『マタンゴ』は、1963年(昭和38年)8月11日に公開された日本の特撮ホラー映画[出典 5]。製作・配給は東宝[6]。カラー、東宝スコープ[出典 6]。監督は本多猪四郎、主演は久保明。
同時上映は『ハワイの若大将』[出典 7]。
「変身人間シリーズ」の番外編的作品[22][23][注釈 2]。ウィリアム・ホープ・ホジスンの短編海洋綺譚『夜の声』[注釈 3]を原作[出典 9](原案[28][21])とし、翻案・脚本化された。
人間社会から隔絶された無人島を舞台とし、極限状態に置かれた人間のエゴイズムを描き出している[出典 10][注釈 4]。怪物以上の恐ろしさを感じさせる俳優陣の熱演も評価されている[23](詳細は#評価を参照)。
内容こそ奇談・怪談に属する恐怖映画であるが[27]、同時上映の明るい青春映画『ハワイの若大将』とのギャップも手伝い[21]、今日でもSFやホラー映画マニアの間で語り継がれている[注釈 5]。また、カルト映画の1つとしても知られており、「世界の珍妙ホラー映画ベスト5」の第3位に挙げられている[30][31]ほか、海外での人気も高い[32]。監督の本多猪四郎も、本作品を自身の代表作の一つに挙げている[25]。
しかし、興行的には成功であったとは言えず[24]、本作品と翌年の『宇宙大怪獣ドゴラ』が低迷に終わった結果、本格SF路線はゴジラシリーズなどの怪獣路線へ吸収されていった[33][注釈 6]。製作の田中友幸は、雰囲気作りには成功していたとしつつ、流行していた怪獣映画と紛らわしい売り出し方であったと述懐している[35]。
本作品公開の前月である1963年7月に公開された『日本一の色男』(監督:古澤憲吾)の劇場予告編の末尾には、約20秒の尺に描き文字と効果音のみで構成された本作品の告知が追加されている。[独自研究?]
アメリカでは日本公開当時は劇場公開が実現せず『Attack of the Mushroom People』(直訳:キノコ人間の襲撃)のタイトルでテレビ放映されるだけに終わった[28]が、イタリアでは2016年に第18回ウディネ・ファーイースト映画祭にて、特集上映「BEYOND GODZILLA: ALTERNATIVE FUTURES AND FANTASIES IN JAPANESE CINEMA」(「ゴジラの向こう側: 日本映画におけるオルタナティブとファンタジー」)の1作として上映された[36]。
2022年には、4Kデジタルリマスター版が制作された[37]。
東京の病院に収容されている青年・村井研二が、自らが遭遇した恐怖の体験を語り始めた[21]。
ある日、豪華なヨット「あほうどり号」で海に繰り出した村井たち若い男女7人が嵐に遭って難破し、南太平洋の霧に包まれた無人島に漂着するが、そこはカビと不気味なキノコに覆われた孤島であった[18][21]。波打ち際に唯一佇む難破船には、少数の食料や未知のキノコ「マタンゴ」の標本が残っていたものの生存者はおらず、「船員が日々消えていく」と書かれた日誌や、「キノコを食べるな」という警告が発見されたうえ、この船が実は核実験の影響を調査する海洋調査船であったことが判明する[18][21]。また、船内の鏡はすべて割られていた[21]。
7人は当初こそキノコに手を出さず、理性を保って協力していたが、まもなく食料と女性を奪い合って対立する飢餓と不和の極限状態が訪れ、皆の心はバラバラになっていく[21]。また、島の奥からは等身大のキノコに似た不気味な怪物が出没し始め、1人、また1人と禁断のキノコに手を出していく[18][21]。
その後、唯一キノコに手を出さず怪物の魔の手からも逃れてヨットで島を脱出した村井は幸運にも救助され、こうして病院へ収容されることとなったが、そこは精神病院の鉄格子の中だった[21]。難を逃れたはずが狂人として隔離されてしまった村井は、「戻ってきてきちがいにされるなら、自分もキノコを食べて恋人と島で暮らしたほうが幸せだった」と後悔し、窓から平和な東京の町を眺めて悲観に暮れながら鉄格子の方を振り返る。病院関係者たちの好奇と畏怖の注目を集める村井の顔には、彼が島で見たマタンゴが生え始めていた[18][21]。
劇中では、「どこかの国が行った水爆実験の放射線によって変異したキノコを食した人間の成れの果て」と設定されている。マタンゴを食した者は、全身を次第に胞子で覆われるにつれて知性や理性が失われていき、成体(キノコ人間[出典 12])への変身と共に人間としての自我は消失し、怪物への変異が完了する[14][注釈 10]。難破船の日誌には、「島で発見した新種のキノコ」や「麻薬のように神経をイカレさせてしまう物質を含む」と記録されていた[注釈 11]。
怪物の成体は、マタンゴによる変異が全身におよんで人間当時の各部がうかがえなくなっており、かろうじて人型と認識できる容姿である[14][注釈 12]。一方、変身途上は人間当時の各部がまだうかがえる容姿であるほか、無施錠のドアを手指で開ける、背後から人間を襲って島の内陸部に拉致するなどの運動能力や知能が残っている[注釈 13]が、いずれも発声能力はほぼ失せており、うめき声程度しか発しない。また、薬品や火、光に弱いほか、銃弾では死なないものの銃身で殴られると腕がもげる(ただし、血は大して流れない)など、骨肉の強度は人間のそれより劣る。
マタンゴが自生する島は木々が多々茂っているうえにいつも霧に包まれており、昼でも暗い。歩けば1日もかからず反対側に行ける広さしかないこの島には、潮や霧の影響から多くの船が島に引き寄せられて座礁するため、近海地域は「南太平洋の船の墓場」と形容されている[42]。浜にはウミガメが産卵に来るが、鳥類は決して島に近づこうとしない[14][28]。
参照[6][16][66]
当初は早川書房の雑誌『S-Fマガジン』にて「空想科学小説コンテスト」を共催し、それに入選した作品の映画化を予定していたが該当作が無かったため、同誌の編集長であった福島正実の提案によって原作を決定し、福島自身が脚色を手掛けた[出典 19]。原案には、SF作家の星新一も名を連ねているが、実質的にはラストについての意見を出したこと以外はほぼノータッチである[24][74][注釈 20]。
監督の本多猪四郎は、本作品はワライタケとバミューダトライアングルがヒントになったと述べており、地球上には不思議な場所がまだあるということを表現したかったが、実際の作品は小ぶりになってしまったと語っている[75]。
キノコのミニチュアには、開発されたばかりでまだ使用目的の無かった発泡ウレタンが使われた[出典 20]。キノコがみるみるうちに発育していくシーンは、実際に発泡ウレタンが反応して膨れ上がる様子をそのまま使っている[56][25]。監督の本多猪四郎はこの手法を高く評価しており、試作時に思わず拍手したという[77]ほか、後年のインタビューでもこの件を特撮スタッフのアイディアと努力の一例として挙げている[76][78]。
笠井役の土屋嘉男は、撮影までマタンゴの姿を知らずセットで初めて見たが、着ぐるみはヨチヨチ歩きでセットも『白雪姫』のような雰囲気であったため、笑ってしまったという[出典 21]。麻美役の水野久美も最初は笑っていたが、だんだん不気味になっていき、特に天本英世のメイクが怖かったと述懐している[81][82][注釈 21]。土屋も、撮影時はリアルな怪物を想像していたが、映画全体として見れば気が狂った人々が見た非現実的な描写としては良かったとも述べている[79]。
キャストが食べる劇中のキノコは、米粉をキノコ形に練った和菓子素材の蒸し菓子を、食紅などでピンク色に着色したもの(「新粉細工」と呼ばれるもの[84])である[25][85][注釈 22]。菓子は成城凮月堂[注釈 23]が映画用に作っており[89][90]、毎朝撮影所に蒸したてが届けられた[25]。しかし、そのままでは味気なかったため、土屋の提案で砂糖を加えて食べやすくしたところ大変好評で[25][注釈 24]、水野は特に気に入って食べていたといい[出典 22][注釈 25]、スタッフたちも撮影の合間につまみ食いをしていたという。土屋は上品な甘さであったと証言しており[80]、村井役の久保明も本当においしかったと述懐している[93]。
ヨットの造形物は、フルスケールの本編セットと特撮スタジオプールでのミニチュアが用いられた[出典 23]。ミニチュアだったがかなり大きいものであり、実際に航行可能だった[46]。ただし、美術助手の井上泰幸によれば、動きが悪かったので本物のヨットを用いて撮影しようという案も挙がっていたという[94]。セットでの難破船内の装飾には、『モスラ』で用いられたモスラが吐く糸としてゴム糊を噴出する装置が用いられた[95]。助監督の中野昭慶によれば、この装置自体は元々スリラー映画などで蜘蛛の巣の表現として用いられていたものであったという[95]。
井上は、当初マタンゴの森を葉のない枯れ木の森としてデザインしたが、特技監督の円谷英二からはキノコが生えているのだから鬱蒼としていなくてはならないと指摘され、慌ててセットに木を植えていったという[94]。
村井が収容された病室の窓から見える景色は、合成ではなくミニチュアで表現された[出典 24]。井上は、円谷がすべてミニチュアで撮影しようと検討していたことを後に知ったという[94]。ネオンサインには本物のネオン管を用いているが、危険であることから撮影所では制作できず[注釈 26]、業者に外注している[22][25]。ミニチュアによる風景は、人間社会が虚飾にまみれた作り物であるということを[21]、ネオンサインは、人間社会の毒々しさをそれぞれ表現しているとされる[22][13]。また、久保によれば、村井の顔に何もないパターンも撮影していたといい、本多や製作の田中友幸らはどのようにすべきか悩んでいたという[93]。脚本第1稿にも村井の顔の描写はなく、本多のアイディアであったとされる[75][注釈 27]。
なお、大阪の東宝敷島劇場・敷島シネマに掲げられた本作品の看板の前には、劇中よりも巨大に制作された怪物の人形が展示された[96]。また、上映開始が子供たちの夏休み期間中だったことからも、銀座などの劇場入口ではバヤリースのタイアップによる怪物の懸賞ぬり絵が配布された[97][98]。
合成機器として、オックスベリー社の最新の光学合成撮影機「オプチカルプリンター1900シリーズ」が、本作品のために購入されている[出典 25]。合成を担当した飯塚定雄によれば、円谷英二は東宝に無理を言って買わせていたといい、本作品以降はオプチカル合成の技術が普及したと述べている[99]。撮影助手を務めていた川北紘一は、同年の映画『大盗賊』で本格的に使用するため、本作品でテストを兼ねていたものと推測している[56]。
ロケは伊豆大島[75]と八丈島で行われたが、マムシが頻繁に出没するうえ、森のシーンではムカデなどが多く、スタッフやキャストを悩ませた。笠井役の土屋嘉男によると、霧の演出のためにスモークを焚いたところ、樹上からいろいろな虫が落ちてきて大騒ぎになったという[89]。
小山役の佐原健二は、『モスラ対ゴジラ』のオーディオコメンタリーで「『マタンゴ』では、いやらしい雰囲気を出すために、ちょうど歯医者に行っていて(奥)歯の治療をしている時に、治療とは違う(前)歯を抜いてしまうことを思いつき、担当医には強く止められたが、役作りの一つとして歯を抜いた」と語っている。また、自著でも「本作品の役作りのために歯を抜いた」と記している[100]。さらには、セットでのリハーサルの際にバケツの水が降り注ぐ中で(抜いた後に)差し歯にした歯を落としてしまい、大変だったとも述べている[32][80]。こうして、佐原は本作品での演技が評価された結果、本多の勧めにより、翌年の『モスラ対ゴジラ』でも悪役を演じる[101]など、本作品以降は悪役も演じるようになっている[92]。
後年にみうらじゅんが水野に尋ねたところによれば、彼女がキノコを手に取って妖艶な仕草で美味しさを伝えるシーンは、よく意味がわからないまま監督に何度も駄目出しされたという[102]。
バヤリースとのタイアップにより、同社製品のバヤリースオレンジを飲むシーンがある[103]。
遭難する登場人物たちには、それぞれモデルとなった人物が存在する[19]。これは脚本の木村武と監督の本多猪四郎が、脚本を仕上げていく段階で設定された。
ヨットのオーナーである会社社長・笠井は西武グループの堤義明[80][82]・清二兄弟、小心者の推理作家・吉田は大藪春彦[82]、仲間を見捨ててヨットで逃げ出す船長・作田は堀江謙一[31]、大学助教授・村井はワイドショーで人生相談に出演していた学者(学生を自分の恋人にしている)、歌手・麻美は「芸能界のどこにでもいた女性」、ヨットマン助手・小山はそんな彼らを庶民の視点から見る人物となっている[104]。
この設定は製作の田中友幸を怒らせたが[104]、本多はほとんど直さずに作品を仕上げている[105][注釈 28]。また、本多は尺があれば船に乗る前のイントロダクションとして、贅沢で非生産的な当時の裕福な若者たちの生態を描きたかったと述べている[75]。
なお、水野は撮影当時はモデルが存在することは知らなかったと述べている[82]。
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