高品 格(たかしな かく、1919年2月22日[1][2] - 1994年3月11日)は日本の俳優。本名、向後 直吉(こうご なおきち)[1][2]。
千葉県出身[1][2]。北川事務所[1]、スタッフ・アップに所属していた[2]。息子は作家・カウンセラーの向後善之[3]。本名から分かる通り、同じ旭市出身の高品剛とは無関係。
千葉県海上郡飯岡町に漁師の息子として生まれる。千葉県匝瑳郡八日市場小学校高等科を卒業後、八日市場区裁判所に勤務する。
1935年、東京市杉並区高円寺の「東邦拳闘倶楽部」に入ってプロボクサーになり、東洋フライ級チャンピオンまで登り詰めるが、日本映画に感動して俳優を志し1938年、日活多摩川撮影所に入社。1939年、田坂具隆の監督映画『土と兵隊』でデビュー。芸名はデビューしたこの時に当時の日活の俳優課長、佐藤圓治が名付けた[4]。高品は一時期本名だった名字でもあり、これを元に「品格が高い」という洒落を掛けた[4]。最初は格と書いて「いたる」と読んだが、誰もが「かく」と呼び、しかしこちらの方が語呂が良いと判断したため、以後「かく」を正式な芸名とした[4]、その後、2度に渡り応召する。
復員後、大映を経て1955年に日活に入社し、『女中ッ子』など多数の映画に出演する。1957年に石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』でボクサー崩れの用心棒を演じて、それ以来アクの強い敵役として数々のアクション映画に出演する。
1970年にフリーになってからは、テレビドラマに活動の場を移し、『大都会』などで活躍。1973年の特撮テレビ番組『ロボット刑事』で共演した千葉治郎は、撮影の合間に戦時中の体験談を身振りを交えて話す姿が印象的で、色々と学ぶことも多かったと述懐している[5]。
1984年の『麻雀放浪記』では主人公の青年に麻雀の積込み技を伝授する老人・出目徳役で出演し、博徒の刹那的な生き方を好演。国内の多くの助演男優賞を受賞した。
1994年3月11日、東京都渋谷区のNHKで、4月スタートの大河ドラマ『花の乱』の打ち合わせを終え帰宅中に車の中で苦しみ、病院へ運ばれたが心不全のため東京都大田区の病院で死去。75歳没。
特技は乗馬[1]、殺陣[1]。
括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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