内田 朝雄(うちだ あさお、1920年〈大正9年〉8月1日[1][2] - 1996年〈平成8年〉9月30日[2])は、日本の俳優。本名:内田 朝雄[1](うちだ ともお)[2]。
日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)平壌出生[2]、島根県出身[1][2]。平壌府第一中学卒業[1][2]。円型劇場[1]、劇団月光会を経て[1]、コヒナタ企画に所属していた[1]。
息子は俳優の内田岳志。
日本領朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)平壌に役人の子として生れる。中学校卒業後、満州炭鉱傘下の東満和竜炭鉱に入社。1941年(昭和16年)に応召し、終戦を仁川で迎え、1945年(昭和20年)に復員。翌1946年北海道開拓公社に入社し、江別市で開墾事業に従事した後、長野県上水内郡の飯綱高原に入植するが、1950年(昭和25年)、地元の人間との意見対立から同地を引き払う。1951年(昭和26年)には宇部興産大阪支店セメント課に入社。
1952年(昭和27年)、会社員生活のかたわら、劇団「大阪円形劇場・月光会」を旗揚げ。
1958年(昭和33年)、「やる気十分の割に、学歴がなく不遇だった実業界」[3] に見切りをつけ、宇部興産を退社。劇団活動および俳優業に専念する。
1959年(昭和34年)、39歳でNHKテレビに初出演。同年、『花のれん』で映画デビュー。
1961年(昭和36年)、宝塚映画専属となり、多くの作品に脇役で出演。
1962年(昭和37年)、「大阪円形劇場・月光会」を解散。
1965年(昭和40年)、宝塚映画を退社し、東京に移住。『兵隊やくざ』など敵役を演じた。翌年、現代演劇協会・劇団欅に入団し、1969年からフリーとして各社の映画・テレビドラマでの活動が中心となる。
1970年以降、『やくざ刑事シリーズ』の黒幕役、『トラ・トラ・トラ!』では東條英機役、『仁義なき戦いシリーズ』での一物持つ長老役、『女必殺拳シリーズ』の温厚な指導者など、幅広く演じ分けた。テレビドラマでは時代劇・現代劇双方で活動し、『細うで繁盛記』、『青春の門』、『愛の嵐』などにレギュラー出演した。
俳優の傍ら宮沢賢治の研究者としても知られ、『私の宮沢賢治』などの著書があり、その縁で秋田桂城短期大学の教授を、演劇論として青山学院女子短期大学の講師を務めた[4]。バルザック文献のコレクターでもあった。
1996年(平成8年)9月30日午前0時40分、胃癌のため東京都内の病院で死去(享年76歳)[5]。
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