小坂順造

小坂 順造
こさか じゅんぞう
拓務政務次官就任時に公表された肖像
1929年頃 撮影)
生年月日 (1881-03-30) 1881年3月30日
出生地 日本の旗 日本 長野県上水内郡柳原村
(現・長野市柳原
没年月日 (1960-10-16) 1960年10月16日(79歳没)
出身校 東京高等商業学校卒業
(現・一橋大学
前職 実業家
所属政党立憲政友会→)
立憲民政党
称号 正五位
勲一等旭日大綬章
配偶者 小坂はな[1]
子女 長男・小坂善太郎(元衆議院議員)
三男・小坂徳三郎(元衆議院議員)
親族 父・小坂善之助(元衆議院議員)
弟・小坂武雄(元衆議院議員)
孫・小坂憲次(元参議院議員

選挙区多額納税者議員
在任期間 1932年9月29日 - 1946年9月4日

選挙区 長野県郡部選挙区
当選回数 2回
在任期間 1912年5月12日 - 1917年1月25日
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小坂 順造(こさか じゅんぞう、1881年明治14年〉3月30日[2] - 1960年昭和35年〉10月16日)は、日本実業家政治家長野電灯信濃毎日新聞信越化学工業東信電気の経営者。日本発送電総裁。長野県生まれ。

来歴・人物

長野県上水内郡柳原村(現・長野市柳原)で[3]信濃毎日新聞社長や衆議院議員などを務めた小坂善之助の長男として生まれる[4]。旧制長野中学校(現・長野県長野高等学校)、信濃毎日新聞取締役、日本中学などを経て、1904年に東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業する[2]。元社団法人如水会会員であり、籠城事件の際は交渉委員として母校防衛に活躍した。

1904年日本銀行へ入行、1908年に同行を退職し信濃銀行(現・みずほ銀行)取締役[2]1911年信濃毎日新聞社長[2]、長野商業会議所会頭[2]1923年長野電灯社長、1930年 信濃電気、信越窒素肥料(現・信越化学工業)の経営を越寿三郎から引き継ぎ[5]1931年信越窒素肥料社長、1940年信越窒素肥料を信越化学工業に社名変更、1950年日本発送電総裁[6]1954年電源開発総裁[6]電気事業経営者会議委員長なども務めた。

1912年第11回総選挙立憲政友会公認で立候補し、衆議院議員に初当選する[7]。その後立憲民政党に所属する。1929年拓務省政務次官1932年9月29日に貴族院多額納税者議員[8](1946年9月4日辞任[9])、1946年枢密顧問官と歴任した。1960年10月9日に胸の痛みを訴えて倒れたのち、世田谷区にある自宅で療養を続けていたが、10月16日昼過ぎに79歳で死亡した。死因は心筋梗塞である。勲一等旭日大綬章を贈られた。

渋谷区金王町や世田谷区瀬田に住んだ。世田谷の住居は区指定有形文化財とされ、区立瀬田四丁目旧小坂緑地(旧小坂家住宅)として公開管理されている。墓は多磨霊園にある。

エピソード

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族・親族

父親は小坂善之助、弟に小坂武雄、姉妹の夫に花岡次郎深井英五津野田是重などがいる[12]

妻は渡瀬寅次郎の娘。渡瀬や順造らが創業した興農学園代表理事の小坂幸太郎は曾孫[13][14]

外務大臣を務めた小坂善太郎は長男[1][15]、運輸大臣を務めた小坂徳三郎は三男[1][16]、文部科学大臣を務めた小坂憲次は孫[1][17]である。長女百合子の夫は東京都知事を務めた美濃部亮吉である[18](離婚)。第13代日本銀行総裁の深井英五は義弟[1][18]天文学者萩原雄祐は姪の夫[1][19]にあたる。日本テレビ放送網副社長の萩原敏雄は姪の三男[1][17]読売テレビ(ytv)アナウンサー萩原章嘉札幌テレビ放送(STV)アナウンサーの萩原隆雄は姪の孫にあたる。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版
  2. ^ a b c d e 『閨閥』、322頁。
  3. ^ 三沢 1922, 417頁.
  4. ^ 『閨閥』、320-322頁。
  5. ^ 信越化学工業社史編纂室 編『信越化学工業社史』30-35頁,信越化学工業、1992年
  6. ^ a b 『閨閥』、323頁。
  7. ^ 長野県郡部区 第11回衆議院議員選挙 - ザ・選挙 -
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、42頁。
  9. ^ 『官報』第5895号、昭和21年9月6日。
  10. ^ a b 小坂善太郎『議員外交四十年 私の履歴書』(日本経済新聞社, 1994年)30頁
  11. ^ a b c d e f g h i j k 小坂順造」 アジア歴史資料センター Ref.A06051186600 
  12. ^ 『現代の系譜 日本を動かす人々』、東京中日新聞出版局、1965、p275
  13. ^ ユーチューバー、マックスむらいがD2Cへ参入 興農学園と提携農業協同組合新聞2020年11月2日
  14. ^ Reboot ”Boys Be Ambitious!”興農学園
  15. ^ 『閨閥』、320-321頁、323頁。
  16. ^ 『閨閥』、320-321頁、324頁。
  17. ^ a b 『閨閥』、320-321頁。
  18. ^ a b 『閨閥』、320-321頁、325頁。
  19. ^ 『閨閥』、320-321頁、326頁。

参考文献


先代
名取和作
信越化学工業社長
第4代:1931年 - 1956年
次代
小坂徳三郎
先代
大西英一
日本発送電総裁
第5代:1950年 - 1951年
次代
(廃止)
先代
高碕達之助
電源開発総裁
第2代:1954年 - 1956年
次代
内海清温