田口 トモロヲ (たぐち ともろを、1957年 11月30日 - )は、日本 の俳優 、ナレーター 、ミュージシャン、映画監督 、元エロ劇画 家。マッシュ 所属。東京都 武蔵野市 出身。獨協大学 経済学部 中退(4年間一度も進級しなかった[ 注釈 1] )。本名は田口 智朗 (たぐち ともお)。パンク ・ファンク バンドばちかぶり のボーカリストとしても活動。
2000年代 前半に放送されたNHK のドキュメンタリー番組『プロジェクトX 』のナレーションも担当していた[ 1] 。
人物
在学中からアングラ演劇 、自主映画 、自販機本 などに係わる。1978年 、劇団「発見の会 」入団。1979年 、自販機本 『劇画アリス 』(アリス出版 )に掲載した「愛虐の果て」で漫画家 デビュー。1982年 には『俗物図鑑 』で映画デビュー。1985年 、ケラ と共に演劇集団「劇団健康 」を結成し、第3回公演「カイカイデー」まで参加していた。
その傍ら、エロ劇画家 、ライター 、イラストレーター などで生計を立てていた(名義は本名の「田口智朗」の他「たぐちともろを」など)。漫画家としては自販機本やエロ劇画誌 で活動し、1979年11月にはアリス出版 から『増刊劇画アリス 田口智朗の世界』が刊行され[ 2] 、1981年 には唯一の単行本『ノーパン・パニック』(サン出版 )を刊行した。三流劇画ブーム が去った後も、青林堂 の『月刊漫画ガロ 』1986年8月号に「熱海の夜」が入選し、1993年7月号掲載の「爆裂肉ちまき」まで断続的に活動を続けていた。「初期エロ劇画家時代の彼にも眼を見張るものがあった」という意見は多く [要出典 ] 、担当編集者の米沢嘉博 は「ジョニー・ロットン 、コリン・ウィルスン 、三上寛 などが引用され、当時のパンクロック 的ムードがあふれている。石井隆 の影響下にある絵柄はおくにしても、絵の描き込みより、ドラマツルギー とバイオレンス やSEXの疾走をエネルギッシュに物語ろうとする描き手だった。背景への写真コピーの使用や、一ページ一コマの大画面など、無頓着とも見える画面が、しかしそれなりの効果をあげ、ドラマを読んでいる」と評している[ 2] 。また前出の単行本も古書に高値が付いているが、本人は「技術がないのが自分でもわかってしまって、飽きてやめた」と語っている [要出典 ] 。
1983年 に代々木公園 で見たじゃがたら のライブに影響され、パンクバンド 「ガガーリン」を結成後、伝説的自販機本 『HEAVEN 』主催のアンダーグラウンド・ロック集会「天国注射の昼 」にも出演していたそうだが、植木等 の映画の曲を演奏したため、版権の関係でライブビデオには収録されていない。その後、1984年 にばちかぶり を結成(ナゴムレコード 所属)。
俳優としては、以前より数々のピンク映画 やアダルトビデオ に出演していたが、1989年 12月31日 に放映された実話ドラマ『シャボン玉の消えた日 』(日本テレビ )で、自らも尊敬する植木等 役を演じたのを皮切りに、同時期に主演した塚本晋也 監督[ 注釈 2] の劇場映画『鉄男 』が話題を集めて世間から注目され出し、カルト映画 出演俳優として知られるようになる。三池崇史 監督映画にも頻繁に出演。2003年 映画監督業へ挑戦、『アイデン&ティティ 』を撮影する。
1994年 にハリウッド 俳優のチャールズ・ブロンソン の男気に憧れるあまり、漫画家のみうらじゅん とユニット「ブロンソンズ 」を結成。またブロンソンの影響でか「仕事は選ばず手を抜かず」を信条としており、その役作りにおいては圧倒的なこだわりを見せる。自らプロレスラーを演じた映画『MASK DE 41』では監督から「20kgデカくなってほしい」との要望を受け、クランクイン前の約1年間をかけてアニマル浜口 のジムとFMW の道場で過酷なトレーニングを積み肉体改造に成功。さらにハヤブサ とのスパーリング特訓で、試合シーンも吹き替え無しで演じきった。
2000年 3月28日から2005年 12月28日まで放送のNHK総合テレビ 『プロジェクトX〜挑戦者たち〜 』ではナレーションで人気を集め[ 注釈 3] 、放送終了後も『プロジェクトX』をモチーフとするバラエティ番組のコーナーでナレーションをすることがある。
『仮面ライダー THE NEXT 』ではショッカーの怪人シザーズジャガーを演じ、アドリブを入れすぎて監督の田﨑竜太 に制止されたという。また、同作では「眼鏡をかけたまま仮面を被る」という前代未聞の変身を、ことさら強調せず自然に演じた。本人は「仮面は眼鏡のことを考えて作られていないので被りにくかったが、シザーズジャガーの使命としてやり遂げた」「今後も機会があれば、帽子を被ったままの変身など、いろいろやってみたい」と語っている [要出典 ] 。
「ばちかぶり 」時代のライブパフォーマンスでライブスタート時に炊飯器でご飯を炊き、ライブ中に炊き上がったご飯の入った炊飯器の中に脱糞したパフォーマンスは今や伝説となっている[ 注釈 4] 。なお、根が真面目な性格なため、前日から下剤を飲むなどして腸の調子を調整していた [要出典 ] 。
2009年 3月、イラストレーター の安斎肇 が率いる5人組パンク バンド、「LASTORDERZ」にボーカルとして正式加入した。
2024年 4月、18年ぶりに復活したNHK総合テレビ「新プロジェクトX 挑戦者たち」でもナレーションとして続投している[ 4] 。
メガネを使用する事が多い。ただし一部のドラマや映画にはメガネ無しで出演している。
監督作品
映画
1980年代
俗物図鑑 (1982年)
鉄男 (1989年) - 主演・男 役
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
Vシネマ
ザ・ギニーピッグ2 ノートルダムのアンドロイド (1988年、ジャパンホームビデオ )
DINO (1994年)
オールナイトロング3 最終章 (1996年) - 川崎 役
FULL METAL(フルメタル) 極道(1997年) - 平賀玄白(科学者)
ライン the line(1999年)
暴き屋 保険調査裏仕事人(2000年) - アカネコ
女郎蜘蛛(2000年) - 関東テレビ ニュース番組プロデューサー
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 シリーズ(2001年 - 2007年、セディックインターナショナル) - 倉本
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 EPISODE-2 ロシアより愛をこめて(2001年)
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 EPISODE-FINAL スタンド・バイ・ミー(2002年)
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 番長足球(2003年)
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 妖怪地獄(2003年)
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 マレーの虎(2005年)
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 女番哀歌 スケバンエレジィ(2007年)
岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 中華街のロミオとジュリエット(2007年)
死神の刃(2010年) - 国松組若頭 ワタセ
任侠沈没 (2011年) - 主演・赤竜組若頭 大紋寺龍伍
半端(2018年、オールインエンタテインメント )全2作 - 主演・山城組若頭補佐 佐伯組組長 佐伯博司
半端(2018年2月)
半端 完結編(2018年4月)
テレビドラマ
Webドラマ
テレビ
ラジオ
劇場アニメ
ドラマCD
ナレーター
CM
ミュージック・ビデオ
舞台
ゲーム
シャドウ・オブ・ザ・ダムド (2011年) - エリオット 役
シャドウ・オブ・ザ・ダムド:ヘラ・リマスタード(2024年(予定)) - エリオット 役
音楽
ばちかぶり も参照。
高級芸術宣言(1984年) - LPレコー ド ※巻上公一プロデュース
マンダム 男の世界(1995年) - CDシングル ※ブロンソンズ名義
スーパーマグナム(1997年) - CDアルバム ※ブロンソンズ名義
大人パンク!(2011年) - CDアルバム ※LASTORDERZ名義
書籍
漫画
増刊劇画アリス 田口智朗の世界(アリス出版 )
※「田口智朗」名義。1979年11月発行。沖縄 で起こった事件を元にした描き下ろし 50ページ長編「行け!帰ることなく」のほか、朝鮮人 問題を扱った「殺しが静かにやってくる」、埼玉 の連続暴行グループを描く「暴行魔、走る!!」、ライフル銀行強盗事件を元にした「勝手にしゃ〜がれ」、男女の道行を描いた「新男女読本」など実話 を元にしたバイオレンス 作品が多数収録されている[ 2] 。
ノーパン・パニック(サン出版 )
※「田口智朗」名義。1981年に刊行された唯一の漫画単行本。そのため、単行本未収録作品も多い。
著書
ブロンソンならこう言うね(ちくま文庫 )※「ブロンソンズ」(田口トモロヲ + みうらじゅん )名義
※『ブロンソンならこう言うね〜マニア・カルト一生相談〜』(ごま書房 )の文庫版。
脚注
注釈
^ 在学当時の学部規則による。ちなみに同学部では、2年次から3年次への進級に取得単位による進級判定と卒業見込時の卒業判定が生じるのみで、入学から2年間の在籍中、表向きでは進級しないということはない(休学期間を除くのべ8年在籍で自動的に除籍される)。
^ 塚本監督にとってもメジャーデビュー作品である。
^ 『プロジェクトX』全盛期、映画の撮影中たまたま横を通った同番組のファンから、「あんたねー、こんな下らない仕事なんかしないでナレーションに集中しなさいよ」とお説教を延々と受けた、とインタビューで語っている [要出典 ] 。
^ ライブを予定している会場側から「君は本番中ステージでゲロを吐く と聞いたけど、ゲロを吐くのは絶対に止めてくれ」と言われたことを表現弾圧と感じ、「ああ、いいともゲロ以外でやってやる」との思いで行為に至ったという。田口の会場側のクレームに対するささやかな反抗だったらしい[ 3] 。
^ Har'G KAITELS(ハージーカイテルズ)は大杉漣 とのユニット名
出典
外部リンク
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