『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(かいじゅうとうのけっせん ゴジラのむすこ)は、1967年(昭和42年)12月16日に公開された日本映画[30][22]。ゴジラシリーズの第8作[出典 5]。製作・配給は東宝[12][29]。カラー、東宝スコープ[17]。略称は『息子』[35][36]。監督は福田純、主演は高島忠夫。
初回興行時の観客動員数は248万人[出典 6][注釈 2]。併映は『君に幸福を センチメンタル・ボーイ』(監督:丸山誠治、主演:舟木一夫、東京映画作品)[出典 8]。
前作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』に続き、南海の島が舞台となっている[出典 9][注釈 3]。本編の撮影についてはグアム島ロケが敢行され、話題となった[39](詳細は#グアム島ロケを参照)。
公開当時は第一次怪獣ブームが起きていたことから、年少観客層を意識してゴジラの子供ミニラを登場させている[出典 10]。これを受けて「ゴジラはオスなのかメスなのか」が話題となり[出典 11]、当時の宣伝材料では「パパゴジラ」と表記された[54]。また、福田は「父子の情愛を描きたかった」とコメントしている[53][51][注釈 4]。ゴジラ親子の情愛が特撮パートで描かれていることが本作品の特徴であるが[出典 12][注釈 5]、東宝プロデューサーの田中友幸はゴジラの擬人化により凄みを失ったと述べている[57]。
ストーリー面では、ミニラのコミカルな描写やゴジラとの親子のやりとりなどほのぼのとした要素も見られるものの、本筋は科学者たちによるハードな内容となっている[44][39]。ヒロインのサエコとミニラの交流など、ストーリー面でも映像面でも本編と特撮の融合がなされている[44]。
「バヤリース」や「パンアメリカン航空」とのタイアップが行なわれている。
怪獣ブームを意識して制作された作品であったが、観客動員は前作を大きく下回り、東宝は次作『怪獣総進撃』をもってシリーズを終了することを決定した[58]。書籍『ゴジラ・デイズ』(集英社)では、シリアスな本編とコメディタッチの特撮が不調和であったと評価している[45]。
後にヨーロッパでは劇場公開されたが、アメリカではテレビ放映とビデオ発売のみであった[11]。
太平洋上。嵐の中を飛ぶ気象観測機が、海上を進むゴジラを発見する。進行方向には南海にゾルゲル島という孤島があるのみだった。
そのゾルゲル島では将来の人口増加に伴う世界的な食糧難対策として、楠見恒蔵博士を中心とした実験隊により、合成放射能ゾンデを利用した国連食糧計画機構によって気象コントロールによる農地化の実験「シャーベット計画」が秘密裡に進められていた[出典 13]。フリー記者の真城伍郎はこれを嗅ぎつけて取材を申し込んだことで、副隊長の藤崎の口添えで実験隊の雑用兼炊事係となる[39]。
いよいよ開始される気象コントロール実験であったが、島の中央部から放たれた謎の妨害エネルギーにより、合成放射能ゾンデ打ち上げは失敗する[出典 13]。実験中抜け出した伍郎は海岸で不思議な美少女を発見する[61]。実験の失敗により島は4日間に渡って摂氏70度の異常高温に見舞われ、生息していた大カマキリが怪獣カマキラスへと変貌した[出典 13]。
カマキラスは妨害エネルギーを発信していた三角山を崩すと巨大な卵を掘り起こし、その卵の中からミニラが孵化する[60][62]。3匹のカマキラスがミニラを攻撃しはじめたとき、そこへミニラの親であるゴジラが海岸から上陸してきた[出典 13]。実験を失敗させた妨害エネルギーは、親を呼ぶミニラのテレパシーだったのだ[59][39]。
実験所は壊滅し、楠見博士たちは洞窟に避難する[49][4]。伍郎は海岸で出会った美少女サエコが、20年前に島から日本の考古学チームが引き上げる際に一人残った研究者、マツミヤ博士の娘であることを知る[39]。サエコはすっかりミニラと仲良くなっていた。やがて実験チームを襲う熱病に、サエコは「クモンガの谷」の向こうにある「赤い沼」の水が特効薬であると教える[62][4]。サエコの案内で水を汲みに向かう伍郎が見たものは、ミニラの腕白ぶりに手を余すパパゴジラの姿だった[62][4]。
赤い沼の水で回復した楠見博士たちは、洞窟内に機材を移動させて再び実験を開始することを決意する[出典 14]。そこへ覚醒したクモンガが洞窟を襲い、一行は危機に直面する[出典 15]。偶然にミニラが現れ今度はそれを餌食にしようとするが、ミニラの声に呼ばれたゴジラが救いに入る[60][39]。親子との対決が激化したところにカマキラスも加わった[4][20]。最後の望みは、気象コントロールで島を凍結させ、怪獣たちが冬眠した隙に脱出することだった[39]。
冷凍ゾンデと合成放射能ゾンデが再び打ち上げられて実験は成功し、気温が低下したことで大吹雪が島を包んでいく[出典 16]。サエコとともに島から離れて歓声を上げる楠見たちの目には、クモンガを倒したゴジラがミニラと抱き合って雪の中で冬眠につく姿が映っていた[59][60]。
参照[13][30][14][31]
監督は、本編に福田純、特撮に特技監督へ正式に昇格した有川貞昌と、前作に続いて若手が起用された[出典 37][注釈 14]。通常は監督が決定してから内容を検討していくが、本作品では有川が就任する前に『ゴジラの息子』というタイトルが決定していた[117]。
ミニラの登場について、プロデューサーの田中友幸は「苦し紛れに考えだした」と述べている[57][119]が、有川は「あとで聞いた話」として「私が二代目の特技監督に決まって、それでゴジラにも息子を、というアイデアが出た」と述べている[120]。クランクアップ後、有川はミニラ役の小人のマーチャンから記念に電気カミソリを贈られ、「今でも使っていて、使うたびに良き時代が思い出されます」と語っている[120]。
脚本は関沢新一とその弟子である斯波一絵の連名となっているが、実際の台本は関沢によるものとされ、斯波が執筆した『二匹のゴジラ 日本SOS!!』が原型となっている[85]。『二匹のゴジラ』は後年に発見され、書籍『ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイブ』で初公開された[85]。
音楽も、前作に引き続き佐藤勝が担当[出典 38]。本作品では、複数のパーカッションを用いた色彩感のあふれるシンフォニック・ポップスの趣となっている[121]。また、怪獣ごとにモチーフを変えて特徴づけているが[123]、後年のインタビューで佐藤は擬人化していてやりすぎだったと述懐している[122]。
出演俳優の多くは、東宝特撮の常連俳優で固められた[39]。シリーズ第1作『ゴジラ』などにも出演し、本作品には藤崎役で出演した平田昭彦は、本作品について「サービスで子供向けを作るのもたまには良いが、ゴジラの本質は悪の権化である」と語っている[124]。
本作品では、パンアメリカン航空とのタイアップによるゴジラ映画初の海外ロケが行われ[44][34]、主要なキャストがグアム島へ渡った。ただし、楠見博士役の高島忠夫だけはロケに参加しなかったため、代わりに現地で雇った高島に似た代役で撮影された[125][119]。後年、高島は飛行機を苦手としていたために海外ロケを断ったとの旨を明かしており[125][119]、「妻(寿美花代)の分のチケットも用意する」とまで言ってきた田中による説得を「女房が乗ろうが僕は飛行機には乗らない」とかたくなに拒絶した結果、彼や共演者からも批判されたという[125]。
ジャングルにてロケを行った際、現地人から日本兵の生き残りがいると聞いた土屋嘉男は冗談半分で「戦争は終わった」と声をかけていったが、数年後には横井庄一が実際にその付近に潜伏していたことが明らかとなった[125]。
本作品の敵怪獣は、すべて着ぐるみではなく操演で表現された[出典 39]。特技監督の有川貞昌は、カメラマン時代は操演スタッフに同情的な立場であったが、本作品では監督として無理難題を要求せねばならず、中島春雄が間に立って仲介したという[117]。
ゾルゲル島に降る雪には発泡スチロールが使われているが、有川は「体表で溶けていく」という表現にこだわり、一部にパラフィン(蝋)を使っている[出典 40]。これを噴霧器で撒いて照明で光らせることにより、溶けているように見せている[117]。材料費が高いことからアップのみの使用となったが、このパラフィンによってゴジラ親子の顔の上でゆっくりと溶ける雪のカットを撮ることができた[118][117]。しかし、撮影終了後は(発泡スチロールやパラフィンにまみれた)スーツや機材の手入れが大変だったという[118][117]。
本作品のゴジラを演じるのは、前作まで演じ続けてきた中島ではなく俳優の大仲清治である[7][119]。これは本作品のゴジラスーツがミニラとの対比上、大き目に製作されていたためであり、中島よりも長身の大仲がスーツアクターに選ばれた[7]。中島はプール撮影でのみゴジラを演じているが、大仲が野球の試合中に指を負傷したために途中降板し、その後の撮影では関田裕がゴジラを演じている[129][119]。
クライマックスでの雪に埋もれていくゴジラとミニラの演出は、高く評価されている[9][119]。有川は、脚本に物足りなさを感じたことからラストシーンを長撮りし、思いっきり人間臭い浪花節にしたかったと述べている[117]ほか、このシーンでぬいぐるみ表現の限界に挑戦したことを語っている[55]。本作品で照明技師に昇格した原文良も、ラストシーンの照明はうまくいったといい、本作品を印象深い作品に挙げている[130]。
ゴジラがカマキラスを背負い投げするシーンでは、ホリゾント上部のスタジオの天井が映り込んでいる[131]。