古里(ふるさと)は長野市北東部の地区。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡古里村(ふるさとむら)についても述べる。
地区名「古里」は、1889年(明治22年)の5ヵ村合併の際に誕生。「町村分合上申書」によれば、その名の由来を「もっとも早く村里を形成したから」としている。特に中心的な村落もなく、合成名も困難。古代東山道の多古駅や三才古墳の存在などから察せられるように、古くから開けていたことを誇り決定したと思われる[1]。
人口
地区内全体の世帯数および人口は、5,671世帯 13,367人(令和5年3月1日時点)[2]。
以下の1879年~1995年は『長野市誌 第8巻』[3]、2000年~は住民基本台帳の1月1日の数値[2]による。人口は明治の初めから第二次大戦後までほとんど変化はない。戦後ベビーブームの影響もあって次第に増えてくるが、大きな変化が現れるのは1965年以降である[3]。
1963年、上駒沢の現地籍から徳間地籍にかけて長野工業高等専門学校、1964年に市立第二高等学校(現・市立長野中学校・高等学校)が開校すると、信越線の三才停留所の乗降客も増え、1966年には廃止寸前だった三才停留所が駅に昇格した。同年県企業局によって上駒沢新町団地が造成されると、市の中心部へ信越線を利用しても長野電鉄線を利用しても10~15分という利便性を買われ、団地や個人住宅の建設が急速に進んだ[3]。
職業構成も1879年に農業が93パーセントだったのが1995年には7,2パーセントになった[3]。
地理
地域北西部をしなの鉄道北しなの線・北陸新幹線が通過し、地域南西から北東にかけて浅川が流れる。中央部を長野県道372号三才大豆島中御所線が南北に走る。
周囲は以下の地域・地区[4]と接する。
長野市街地から約6kmほど北東に位置する。地域西部の長野電鉄朝陽駅としなの鉄道三才駅とを結ぶ長野県道372号三才大豆島中御所線沿いに住宅地・集落が集中しており、そのほかは農地の広がる長閑な地域である。
河川
歴史
- 前身各村〜古里村の歴史
- 長野市古里地区の歴史
大字・町丁
金箱
金箱(かねばこ)は、古里地域中央部の地区(大字)。郵便番号は、381-0007。
地区の西端をしなの鉄道北しなの線・北陸新幹線が通過し、中央部を浅川が流れ、長野県道372号三才大豆島中御所線が南北に走る。
周囲は以下の大字・町丁と接する。
東西に長く広がる地区であり、中央部に長野市役所古里支所と古里小学校があり、古里地域の中心となっている。集落・宅地はその周辺に集まっており、西端・東端は農地が広がっている。
地区内の人口および世帯数は、386世帯 996人(令和5年3月1日現在)[2]
交通
- 路線バス
地区内を走る、ぐるりん号の以下の路線系統が利用できる。
施設
上駒沢
上駒沢(かみこまざわ)は、古里地域北部の地区(大字)。郵便番号は、381-0082。
地区東端を流れる浅川に、地区南東で新田川、北東で駒沢川が合流する。地区西部をしなの鉄道北しなの線、東部を北陸新幹線が走り、中央部を長野県道372号三才大豆島中御所線が南北に走る。
北東の大字大町・大字下駒沢・大字三才に囲まれるところと、南西の大字金箱・大字富竹に囲まれるところの2ヶ所飛地がある。
(飛地を除く)周囲は以下の大字・町丁と接する。
地区南部の新田川沿い・地区北部の駒沢川沿いを除いて宅地が広がっている。
1604年(慶長9年)から1611年(慶長16年)の経路変更まで、地区内を北国街道が通っており、地区西部に新町宿が置かれていた。現在でも駒沢新町団地にその名が残っている。
地区内の人口および世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[2]。
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世帯数 |
人口
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上駒沢
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999世帯 |
2,502人
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駒沢新町
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206世帯 |
303人
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駒沢第二団地
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101世帯 |
130人
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計
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1,306世帯 |
2,935人
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交通
- 鉄道
地区内に鉄道駅はないが、地区北部ではしなの鉄道三才駅(三才)が利用できる。
- 路線バス
地区内を走る、ぐるりん号の以下の路線系統が利用できる。
施設
三才
三才(さんさい)は、古里地域北部の地区。
下駒沢
下駒沢(しもこまざわ)は、古里地域北東部の地区(大字)。郵便番号は、381-0008。
地区西部を浅川が流れる。周囲は以下の大字と接する。
地区南西部に宅地が広がり、地区北東部に長野県立総合リハビリテーションセンターと長野市北部工業団地が立地する。
地区内の人口および世帯数は、737世帯 1,823人(令和5年3月1日現在)[2]。
交通
- 路線バス
地区内を走る、長電バスの以下の路線系統が利用できる。
施設
富竹
富竹(とみたけ)は、古里地域南部の地区(大字)。郵便番号は、381-0006。
地区西部を浅川が流れ、地区の南西端を長野電鉄長野線が、北西端をしなの鉄道北しなの線・北陸新幹線がかすめている。中央部を長野県道372号三才大豆島中御所線が南北に走る。
周囲は以下の大字・町丁と接する。
地区西部に住宅地が広がり、地区東部に農地が広がる。農地の中に長野市民病院がそびえる。なお、住宅密集地と農地との境目がはっきりとしているが、ここが市街化区域・市街化調整区域の境界である。
地区内の人口および世帯数は、2,354世帯 5,492人(令和5年3月1日現在)[2]。富竹は広大な範囲を分割せずに1行政区としていることもあってか、長野市の行政区の中で人口が最多である。
富竹のビャクシンは市の指定天然記念物となっている[6]。
交通
- 鉄道
地区内に鉄道駅はないが、地区南西部では長野電鉄朝陽駅(南堀)が利用できる。
- 路線バス
地区内を走る、長電バス・ぐるりん号の以下の路線系統が利用できる。
施設
西三才
西三才(にしさんさい)は、古里地域北西部の地区。
脚注
参考文献