平田 昭彦(ひらた あきひこ[出典 1]、1927年〈昭和2年〉12月16日[出典 2] - 1984年〈昭和59年〉7月25日[出典 3])は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)[出典 4]。
主に東宝映画、テレビドラマで活躍[9]。特撮分野の名優としても知られる。吉江企画に所属していた[7]。
夫人は女優の久我美子[2][5]。実兄に映画監督の小野田嘉幹[2][5]、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子[2]、実妹に女優の音羽美子がいる。
来歴・人物
日本統治時代の朝鮮の京城[注釈 1]生まれ[出典 5][注釈 2]、東京都[7]中野区出身[8]。東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校(60期)、旧制第一高等学校を経て、東京大学[7][2]法学部[8][1]政治学科卒。
陸士での同期には中條高徳がいた。また、東大での親しい同期には児島襄、松下康雄らがいた。東大では演劇部に所属。母親が世田谷で映画関係者のよく利用する旅館を営み、兄が映画界に就職したこともあり、映画界への興味を抱き、大学在学中は新東宝で助監督のアルバイトをやっていた[2]。
1950年に大学を卒業すると東京貿易[注釈 3](現三菱商事)に入社[2]。しかし、映画界への興味は捨てきれず、女優の山口淑子からの勧めもあって、俳優への転身を決意[2]。1953年、第5期東宝ニューフェイスとして東宝に入社し[出典 6]、同年、マキノ雅弘監督『抱擁』でデビューする[出典 7]。同年、宝塚映画の『鉄腕涙あり』で映画初主演[2]。
端整なマスクと知的で気品のある雰囲気で東宝の若手スターの1人となり[出典 8]、文芸作品から、アクション、時代劇、戦争映画、コメディまで数多くの映画に出演した[5]。岡本喜八、福田純、本多猪四郎、稲垣浩らの監督作品の常連である。戦争映画における士官役や、アクション映画の殺し屋やインテリヤクザ役などで、堂に入ったダンディぶりを発揮した。特に1959年正月映画『暗黒街の顔役』で鶴田浩二の頼れる兄貴分、翌年正月『暗黒街の対決』では一転して鶴田と三船敏郎を苦しめる悪徳弁護士(殺し屋斡旋業で隊長でもある)は見事なキャラクター使い分けで、殺し屋役では、岡本脚本、福田監督の『100発100中』で純白のスーツに身を固めた硫酸魔など、自分の体にこぼして最期をとげる間抜けさも含め、平田ダンディズムの代表的演技となっている。
さらにクレージーキャッツ主演『無責任遊侠伝』では中国の商人谷啓をいじめるギャンブルの名人でもある暗黒街の顔役で登場、犬塚弘に第二次世界大戦で敵前逃亡した元日本兵という正体を見破られた際のオタオタ演技、イメージとは大きく異なる役にチャレンジする意欲を見せ『無責任清水港』『殴り込み清水港』では一転し次郎長一家きっての頼りになる兄貴分 大政を演じる変幻自在ぶりを発揮。
1954年、東宝の特撮怪獣映画の第1作『ゴジラ』に芹沢博士役で出演、以降東宝・円谷プロ系特撮作品の常連となる[1]。芹沢博士は苦悩する科学者だったが、以後は主にクールで知的な博士・科学者役を得意として[出典 9]、作品を引き締め、品格を与えた。テレビでも『ウルトラマン』の岩本博士、悪役としては『レインボーマン』のミスターKなどを演じている。
1970年代以降はテレビを活動の中心とし、ドラマだけでなくバラエティ番組にも出演した。人気クイズ番組『ぴったし カン・カン』の「ぴったしチーム」レギュラー解答者としても活躍[1]。この番組では、司会の久米宏が休暇中に司会を代行する萩本欽一に替わって「カン・カンチーム」キャプテンを務めたり、ゲストとしても出演したことがある。東宝系を中心に舞台にも数多く出演し、芸術座の『人間の条件』では主演、帝国劇場では山田五十鈴演じる静御前の相手役として、1カ月間にわたり源義経を務めた。
1975年に放送された『鬼平犯科帳』のテレビドラマ第三シリーズで、主人公長谷川平蔵の理解者である若年寄・京極備前守高久を演じ、以後、1980年から放送された第四シリーズにおいても同じく京極備前守を演じた。1984年に平田が亡くなった後、鬼平の原作者池波正太郎は、自身のエッセイ「池波正太郎の銀座日記」において次のように執筆している。
「主役の平蔵が替っても、この人の備前守は私が変えさせなかった。それというのもこの人の身についた気品が、いかに当時の大名にふさわしかったからだ。この次の鬼平は誰が演るか未定だが、平田さんの京極備前守はうごかぬはずだったのである」
1983年にはゴジラ復活に向けてのキャンペーンにも芹沢博士の扮装で参加していたが[13]、同年9月ごろ、十二指腸潰瘍を患い手術。回復後はテレビ出演も続け、1984年12月公開の『ゴジラ』では当初、林田信を演じる予定だった[出典 10]が、同年7月15日に呼吸不全となり、駿河台日大病院に入院。その結果、林田役は夏木陽介に譲り、8月の収録で東都日報編集長役[注釈 4]で出演する意欲を示していたが、1984年7月25日午前11時15分、癌性リンパ管症で死去[2]。56歳没[17]。
エピソード
- 平田自身は、代表作を「なし」と語っていた[18]。
- 『ゴジラ』などで共演した宝田明は東宝ニューフェイスの1期後輩(6期生)であったが、酒やタバコを嗜まなかった平田を宝田が夜遊びに誘い、平田は6期生と遊ぶことが多くなったという[19][20]。
- 同じ東宝出身の佐原健二とは、『空の大怪獣 ラドン』のロケで打ち解けて以来、平田が亡くなるまで親友関係にあった[21][22]。佐原は、平田について気持ちが優しく人間としてとても立派であったと評しており、他人の噂話などはしなかったと証言している[23]。また、佐原によると、平田は「ボクが『ウルトラQ』で君(佐原)が演じた万城目を演じたかったんだよなぁ」と語っていたという[24]。佐原が悩みを相談したとき、平田は東大卒らしく理論的に話を整理して諭してくれたと述懐している[21][22]。
- ゴジラについては、怖さが魅力であったといい、後年のアイドルになったゴジラはつまらないと語っている[25]。ゴジラ以外で印象に残っている作品として『空の大怪獣 ラドン』を挙げており、『さよならジュピター』のような近未来的なSFよりも怪獣ものの方を好んでいた[25]。
- シャンソンを得意としており、佐原は本多猪四郎の家で平田が度々歌っていたことを証言している[22]。
- 妻の久我美子とはおしどり夫婦として知られた。久我とは1960年に時代劇大作『大坂城物語』で共演したのが縁で交際が始まった[2]。撮影中は毎朝ロケ地の宿泊先前の喫茶店でデートを重ねたが、スタッフや共演者たちは誰も冷やかさず、週刊誌などにもゴシップとして漏らさなかったのは、平田の日頃からの人柄の良さゆえのことであった。同作品が1961年の正月映画として公開された同年秋に帝国ホテルで結婚式を挙げた[2]。仲人は稲垣浩[2]。
出演
映画
テレビドラマ
レギュラー・準レギュラー出演
ゲスト・単発出演
- ウルトラシリーズ(TBS)
- ウルトラQ 第16話「ガラモンの逆襲」(1966年) - 花沢主任
- ウルトラセブン 第1話「姿なき挑戦者」(1967年) - ヤナガワ参謀
- マイティジャック 第13話「怪飛行船作戦」(1968年、CX) - 蜘蛛川博士(佐川辰夫)
- 37階の男 第7話「可愛いい猫たちの夜」(1968年、NTV)
- 太陽野郎 第21話「牧場の花嫁」(1968年、NTV)
- 怪奇大作戦 第20話「殺人回路」(1969年、TBS) - 神谷誠一郎
- 五人の野武士 第18話「剣だけが知っていた」(1969年、NTV)
- 東京バイパス指令 第63話「闇の中の口笛」(1970年、NTV)
- 金メダルへのターン! 第58話・第59話(1970年、CX)
- 泣くな青春 第10話「家族への挑戦」(1972年、CX) - 高木病院長
- 荒野の素浪人 第1シリーズ 第38話「来襲 死の虚無僧軍団」(1972年、NET) - 貝塚多門
- 太陽にほえろ! 第12話「彼は立派な刑事だった」(1972年、NTV) - 川本俊雄(七曲署捜査第二係長)
- 木枯し紋次郎 第2部 第5話「夜泣き石は霧に濡れた」(1972年、CX) - 湯原の勘八
- ファイヤーマン 第9話「深海からの挑戦」(1973年、NTV) - 田所博士
- 剣客商売 第11話「身代金千両」(1973年、CX) - 伊平
- 大盗賊 第1話「大江戸を盗め!」(1974年、CX) - 神尾藩家老
- 傷だらけの天使 第11話「シンデレラの死に母の歌を」(1974年、NTV) - 浪越弁護士
- 幡随院長兵衛お待ちなせえ 第1話「長兵衛誕生」(1974年、MBS)
- 俺たちの勲章 第10話「小鳥の審判」(1975年、NTV) - 大竹院長(大竹外科病院)
- 非情のライセンス(NET→ANB)
- 第2シリーズ
- 第36話「兇悪のふれあい」(1975年) - 北川
- 第71話「兇悪の情熱」(1976年) - 工藤守
- 第3シリーズ 第2話「兇悪の素顔・あなたと死にたい!」(1980年) - 榊健作
- 夜明けの刑事(TBS / 大映テレビ)
- 第50話「死をかけた妻の叫び!!」(1975年) - 大場総一郎
- 第75話「華麗なる大空中サーカス殺人事件」(1976年) - 秋山
- 破れ傘刀舟悪人狩り 第70話「死を運ぶ男」(1976年、NET) - 吉岡道玄
- 隠し目付参上 第26話「神が仕掛けた大からくりか」(1976年、MBS) - 服部主膳
- 人魚亭異聞 無法街の素浪人 第22話「港に咲いた地獄花」(1976年、NET) - 山川武人
- 新・座頭市 第1シリーズ 第18話「酔いどれ川」(1977年、CX) - 鹿川の伝兵衛
- 赤い衝撃 第21話「幻のお父さん 私の命を助けて下さい!」(1977年、TBS)
- 円盤戦争バンキッド 第26話「さらば! バンキッド」(1977年、NTV) - グザレ司令
- 伝七捕物帳 第152話「哭いた川面の夫婦鳥」(1977年、NTV) - 政吉
- 達磨大助事件帳 第11話「友よ、さらば」(1977年、ANB) - 矢島剛蔵
- スターウルフ 第3話「今 果てしない宇宙へ!」(1978年、NTV) - 芦田局長
- 江戸の旋風シリーズ(CX)
- 江戸の渦潮 第10話「五年目の対決」(1978年、CX)
- 水戸黄門 第9部 第2話「死を賭けた武士道 -いわき-」(1978年、TBS) - 岡崎十左衛門
- 西遊記(NTV)
- 西遊記
- 第2話「長い旅の始まり」(1978年) - 玄奘の祖父
- 第19話「意外! 吸血鬼三蔵」(1979年) - 欽法国々王
- 西遊記II
- 第1話「再出発 天竺への道」(1979年)
- 第26話「母上は妖怪か? 再び天竺へ」(1980年)
- Gメン'75 第179話「警察署長室ジャック」(1978年、TBS) - 宗方区会議員
- 風鈴捕物帳 第13話「雨中に消えた直訴状」(1979年、ANB)
- コメットさん 第33話「パリからの夢の使者」(1979年、TBS)
- ゆうひが丘の総理大臣 第30話「男同志ってバカみたい!」(1979年、NTV) - 前島の父
- 大空港 第44話「孤独な挑戦! カメラのとらえた人、それは?!」(1979年、CX) - 沢村 / 藤田義彦
- 江戸の激斗 第4話「地獄の虫を叩っ斬れ!」(1979年、CX) - 喜多見弥寿之丞
- 明日の刑事 第89話「シーザー号最大の危機」(1979年、TBS) - 警察犬訓練所所長
- 大江戸捜査網(12ch)
- 第410話「悪を斬る料理人 華麗に参上」(1979年) - 片山左馬助
- 第512話「稲妻お竜の旅立ち」(1981年) - 若年寄・千々岩大膳
- 大捜査線→大捜査線シリーズ 追跡(1980年、CX / ユニオン映画)
- 第1話「撃て加納明」
- 第42話「君は人のために死ねるか」
- 土曜ワイド劇場(ANB)
- 江戸の牙 第26話「死斗 男たちの挽歌」(1980年、ANB) - 若年寄・岩倉忠敬
- 噂の刑事トミーとマツ 第1シリーズ 第43話「ゆきすぎ課長辞職! さて後任は?」(1980年、TBS) - 寺島警視正
- ザ・ハングマン(ABC)
- 第7話「亡者を呼ぶ金相場」(1980年) - 加納理事長(日本貴金属産業振興会)
- 第19話「恐怖で走るダイナマイト女」(1981年) - 大原道明会長(全国レディーヘルツ親睦会)
- 「戦後史実録シリーズ 空白の900分 -国鉄総裁怪死事件-」(1980年、NHK) - 運輸大臣
- 小児病棟 〜カネボウヒューマンスペシャル(1)〜(1980年12月3日、NTV) - 谷垣
- 12時間超ワイドドラマ(TX)
- 関ヶ原(1981年、TBS) - 増田長盛
- 警視庁殺人課 第10話「泥沼に咲くバレリーナ」(1981年、ANB) - 石川都議
- 西部警察 PART-II 第22話「大空の追跡」(1982年、ANB) - 長沼理事長(東都医科大学)
- ザ・サスペンス / 刑事ガモさんシリーズ(1982年、TBS)
- 火曜サスペンス劇場(NTV)
- 意地悪ばあさん 第46話「老いても子は母に従えの巻」(1982年、CX) - 薮田医師
- 木曜ゴールデンドラマ / 非行女教師(1983年、YTV)
- 月曜ワイド劇場(1983年、ANB)
- 木曜スペシャル / ドキュメンタリー番組『さらば海底空母イ401 幻のパナマ運河大爆撃』(1983年、NTV) - 井浦祥二郎大佐
吹き替え
その他の番組
脚注
注釈
出典
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- ^ ヒットブックスVSメカゴジラ 1993, pp. 104–105, 「出演者インタビュー 佐原健二」
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- ^ “平田昭彦|松竹映画『男はつらいよ』公式サイト”. 『男はつらいよ』公式サイト | 松竹株式会社. 2023年4月12日閲覧。
- ^ 日本アカデミー賞(第2回)
- ^ NHKクロニクル
- ^ a b ゴジラ365日 2016, p. 47, 「2月12日」
出典(リンク)
参考文献
外部リンク
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