岸和田市(きしわだし)は、大阪府の泉南地域に位置する市。施行時特例市に指定されている。
岸和田藩の城下町を基礎に発展した工業都市。大阪府泉南府民センターが置かれ、泉南地域における行政の中心である。行政の特徴として、永住外国人と国内在住期間が3年を越え満18歳以上で3ヵ月以上市内に住む「定住外国人」に住民投票の投票権(参政権ではない)を認めている。市のキャッチフレーズは「世界にいちばん近い城下町」。泉州地域で唯一施行時特例市に指定されている。
岸和田だんじり祭の都市である。
地理
岸和田市の総面積は72.24km²である。和泉(泉州)と称される府南西部に位置し、大阪湾から和泉山脈に至る細長い市域(東西7.6km、南北17.3km)を形成している。
大阪湾に臨む市の中心部は寛永時代(17世紀初め)以降、岸和田藩主岡部氏の城下町として栄え、明治時代中期以後は泉州綿織物を主とする紡織工業都市として発展した。1966年(昭和41年)には、臨海部の埋立により大阪鉄工金属団地と大阪木材コンビナートが造られた。
和泉山脈北麓と台地では溜池灌漑による米のほかタマネギ、みかん、桃、花卉の栽培が盛んである。また、関西国際空港から4号湾岸線で約15分という距離にあるほか、同空港および大阪市の中心部からは南海電気鉄道(南海本線)、JR西日本(阪和線)が通じており、また中心部ではないが自動車専用道路(阪和自動車道、阪神高速道路4号湾岸線)も通じている。これらのことから基幹的な交通網が充実している(大阪都心部から約30〜45分)。海抜0.0m〜865.7m。
気象庁による気象警報・注意報の発表区分(二次細分区域)は市の全域をもって区分されており、大阪府のうち「泉州」に区分する地域の一つとなっている。なお、同庁による天気予報の発表区分(一次細分区域)は、市の全域を含む大阪府全域となっている[1]。
人口
2015年(平成27年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.2%減の194,911人であり、増減率は府下43市町村中24位、72行政区域中46位。
岸和田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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162,022人
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1975年(昭和50年)
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174,952人
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1980年(昭和55年)
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180,317人
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1985年(昭和60年)
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185,731人
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1990年(平成2年)
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188,563人
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1995年(平成7年)
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194,818人
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2000年(平成12年)
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200,104人
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2005年(平成17年)
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201,000人
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2010年(平成22年)
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199,234人
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2015年(平成27年)
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194,911人
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2020年(令和2年)
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190,658人
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総務省統計局 国勢調査より
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市章
1920年(大正9年)に岸和田町の紋章として公募したもので、岸和田城の別称「千亀利城」から「千」の文字を図案化したもの、岸和田の「岸」または「キ」の図案化あるいは、欄干橋の「干」からとったものといわれている。1922年(大正11年)の市制施行の際に正式に市章として制定された。
市歌
岸和田市では戦前に制定された2曲と戦後に制定された1曲の計3曲を制定し、並立させている。現在は主に「岸和田市讃歌」が演奏されるが、戦前の2曲と異なり例規集には掲載されていない。
- 岸和田市歌
- 1924年(大正13年)7月15日制定。作詞・佐沢健平、作曲・阿保寛。(旧)岸和田市の時代に制定されたが、新設合併後も引き継がれている[2]。
- 岸和田市民歌
- 1942年(昭和17年)8月10日に新設合併を記念して制定。歌詞は岸和田市選定で、作曲は内田元[3]。
- 岸和田市讃歌
- 1972年(昭和47年)に、市制施行50周年を記念して制定。作詞・寺岡光義(一般公募入選者)、補作・星野哲郎、作曲・新井利昌[4]。
市内の地名
歴史
中近世
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南郡岸和田南町、岸和田本町、岸和田堺町、岸和田魚屋町、岸和田北町、岸和田並松町が合併して、南郡岸和田町が発足。大字岸和田北に町役場を設置。のち大字岸和田本に移転。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統廃合により、所属郡が泉南郡となる。
- 1912年(明治45年)1月1日 - 泉南郡岸和田浜町、岸和田村、沼野村と新設合併し、改めて岸和田町となる。
- 1913年(大正2年)1月1日 - 大字を改編。発足時の6町は岸和田の冠称を廃し、岸和田浜に7町、岸和田に6町、沼に2町、野に2町、藤井に1町、別所に1町を起立。25町となる。
- 1922年(大正11年)11月1日 - 大阪府下で3番目に市制を施行。岸和田市となる。
- 1924年(大正13年)7月15日 - 岸和田市歌を制定。
- 1938年(昭和13年)3月3日 - 泉南郡土生郷村を編入。
- 1940年(昭和15年)6月1日 - 泉南郡有真香村、東葛城村を編入。
- 1941年(昭和16年) - 市役所を岸城町の泉南郡役所跡(現在地)に移転。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 泉南郡春木町、山直町、南掃守村と新設合併し、改めて岸和田市となる。
- ただし、市制施行年数は旧・岸和田市の市制施行時(1922年(大正11年))より数えられている。
- だんじり祭などにおいて呼ばれる「旧市」(岸和田旧市地区)は、この時に廃した市域ではなく、旧・岸和田市の市制施行時(1922年(大正11年))の市域を指す。
- 1942年(昭和17年)8月10日 - 合併を記念して「岸和田市民歌」を制定(1924年制定の市歌も存続)。
- 1947年(昭和22年)6月8日 - 市内にあった演芸場の屋根が落下する事故が発生。死者70人[5]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 泉北郡山滝村を編入。
- 1972年(昭和47年) - 市制50周年を記念して「岸和田市讃歌」を制定。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 特例市に昇格。
- 2003年(平成15年)7月15日 - 岸和田市・忠岡町合併協議会を設立。
- 2004年(平成16年) - 忠岡町で行われた合併に関する住民投票の結果、反対多数となったため、忠岡町の申し入れにより、岸和田市・忠岡町合併協議会を解散。
- 2007年(平成19年)1月1日 - 市内に飛地として存在していた貝塚市清児新町地区を編入。現在の市域となる。
歴代市長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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初 |
舟木二三二 |
1923年4月30日 |
1927年4月29日 |
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2 |
1927年5月2日 |
1930年4月1日 |
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3 |
井阪豊光 |
1930年5月12日 |
1932年1月25日 |
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4 |
1932年2月23日 |
1933年5月30日 |
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5 |
川崎正一 |
1933年7月15日 |
1936年9月5日 |
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6 |
竹崎米吉 |
1937年10月5日 |
1940年4月11日 |
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7 |
寺田利吉 |
1940年4月26日 |
1942年3月31日 |
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8 |
寺田甚吉 |
1942年6月23日 |
1943年9月4日 |
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9 |
福本太郎 |
1943年9月5日 |
1946年3月25日 |
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10 |
小島朝一 |
1946年5月28日 |
1946年12月16日 |
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11 |
毛利一郎 |
1947年4月15日 |
1951年4月14日 |
以後、公選
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12 |
1951年4月23日 |
1952年3月20日 |
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13-15 |
福本太郎 |
1952年5月2日 |
1961年11月10日 |
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16-18 |
中澤米太郎 |
1961年12月15日 |
1973年12月14日 |
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19-26 |
原曻 |
1973年12月15日 |
2005年12月14日 |
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27-28 |
野口聖 |
2005年12月15日 |
2013年12月14日 |
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29-30 |
信貴芳則 |
2013年12月15日 |
2017年12月26日 |
辞職[6][7]
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職務代理者[8]
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2017年12月27日 |
2018年2月4日 |
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31 |
永野耕平[9][10]
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2018年2月4日 |
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※歴代市長[11]
行政
市長
- 永野耕平(2期目)
- 任期:2022年2月4日 - 2026年2月3日
議会
市議会
友好交流都市、姉妹都市
日本国内
海外
公共施設
国関連
法務省
- 裁判所
- 検察庁
- 法務局
財務省
- 国税庁
- 税関
国土交通省
- 海上保安庁
厚生労働省
- 労働基準局
- 職業安定局
日本郵便
大阪府関連
岸和田市関連
行政
- 岸和田市役所 - 岸城町7-1
- 山滝支所 - 内畑町1033
- 東岸和田サービスセンター - 土生町4-3-1 リハーブ3階(東岸和田市民センター内)
- 春木サービスセンター - 春木若松町21-1(春木市民センター内)
- 八木サービスセンター - 池尻町339-2(八木市民センター内)
- 山直サービスセンター - 三田町715-1(山直市民センター内)
- 桜台サービスセンター - 下松町4-17-1(桜台市民センター内)
文化・観光施設・ホール等
- 岸和田市立浪切ホール - 港緑町1-1
- 岸和田市立公民館・中央地区公民館 - 堺町1-1
- 岸和田市文化会館(マドカホール) - 荒木町1-17-1
- 岸和田市立図書館
- 本館 - 岸城町1-18
- 旭図書館 - 土生町4-3-1 リハーブ3階(東岸和田市民センター内)
- 春木図書館 - 春木若松町21-1(春木市民センター内)
- 八木図書館 - 池尻町339-2(八木市民センター内)
- 山直図書館 - 三田町715-1(山直市民センター内)
- 桜台図書館 - 下松町4-17-1(桜台市民センター内)
- 岸和田市立福祉総合センター - 野田町1-5-5
- 岸和田市立男女共同参画センター・大宮地区公民館 - 加守町4-6-18
- 岸和田市中央公園 - 西之内町42-35
- 岸和田市総合体育館 - 西之内町45-1:Bリーグ「大阪エヴェッサ」が年間数試合の主催試合を行なっている。
- 岸和田市立中央体育館 - 作才町1-7-15
- 岸和田だんじり会館 - 本町11-23
- 岸和田城 - 岸城町9-1
- きしわだ自然資料館 - 堺町6-5:キシワダワニの化石を展示している。また、チリメンモンスターを企画・実施している。
- 五風荘 - 岸城町18-1
- まちづくりの館 - 本町8-8
- 蜻蛉池公園 - 三ヶ山町大池尻701
- 牛滝温泉 四季まつり - 大沢町1158
防災
医療
- 市立岸和田市民病院 - 額原町1001
- 岸和田市立保健センター - 別所町3-12-1
- 泉州北部小児初期救急広域センター - 荒木町1-1-51:旧・岸和田市立小児科休日診療所。
教育
大学サテライトキャンパス
特別支援学校
高等学校
高等専修学校
中学校
小学校
学校教育以外の施設
経済
産業
江戸時代より当市域一帯では綿花の栽培が盛んで、綿布・綿糸の紡績も行われていた。近代以降も産業の中心は繊維産業だったが、海外製品に押される形で多くの工場が姿を消した。
1966年(昭和41年)、市では独自に沿岸部を埋立てて現在の大阪鉄工金属団地(臨海町)を建設し、企業誘致に努めた。さらに同年、北隣の忠岡町に跨って大阪木材コンビナート(新港町・木材町)が建設され、産業構造の転換が図られた。1968年(昭和43年)の阪南港統合後も阪南1区(地蔵浜町)の埋立造成と続き、当市沿岸部はほぼ全て埋め立てられた。
これらのほかにガラス・レンズ産業が有名であり、特に乱視用のガラスレンズ生産が盛んであった。ピーク時の1980年頃には、市内に大小あわせて70件ほどのレンズ工場が操業していた[12]。また、顕微鏡用スライドガラス、カバーガラスの生産も盛んであり、カバーガラスは一時期日本国内シェアの90%以上を独占していた。
浜地区にある岸和田漁港では、シラス漁が盛んに行われており、全国有数のシラスの産地として知られている。[13]
そのほか、毎年春先にはイカナゴ漁が解禁されており、大阪湾に春の訪れを告げている。
農業が盛んな山手地区では稲作のほか、タマネギ、水なす、春菊、タケノコ、みかんなどの栽培が盛んで、包近町は府下最大の桃の産地である。また、春菊は府内において堺市に次いで2番目の生産量であり全国の自治体では7番目の生産量を誇る。[14]なお、近年まではタマネギの大産地としても有名であり、畑のあちこちに立つタマネギ小屋が象徴的なランドスケープであったが、様々な事情で廃業した農家もあり、また、住宅地開発が急速に進んだため、最近では見かけることはまれである。
岸和田市内のこうした厳しい経済・雇用情勢もあってか、近年、仕事を求めて隣接する貝塚市の二色の浜産業団地や和泉市のテクノステージ和泉を訪れる市民も多く見られる。市では産業を再び活性化させるため、埋立造成の進む阪南2区(岸之浦町。愛称:ちきりアイランド)や開発が進む丘陵地区(岸の丘町。愛称:ゆめみヶ丘岸和田)などへの企業誘致を積極的に進めているという。
経営サポート
岸和田ビジネスサポートセンター
岸和田市で事業を営む主な企業
岸和田市に本社を置く主な企業
岸和田市に拠点・事業所を置く主な企業
かつて岸和田市に本社を置いていた企業
交通
鉄道
中心となる駅 - 岸和田駅・東岸和田駅
※東ケ丘町など一部の地域では、大阪方面への通勤・通学の足として、主に、隣接する和泉市いぶき野にある泉北高速鉄道「和泉中央駅」を利用している。
バス
路線バス
地域巡回バス
高速バス
中心となるバスターミナル
道路
高速道路
※ 注意:「岸和田和泉インターチェンジ」の所在地は、和泉市唐国町である。
このほか、大阪南部高速道路の建設が構想されている。
都市高速
SA・PA
一般国道
一般府道
岸和田市道
港湾
- 阪南港
- 1968年(昭和43年)に忠岡港・岸和田港・貝塚港が統合されて阪南港となった。当市沿岸部には阪南港の木材港地区(一部忠岡町)・大阪鉄工団地地区・岸和田旧港地区・地蔵浜地区(阪南1区。一部貝塚市)・ちきりアイランド(阪南2区)が展開する。
- 岸和田漁港
- 春木川河口左岸に位置する。なお、阪南港地蔵浜地区の北東部も漁業基地として利用されている。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
岸和田だんじり祭
1703年(元禄16年)、時の岸和田藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷大社を岸和田城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられ、約300年の歴史と伝統を誇る。曳き手が走り、速度に乗っただんじり(地車)を方向転換させる「やりまわし」を見所として、多くの観光客を集める。幾つかの神社の祭りの総称で、基本的には地元の神社でその年の五穀豊穣を祝う祭り。全国的にも知名度が高く、日本を代表する祭りの一つである。毎年二日間で約60万人もの観光客が訪れる。岸和田市民(特に岸和田旧市地区)はだんじりのために生きている、といわれるほど祭り好きである。
なお、祭典の模様については、市内のケーブルテレビ局であるテレビ岸和田(上記参照)が制作する番組として、毎年放映されている。
その他の名所・旧跡・観光スポット
神社
寺院
ショッピングモール
催事
岸和田市出身の有名人
岸和田市に所縁のある人物
岸和田市を舞台とした作品
脚注
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
- その他