和47年)の大東大水害では大きな被害を受けた。市内を流れる主な河川には長瀬川、恩智川、玉串川、第二寝屋川などがある。
市東部は生駒山系の山々が連なっており、豊富な自然が残されている。
歴史
市域は、令制国の河内国中部にあたる。古代にはこの一帯は河内湾と呼ばれる大阪湾の奥にある小さな湾であったが、次第に海から分離して湖となった。その湖が大和川を経て上流から運ばれてくる土砂が堆積したことによって徐々に陸地化したが、こうした経緯から湿地や、底に足がつきにくい水田(深田)が多く、また洪水に見舞われやすい土地であったが、早くから開けていた。
古代には豪族物部氏が本拠地を置き、物部守屋最期の地は、現在は市南西部にある衣摺(きずり)である。飛鳥時代には中国大陸への玄関口であった難波津との街道筋にあたり、沿道には多くの集落ができた。奈良時代になると、平城京と難波津を結ぶ街道が整備され、その街道筋にも多くの集落ができた。
平安時代になり、熊野詣や高野山参詣へ上皇や平安貴族が訪れるようになると、その街道として生駒山麓を辿る高野街道が利用された。この沿線にあたる市の東部には多くの集落が点在しており、今なお旧村として市内に静かな佇まいを残している。平安時代には、枚岡神社の勢力が大きく、それを背景とする水走氏が有力な領主として市東部を中心に活動した。
室町時代初期、河内守護に任ぜられた畠山氏が若江城を築き、河内を統治する拠点とした。以後、畠山氏の守護代である遊佐氏がこの城を治めるが、応仁の乱やその後も続いた家督争いによって衰え、城主は細川氏や遊佐河内守長教、三好氏など転々とする。最終的に城は織田信長の家臣となった三好義継の旧臣の若江三人衆が治め、石山本願寺攻めが始まると織田方の拠点とされ、織田信長もこの城で指揮を執るなどしたが、両者が和睦した後に廃城とされた。またこの付近は大坂夏の陣における若江の戦いの舞台としても知られ豊臣秀頼方の将木村重成の終焉の地でもあることで知られる。
江戸時代中期以降、中甚兵衛らの嘆願によって大和川の付け替え工事が行われると、新田開発が大坂の商人らによって積極的に推進された。また商品作物の栽培も盛んで、木綿の産地として名の知られた存在だった。
東大阪市の中央部は長い間、北にある深野池や西にある新開池、そこに注いでいる付け替え前の大和川のため長らく湿地帯で、東大阪市の市域で早くに開けたのは、確かにこれら大和川の流域と高野街道沿いの地域ではあるが、開発は遅れがちであった。室町時代以降、河内国の行政の中心であった若江城でさえ、四方を沼地に囲まれた難攻不落の平城として記録されている[1]。
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風の暴風雨。強風により楠根小学校、弥刀村小学校の木造校舎が倒壊。児童らが下敷きとなり多くの死傷者を出した[2]。
市成立後の沿革
主な出来事
ご当地キャラクター
- 東大阪市マスコットキャラクター「トライくん」
- 石切参道商店街「いしキリンちゃん」
- 東大阪社会福祉協議会「しゃきょうりゅうクン」
- 布施商店街「ふせロボくん」
- 東大阪消防局「消防トライくん&消防ミライちゃん」
- 社会福祉法人川福会「かわふくん」
- 社会福祉法人若草会「わかちゃん」
楽曲
- 作詞:上出満 作曲:外山雄三
- 作詞:足立万里 作曲:鈴木量視
- 東大阪 めっちゃ元気な「まち」やねん(2005年選定)
- 作詞:南英市 作曲:つんく♂
- 中核市移行記念「がんばろう! 東大阪」イメージソング。
行政
歴代市長
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日 |
備考
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初代 |
辰巳佐太郎 |
1967年2月19日 |
1970年6月14日 |
1期
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2代 |
伏見格之助 |
1970年6月14日 |
1982年6月13日 |
3期
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3代 |
北川謙次 |
1982年6月14日 |
1989年12月6日 |
2期、病気療養を理由に辞職
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4代 |
清水行雄 |
1989年12月24日 |
1998年5月20日 |
3期、辞職
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5代 |
長尾淳三 |
1998年7月12日 |
2002年7月11日 |
1期
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6代 |
松見正宣 |
2002年7月12日 |
2006年7月11日 |
1期
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7代 |
長尾淳三 |
2006年7月12日 |
2007年9月14日 |
1期、市議会における不信任決議で失職
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8代 |
野田義和 |
2007年10月28日 |
現職 |
4期目
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議会
市議会
定数は38人。
大阪府議会(東大阪市選出)
- 定数:5名
- 任期:2019年(令和元年)5月28日~2023年(令和5年)5月27日
衆議院
- 任期 : 2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照)
産業
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日本有数の中小製造業集積地であり、高い技術を持った町工場が多数集まっている。2002年12月に東大阪宇宙開発協同組合(現・宇宙開発協同組合SOHLA)を設立し人工衛星の開発を進めるなど、世界シェアを占める企業も多い。面積に対する工場の割合では全国1位。工場の数も大阪市や神奈川県横浜市などの政令指定都市を除くと1位である。
しかし近年は減少傾向であり、工場跡地に住宅が建てられるケースもある。2007年には製造品出荷額で隣市の八尾市に抜かれ、2011年のみ東大阪市が上位に返り咲いたものの[4]、その差は広まりつつある。
市内には近畿大学があり、地元製造業との産学連携に取り組んでいる[5]。
江戸時代には旧大和川の川床などにおける木綿栽培が行われ、大阪の繊維製品取引の中心である船場に近いという地の利があり、木綿を加工するための小規模な工業が発展していた。明治維新で家内的な木綿工業は一気に壊滅したが、残された技術が、現在の当地を支える原動力になっていった。生産機械のための機械作りやその部品作りである。
1958年、日本で初めての回転寿司店である元禄寿司が開店した町でもある(旧布施市:現在の近鉄布施駅付近)。
東大阪市に本社を持つ企業
東大阪市にて創業した主な企業
スポーツ
ラグビー
野球
- 関西独立リーグ(旧・BASEBALL FIRST LEAGUE)(プロ野球独立リーグ)
サッカー
障害者スポーツ
花園ラグビー場に隣接地に東大阪市が2020年12月に開設した東大阪立ウィルチェアスポーツコートは、障害者スポーツに幅広く対応している[7]。
姉妹都市・提携都市
日本国内
日本国外
地域
人口
平成22年(2010年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.83%減の509,533人であり、増減率は府下43市町村中26位、72行政区域中45位である。
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東大阪市と全国の年齢別人口分布(2005年)
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東大阪市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 東大阪市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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東大阪市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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500,173人
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1975年(昭和50年)
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524,750人
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1980年(昭和55年)
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521,558人
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1985年(昭和60年)
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522,805人
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1990年(平成2年)
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518,319人
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1995年(平成7年)
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517,232人
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2000年(平成12年)
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515,094人
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2005年(平成17年)
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513,821人
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2010年(平成22年)
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509,533人
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2015年(平成27年)
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502,784人
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2020年(令和2年)
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493,940人
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総務省統計局 国勢調査より
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教育
高等学校(および相当校)以上について記載する。
大学・短期大学
高等学校
その他
日本郵政グループ
(2012年12月時点)
- 集配郵便局は、布施郵便局(永和)、枚岡郵便局(鷹殿町)、河内郵便局(菱江)の3局がある。この他、窓口業務のみを行う郵便局が市内に53箇所ある。
- 大阪支店布施出張所が、布施/永和郵便局内に置かれている。また、市内には各郵便局などに65箇所(布施出張所を含む)に現金自動預け払い機 (ATM) が設置されており、うち19箇所(同)でホリデーサービスを実施している。
- 東大阪支店が、布施駅前に置かれている。
※ 東大阪市内の郵便番号は以下の通り。
- 577-00xx・577-08xx : 市の西部に相当し、布施郵便局が集配を担当している。
- 578-09xx : 市の中部に相当し、河内郵便局が集配を担当している。
- 579-80xx : 市の東部に相当し、枚岡郵便局が集配を担当している。
- 上石切町の一部 (630-0271) ・山手町の一部 (630-0272) は生駒郵便局(奈良県生駒市)が集配を担当している。
隣接している自治体・行政区
大阪府
奈良県
市内の地名
交通
鉄道
同位置に所在する乗換駅などをまとめると26の駅がある。比較的発展していた3市が合併して誕生した市であるので、中心的な役割を果たす駅は特定できない。
乗降人員は近鉄奈良線と近鉄大阪線が合流する布施駅が最も多く、近鉄百貨店東大阪店を中心に商業圏が広がっている。また、JTBパブリッシングが発行する「JTB時刻表」も布施駅を代表駅としている。また、旧枚岡市域では瓢箪山駅を市東部の玄関口と見る向きもある。東大阪市役所本庁の最寄り駅は荒本駅である。
以下のうち、Osaka Metro中央線と近鉄けいはんな線は一体的な運行系統となっており、当市にある長田駅を介して直通運転を行っている。
また、おおさか東線の高井田中央駅・JR河内永和駅・JR俊徳道駅はそれぞれOsaka Metro中央線高井田駅・近鉄奈良線河内永和駅・近鉄大阪線俊徳道駅と近接しており、それぞれ乗り換え可能となっている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
近畿日本鉄道(近鉄)
大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
路線バス
高速バス
- 大阪バス
- 布施駅(東大阪布施駅停留所)から東京、京都への高速バスを運行。また、長田駅に名古屋、京都への高速バスが停車する。空港リムジンバスが布施駅・長田駅と関西国際空港を結ぶ(近鉄バス、関西空港交通と共同運行)。
一般路線
- 近鉄バス
- 布施線、中央環状線、加美線、春宮線、萱島線、花園線、東花園線、四条畷線、東大阪市立病院線、経法大線、近畿大学線
- 市内に本社を持ち、営業所も4箇所(布施・布施観光・枚岡・稲田)あるが、1990年代以降路線の休止・廃止が相次ぎ、バス路線空白地が多く存在する。新路線の開設も行われているが、近年、運転士不足と利用客減少を理由に再び市内各路線での減便傾向が続く[8]。また東大阪市などの補助により低公害ノンステップバスの導入も行われている。
- 大阪シティバス(旧・大阪市営バス)
- 86号系統 布施駅前 - 上新庄駅前、12号系統 布施駅前 - あべの橋
- 市内には、布施駅前停留所があり、上記系統が発着している。なお、12号系統は市バスの操車場があったことから布施三ノ瀬へ乗り入れていたが2013年より布施駅前へ乗り入れることになった。
- 大阪バス
- 布施八尾線、東大阪西地区循環バス、俊徳道駅・近畿大学線
- 同社の市内路線バスは2016年7月29日に運行が開始された布施八尾線を皮切りに、2022年3月の時点で3路線が運行されている。 これらの路線は公共交通空白地域を解消する目的から東大阪市や八尾市・大阪府などとの協業により開設された路線である[9]。
- 大東市コミュニティバス(近鉄バスが運行)
- 当市内を通過するが、停留所は存在しない。
道路
南北方向には大阪府道2号大阪中央環状線、国道170号(大阪外環状線)、東西方向には中央大通と呼ばれる国道308号があり市内の大動脈となっている。
しかし、その他の道路は東西南北すべての方向において貧弱であり、主要地方道でも狭隘な道路(八尾茨木線の一部)や渋滞が激しい道路(八尾枚方線など)もあり、路線バスの運行にも影響がある。
名所・旧跡・観光スポットなど
- 記念館・資料館
- 施設・競技場
- 寺院・神社
- 遺跡、城跡、古墳[注釈 1]
- その他
東大阪市出身の人物
歴史上の人物
政界、学界、言論界
芸能界・放送界・エンターテイナー
宝塚歌劇団
スポーツ選手
その他
ゆかりのある人物
東大阪市を舞台にした作品
テレビドラマ
映画
- ナノハナ(2007年):地元の子どもたちと大学生が市内を歩くドキュメンタリー映画。2007年、東大阪青年会議所の設立50年を記念して制作された。監督は金秀吉。
- 市子(2023年)
小説
脚注
注釈
- ^ 現在、これらは殆どが保存されることなく開拓・開発工事で消滅している。
- ^ 瓢箪山駅を挟んで北側(中央商店街)に サンロード、南側(イナリ前商店街)に ジンジャモール の愛称が付いている。
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
東大阪市に関連するカテゴリがあります。
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注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。 |
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ウィキポータル:アジア - ウィキプロジェクト:日本 |
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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ら・わ行 | |
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カテゴリ |