荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。 本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名[1]。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。
日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。
北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる[2][3]。小学生時代は山中峯太郎、南洋一郎、海野十三などの戦時冒険SFや、吉川英治『宮本武蔵』などを愛読した。札幌第一中学校に入学、山岳部に所属し登山に熱中。その後学制改革により第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)に移り、堀辰雄、山本有三などを読む。高校の同期に、後の作家渡辺淳一、および渡辺の小説『阿寒に果つ』に登場し、荒巻の小説『白き日旅立てば不死』のヒロインの加能純子のモデルとなる夭折の天才画家加清純子がいた[4]。のちの漆工芸作家で北海道教育大学名誉教授の伊藤隆一も高校の同級生。
受験のために東京の叔父、兄の家から駿台予備校に通い、実存主義に接しカミュ、カフカ、サルトルなどを読む。 早稲田大学第一文学部心理学科入学、安部公房により新劇ファンとなり、南里文夫を聴いてジャズファンとなり、またF.ブラウン『発狂した宇宙』を読んでSFに関心を持つ[5]。。卒業後、早稲田大学第二文学部露文科に再入学し、国土社で働きつつ、ロシア革命時の軍艦から名前を取った『アブローラ』という同人誌を作り、当時書いた原稿は5000枚ほどだった[5]。出版社に編集者として勤務し、1961年に家業を継ぐため札幌に戻る。北海学園大学短期大学部土木科を卒業し、二級建築士の資格を取得。北建商事株式会社代表取締役に就任。
1965年から1967年、SF同人誌『CORE』を主催、また『宇宙塵』に寄稿。1970年には、評論『術(クンスト)の小説論』、短編『大いなる正午』を『SFマガジン』に発表し、作家・評論家としてデビュー。ニュー・ウェーブSFやシュール・リアリズムの影響をうけ、美術と心理学の素養を生かしたスペキュレイティブ・フィクション的な幻想的SFを発表し、ダリの同題の絵画をモチーフとした短編「柔らかい時計」(初出『宇宙塵』1968年4月122号)は英訳され、1989年にイギリスのSF雑誌「インターゾーン」に掲載されて、高い評価を得た。1971年に『SFマガジン』に発表した中編「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」を長編化した『白き日旅立てば不死』などのヌーボー・ロマン風の作品[6]や、「ユングの集合的無意識への夢」であるという連作長編『時の葦舟』[7]などを発表。処女長編『白き日旅立てば不死』は、第1回泉鏡花文学賞の候補となった。
1973年にノン・ノベルを発刊した祥伝社の伊賀弘三良に、S-Fマガジン編集長だったの森優の推薦で、半村良の『黄金伝説』のような伝奇推理の執筆を依頼されて『空白の十字架』を執筆し、以後伝奇ロマン作品を数多く発表した[8]。またスペースオペラ「ビッグウォーズシリーズ」やジュブナイルSF「時間監視員シリーズ」などを執筆する。2度のインド旅行で仏教、ヒンドゥー教に関心を持ち、渡辺照宏『不動明王』を読んで不動明王とシヴァ神の説話にヒントを得て『殺意の明王』を執筆した[9]。続編の『悪魔の議定書』では日本的な伝奇ロマンに対して舞台の国際化を目指し、また新書版に合った創作手法として劇画のプロット構成法を参考にし、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ『化学の結婚』の構成を指標として執筆した[10]。さらにシリーズ3作目『妖獣王子』では世界情勢と近未来的問題を組み入れるという試みで、土地高騰現象と経済恐慌を題材にした[11]。
1986年に当時の米ソ対立の中で、シミュレーションゲームから着想を得たシミュレーション小説を構想し、在住している北海道を舞台に箱庭的な世界を作ろうとして、ニセコ山系を舞台に選んだ近未来戦記『ニセコ要塞1986』三部作を執筆。続いて十和田、阿蘇、琵琶湖を舞台にした連作長編となった[12]。これを皮切りに、架空戦記を執筆するようになり、1990年代以降の架空戦記小説ブームの始祖とも言える作品であった。1994年には、架空戦記作家宣言とも言える評論『シミュレーション小説の発見』を発表する。「世界模擬実験装置としてのシミュレーションにこそ、小説の未来がある」として、以降、架空戦記小説を多数発表する。一時期は日本SF作家クラブを脱退していた。
2001年の「富嶽要塞Ver.1」の完結以降、架空戦記の新作は発表されずに経済シミュレーション小説『プラグ』(2002年)や、アトランティスを舞台にしたSFファンタジー・シリーズ『アトランティス大戦』『火星のアトランティス』等を書いていた。
2007年8月に行われた世界SF大会 Nippon2007では、「スチームパンク/歴史改変」パネルに参加(他の参加者は、高野史緒、宇月原晴明、永瀬唯、新戸雅章)。2007年12月に翻訳家の増田まもるが創設したサイト「speculative japan(ニューウェーヴ/スペキュレィティヴ・フィクション・サイト)」にはメンバーの一員として参加し、盛んにSF評論を発表している。2008年12月から2011年12月にかけて日本SF作家クラブ主催で行われていた日本SF評論賞の第4回から第7回の選考委員長を務め[13][14]、石和義之、岡和田晃、高槻真樹らを輩出した。
「SFへの回帰」が目立っていたが2010年5月、10年ぶりの架空戦記小説の新刊『ロマノフ帝国の野望』が発売され、話題を呼んでいる。巻末には最新の地政学関係の文献がリストアップされている。
60年安保の挫折を経た後に、建築の仕事の経験によって職人の技術や身体の延長としての道具を文学にするという考えを持ち、それを「術の小説論」にまとめており、またマニエリスムを志向していると述べている[5]。美術を素材とした作品に、ボスの『快楽の園』のような惑星への旅を描く『神聖代』、エッシャーの絵のような都市を舞台にした『カストロバルバ』などがある。筒井康隆は『神聖代』について「一種の巡礼物語であり、神話的な構成を持っている」「豊かな普遍性を持ち、読者それぞれの内的宇宙(インナースペース)への旅の指針」となっていると指摘している[15]。
伝奇ロマンとしては、超古代史をテーマとする『空白の十字架』などの「空白シリーズ」、『ソロモンの秘宝』を始めとする秘宝シリーズ、『古代かごめ族の陰謀』などの「陰謀シリーズ」、「埋宝シリーズ」などのSFミステリーがある。高校時代からヴァン・ダインを愛読しており、黄金シリーズを読んだ山村正夫から推理小説を描くように勧められ、浦島伝説を題材とした伝奇推理小説『天女の密室』、フリーメイソンを扱った『石の結社』を執筆、これらは画家の條里嶋成を主人公として、美術に関する造詣も生かされている[16]。『天女の密室』は1977年の週刊文春ミステリーベスト10で次点にランクされた。澁澤龍彦の影響が大きいと自身で語っており、そのマニエリスム志向はヨーロッパにおける神秘思想・秘教に代わって、超古代文明などをテーマとした伝奇SFとして表されていると笠井潔も指摘しており[17]、巽孝之も、荒巻の架空戦記もまたマニエリスム的作品と評している[18]。
長く「札幌時計台ギャラリー」のオーナーを務め、北海道の美術家の作品を多数所持する美術コレクターとしても著名であり、コレクションの多くは札幌芸術の森美術館に寄贈されている。
2014年11月より月刊のペースで、彩流社より入手困難な初期SF作品を集成した『定本 荒巻義雄メタSF全集』(全7巻+別巻)が刊行開始された。編集委員はSF評論家で慶應義塾大学教授の巽孝之、SF研究家で元北海道新聞文化部長の三浦祐嗣。