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「ラジオ四国」はこの項目へ転送されています。徳島県の民間放送局については「四国放送」をご覧ください。 |
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福岡県に本社があるフジテレビ系列の「テレビ西日本」とは異なります。 |
西日本放送株式会社(にしにっぽんほうそう、Nishinippon Broadcasting Company, Limited)は、香川県を本拠とするラテ兼営の特定地上基幹放送事業者である。略称のRNCは、西日本放送ラジオ(Radio Nishinippon broadcasting Company)から。ホームページ等では、RNC西日本放送 と記載されている。
西日本放送の放送のうちテレビは香川・岡山両県を放送対象地域とする準広域局であるが、ラジオは香川県のみを放送対象地域とする県域局である。
ラジオについては西日本放送ラジオ、テレビについては西日本放送テレビをそれぞれ参照。
本社・支社所在地
- 本社(通称:高松本社)
- 香川県高松市丸の内8番15号
- 岡山本社中国総支社(通称:岡山本社、愛称:RNC岡山)
- 岡山県岡山市北区野田三丁目2番5号
- 西讃支社
- 香川県丸亀市土器町東八丁目538番地 丸亀新聞放送会館6階
- 倉敷支社
- 岡山県倉敷市中央一丁目24番7号 倉敷中央マンション304号
- 東京支社
- 東京都中央区銀座7丁目14番13号 日土地銀座ビル5階
- 大阪支社
- 大阪府大阪市北区梅田1丁目1番3号 大阪駅前第3ビル11階
- 広島支社
- 広島県広島市中区大手町2丁目1番1号 広島商中日生ビル9階
-
西日本放送高松本社
2006年8月4日撮影
-
西日本放送岡山本社
2007年8月19日撮影
ラジオ
テレビ
主なチャンネル・周波数
沿革
開局前夜と四国放送連盟結成
周辺の民間放送ラジオでは、1951年(昭和26年)に新日本放送、朝日放送、京都放送、神戸放送が順次開局し、香川県でも大部分にその電波が入るようになり、民間放送の聴取が可能となった。一方、中国・四国地方では徳島県で四国放送(610kc)が最も早い1952年(昭和27年)7月1日に開局し、香川県内では初めて大都市圏以外の同じ四国からのローカル放送に接する環境ができた。
そのため四国放送では開局同年の12月1日に早くも高松支社を開設し、香川県内において商社の代理店や特約店を通じて当時まだ馴染みの薄かった民間放送の啓蒙を図り、多くのスポンサー・聴取者を獲得していった。それほど四国唯一の民間放送の人気は高く、開局一周年の記念式典は本社のある徳島市の他、唯一高松市でも盛大に開催している。それでも四国放送の610kcは外国波によるビートによって音質が悪く、依然としてNHKや関西圏の民放を聴取する割合も多かったが、1953年(昭和28年)8月1日に720kcに変更されると音質が著しく向上し、聴取率はNHKを凌ぐようになった。そのような四国放送では、高松支社を開設したのと同時に高松中継局を申請し、結果的にラジオ四国(ラジオ香川→西日本放送)の開局に取って代わったが、その構想はラジオ四国開局から3年間結成されていた四国放送連盟に現れている。編成および営業を一本化したこの連盟は極めて効率的であり、特にラジオ四国開局と同時に発生したなべ底不況においては、デフレが襲う広告業界の沈滞で各地方局の経営に深刻な影響を及ぼしたが、ラジオ香川(開局直後にラジオ四国から改称)の場合、開局経費の負担も著しい第一期決算にあっても300万円程度の赤字に留まり、第二期では100万円程度の黒字を達成するなど、設立間もない地方局営業が深刻な不況を乗り切ったという実績には多大に貢献したものの、同時にラジオ香川のほぼ全番組が徳島送出のものであり、文字通り高松中継局状態だった。
開局と四国放送連盟解消
先述の環境の中、香川県においても1953年(昭和28年)、初の民間放送ラジオ四国(後にラジオ香川→西日本放送に改称)が開局する。開局にあたっては四国新聞社の社長平井太郎が発起人総代となり、商工会議所、高松市長國東照太、丸亀市長三原勝英、その他県内の政財界の有力者を発起人に加え、高松市天神前の四国新聞社内に創立事務所を設置し、1953年(昭和28年)7月27日に発起人総会を施行。7月29日には株式会社ラジオ四国(資本金950万円、代表取締役・平井太郎、本社・高松市木太町字本村1297番地)を設立した。引き続き四国新聞社内を事務所としたが、翌8月1日には本社所在地の高松市木太町で社屋および送信所が起工し、8月18日に放送免許の申請書を提出すると、そこから放送開始に向けた準備は順調かつ驚異的な速さで進み、9月18日に予備免許、9月25日には社屋および送信所が竣工、9月29日には本免許を交付された。試験電波の発射を経て10月1日にラジオ本放送を開始する。同時に四国放送と四国放送連盟を結成、これ以前にも放送免許申請直後の8月21日に四国放送の「納涼大放送」を共催するなど、先述の通り密接な関係を有していた。
放送開始直前に高松市木太町に社屋が竣工しており、演奏所・送信所ともにそこに置かれたが、営業部は引き続き四国新聞社内の分室に置かれた。その当時ナショナルスポンサーの販売拠点として機能したのが、四国放送連盟の東京支社、大阪支社で、放送料金は両社単独料金の72.5%、そのタイムセールスは開局5か月で1日6時間を達成するなど好記録であった。一方、単独の営業活動においても高松市内の専門店会加盟店や個人商店といった地元ローカルスポンサーからも帯番組の販売を獲得するなど非常に好調であり、加えて四国地方を統括する公官庁が集中し支店経済都市を確立しつつあった高松市には大手商社やメーカーの拠点が集中しており、ナショナルスポンサーに対する営業面でも非常に有利に働いた。そのような地の利を背景に好調な営業成績を記録していき、開局1年に当たる1954年(昭和29年)9月までの販売率は単独28.8%、連盟東京40.7%、連盟大阪30.5%であったものが、観音寺中継局開局に伴うエリア拡大後の1955年(昭和30年)3月には単独34.6%、連盟東京41.6%、連盟大阪23.8%になり、単独販売率が急激に伸びている。
その後も単独販売率は伸びていき、1956年(昭和31年)には35.6%と既に連盟大阪24.6%を抜き、連盟東京39.8%に肩を並べている。既にラジオ香川の放送枠は連盟に充てる分によって飽和状態であり、これ以上単独販売を増やすのが難しくなってきたため、同年7月31日に連盟を解消した。これは発展的解消とされ、解消時点で契約済みであった売り上げは両社で等分している。解消と日を同じくして単独の支社を東京、大阪に設置して以降、業績はさらに伸びていき、一時はタイムセールスが全民放9位の1日平均11時間46分に達したこともあった。
テレビ放送開始
全国で8番目、四国では初の民放テレビ放送として1958年(昭和33年)7月1日に本放送を開始した。全国的なテレビ熱の上昇に伴い、ラジオ放送開始から2年後の1955年(昭和30年)5月11日に放送免許を申請する。送信所は五色台・青峰(高松市中山町)に設置することになった。送信所設置候補地としては、他に岡山県側の金甲山も挙がったが、これは在岡局のNHK岡山、山陽放送が設置を決定したためで、当時放送対象地域こそ別だったものの、放送区域が重複する他社と送信位置を大きく変えてしまい、サービスエリアが不利になることを懸念したものである。両場所とも一長一短があり、曲折があったものの、最終的には社長平井太郎の裁断により青峰に決定した。1956年(昭和31年)11月10日から予定地の測量を開始し、翌1957年(昭和32年)10月22日に予備免許を交付され、更に翌1958年(昭和33年)2月18日に地鎮祭を執り行い起工した。当時大都市圏のテレビ送信所の立地にあっては局舎の敷地内といった市街地に置かれることが多かったため、このようなマウンテントップ方式はまだ黎明期であり[注釈 3]、ノウハウも先例も手薄な分野であったことから、土木工事から設備搬入に至るまで相当の難工事となったが、同年6月5日には機器の調整を終え、予定通り6月15日の試験電波発出に漕ぎつけた。出力は地方局としては破格の5kW→10kWであり、送信所選定時に想定していたよりもかなり広範囲に電波が飛んでいた。そして、6月23日の本免許交付を経て、7月1日に本放送開始する。
開局当初は、本社と演奏所にテレビマスター・テレビスタジオのスペースがなく、現本社落成まで、青峰送信所内にテレビマスターと仮設スタジオを設置した。
当初、開局は1958年(昭和33年)10月頃となる予定だったが、山陽放送(RSK、当時の愛称はラジオ山陽)が同年6月にテレビジョン放送を開局することを聞き、急遽、RSKの送信機を製造した神戸工業(現在のデンソーテン)にRSKと同仕様の送信機製造を依頼し、なんとかRSKの1ヶ月遅れでの開局(香川・岡山地区では、NHK岡山テレビジョン、ラジオ山陽テレビに次いで3局目の開局)に持ち込んだという逸話が残っている[33]。
1958年(昭和33年)の開局時点における放送対象地域は香川県のみであり、高松市中山町の五色台青峰に置かれた本局(9ch、現在の本局と同じチャンネル)を始めとして、中継局も香川県内にのみ置いていた[注釈 4]。ただ、青峰送信所からの電波は香川県を大きく超えて瀬戸内海沿岸の平野部に広く届き、その後放送対象区域になった岡山県南部の他、広島県福山市周辺、兵庫県姫路市周辺、愛媛県東予地方もサービスエリア(受像可能な区域)としていた。そのため、それらの地域には早くから岡山支社(1960年、後に中国総局・岡山本社)、今治支社(1958年)、姫路支社(1959年)、福山支社(同年)が設けられて営業活動を行った結果、スポンサーが多く付いたことから、姫路市、福山市、今治市では公開収録やイベントの中継といった番組も多く制作・放送しており、実質的な準広域局として機能した。さらに、1963年の第30回衆議院議員総選挙では香川県の他、岡山県、広島3区(備後地区)、愛媛2区(東予地区)、兵庫4区(播磨地区)を対象に多元中継体制を敷いて開票速報を実施した他、1961年から始まった学校向け教育放送(月 -土 10:20 - 12:00)では徳島県を加えた6県で2800の小・中学校が利用していたほどであった。
それら地域では地形的に地元民放の本局が入りづらく、海を隔てた当局が良好に受信できたことが大きいが、福山中継局が1964年(昭和39年)、姫路中継局が1969年(昭和44年)に開局して視聴者が移行し、加えて学校向け教育放送も1963年(昭和38年)に岡山、1969年(昭和44年)に高松でNHK教育テレビ、同年にNETテレビ(現・テレビ朝日)系列の瀬戸内海放送が開局したことから、多くの番組がそちらに移行していった。その時点で日本テレビ系列が存在していなかった岡山県を除いて需要が無くなり、1970年(昭和45年)に姫路支社、1971年(昭和46年)に今治支社を廃止している。
岡山県へのテレビ放送乗り入れ
1979年(昭和54年)4月1日に、岡山県・香川県の民放テレビ放送の相互乗り入れ放送を開始した後は、香川県側の民放テレビ局も、本局の送信所を岡山県側の局と同じ金甲山へ移転させるが、同局の場合、現在の本局金甲山送信所(9ch)を「高松放送局」とし、他の放送局が高松放送局としている前田山送信所(41ch)は「前田山中継局」と呼称している(同局の旧本局送信所は廃止)。しかし同局と提携している四国新聞と、岡山県の地元紙山陽新聞のラジオ・テレビ欄の表記では、金甲山本局を「岡山」、前田山中継局を「高松」と表記している(参考リンク・冷凍こあら氏主催「全国ラ・テ欄研究会」中・四国東地区)。
前記の相互乗り入れまでの間は、TBSやフジテレビの番組も放送していた。しかし相互乗り入れ開始後も、東海テレビ(フジテレビ系列)制作の「鶴瓶の音楽に乾杯!」や「スペンサーの喫茶店」を放送していた。
- 日本テレビ社史では、RNCが一時フジテレビ系のクロスネット局になっていたと記述している(共同テレビニュースや、相当数の一般番組をネットしていたが、FNN・FNSは共に未加盟であった)。
地上デジタル放送開始
地上デジタル放送開始に先駆け、2004年(平成16年)頃からこの地域でもアナログ-アナログ変換が行われ始める中、放送局では放送機器のデジタル対応が進み、西日本放送でも、2005年(平成17年)11月1日に東芝製のアナログ・地上デジタル統合テレビマスターを導入した。
同月11日には、他局と共に予備免許を交付された上で試験電波を発信するなど各種調整を行うが、2006年(平成18年)8月及び9月からOHK岡山放送やKSB瀬戸内海放送が一足先に行っていた、アナログ放送とのサイマル放送での試験電波送信は行われなかった。しかし2006年(平成18年)10月12日には、このエリアの全放送局と一斉に、「映像の再生に必要な制御信号」を含めた試験電波の送信を開始し、11月22日には無線局免許を交付され、12月1日に地上デジタル放送の本放送を開始した。
番組のHD化ついては、本放送開始前10月12日の試験放送の段階で、HD制作の自社制作番組は、すべてそのままハイビジョン放送だったものの、東京・大阪からのHD制作全国ネット番組は、まだ額縁放送(ワイド画面対応ではない放送)であった。11月1日には、試験放送開始以来額縁放送だった地上デジタル放送の全国ネット番組が、一部を除きワイド画面での放送になる。なおRNC Newsリアルタイム17時台の東京発ネットは、本放送開始まで額縁放送であった。
地上デジタル放送開始時は、この地域各局の中では自社制作番組のHD化率が比較的低かった。そもそも自社制作番組が少ない上に、ニュース取材の映像は、高松本社取材映像はほぼハイビジョン映像となったものの、岡山本社取材映像は4:3SD映像のままであった。テロップも2008年(平成20年)3月までHD非対応だった。そのため、自社制作番組の冒頭にハイビジョン制作を示すテロップは表示されていなかったが、2007年(平成19年)7月からは、HD中心の「とことん!土曜〜び!!」と「フラワーズ」のほか、特別番組においてもNNS準拠の「HV ハイビジョン番組」のテロップ表記をするようになった。
その後、2007年(平成19年)にハイビジョン中継車を導入し[注釈 5]、このエリアの民放では、初めてキー局(NTV)との映像伝送回線もHD対応にするなど放送設備のHD対応を進め、2008年(平成20年)10月11日には、2007年(平成19年)末にHD済みの天気予報の画面を含め、スタジオサブ、カメラ等の関係ですべて4:3SDでの放送となっていた『JUST NEWS』『情報あ〜る!!』『NNNストレイトニュース(ローカル部)』や土曜・日曜の『JUST NEWS』『NNNストレイトニュース(ローカル部)』がハイビジョン制作へ移行した。
2009年(平成21年)2月には岡山本社スタジオサブがHD化され、報道取材用のHDカムコーダ(ソニー・XDCAM HD)も導入されたため、2009年(平成21年)3月2日から、岡山本社取材映像・テロップもハイビジョン映像となった。
受像機の局名表記は、2021年(令和3年)9月12日までは新聞のテレビ欄とは異なり「RNC西日本テレビ」であった。表示アイコンは、2006年(平成18年)12月1日の放送開始時から岡山・香川の民放テレビ局で唯一、自局のステーションキャラクター(ランちゃん)を使用していたものの、2008年(平成20年)3月31日から他局と同じく自局の局ロゴ(RNC)を使用している。ウォーターマークは、2008年(平成20年)5月21日から画面右上に局ロゴ(RNC)の常時表示を行っている(提供クレジット表示時及びCMと、放送終了から放送開始までのフィラーは除く)。
資本構成
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[35][36][37][38]
概要
四国新聞社のオーナーおよび西日本放送の創業家である「平井家」が個人大株主。
2021年3月31日
資本金 |
発行済株式総数 |
株主数
|
3億6,080万円 |
6,996株 |
31
|
株主 |
株式数 |
比率
|
日本テレビ放送網 |
900株 |
12.86%
|
サービスネット |
730株 |
10.43%
|
シコクサービス |
683株 |
09.76%
|
四国新聞社 |
676株 |
09.66%
|
平井宏一 |
510株 |
07.29%
|
西日本放送サービス |
490株 |
07.00%
|
東宝興業 |
489株 |
06.99%
|
平田修 |
333株 |
04.76%
|
高松酸素 |
330株 |
04.72%
|
熊本共同 |
304株 |
04.35%
|
百十四銀行 |
300株 |
04.29%
|
過去の資本構成
1978年3月31日
資本金 |
授権資本 |
1株 |
発行済株式総数 |
株主数
|
1億3950万円 |
5億円 |
500円 |
279,000株 |
53
|
1992年3月31日
資本金 |
授権資本 |
1株 |
発行済株式総数 |
株主数
|
3億6080万円 |
7億5000万円 |
5万円 |
6,996株 |
52
|
株主 |
株式数 |
比率
|
九州ホテル |
695株 |
9.93%
|
シコクサービス [注釈 9] |
683株 |
9.76%
|
四国新聞社 |
676株 |
9.66%
|
平井卓志 [注釈 6] |
580株 |
8.29%
|
平井宏一 |
547株 |
7.81%
|
西日本放送サービス |
490株 |
7.00%
|
東宝興業 |
489株 |
6.98%
|
2003年3月31日
資本金 |
発行済株式総数 |
株主数
|
3億6080万円 |
6,996株 |
37
|
株主 |
株式数 |
比率
|
日本テレビ放送網 |
900株 |
12.86%
|
シコクサービス [注釈 9] |
683株 |
09.76%
|
四国新聞社 |
676株 |
09.66%
|
平井卓志 [注釈 10] |
580株 |
08.29%
|
平井宏一 |
510株 |
07.28%
|
西日本放送サービス |
490株 |
07.00%
|
東宝興業 |
489株 |
06.98%
|
平井佐代子 |
333株 |
04.75%
|
讃州製紙 |
330株 |
04.71%
|
熊本共同 |
304株 |
04.34%
|
百十四銀行 |
300株 |
04.28%
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現在放送中の番組
アナウンサー
※ 移籍などの出入りが多い地方局の中では珍しく、異動・移籍が少ない部類に入る。また一部元アナウンサーは、報道記者やディレクター等に転進している。ただ、当時の山口喜久一郎以降に入社した若手アナウンサーは2 - 3年で姿を消し、フリーで活躍するということが目立つようになった。これは採用されたのは本社採用ではなく、子会社ネクサスで採用され、本社に出向する形であるためである(後述の2名がそれにあたるが、ただし近年採用し退社した若手アナも実はこの部類に入っている)。ちなみに西日本放送の公式
サイトトップには契約アナウンサー募集が載せられている。
※ 一部のアナウンサーは日誌を掲載しているが、2006年(平成18年)11月のウェブサイトリニューアルに伴い、新たにブログを設置したアナウンサーも登場。日誌として掲載していたアナウンサーも2007年(平成19年)1月までにブログに移行した。
氏名 |
入社年 |
備考
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男性
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日野真 |
1989年 |
高松本社報道部デスク兼任
|
岸たけし |
1995年 |
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中桐康介 |
2013年 |
高松本社報道部記者兼任
|
池田大樹 |
2015年 |
|
野並正佑
|
2020年
|
|
畠山伶
|
2022年
|
|
吉野将司
|
2024年
|
|
女性
|
池田弥生 |
1983年 |
ラジオセンター兼任
|
仁多田まゆみ |
1987年 |
|
鴨居真理子 |
1991年 |
|
奥田麻衣 |
2012年 |
元テレビ新潟 → 四国放送
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石井奏美 |
2017年 |
|
西崎梨乃 |
2018年 |
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中條加菜 |
2021年 |
|
上田彩乃 |
2024年 |
|
関連会社契約のフリーアナウンサー
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図子靖代 |
一部番組では便宜上「西日本放送アナウンサー」となっている。いずれも「RNCアナウンスカレッジ」卒業生
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宮宇地美穂
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杉ノ内柚樹 |
2000年 |
ディレクター兼務。声楽家としても活動
|
過去に在籍していたアナウンサー(退職・部署異動など)
キャッチコピーとマスコットキャラクター
- ステーションキャッチコピーは「ます!ます! RNC」で、一世代前は「情報イキイキRNC」だった。また2006年(平成18年)12月の地上デジタル放送開始時から、地上デジタル放送のキャッチコピーとして「デジタ RNC」(デジタルRNCの意味)を併せて使用している。なお現役のステーションキャラクターは「ランちゃん」と2006年(平成18年)12月1日から登場した地上デジタル放送キャラクター「よんちゃん」[注釈 12]。
- 「ますますRNC!」のステーションキャッチフレーズは、自社制作番組の出演者やアナウンサー全員のバージョンの他に、キー局・日本テレビの番組の出演者や日テレ系制作の映画・劇場版アニメの出演者が言うバージョンもある。前者は、「NEWSリアルタイム」と「スッキリ!!」で確認されている(「スッキリ!!」では『ますますスッキリRNC!』と言っている)。
脚注
注釈
- ^ 1980年(昭和55年)2月1日に名称を岡山本社総局に改称後、2008年(平成20年)4月1日に組織変更で岡山本社中国総支社へ再改称。
- ^ 高松市中山町(五色台)の旧青峰テレビ送信所にFM補完中継局が設置された。
- ^ 前年の1957年(昭和32年)4月1日に開局したHBC北海道放送手稲山送信所が日本初とされている
- ^ RNCより1ヵ月早く開局したRSKも、岡山県・香川県・広島県南東部・兵庫県西部などをサービスエリアとしていたが、放送対象地域は岡山県のみであった。因みに、その後開局したKSB・OHKは、開局当初はKSBは香川県のみ、OHKは岡山県のみをそれぞれ放送対象地域とした県域局であったが、KSB、OHKともに受信できていた地域は沿岸部を中心に存在した。
- ^ 2008年(平成20年)11月現在、岡山・香川の民放テレビ局ではRNC、OHK、KSBがハイビジョン中継車を所有。
- ^ a b 西日本放送 代表取締役会長
- ^ 西日本放送 代表取締役社長
- ^ a b 西日本放送 取締役
- ^ a b 四国新聞社 関連会社
- ^ 西日本放送 代表取締役CEO・会長兼社長
- ^ RNCの初代香川・岡山地区地上デジタル推進大使(2005年12月 - 2007年9月)。植村の退職後はしばらくRNCの地上デジタル推進大使はいなかったが、2008年8月から野口恵が2代目の地上デジタル推進大使となった。
- ^ 「よんちゃん」は、元々1966年(昭和41年)頃にステーションキャラクターとして使用されていた「9ちゃん坊や(きゅうちゃんぼうや)」(VHF放送の9chから命名)で、地上デジタル放送開始に伴い、デジタル時代への「ナビゲーター」・「使者」として名前を「よんちゃん」(RNCのリモコンキーID、4chにちなんで命名)に変えて、約40年ぶりに復活させた。丸型体系の子供で、頭に送信アンテナを載せているキャラクターで、髪の毛の色、おへそ、左手の親指をしゃぶっていないなどの違いはあるものの、ほぼ「9ちゃん坊や」と一緒である。1988年(昭和63年)-1996年(平成8年)には「屋島タヌキ」と言うキャラクターだった(現在は郡市対抗源平駅伝のみ使用)
出典
参考文献
- 四国放送 編『はたちの四国放送』四国放送株式会社、徳島市幸町一丁目32番地、1972年4月1日。 NCID BN14793776。
- 西日本放送CD室 編『西日本放送35年史年表』西日本放送株式会社、高松市丸の内8番15号〈RNCエリア情報特別号〉、1989年3月30日。 NCID BN06472380。
- 西日本放送総務局総務部、2004、『西日本放送50年史年表 : アナログ時代の半世紀 : 昭和28年(1953)~平成15年(2003)』、西日本放送
関連項目
外部リンク
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地上波 フルネット局 28局 (正式なクロスネット局であるFBCを含む) | |
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地上波 クロスネット局(FBCを除く) 2局 | |
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BSデジタル | |
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CSチャンネル4 | |
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旧加盟局6 | |
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国内支局 | |
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未開局の放送局 | |
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関連新聞・スポーツ新聞社10 | |
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関連項目 | |
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脚注
1正式なクロスネット局ながら、NNNフルネット局(NNNのニュース番組は全て同時ネットのため)、ANNには報道部門のみ参加。 2FNN/FNSとのクロスネット局(資料によってはNNN、FNNのみの加盟と記述してあるものもある)。 3FNN/FNS、ANN(報道部門のみ加盟)とのクロスネット局、NNSには非加盟。 4加盟局が運営・出資する衛星放送(CSチャンネル)。2025年現在では日本テレビのみが運営・出資している。 51996年10月1日開局、2000年9月30日閉局。 6太字はNNN・NNS双方に加盟。細字はNNNのみに加盟。 7旧NTVは2012年に現NTVに放送免許を譲渡。 8加盟当時はSKT静岡県民放送。 9CTV開局後はNNSのみダブルクロス。 10母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。
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加盟局 | |
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旧加盟局 | |
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関連項目 | |
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注釈
12005年に札幌テレビ放送(STV)はSTVラジオにラジオ放送事業と放送免許を譲渡・継承。 22006年に旧ニッポン放送(フジメディアHD)は現ニッポン放送(LF)にラジオ放送事業と放送免許を譲渡・継承。 32017年に第1次MBS(MBSメディアHD)は第2次MBSに放送免許を譲渡・継承。 42018年に旧ABC(朝日放送グループHD)は朝日放送ラジオにラジオ放送事業と放送免許を譲渡・継承。 52019年に旧RSK(RSK HD)はRSK山陽放送に放送免許を譲渡・継承。 62021年に第2次MBSはMBSラジオに放送免許を譲渡・継承。 72023年に旧BSN(BSNメディアHD)は現BSNに放送免許を譲渡・継承。 82023年に旧KBC(KBCグループHD)は現KBCに放送免許を譲渡・継承。
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加盟局 | |
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賛助会員 | |
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番組販売協力局 | |
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旧加盟局 | |
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旧番組販売協力局 | |
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制作番組 |
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カテゴリ |