末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フリーの編集者、作家、サックス奏者。元白夜書房取締役編集局長[1]。
岡山県吉永町(現:備前市)出身。7歳のとき、母親が若い男とダイナマイト心中した[2]。
岡山県立備前高等学校の機械科に進学[1]。高校卒業後、大阪・枚方のステンレス線の製造工場に集団就職したが、大阪の工場の過酷な労働がいやになり3か月で退職し、川崎の父親の元へ[1]。父親と同じ自動車工場で働く[3]。1967年、渋谷にあった青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜間部に入学[1]。デザイン会社に入社。主に看板のデザインをする[1]。キャバレーや風俗店の看板描きをしていたとき、元同僚がエロ本の出版社に転職し、その縁で、のちに白夜書房を創業する森下信太郎からエロ総合誌の創刊をまかされ、1975年に『ニューセルフ』を立ち上げる[3]。掲載した堤玲子の小説に女性器の俗称が36か所使われていたとして発禁処分となる[4]。
1977年に雑誌『ウイークエンドスーパー』を創刊[1]。創刊当初は単なるエロ本であったが、徐々に(後に大成する)執筆陣によるエッセイやカメラマンのグラビアなどが溢れる異色のサブカルチャー誌となった[5]。
1981年、『写真時代』を創刊[1]。1988年、わいせつ図画販売容疑により警察の実質的な発禁処分を受け、『写真時代』は廃刊[1]。同年『パチンコ必勝ガイド』を創刊、大ヒットとなるが、手にしたボーナス2千万円を全てギャンブルに注ぎ込んだり、不動産投機に手を出し、バブル崩壊とともに2億円以上の借金を作る[2][6]。
以後長らく白夜書房の取締役編集局長として、パチンコ・パチスロ誌を中心に同社の刊行物の発行を指揮する立場にあったが、2012年3月に取締役を辞任した[7]。この時点では白夜書房を退社するわけではなく、当面は同社で編集者としての活動を継続するとしていたが[7]、同年10月末で白夜書房を退社[8][9]。以後はフリーの立場で活動している。
2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞を受賞[10]。
2018年、自伝『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化[11]。
工員時代に最初の結婚をしたが離婚、40代で神蔵美子と再婚後は聖書の教えを実践している[12]。