山本 弘(やまもと ひろし、1956年 - 2024年3月29日[1][2])は、日本のSF作家、ファンタジー作家、ゲームデザイナー[3]、漫画原作者、アンソロジー編集者など、幅広い分野で活動[4][5]。オカルトなどを扱う「トンデモ本」を研究する「と学会」初代会長をつとめ、トンデモ本ブームの先駆者でもある[5][6][1]。「山本 弘」はペンネームで、本名は「山本 浩」(読みは同じ)[2][注 1][注 2]。日本SF作家クラブ元会員[7]。日本推理作家協会会員[8]。
1956年に京都府で生まれ、1978年に「スタンピード!」で奇想天外SF新人賞佳作を受賞、1988年に「ラプラスの魔」で本格的に小説家デビュー[4][5]。1987年にゲーム創作集団「グループSNE」の一員として、RPG『ソード・ワールド』の立ち上げに参画、「サーラの冒険」シリーズなど「ソード・ワールド」を題材とした小説の執筆、テーブルトークRPG『ガープス』から派生した『妖魔夜行』『百鬼夜翔』シリーズの小説版を手がけた[2][5]。
2011年「去年はいい年になるだろう」で第42回星雲賞(日本長編部門)を、2016年には「多々良島ふたたび」で第47回星雲賞(日本短編部門)を受賞[1][4]。代表作に、第28回吉川英治文学新人賞ほか複数の賞の候補となった『アイの物語』、『神は沈黙せず』『MM9』『僕の光輝く世界』『トンデモ本の世界』などがある[4][7][5]。
小説・SF関連
1956年、京都府生まれ[2][4]。最終学歴は京都市立洛陽工業高等学校電子科卒業[4]。学生時代に創作中心のSFファングループ「星群の会」に参加[7]。
こどもの頃から作家になりたいという夢を持っていて、小学生、中学生の頃は大学ノートに鉛筆で小説を書きまくっていた。アマチュア時代の1976年、SFファングループ「ネオ・ヌル」を主宰していた筒井康隆から「『シルフィラ症候群』を載せてみないか」と声を掛けられ[注 3]参加、SF同人誌『NULL』にてこの短編小説を公表、以後、3年間執筆活動する。またSF同人誌『星群』にも投稿した。のちに改稿され商業誌に発表された「シュレディンガーのチョコパフェ」は、最初『星群』のオリジナル・アンソロジーに発表されたものである。同作により、1986年にSFファンジン大賞・創作部門を受賞。
1978年、第1回奇想天外SF新人賞佳作を受賞した「スタンピード!」でデビュー[4]。このとき同時に佳作を受賞した作家に新井素子がいる。処女長編は1988年出版の『ラプラスの魔』(角川文庫より刊行)[4]。
安田均をブレイン役として、水野良らとSFゲームサークル「シンタックスエラー」を結成[9]。のちにゲームデザイナー集団グループSNEに発展する[4]。
グループSNEでは、SF、ファンタジー小説を手がけ、現在はグループSNE社友。1990年代の著作の大半はライトノベルの長短編で『ソード・ワールド』シリーズ(富士見ファンタジア文庫)および『妖魔夜行』・『百鬼夜翔』シリーズ(角川スニーカー文庫)の主要著者グループの一人である。ソード・ワールドにおいては西部諸国、『妖魔夜行』シリーズでは世界観の基本設定を担当し、森崎摩耶、穂月湧を主人公としたシリーズを執筆している。[注 4]
1993年、同人誌『超絶図書館』によりSFファンジン大賞エディトリアルワーク部門を受賞した[10]。
ライトノベルSFの分野では『時の果てのフェブラリー』などの作品があり、この分野においては、野尻抱介らとともにハードSF志向が強い作家のひとりである。「SFの本質はバカ(バカバカしさ&真剣さ)である」というスタンスを表明しており、現実にはありえない発想に科学考証を加えるというセンス・オブ・ワンダーを重視している。
ライトノベル分野以外では、2003年以降SF作品を精力的に発表し、正統派のSF作家としての評価を急速に高めた。2004年の長編『神は沈黙せず』は第25回日本SF大賞候補作に、2005年の短編「メデューサの呪文」はSFマガジン読者賞に選ばれた[4]。2006年の連作短編集『アイの物語』は第28回吉川英治文学新人賞候補になり[4]、英語版も刊行されている。2007年の連作長編『MM9』は第29回日本SF大賞候補になり、さらに『SFが読みたい!』のベストSF国内篇の第2位となった。同作もアメリカの出版社ビズメディアから英語版が刊行された[11]。『MM9』は2010年にテレビドラマ化された[12]。2011年、『去年はいい年になるだろう』で第42回星雲賞日本長編部門(小説)を受賞[1][4]。2016年に「多々良島ふたたび」で同賞日本短編部門賞を受賞した[1][4]。2015年には『僕の光輝く世界』が本格ミステリ大賞の候補に選ばれた[4]。
「主人公は世界の本当の姿を知らない」「現実は見た目どおりではない」というスタンスの作品を示す「パラノイアSF」という概念をたびたび提唱している。
と学会・トンデモ関連
本職はSF作家であるが、トンデモ本[注 5]を楽しむ集団「と学会」の初代会長としてもよく知られている[6]。
と学会名義では『トンデモ本の世界』や『トンデモ超常現象99の真相』などに執筆しており、その他のオカルト関係の書籍、雑誌、ムックにもよく寄稿している。ノストラダムス、UFO、ゲーム脳などといった疑似科学、オカルトに関するコメントを発表するなど、マスコミでの活動もしている。1997年以降は何度かテレビ番組にも出演しており、2005年には『奇跡体験!アンビリバボー』にも出演し、超能力実験の審査員を務めた[注 6]。
これらの超常現象や陰謀論などを扱ったテレビ番組、雑誌などに関連してマスメディアの姿勢について言及することも多い。マスメディアは人の手によるものであるため、時には誤った内容を伝えたり編集や構成によって取材内容の改竄をおこなうことが可能であり、場合によっては演出や脚本におけるヤラセや捏造もありうる、として実際に活字や映像として出される情報が全てではないこと、また必ずしも事実とは限らないことをたびたび指摘しメディア・リテラシーの必要性を唱えている。
また『トンデモ本の世界R』では従来の疑似科学や陰謀論の他に週刊金曜日の『買ってはいけない』や漫画家小林よしのりの『戦争論』をトンデモ本として取り上げた[注 7]ことで一部より政治的な立場を取り沙汰されたが、自称ノンポリである[13]。
この件について山本は「左派的色彩の強い『週刊金曜日』と右派的色彩の強い『ゴーマニズム宣言』を並べる事で「ウヨクだ」とか「サヨクだ」とかいう誤解を避ける意図があった」としている[13]。
以前より『ニフティサーブ』などで歴史修正主義への嫌悪を隠さず、そうした傾向を持つ本をトンデモ本として取り上げており、1995年のマルコポーロ事件においては、西岡昌紀を宝島30において厳しく批判した。また2003年に出版したSF小説『神は沈黙せず』において南京大虐殺や南京大虐殺論争を取り上げ、作中人物が南京大虐殺否定論(及び中国の南京大虐殺の被害者三十万人説)を批判する描写があった。これによりネット上では賛否両論の議論が繰り広げられ、その後自らこれを解説するサイトを作成している[14]。
2002年には特撮・アニメ・マンガ等の「設定の非科学性」を科学的に検証してベストセラーになった『空想科学読本』シリーズ及び柳田理科雄をデタラメとして痛烈に批判した本『こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」』をと学会会長名義で出版している。
地球温暖化懐疑論への批判も行なっている。また、ASIOS(超常現象懐疑的調査のための会)の会員でもある。
東京都青少年の健全な育成に関する条例により非実在青少年の性的描写や暴力的な描写を規制することには強く反対しており[15]、表現の自由や言論の自由を強く尊重すべきとしているが[16]、ヘイトスピーチ規制法案には賛成しており、例えば「非処女の女性は中古品」とネット上に書き込んだ人に対しても、積極的に検挙して取り締まるべきであると主張している[17]。
在日特権を許さない市民の会ならびにネット右翼の主張も、デマや捏造が多く含まれている上に「表現の自由の範疇に含まれない悪質な差別行為をしている」として問題視している[18]。2013年ごろからは安田浩一と共に批判することが多い。また、日本では在日韓国・朝鮮人が犯罪を行った際に通名報道されることが少なくない[独自研究?]が、山本は通名報道を批判する人間は差別主義者であるとの発言もしている[19]。2011年のフジテレビ抗議デモにも全面否定的であり[20][21]、この見解については、山本も所属するASIOSの客員で元副会長である若島利和と激しく対立した[22]。
なお、唐沢俊一の盗作問題に関して、唐沢を擁護する発言を行ったとして藤岡真から厳しい批判を受けている[23]。
2014年4月11日にと学会の活動から引退した[6]。
ゲーム関連
グループSNEの創立メンバーの一人であり、SNE時代にはコンピュータゲームやテーブルトークRPGの開発にも関わっている[3]。1998年にグループSNEより独立。それ以降は小説・評論を中心に活動しており、ソード・ワールドRPGに関しても『サーラの冒険』シリーズに属する小説の執筆などしか行っていない。ただし、山本の初デザインといえるTRPGが商業出版で初めて発表されてもいる。2006年7月20日発売の『Role&Roll』誌において『サーラの冒険』シリーズの後日談的リプレイ『絶対危険チルドレン』のゲームマスター(GM)を務め、『猫の街の冒険』シリーズで復帰した清松みゆきに続いてGM復帰を果たしている。
テーブルトークRPG『ソード・ワールドRPG』関連での業績も多く、1980年代末から1990年代前半にかけて『月刊ドラゴンマガジン』誌においてリプレイ第1部、リプレイ第2部を連載。水野良の小説『ロードス島戦記』の原型となった『コンプティーク』誌上のテーブル・トークRPGリプレイ(第一部)において、エルフのディードリットのプレイヤーを務めた[24]。その後『ソード・ワールドRPGリプレイ第1部』、『ソード・ワールドRPGリプレイ第2部』、『フォーセリア・ガゼット』『ソード・ワールドRPGアドベンチャー』『ソード・ワールドRPGシアター』西部諸国ワールドガイドといった企画記事を連載した。リプレイ、アドベンチャー、シアターについてはそれぞれの頁を参照。
フォーセリア・ガゼット
『フォーセリア・ガゼット』は西部諸国で発生した事件を読者が新聞記事の形式で投稿するという企画であり、ここで登場した『最強魔獣』事件は『ソードワールドRPGアドベンチャー』に組み込まれている。同じく『無口王の杖』事件も『アドベンチャー』に組み込まれる予定であった[注 8]が、『最強魔獣』事件があまりにも急激に展開し、またスケールが大きくなったためか実現せずに終わった。
同コーナーのイラストレーターは天野喜孝、佐々木亮が務めた。
その他
本職ではないが漫画やイラストも描く。単行本などでまとまったものはないが『ウォーロック』誌では漫画の連載もあった。リプレイのあとがきや小説中の図解イラストなど、自分の著書で挿絵・デザインの一部を手がけることもある。
年齢は自称「心はいつも15歳」。雑誌『ファンロード』の常連投稿者でもあり、『リアルタイプメタルダー こいつはダサいぜ』などの投稿で読者を沸かせた。山本のキャラも作られ、これを利用した『スーパー邪悪獣ジュウゴサイダー』など他の投稿者の投稿でネタにされることもあった。またファンロードには山本に関して、内容的にはたわいもないながら暴露系の投稿が明らかに山本の同僚等の身近と推測される人物からされたこともある。また山本自身が暴露系の投稿をしたこともある。
また、いわゆる「ロリコン」であることをしばしば自著で公言している。角川スニーカー文庫版『時の果てのフェブラリー』(本編中にもややきわどい描写や発言が入っているが)のあとがきにも東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の記憶も生々しい時点で挑発的なコメントを残している(このあとがき自体がフォーマルな敬体・SF調の常体・おちゃらけの会話体(?)という3種類のあとがきを併記して「自分によっていいあとがきを選んでください」という実験作となっており、最後の会話体のあとがき中にこのコメントが出てくる)。『トンデモ本の世界T』のあとがきにおいても自身がロリコンであると述べたうえで、違法行為や迷惑行為などを行わず単にそのような嗜好を持つに過ぎない大多数の「ロリコン」をも犯罪者扱いする世間の風潮を非難する発言を行い、ネットその他で話題となった。
JGC1997のソード・ワールドイベント『西部諸国のつくりかた』においては『人を感動させるのは簡単、怖がらせることは難しい、人を笑わせることが最も難しい』と発言、また『ギャラクシー・トリッパー美葉』第2巻のあとがきにも浦沢義雄のテイストに挑戦したという趣旨の記述があり、『笑い』『楽しさ』を重視する姿勢を見せる。
「女ターザン映画」の愛好家であり、『映画秘宝』誌に関連する文章を寄稿。また、MADテープ、MADムービー等も愛好しており、雑誌誌上で『仮面ライダーV3』のOPの歌詞を入れ替えたMADを実際に歌詞を表記して紹介した。同誌上では「もりもり力が抜けてくる」と『超合体魔術ロボ ギンガイザー』の最終回に関する批評も行った。関連して初音ミク関連の音楽、映像も愛好している。
石化・凍結(本人の表現によると「固め系」)フェチである事を明言しており、しばしば作中にもそのようなシーンを描写し、そういった嗜好のサイトの掲示板にも出入りしていた。
唐沢俊一および彼の劇団仲間、と学会の有志により『と学会会長 山本ひろし物語』の映像が2008年に製作され、と学会の会合にて公開された。その後、自主制作盤のDVDとして製品化され、と学会のイベントにて販売されている。役者が山本弘を演じ、モテモテの人気者ではあるがオカルトの一切を極度に否定する事によって女性が離れていくという内容の自虐的なコメディである。
晩年
2018年5月10日から9月4日まで脳梗塞で入院していたことを明らかにし、カクヨムにてリハビリを兼ねた闘病日記として執筆された。それは2020年9月22日の第93話で唐突に終わっている。
2020年4月時点でリハビリを続けるも、”いっこうに良くなる気配はなく、二桁の足し算すらろくにできない。『プロジェクトぴあの』のような高度な数学を駆使する作品は二度と書けないのです。”[25]と綴っており、ハードSFに関しては実質的に断筆を宣言している。
2024年3月29日に誤嚥性肺炎により死去、68歳没[1][2]。
作品リスト
小説(オリジナル)
アンソロジー収録作品(オリジナル)
単行本未収録作品(オリジナル)
- スタンピード!(『奇想天外』1978年3月号)
- ありえざる明日(『SFアドベンチャー』1991年4月号)
- 前世再生機(『小説CLUB』1999年6月号)
- 輝きの七日間(『SFマガジン』2011年4月号から2012年10月号にかけて連載。完結後2012年11月に単行本発売が予定されていたが直前に発売中止された。)
- 喪われた惑星の遺産(『SFマガジン』2011年8月号)
小説(ノベライズ)
リプレイ
ゲームブック
エッセイ、ノンフィクション等
「山本弘」名義のもの。他に著者「と学会」「ASIOS」名義の本にも、執筆多数。
漫画原作
解説
その他
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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