ラーメン(漢字表記は拉麺または老麺[2])は、中華麺を、豚骨・醤油・塩・味噌などを用いて味つけしたスープに入れたもの[3]。チャーシュー・メンマ・味付け玉子・刻み葱・海苔・鳴門巻きなど、様々な具材が加えられることも多い。スープは出汁とかえしで構成され、各々のレシピは秘伝とされることが多い。
太平洋戦争前は支那そば、南京そばなどと呼称される料理であったが、戦後、中国を指す際に支那の呼称を避ける旨の申し送り[4]が発出されたことを契機としてそれらの呼称は減り、中華そば、ラーメンの呼称が一般化した(呼称の変遷)。
日本では、幕末から明治時代にかけて開国に連れて港に出現した中華街(南京街)で中華料理店が開店し、大正時代頃から各地に広まっていった[5][6]。20世紀後半からインスタントラーメンが世界各国に広がり、21世紀からは日本の大手ラーメンチェーン店が世界各国に店舗を展開している[7]。ラーメン専門店や中華料理店で料理が提供され、「〇〇(地域名や味名)ラーメン」とも称され、札幌や博多など様々な地域、それぞれの店舗ごとに独特の進化、アレンジが見られる。分類としては、オムライスやナポリタンといった洋食と同様に、日本でアレンジが加えられた中華料理である日本式中華料理の一種であり、和食や洋食とは別のカテゴリーである。
新横浜ラーメン博物館「日本のラーメンの歴史」によると、ラーメンは江戸時代末に開港した横浜、神戸、長崎、函館に多くの外国人が移り住んだことをきっかけとして日本に流入し、中国の麺料理がルーツであるとしている[6]。明治時代になると、中国の麺料理含め中国料理が広がっていき、中国からの留学生とともに港町の外にも店が増えた[6]。
1910年(明治43年)、東京府東京市浅草区に初めて日本人経営者が横浜中華街から招いた中国人料理人12名を雇って日本人向けの中華料理店「来々軒」を開店し、大人気となった[8]。当時の主力メニューは、「南京そば」、「支那そば」などと呼ばれたラーメンだった。新横浜ラーメン博物館によると、「来々軒」を中国と日本の食文化が融合してできた日本初のラーメン店としており[6]、ラーメン評論家の大崎裕史はこの年を「ラーメン元年」と命名している[9]。
この店の成功を受けて、太平洋戦争前の日本に続々と庶民的な中華料理店が開店し、ラーメンは餃子や焼売などとともに、定番メニューとして広まっていった[10]。太平洋戦争後は中国大陸からの引揚者によるラーメン屋台も多く出現した[6]。約100年の歴史の中で、様々なアレンジが加えられていき、中国やベトナムなどのアジアの麺料理とは異なる、日本独特の麺料理に変化している。素材の味だけで勝負する無化調ラーメンや、豚骨のインパクトを重視した家系ラーメンなど、ニーズに応じて様々な進化を遂げており、国民的料理として人気を博している。
元は中国語で[5][2]、別称はいくつもあり、ラーメンの語源も複数ある。
国内では、カタカナで「ラーメン」と表記されることが多い。
らーめん・らあめん・らぁめん・らー麺など平仮名で表記されることもある。らうめんという表記も稀にあるものの、語源からすると誤りで、独自のネーミング表記の類であるだろう。
「中華そば」や「支那そば」も呼び方が違うだけであり、同一である。日本では時代とともに南京そば、支那そば、中華そば、と呼称が変遷した。ラーメンの呼称を広めたのは、1958年(昭和33年)に日清食品が発売した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」であるともいわれている[11]。ブラジルでは日清食品はMiojo(明星)の商標を獲得しているが、Miojoはインスタントラーメンの代名詞的な呼び名ともなっている[12]。
中国大陸(中華人民共和国)や台湾(中華民国)では、日本のラーメンは日式拉麺(繁: 日式拉麵/簡: 日式拉面)や日本拉麺(繁: 日本拉麵/簡: 日本拉面)と呼ばれる。
欧米を中心に英語などラテン文字表記では、Ramen[13][14]、Chinese noodles[15][14]、Fideos chinos(スペイン語)[16][17]。
ラーメンの語源については諸説[5]あり、以下で記述する:
小麦粉を原材料とし、アルカリ塩水溶液のかん水(鹹水)を添加することが大きな特徴である。同一の小麦粉で作った麺でも、日本のうどんや中国の多くの他の麺料理やイタリアのパスタと異なる独特の色・味・食感をもつ。但し、地域によっては無かん水麺の秋田十文字ラーメン、かん水以外のアルカリ液で製麺する麺を用いる長崎ちゃんぽんの一部や沖縄そば、鶏卵によりコシを出す卵麺などもある。
この小麦粉に水を加えて、細長い麺とする。多くの場合は「製麺機」で製麺し、製麺会社が製造する麺を使用する店も多いが、1990年代以降小型の圧延機などが流通し、ラーメン専門店は自家製麺を行う店が増えている。
麺の太さにより「細麺」「中細麺」「中太麺」「太麺」などとも区分される。麺の縮れ具合も考慮する。これを組み合わせてラーメンマニアが麺を評する際に「中細ストレート麺」などと称することもあるが、あくまでも感覚的な呼称である。博多ラーメンの細い麺から、うどんより太い麺まで多種多様である。
切刃番手の数字により麺の太さが決まり、18番・20番・22番・24番・26番・28番の麺が多く使われる[19][20][21]。札幌ラーメンは太麺の22番が使われる[19]。
またラーメン店において麺を食べた後の、麺のみの追加注文を替え玉という。
ラーメンの汁は「スープ」と呼ぶ。丼に入れたタレを出汁で割ってスープを作る。出汁を「スープ」と呼ぶこともあるが、本項では混同を避けるため、区別して記述する。
スープはラーメンの味を決定する非常に重要な要素であり、手間暇をかけて工夫したスープを使用する店がほとんどである。調味するタレは長時間の加熱で香りが飛んだり味の変化が起こるため、ダシとタレは分けて仕込む。自前で出汁を調理せず、業務用の出汁やスープを用いる店もある。水で希釈する濃縮タイプ、冷凍パックやレトルトパウチを湯煎するストレートタイプなどがある[22]。
醤油ラーメンでは叉焼(チャーシュー)とメンマ(シナチク)とネギ、豚骨ラーメンでは叉焼とネギと キクラゲがよく用いられる。具はトッピングとして追加するか、もしくは追加される具によって「野菜ラーメン」「ネギラーメン」など別個のメニューとなっていることが多い。特殊ではあるが出汁やタレや麺に厳選した素材を使い、具を全く入れないラーメンもある。
麺と同等以上に重要視されているのが汁(スープ)で様々な種類がある。麺以外に様々な具材を麺の上に並べて(トッピング)して食されることが定番であり、トッピングの具材の種類は非常に多い。
各ラーメンは、日本の地方独特の食材が入る、地方の好みの特徴がある、など、地方差が大きい。地域ごとのラーメンについては、#ご当地ラーメン節を参照。
各地方で地物や好みに合わせて発展した料理でもあり、似通ったラーメンも地域名や特産物を冠としたものや商標登録されたラーメンもあるなど、種類は多い。中華麺#中華麺を使った料理も参照。
合わせる出汁によって澄んだ色のすっきりした味わいのスープから 濁りのある濃厚なものまで幅広いタイプに分かれる。 魚介系の出汁や、醤油を味醂などと合わせて煮る事もあり、 地域性を反映している(後述の#ご当地ラーメン節を参照)ラーメンが多くある。いわゆる「豚骨ラーメン」もタレは醤油を使用していることが多い。
醤油ダレよりもさらに出汁の特徴が現れやすいが、 タレ自身の味わいが他のものよりもあっさりしているため、 全体的にあっさりした味わいのものが多い。
味噌の香りと深いコクが特徴。 味噌の種類にもよるが、濃厚な味わいになるものが多い。 焼いた味噌を使う場合もある。
以下は単種の出汁だが、提供するお店によって、作る時に複数混合使用される場合もありダブルスープやトリプルスープと呼称している場合がある。
具の内容によって次のような名称が用いられる。
中国広東省にある麺料理ではなく、 日本で独自に広東の名を付けている麺料理。
「五目そば」ともいう。
塩味か醤油味のとろみ餡が乗る。
店によっては煮込んだスペアリブを乗せた物を出す。
チャンポンとは言うものの長崎ちゃんぽんとは全く別種のもの。
塩味の汁麺。スープは鶏ガラベースで澄んだ塩味。塩ダレをスープで割る 日本の塩ラーメンとは調理法が異なり、麺や具材も長崎ちゃんぽんとは違う。
また中国でいう湯麺とも意味が異なる。
元来のラーメンが主に飲食店において提供され、家庭料理としても 浸透しているのに対し、インスタントラーメンは日本食の家庭料理として 広く普及している。近年では、日本のみならず、中国や韓国など アジア地域でも、家庭料理として普及している。 菓子代わりにそのまま食べることができるものもある。
スープ・具が別袋になったもの、具が乾燥か茹かなど、様々な 工夫をしたものがある。簡便な食事として、家庭やオフィスに、
また、機内食・行動食としても広く浸透している。
ほとんどのラーメンは丼に入れて供される。特に「雷文」(らいもん、四角い渦巻きが繋がった模様)の描かれた丼が多用され、「雷文」「龍」「鳳凰」「双喜文」(そうきもん、漢字の喜を2つ並べて結婚する新郎新婦が並んで喜んでいる姿に見立てた祝福文様)の4つの絵柄はラーメン丼のトレードマークとなっている[2]。
麺を食べるときには箸を使うのが一般的であり、スープをすくうため散蓮華(レンゲ)が用いられる。
なお、2010年代頃から、食事が終了し、スープもすべて飲んだときに空の丼を逆さまにしてテーブルの上に置く「伏せ丼」という行為がマナーとして紹介されることがある。これは「スープをすべて飲み干すほどおいしかった」という意味で、店に対する感謝を表すとされる。ただし、もともとは2ちゃんねるや個人ブログなどが発祥となる冗談といわれており、テーブルを汚すことにつながるため店側にとっては迷惑な行為であり、実際に行わないことが推奨されることが多い[25]。
日本で最初に中華麺を食べたのは徳川光圀(水戸黄門)であるとする説がある[26]。1659年(万治2年)に明から亡命した儒学者の朱舜水が水戸藩に招かれた際に、所持品リストに中華麺を作る際に使うものが含まれることから、汁麺を献上したとの記録はないが、作ったのではないかと推測されている。1697年(元禄10年)には、光圀の隠居所である西山荘を訪れた僧や家臣らに中華麺がふるまわれたとの記録もある[27]。この説に基づき復元したものが新横浜ラーメン博物館にある。
一方、相国寺塔頭鹿苑院の蔭涼軒主(当時は亀泉集証)の公式日記『蔭涼軒日録』には、文明17年5月17日(1485年6月29日)に南宋末期から元初期頃に書かれた『居家必要事類』という書物で「水滑麺、索麺、経帯麺、托掌麺、紅絲麺、翠縷麺」等の麺食品の調理法を調べ[28]、長享2年(1488年)2月1日(3月14日)と5月16日(6月25日)に「経帯麺」という料理を調理して蔭涼軒への来客に振舞ったという記述がある[29][30]ことが、2017年(平成29年)に判明した[31][32]。この「経帯麺」は材料として小麦粉とかん水を使うことも書かれており、日本初のラーメンである可能性が示されている。
日本への伝播としては、明治時代を迎え神戸や横浜などの港町に中華街が誕生し、そこで提供された南京そばに始まるとされる。横浜の中華街では、1872年(明治5年)に柳麺(lau min、ラウミン)の屋台が出始めていたとされる[33]。1884年(明治17年)に函館新聞(当時)に函館の船場町にある中華料理店養和軒が南京そばを15銭で提供を始める広告を出し、大正の頃まで提供したとされている。証拠が乏しく、当時の関係者も存命ではないため、養和軒の南京そばが今のラーメンと同種の食べ物であると断言できない状況である[6]。
1910年(明治43年)に、横浜税関を退職した尾崎貫一が南京町から清人コックをスカウトして、東京の浅草にラーメンをメインにした庶民的な中華料理店「来々軒」を開店。当時の来々軒を写した写真には「廣東支那蕎麦 來々軒」「支那御料理 シナソバ、ワンタン、シウマイ、マンチウ」という看板が写っている。味は醤油出汁で、1杯6銭(2007年現在で約300円相当)と値段も手頃で連日行列ができた。人気は1976年(昭和51年)に閉店するまで続いたという。開店当時は手延べ式の麺で、昭和に手打ちとなる[34][35][36]。「来々軒」の流れを受け継ぐ店は、同店で最後に修行した宮葉進が1966年(昭和41年)に千葉市稲毛区に開店した「進来軒」だけである[36][37][38]。
1914年(大正3年)には東京市日本橋区茅場町 (現:中央区日本橋茅場町) の「中国料理 大勝軒」が開店、東京に現存する最古のラーメン店とみられる[注 1]。
札幌では1922年(大正11年)、現・北海道大学正門前に仙台市出身の元警察官の大久昌治・タツ夫婦が「竹家食堂」を開店[39]。そこで働く山東省出身の料理人王文彩が作る本格的な中華料理が評判となった。常連客の北大医学部教授(後の北大総長)の今裕(こんゆたか)の提案で店名も「支那料理 竹家」に改名[40]。麺作りは初めは手で引っ張り伸ばす手打ち製法だったが、客が増え後に製麺機になった[41]。竹家のラーメンは中華料理の「肉絲麺(ロゥスーミェン)」を原型としたもので、塩味をベースとしており、主に中国人留学生向けの料理であった[42][43]。日本人の嗜好に合うように大久タツが王文彩の後任の料理人の李宏業と李絵堂に相談し、2人は油が濃いラーメンから麺・スープ・具を改良、試行錯誤の末、1926年(大正15年)の夏に醤油味でチャーシュー、メンマ(シナチク)、ネギをトッピングした現在のラーメンの原形を作り出した[42][44][注 2]。当時、先述の浅草来々軒でもチャーシュー、メンマ、ネギを入れた醤油ラーメンがあり、横浜南京街でも同様ものが出現していたといわれる。各地で現在一般的になったラーメンの基本型ができていった[45][46]。
1954年に、長崎ちゃんぽんの白濁スープをヒントに、トンコツスープを濃厚にした白濁トンコツラーメンの「元祖長浜屋」が開業。同時期、東京・荻窪では東京ラーメンの「丸長」や「春木屋」が開店[47]。田中角栄の日本列島改造論により「地方の時代」が叫ばれるようになった1971年、京都で「天下一品」が開店、1974年に横浜の「吉村家」が開店し、家系ラーメンが始まる[47]。1990年代に入ると、B級グルメに注目が集まり、環七では夜間営業店がしのぎを削る環七ラーメン戦争が起こった[47]。地方の名店が東京に続々進出し始め、時代はご当地ラーメンから、個人の特色を押し出したラーメンに移行し、のれん分けなどで国内外のラーメンブームを形作っていった[47]。2012年Japanese Soba Noodles 蔦(巣鴨)が世界初となるミシュラン一つ星を獲得した。
今日のラーメンの普及には、大きく2つの源流が見受けられる。1つは中華街などで中国からの移住者の営む中華料理屋や、戦前の来々軒に始まり戦後は中国や旧満洲国からの引揚者などが開店した日本風の中華料理屋のメニューである。2つは屋台での販売と、その流れを汲む固定店舗を開設したラーメン屋である。中国の居住経験からラーメンの調理法を習得した者が多かったのに加え、安い材料で美味しく栄養のあるラーメンは、物資が乏しい戦後にはうってつけだった。屋台自体は、古くは江戸時代の固定式屋台の夜鳴き蕎麦屋からの風習にのっとり、調理器具を積んで夜間に商売していた。「ドレミーレド、ドレミレドレー」というメロディーをチャルメラで鳴らして流しの移動式屋台で市中を回る光景は昭和30年代まではよくみられた[5][6][48][49]。
長年にわたり、庶民の味として親しまれてきたラーメンは、1996年に中華そば青葉が、魚介系と動物系の出汁を合わせるWスープのラーメンを打ち出したのをきっかけに、スープ料理としてのラーメンの価値が見直され、創作ラーメンブームにつながった。スープの出汁、タレ、香味油、煮玉子などのトッピング、麺と、ラーメンのあらゆる要素について新しい試みを行う料理人と店が次々と現れ、当時、普及が始まったインターネットのサイト上でのラーメンの食レポ、TVチャンピオン(TXN系列)のラーメン王選手権が輩出した新世代のラーメン評論家、ラーメン特集を組む情報誌やテレビの情報番組、新横浜ラーメン博物館、氷河期世代のラーメン屋転身[50]などとの相乗効果もあり、ラーメンの多様化が一気に進んだ。この流れは現在も続いており、ラーメンは日本において最も変化が激しく、多様化された料理形態となっている。
しかし2023年には倒産や休廃業をしたラーメン店が合わせて74件と過去最多となり、ラーメン業界にとっては未曽有の危機となっている[51]。
専門店の店舗形態としてはカウンターのみ、あるいはテーブルとカウンターからなるものが多い。専門店では味噌や醤油、豚骨などスープの味によって、メニューが区別されていることが多い。特定のスープの味に特化した専門店も多い。ご当地ラーメンなど地域全体で独特なスープや味付け・食材が主流となっている地域も多い。
これらラーメン専門店のラーメンは、麺とスープの製法に各店独自の工夫を凝らすことで様々な個性が生じ、独自の発達を遂げた。特にスープは多くの場合、レシピについて門外不出の「秘伝」とされ、暖簾分けという形での伝授や、法人化した店舗ではチェーン展開による指導などを通じて広まっていった。
チェーン展開やフランチャイズ展開するラーメン店も現れ、これらの店はスープなどは企業秘密のまま本社の工場で生産して、末端店舗は本部から卸されたスープを、本社に決められたレシピ通りに使用するだけ、という形が採られることも多い。この場合、スープは運送に適したように、濃縮状態にされ、一斗缶などの容器に詰められている例もある。独自の屋号で開店していても、スープ、タレ、食材などは他店(他社)から提供を受けている店もある。これは味分けと呼ばれる場合がある[52]。
現在では年間6,000軒以上のラーメン屋が開業し、5,000軒以上のラーメン屋が廃業するという凄まじい競争が起こっており、他店と差別化が図れないラーメン屋は、1年と持たず潰れるほどである。
日本では明治から昭和初期までは、「南京そば」「支那そば」と一般に呼称されていた[6]。この場合の「南京」は南京町(中華街)や南京豆同様に、都市としての南京市というより、「中国の」あるいは「外来の・舶来の」という意味合いである。「支那」は、当時の中国の意味である。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に、中華民国(当時の中国の国名)の名称として、支那という単語の使用自粛が外務省事務次官通達により要請されたことから、『中華そば』という名称が生まれ[53][4]、支那そばに代わって中華そばと一般的に呼称されるようになった[6]。現在でも懐古的な意味合いや店主の政治思想などから[要出典]ラーメンを支那そばと呼ぶ場合もある。また、それぞれの地域でラーメンが普及した時代によるともされる[54]。
当初は多数派だった「中華そば」に代わって、「ラーメン」という呼称が多数派となったのは、1958年 (昭和33年) に発売された初のインスタントラーメン「チキンラーメン」(日清食品)が普及したためといわれている。以降はラーメンと呼称されることが一般的になったが、「中華そば」も引き続き使われている[11][6]。おやつカンパニー(当時は松田産業)の「味付中華麺」など、チキンラーメン以前から即席麺は存在していた[55]。
「拉麺」も京都拉麺小路や東京拉麺など、使われている。
これには、1960 - 70年代から既に高い知名度を持っていた札幌ラーメンなどが観光に大きく寄与していたことも与っている。「札幌ラーメン」を謳ったチェーン店が全国に展開し、インスタントラーメンの商品名にも使用された。これらは「ご当地ラーメン」などと称され、観光資源として雑誌媒体、テレビマスコミでのPRなどに用いられている。
その後、これら「ご当地ラーメン」の個性を楽しむ人たちが増え、現在でもマスコミの取材などをきっかけとして地域毎にラーメンブームの様相を呈することは珍しくない。現在は旅行ガイドブックジャンルを細分化したジャンルの一つとして「ラーメン本」が成立している。観光地や、東京都内など、大都市圏のラーメン店舗間の競合の激しい地域ごとに出版されている。これらの情報を頼りにラーメンを食べ歩く者もいる。
インターネットではラーメン店を評価するホームページやグルメ系ポータルサイトなどが存在する。ラーメン店に対する口コミを見ることができる。
スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどでは生ラーメンやカップラーメンが販売される。人気のご当地ラーメン風の味付けをされた製品や、有名人気ラーメン店やその店主がタイアップしたラーメンも多数販売されている。
これらの市場拡大によってラーメン専門のフードライターや評論家という、ラーメンを食べて評し、記事を書く事を職業とする人物さえ幾人も登場している[56]。
このようなご当地ラーメンが時に大きな市場や経済効果を作り出してきた一方で[57]、「ご当地ラーメン」には、単にラーメン店の店舗数が人口や市街地の規模に比して多いだけで、その地域の固有といえる特段の共通の特徴がなかったり、マスコミに特集されるほどの質(味に加えて接客サービスなど)が伴わない地域も存在している。ブームに便乗しようとする者も多い。
ライターの速水健朗によれば、このご当地ラーメンブームは三浦展のいう「ファスト風土化」(主に1970年代辺りからモータリゼーションとともに日本の風景が均一化していったとする議論)と密接に結び付いていると述べている[58]。
特定の地域で食べられているそれぞれ何らかの独自性があるラーメンをご当地ラーメンという。しかし、必ずしも、周辺地域の店が同じような味とは限らない。その地域の名を冠して呼称されることが多い。
2023年2月7日に総務省が発表した家計調査によると、2022年の1世帯(2人以上)あたりのラーメン外食費は、山形市が1万3196円で、都道府県庁所在地・政令指定都市の中で最多だった。2020年まで8年連続首位だった。2位の新潟市は1万2573円、3位は仙台市だった[59]。
北海道各地におけるラーメンについては、多種にわたるため下記の別項に掲載する。
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店名に「~江戸」という名前で秋田市内にのれん分け店が複数存在。
醤油ベースのスープで、コシが強い独特の縮れた平打ち麺が特徴。
濃いめの醤油スープにコシがある手打ち麺が、味わい深いスープに絡み合う。トッピングにほうれん草がのることも特徴。
濃厚な醤油を使った黒いスープが特徴。
大塩裏磐梯温泉の温泉水を焚いて作った「山塩」を使用したラーメン。透き通ったスープとまろやかな味が特徴。
ピリ辛味のラーメン。親族が経営する2軒の店のみで提供(市原市にあった店は2019年に閉店)。名前の由来は、店が山の中にあることから、アリラン峠にちなみ、無事に峠を越えられるように、との願いを込めたもの。
神奈川県一部地域
透き通った酸味のあるスープにワカメと刻みタマネギがトッピングされている。
八丁味噌を使用したラーメン。
1963年(昭和38年)に創業した「麺類おかべ」が発祥。中華麺、和風だしを使用。魚介が入らない、澄んだ醤油ベース。酢を入れて食べる。
麺はストレート麺、具材はチャーシュー、茹でたもやし、青ネギを基本とする。神戸第一旭が初めて名乗る。その他、もっこす、ラーメンたろう等のチェーン店があるが、統一された特徴はないとされる。
細めの縮れ麺に、チャーシュー・ねぎ・もやし・のりなどの具を乗せる。鶏ガラや豚骨、野菜などを煮込み、甘味のある醤油味が特徴。スープが甘い理由は、織物産業(播州織)が盛んであった昭和30年代、若い女性労働者が多く住んでおり、口にあうように工夫を重ねて生み出されたと言われている。
醤油ベースのスープ、ストレート麺が基本だが、共通したレシピはないとされる。特徴的なトッピングは生姜をのせること。
極太ストレート麺、濃厚な醤油味が特徴。大阪シティバス高井田バス停(東大阪市高井田地区とは場所が異なる)が名前の由来とされる。
白菜を多く使う。彩華ラーメン、天理スタミナラーメンの二系統ある。
醤油系と豚骨醤油系に分かれる。醤油系は和歌山市内の中心部を走っていた路面電車の停車場に軒を並べていた屋台を発祥する味。見た目は濃い茶色だが、食べると意外とあっさりしているのが特徴。現在の和歌山中華そばの主流。 豚骨醤油系は、コクのあるまろやかな豚骨スープと醤油が絶妙に絡み、奥行きの深さを感じることができる。全国で「和歌山ラーメン」といえば、こちらの味を指すことが多い。 どちらの系統も、麺はストレートのやや紐麺で、具はチャーシュー、かまぼこ、メンマ、ネギなど。 (和歌山市観光協会による)
鳥取牛骨ラーメンとともに、数少ない牛骨スープのラーメン。独特な甘みと香ばしさが特徴。いなり寿司と一緒に食べるのが下松流とされる。
2016年に福岡市の公式ホームページに寄稿されたコラムによると、福岡のラーメン事情は「鎖国」と呼べるもので、その理由として「どこか福岡市民は、豚骨ラーメン以外はラーメンと認めない風潮があります」「もちろん福岡の(既存の)ラーメンは美味しいです。それにしたって、です。シェアの約8割が豚骨ラーメンという状況は、他の地域では考えられません」と指摘されている。なぜ「鎖国」状態となっているかについては「まず、地元愛が強すぎるということは無関係ではないでしょうね」「他のジャンルのラーメンが進出できない要因としては“価格”も大きな壁になっていますよね。東京だと一杯700~800円は当たり前だし、1000円超えてしまう場合も珍しくない。でも博多ラーメンって安いじゃないですか。替え玉しても600円(2016年当時)ぐらいで済んでしまう」との見解が示されている。因みに福岡の豚骨ラーメンはあっさり系が相場で、濃厚系は邪道だという[67]。
現在のような白濁した豚骨スープになったのは南京千両の後に豚骨ラーメンを屋台で提供していた屋台「三九」創業者・杉野勝見に由来する。杉野はスープの仕込み中、買い出しで出かける為店にいた母親に留守番を頼んだが時間がかかってしまい、戻ってみたら強火で長時間煮詰めて白濁したスープは臭いも強くもはや使い物にならないと思われた。試しにそれを味見をしたところ豚骨の旨味が出てまろやかで濃厚な味わいだったことから白濁系スープとして採用し、それが現在の豚骨ラーメンの潮流になっていった。 博多・長浜ラーメンとはスープの取り方が異なる。博多・長浜ラーメンが寸胴鍋で仕込んだスープを日々使い切る「取りきり」の方法であるのに対し、久留米ラーメンは、羽釜で炊き出したスープに減った分を継ぎ足しながら煮込み続ける「呼び戻し」という方法で作られる。また、麺は博多・長浜ラーメンの極細麺に比べ、久留米ラーメンはやや太めである。
沖縄のラーメン文化も参照。
日本ラーメン協会では「ご当地ラーメン一覧」を作成しているが、掲載基準として以下の7つの定義のうち、2つ以上あてはまるものを対象としている[68]。
『日本ご当地ラーメン一覧2023』に掲載されたラーメンは180種類あるが、未発掘のご当地ラーメンもあるものと推測されている[68]。
日本国外では「インスタントラーメン」が「ラーメン」であると認識している所が多く、本来のラーメンが存在する国は少ない。
中国の麺料理には、麺棒で薄く延ばし、畳んだ生地を、包丁で細く切った「切麺」、小麦粉の塊を刀で削る「刀削麺」や、湯麺・涼麺・炒麺などがある[5]。
日本式ラーメンの中では豚骨ラーメンの人気が高く、熊本の味千ラーメンのフランチャイジーが400店近くを中国国内に展開しており、日本の外食チェーン店としては最も多い。タイでは首都のバンコクを中心に、8番らーめんや味千ラーメン、山小屋ラーメン、ばんからラーメンなど、日本の多店舗型ラーメン店の進出が目立つ。
中国では日本式ラーメンはトンコツラーメンが支持され、その他の支持は薄い。その理由として、現地の麺類との明確な差別化ができていないこと、海産物から取るダシの味が苦手な中国人が少なからずいることなどがあげられる[69]。
2015年7月下旬、南インド・チェンナイでは、インド初の本格日本式ラーメン店「秋平-AKI BAY-」がオープンし、日本人駐在員や現地のインド人に親しまれている。完全ハラルフードで、様々な宗教に対応し、今後、中東地区などへの進出も期待されている。
韓国では基本的に韓国風の辛い味付けとインスタントラーメンを組み合わせるのが相場である。ラーメンは韓国語で「ラミョン」と発音し、韓国ではラーメンと言えば基本的にインスタントラーメンを指す[70]。日本風の出汁を使ったラーメンはシェアが皆無な訳ではないが一般的ではなく、食べられるとしてもせいぜいあっさりした醤油ラーメンが関の山である[71]。特に豚骨ラーメンはその油気や匂いから不評がちである[72]。激辛でさっぱりして淡白な味を好む韓国の食文化と、しょっぱくて甘辛いものを好む日本の食文化の違いが表れていると言える[73]。ただし、不評なのはあくまで豚骨スープであり、韓国ではインスタントラーメンが主流のため、麺については一定の評価がされている[74]。また、韓国の文化背景上「塩」という言葉にあまり良いイメージが無いため、韓国人は塩ラーメンにも抵抗感があり、評価も芳しくない[75]。
その他、中国などでは日本のチェーン一蘭をコピーしたような類似店「蘭池(ランチ)」なども見受けられる。
日本出身のチェーン店はアメリカ合衆国やカナダに味千ラーメンやらーめん山頭火、藤一番が進出している。天下一品がハワイのホノルルに支店を出している。
ヨーロッパ出身のチェーン店には英国在住の華僑が開いた「ワガママ」がある。
アメリカでも「Chinese noodle」と直訳するよりも「ramen」の方が通じるほどの知名度を持つ[76]。
ラーメンの一種と分類されることもある料理。
ラーメンと同様の麺を使用するがラーメンに分類されることはほとんどない料理。
札幌ら〜めん共和国 (北海道札幌市中央区)
テレビ
ラジオ