『瀬戸内少年野球団』(せとうちしょうねんやきゅうだん)は、淡路島出身である阿久悠の自伝的長編小説。阿久悠の個人誌『月刊you』に1978年2月から1979年10月まで連載、文藝春秋より1979年11月5日に刊行された。終戦後の淡路島を舞台に、野球を通じた女教師と子供たちとのふれあいと絆を描く。第82回(1979年度下半期)直木賞候補作。
続編となる『紅顔期』(こうがんき)が『別册文藝春秋』の151号から154号に連載、文藝春秋より1981年6月1日に刊行。また『最後の楽園』(さいごのらくえん)が『週刊宝石』にて1984年4月から11月まで連載、光文社より1984年12月20日に刊行されている。
および、それらを原作とした映画[注 1]、テレビドラマ。
概要
1979年度下半期の直木賞候補作品。終戦後の淡路島における、野球少年らの青春の日々を描いている。
あらすじ
登場人物
| この節には内容がありません。 加筆して下さる協力者を求めています。 (2018年6月) |
書誌情報
- 瀬戸内少年野球団
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- 紅顔期
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- 最後の楽園
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映画
瀬戸内少年野球団
1984年6月23日公開。英題は「MacArthur's Children」[注 2]。配給収入は8億円[2]。テレビ放送での視聴率(ビデオリサーチ調べ)は1985年10月3日放送で25.3%[3]を記録した。
女優・夏目雅子の遺作であり、俳優・渡辺謙の映画デビュー作である。
スタッフ
出演
- 山内圭哉 - 足柄竜太(淡路島江坂町国民学校初等科・級長 江坂タイガースのメンバー)
- 大森嘉之 - 正木三郎(バラケツ)
- 佐倉しおり - 波多野武女(転校生で江坂タイガースに入る少女)
- 大滝秀治 - 足柄忠勇(竜太の祖父で巡査)
- 加藤治子 - 足柄はる(竜太の祖母)
- 渡辺謙 - 中井鉄夫(中井家の次男で駒子が後添えに勧められている相手)
- ちあきなおみ - 美代(バー“猫屋”の女給で最後は鉄夫と島を去る)
- 郷ひろみ - 中井正夫(新婚早々戦死したと思われていた駒子の夫 傷痍軍人)
- 岩下志麻 - 穴吹トメ(床屋“猫屋”をバーに改装する女将 戦争未亡人)
ロケ地
受賞歴
- 第27回(1984年度)ブルーリボン賞 作品賞
- 第8回日本アカデミー賞
- 最優秀音楽賞(池辺晋一郎)
- 最優秀撮影賞(宮川一夫)
- 最優秀照明賞(佐野武治)
- 最優秀美術賞(西岡善信)
- 最優秀録音賞(西崎英雄)
- 優秀作品賞
- 優秀監督賞(篠田正浩)
- 優秀脚本賞(田村孟)
- 優秀主演女優賞(夏目雅子)
- 新人俳優賞(佐倉しおり)
- 第39回(1984年)毎日映画コンクール
- 日本映画優秀賞
- 日本映画ファン賞
- スポニチグランプリ新人賞(佐倉しおり)
- 撮影賞(宮川一夫)
- 音楽賞(池辺晋一郎)
製作
フジサンケイグループの代表・石田達郎を通じて阿久悠と親しくなったヘラルド・エースの原正人を中心に『月刊you』に連載中から映画化の機運が盛り上がっていた[4]。中井駒子先生の役は、最初から夏目雅子と決めていて、夏目が断ったら企画を流すつもりで、まず夏目雅子ありきの企画だった[4]。製作クレジットには「製作/YOUの会、ヘラルド・エース」と出るが、「YOUの会」は本作を作るために業界関係者50人で結成されたもので、1人10万円ずつ出し合い、残りはフジテレビが出資し、ヘラルド・エースは出資せず、実際はほぼ全額フジテレビが出資した[4]。
エピソード
- 本作は、女優・夏目雅子の遺作であり、俳優・渡辺謙の映画デビュー作であった。
- 共演者である島田紳助が夏目の印象として「ものすごいいい人」と語っており、本作での子役たちが親元を離れて寂しがっているだろうと思い、撮影期間中、夏目が子役たちと一緒にお風呂に入り、背中を流してあげていた挿話を披露している。その際、子役たちから夏目とお風呂に入った事を聞かされた紳助が空ビンを渡して「今度、夏目さんと風呂に入った時、このビンに夏目さんの残り湯を入れてこい」と伝えた。
- 2010年5月25日放送の『紳助社長のプロデュース大作戦!』においてレオナルド・ディカプリオ共演ハリウッド新作『インセプション』公開を控えた渡辺が当番組に宣伝オファーのために出演し、番組MCである紳助と、本作で共演して以来26年ぶりの対面を果たした。
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括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園
1987年1月24日公開。前作の10年後が舞台になっている。瀬戸内の淡路島で終戦をむかえた野球少年少女の10年後の東京での青春模様。配給収入は3億円[5]。
スタッフ
- 製作:ヘラルド・エース
- 製作総指揮:古川博三
- 製作者:阿久悠、原正人
- 製作協力:黒井和男
- プロデューサー:山下健一郎
- 監督・脚本:三村晴彦
- 脚本:河本瑞貴
- 作曲・編曲:宮川晶
- 音楽監督:渋谷森久
- 配給:日本ヘラルド
出演
爆笑問題の太田光もエキストラとして出演している。
エピソード・その他
テレビドラマ
1993年版
『瀬戸内少年野球団』のタイトルで、1993年10月8日にフジテレビ系列で放送。日産自動車創業60周年を記念し、「日産60周年記念スペシャル」と銘打たれている。
放送時間は金曜21:04 - 23:07(JST)だが、本作は『金曜エンタテイメント』扱いはされない。
キャスト(1993年版)
スタッフ(1993年版)
2016年版
『ドラマスペシャル 瀬戸内少年野球団』のタイトルにより、2016年(平成28年)9月17日にテレビ朝日系列の『土曜プライム』枠にて放送。
キャスト(2016年版)
スタッフ(2016年版)
漫画
備考
脚注
注釈
- ^ 原作と違う点は義足になった中井が妻の駒子に「花を作ろうと思うんや」という場面はなく、「6歳差」を埋めるために終戦時に阿久と同じ初等科3年生だった足柄竜太の5年生の設定になり、竜太らが結成した「江坂タイガース」と米兵との親善試合もなく、「提督」の運命も原作で昔の部下と会社を起こすことになり淡路島を離れることになるが、映画では極東国際軍事裁判に呼ばれて途中退場して巣鴨プリズンからシンガポールに身柄を移されて処刑される[1]。
- ^ 海外での公開を意識した英題は監督が決めた[1]
出典
- ^ a b 朝日新聞2014年11月22日「映画の旅人」。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)430頁
- ^ 『週刊東洋経済』1986年8月2日号、122頁。
- ^ a b c 原正人、本間寛子(構成)『映画プロデューサーが語る“ヒットの哲学”』日経BP、2004年、119–129頁。ISBN 9784822243593。
- ^ 「邦画フリーブッキング配収ベスト作品」『キネマ旬報』1988年(昭和63年)2月下旬号、キネマ旬報社、1988年、191頁。
- ^ 「対談 三村晴彦 長部日出雄」『キネマ旬報』1987年1月下旬号、45頁。
- ^ “武井咲「瀬戸内少年野球団」主演 夏目雅子さん遺作「緊張感物凄い」”. スポーツニッポン. (2016年5月30日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/30/kiji/K20160530012686370.html 2016年5月30日閲覧。
- ^ “三浦貴大、武井咲と夫婦役で初共演 『瀬戸内少年野球団』”. ORICON STYLE. (2016年8月2日). https://www.oricon.co.jp/news/2076114/full/ 2016年8月2日閲覧。
外部リンク