ジュビロ磐田(ジュビロいわた、英: Júbilo Iwata)は、日本の静岡県御前崎市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市、浜松市、湖西市、周智郡森町をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
1972年創部のヤマハ発動機サッカー部が前身[1]。1993年にJリーグ準会員[1]、1994年にJリーグ正会員となる[1]。
運営会社は株式会社ジュビロ[1]、ヤマハ発動機等が出資している[2]。
チーム名の「ジュビロ」はポルトガル語のjúbilo [ʒuːbilu](ジュビル)およびスペイン語のjúbilo [ˈxuβilo](フビロ)で「歓喜」を意味する[1]
ホームスタジアムはヤマハスタジアム(磐田)[1]、練習場はヤマハ大久保グラウンドである[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。
ホームタウンは長らく磐田市のみであったが、2023年5月16日に御前崎市、菊川市、掛川市、袋井市、森町、浜松市、湖西市を追加し、静岡県西部地域7市1町に広域化した[5][6]。
歴史
1990年代
1972年に創部したヤマハ発動機サッカー部が前身となり、1992年にJリーグ準会員として承認された。1993年にジャパンフットボールリーグ1部で準優勝し、翌年からのJリーグ参加が承認された。同年にはオランダ代表のファネンブルグを獲得した。
1994年、元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。勝矢寿延をマリノスから獲得、更にJリーグ開幕を前にアリ・ダエイと契約するもイランからの出国許可が下りず[7]、移籍は破談となった。4月14日に元イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチを獲得。夏には現役ブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガを補強した。同年、藤田俊哉・服部年宏・田中誠・奥大介が入団。1995年には名波浩・福西崇史が加入。
- 1997年
- 1998年
- 1stステージで優勝。2ndステージは2位、Jリーグチャンピオンシップは、鹿島に敗戦。ナビスコ杯で優勝。
- 中山雅史が27試合出場36得点(現在リーグ戦最多得点記録)を記録。MVP、得点王などタイトルを獲得。
- 1stステージ第6節C大阪戦は1-9とジュビロ磐田が圧勝、中でも中山雅史は5得点を挙げるなど活躍した。この記録は、2019年に柏のオルンガに抜かれるまでは、最多だった。
- ワールドカップに中山雅史、名波浩、服部年宏、ブラジル代表キャプテンとしてドゥンガが出場。
- 中山雅史、名波浩、ドゥンガ、奥大介がベストイレブンに選出。
- シーズン終了後、ドゥンガが退団。
- シーズン107得点と得失点差+68は現在J1歴代最多記録。
- 90分以内での勝利26勝は2回戦総当たりになった1996年以降で、2020年の川崎と並んでJ1最多タイ記録。
- 1999年
2000年代
2000年 - 2005年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- リーグ戦は、前後期共優勝。
- 年間成績26勝3敗1分(リーグ戦1分1敗、天皇杯1敗)。
- 高原直泰が得点王(27試合26得点)とMVPを獲得。シーズン終了後、高原はドイツ1部・ハンブルガーSV移籍。
- ワールドカップに服部年宏、福西崇史、中山雅史が出場。
- ベストイレブン、同一クラブから史上最多タイ7人(田中、鈴木、名波、福西、藤田、中山、高原)選出。
- アジアクラブ選手権は3年連続決勝に進出。
- 2003年
- 昨年までヘッドコーチだった柳下正明が監督に就任。
- 成岡翔、大井健太郎、菊地直哉らが加入。
- 8月、藤田俊哉がオランダ1部・FCユトレヒトへ期限付き移籍。
- 1stステージは2位。
- 2ndステージでは、最終節の横浜FM戦を敗戦し優勝を逃す(ステージ順位は2位)。
- ゼロックス杯、天皇杯で優勝。
- 福西崇史がベストイレブンに選出。
- 2004年
- 桑原隆が監督に復帰。1stステージ2位だったが、2ndステージは、一時最下位になるなど成績が低迷、何とか持ちこたえて13位で終わったが、年間順位は5位となり、黄金時代は終わりを迎えた。
- ゼロックス杯で優勝。
- 2005年
2006年 - 2009年
- 2006年
- ナビスコ杯は準々決勝敗退、直後に山本昌邦監督が辞任する。
- 後任に磐田OBアジウソン監督に就任。
- リーグ戦は5位。
- 川口能活が4年ぶりベストイレブンを受賞。
- ワールドカップに川口能活、福西崇史が出場。
- 2007年
- クラブスローガン :「VAMOS CONTIGO」
- 2008年
- クラブスローガン :「Hungrrrrry!」
- 入れ替え戦終了後、オフトが監督を退任。名波浩が現役引退。
- 馬淵が成績不振と大幅減収の責任で社長を退任、後任にヤマハモーター台湾社長の吉野博行が就任。
- 2009年
- クラブスローガン :「SPEEDY ACTION 2009」
- 磐田元監督の柳下正明が監督に復帰した。
- 河村崇大が東京V、森下俊が京都、田中誠が福岡へ完全移籍。松井謙弥が京都へ期限付き移籍。一方で那須大亮を東京Vから獲得、ユースから2人昇格。
- 3月7日の開幕戦で山形に2-6、史上ワースト失点で敗戦したが、その後立て直す。
- 4月、強化部長代理に服部健二が就任。
- 韓国代表のイ・グノを獲得。
- 7月、押谷祐樹が岐阜へ期限付き移籍。
- シーズン成績は11位。
- 前田遼一が高原以来7年ぶり日本人得点王を受賞(34試合20得点)、自身初ベストイレブンを受賞。
- しかし、失点数が60とリーグ最多になった。
2010年代
2010年 - 2013年
- 2010年
- クラブスローガン :「EVOLUTION 2010」
- 2011年
- クラブスローガン :「ROAD TO CHAMPION 2011」
- 2012年
- クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2012」
- 2013年
- クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2013」
- 黄誠秀が群馬、千代反田充が徳島、荒田智之が岡山、ハン・サンウンが韓国1部・蔚山現代FC、ロドリゴ・ソウトがブラジル1部・クルーベ・ナウチコ・カピバリベへ完全移籍。竹重安希彦が新潟、押谷祐樹が岡山へそれぞれ期限付き移籍、岡田隆の移籍期限が延長された。
- 前年度、期限付き移籍で加入していた植村慶、菅沼駿哉、宮崎智彦、小林祐希を完全移籍で獲得した。神戸から現役日本代表の伊野波雅彦とシーズン途中にフィテッセから日本代表安田理大を完全移籍で獲得、京都からチョン・ウヨンが期限付き移籍で加入。
- 磐田U-18所属で2種登録されていた牲川歩見、関西大学から田中裕人が加入。
- リーグ戦は、開幕7戦を2分5敗、第7節時点で最下位。第8節湘南戦でリーグ戦初勝利を挙げるが、第9節甲府に敗戦、5月4日に森下が監督を解任された。
- ヘッドコーチ長澤徹が監督代行を務め、5月19日よりU-23サッカー日本代表元監督関塚隆が監督に就任(長澤はヘッドコーチに復帰)。
- しかし第31節で鳥栖に敗れ、クラブ史上初のJ2へ降格が決定した。
- 天皇杯3回戦敗退。
- シーズン終了後、監督の関塚、GMの服部健二、ヘッドコーチの長澤が退任。
2014年 - 2015年(J2)
- 2014年
- クラブスローガン :「勝!!!」
- 2015年
- クラブスローガン :「繋ぐ――Road to J1」
2016年 - 2019年(J1)
- 2016年
- クラブスローガン :「繋ぐ 夢の実現へ」
- 2017年
- クラブスローガン:「繋ぐ Challenge For Next」
- 2018年
- クラブスローガン:「繋ぐ 2018 Challenge For Next」
- 2019年
- クラブスローガン:「繋ぐ Challenging! 2019」
2020年代
2020年 - 2021年(J2)
- 2020年
クラブスローガン:「Jubiro PRIDE 覚悟」
- 2021年
クラブスローガン「UNITE FOR W1N 集結せよ勝利のために」
クラブスローガン「Go Beyond 突き進め!!」
クラブスローガン「夢と感動を 共に」
2024年 -(J1)
- 2024年
成績
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
表彰
個人記録
リーグ戦記録ゴール
J1リーグ
- 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・広島戦】
J2リーグ
- 14000得点目 川辺駿 【2015年第27節(8月1日)・岡山戦】
リーグ戦通算GK最小防御率
ハットトリック
J1リーグ
- 5得点
- 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・C大阪戦】
- 4得点
- 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・広島戦】
- 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・福岡戦】
- 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・FC東京戦】
- ジャーメイン良【2024年第2節(3月1日)・川崎戦】
- 3得点
- スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・柏戦】
- スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・平塚戦】
- 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・V川崎戦】
- 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・札幌戦】
- 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
- 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
- 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜F戦】
- 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・川崎戦】
- 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・広島戦】
- 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・FC東京戦】
- 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・仙台戦】
- 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・C大阪戦】
- 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・札幌戦】
- 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・名古屋戦】
J2リーグ
スタジアム・練習場
ホームスタジアム
ホームスタジアムはヤマハスタジアム(磐田)である。また、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパ)でも不定期にホームゲームを開催している。
ホームゲーム開催数はジュビロ磐田の年度別成績一覧#会場別主催ゲーム開催数を参照。
過去に浜北市(現:静岡県浜松市)で計画された複合スタジアムについては浜北市#複合スタジアム構想を参照。
練習場
- ヤマハ大久保グラウンド:トップチームの練習場。ピッチサイドにはクラブハウスが併設されている[21]。元々ヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用されていた野球場であったが、ジュビロ磐田がJリーグに加盟したのと同時期に野球部がここから撤退し、ジュビロ磐田の専用グラウンドとして使用されるようになった。野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残っている。また、マスコットとロゴマークが描かれたバックスクリーンも残されていたが、撤去された。
- 磐田スポーツ交流の里・ゆめりあ(天然芝のサッカーグラウンド2面)に隣接しており、ユースなどの試合やトップチームの練習・並びに練習試合に供される場合もある。
- グラウンド北側にはラグビー場が設けられており、ジャパンラグビーリーグワンの静岡ブルーレヴズが練習場として使用している。
- ジュビロ上大之郷グラウンド:ジュビロ磐田U-18、ジュビロ磐田U-15などの試合・練習場[22]。人工芝グラウンド1面と人工芝フットサルグラウンド2面を有する。
- ヤマハ加茂グラウンド:ジュビロサッカースクール磐田会場専用の練習場。人工芝グラウンド1面を有する。
ユニフォーム
ユニフォームの色
カラー
|
シャツ
|
パンツ
|
ストッキング
|
FP(1st)
|
水色
|
水色
|
水色
|
FP(2nd)
|
白
|
白
|
白
|
GK(1st)
|
黒
|
黒
|
黒
|
GK(2nd)
|
赤
|
赤
|
赤
|
GK(3rd)
|
黄
|
黄
|
黄
|
|
|
|
クラブカラー
- サックスブルー[1]
- Jリーグ昇格以前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用、2ndユニフォームは白に赤と青のライン。
- 2003年、クラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水戦で着用
- 2005年、レアル・マドリード及びFCバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で全身紺色を着用
- 2006年からは練習試合用としてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。
- 背番号下のネームはオ段の伸びる音「H」が表記されている。
- エンブレム上(2011年までは襟後ろ)の3つの星(★)は3度のJ1年間優勝を表す。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 |
スポンサー名 |
表記 |
掲出年 |
備考
|
胸
|
ヤマハ発動機 |
YAMAHA |
1993年 2009年 - |
1997年 - 2008年は袖 2007年 - 2008年はパンツ前面
|
鎖骨
|
なし |
- |
- |
|
背中上部
|
サーラグループ |
SaLa |
2011年 - |
2009年 - 2010年は袖およびパンツ前面
|
背中下部
|
サクラ工業 |
SAKURA |
2020年 - |
|
袖
|
浜松ホトニクス |
HAMAMATSU PHOTON IS OUR BUSINESS |
2012年 - |
|
パンツ前面
|
なし |
- |
- |
|
パンツ背面
|
なし |
- |
- |
|
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォーム
FP Other
|
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2019 Summer Night Challenge
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歴代ユニフォームスポンサー表記
スポンサー
アカデミー
- U-18
- タイトル
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会:1999
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ東海:2004、2007、2009、2011、2012、2013
- U-15
- 編成:ジュビロ磐田U-15、ジュビロ磐田U-15CENTRAL(前SS磐田)、ジュビロ磐田U-15WEST(前SS浜松)、 ジュビロ磐田U-15EAST(前SS掛川)[26]
- キッズ・ジュニア(年少~小学6年)
- 編成:ジュビロサッカースクール(磐田、上大之郷、浜松/鶴見・飯田、浜松/早出、浜松/志都呂、浜松/浜北、浜松/有玉、掛川、島田)
- レディース(小学生~高校生の女子)
その他クラブ情報
エンブレム
静岡県鳥のサンコウチョウのシルエットと、ホームタウンの磐田市を流れる天竜川と静岡県内の大河、大井川、安倍川、富士川を象徴する上下の青い帯が描かれている[2]
マスコットキャラクター
モチーフは静岡県の県鳥、サンコウチョウ[1]。
- ジュビロくん
- 1993年11月16日生まれ。磐田市出身。身長182センチ、体重78キロ
マスコット総選挙
歴代成績
年度
|
順位
|
前年比較
|
2013年
|
34
|
|
2014年
|
34
|
-
|
2015年
|
36
|
2位
|
2016年
|
29
|
7位
|
2017年
|
23
|
6位
|
2018年
|
19
|
4位
|
2019年
|
21
|
3位
|
2020年
|
20
|
1位
|
2021年
|
12
|
8位
|
2022年
|
6
|
6位
|
2023年
|
10
|
4位
|
- ジュビィちゃん
- 2003年3月21日生まれ。浜松市出身。身長163センチ、体重52キロ。ジュビロくんのガールフレンド。
シーズンシート
シーズンシート名は「コルテアズー(Corte Azul)」。ポルトガル語で「水色の宮廷」の意味[27]。
特別招待事業「磐田市小学生一斉観戦授業」
磐田市の地域社会への貢献の一環として、ジュビロでは選手の磐田市内全23小学校への訪問事業を展開、毎年5月を基本として「磐田市民デー」を開催。バックスタンドのフリーゾーン(ホーム側一部除く)を貸切にし、磐田市内全23小学校の小学生児童5-6年生(約3000名程度)とその保護者を招き「磐田市小学生一斉観戦授業」を行っている。
ジュビロの試合観戦し、チームへの愛着、磐田市をふるさととして誇りに思い、将来にわたって磐田市への愛着を持続させることを目的として2011年より始めている。該当試合はフリーゾーンホーム席の一部も招待客専用となる[28][29]。
またこの「一斉観戦授業」とは別で、事前の申し込み制であるが、磐田市を含む周辺市町村の小学生・中学生・高校生を対象とした観戦招待も行われている[30]
試合イベント
○○の日
2015年より磐田に在籍する外国人選手をフィーチャーしたイベント「○○の日」(○○の部分には選手名やその選手の愛称が入る)が開催されている。そのイベントが開催される試合ではその選手に因んだ応援グッズが配布される。
開催は全てヤマハスタジアム。
真夏の○○
2016年から夏に「真夏の○○」と題したホームイベントを行っている。イベント開催中は、限定ユニフォームを着用し、来場者プレゼントが用意される。
限定ユニフォームは、ジュビロのクラブカラーとは異なるカラーになり、2016年は赤(通常ユニフォームのGK用をフィールドプレイヤーが着用)[36]、2017年は黒[37] となっている。
イベント名 |
年 |
日程 |
対戦相手 |
結果 |
配布グッズ
|
真夏の大決戦
|
2016年
|
7月30日
|
柏レイソル
|
●1-2
|
バンダナ
|
8月13日
|
ガンバ大阪
|
●0-2
|
ユニフォーム型うちわ
|
8月20日
|
サガン鳥栖
|
△1-1
|
リストバンド
|
真夏の挑戦
|
2017年
|
8月5日
|
サンフレッチェ広島
|
●2-3
|
ランドリーバッグ
|
8月19日
|
セレッソ大阪
|
△1-1
|
ユニフォーム型うちわ
|
8月26日
|
ヴィッセル神戸
|
○2-1
|
バンダナ
|
Summer Night Challenge
2018年は、2016年から行われていた「真夏の〇〇」から名称を変更し、Summer Night Challenge としてホームゲームイベントを開催。2018年の限定ユニフォームは黒色。なお、GKユニフォームの販売はない[38]。
イベント名 |
年 |
日程 |
対戦相手 |
結果 |
配布グッズ
|
Summer Night Challenge 2018
|
2018年
|
8月1日
|
ガンバ大阪 ~浜松デー~
|
△1-1
|
ユニフォーム型ミニタオル
|
8月5日
|
ベガルタ仙台 ~鹿児島デー~
|
○3-2
|
うちわ
|
8月19日
|
柏レイソル ~プーママッチ~
|
○2-0
|
ランドリーバッグ
|
オフィシャルテーマソング
1994年に発売されたDR(デ・レーテ)が歌っている「ジュビロ・オレ!」がジュビロ磐田のオフィシャルテーマソングとなっている。
2013年8月3日に榛葉樹人が歌うクラブアンセム「フォッツァ ジュビロ! 〜歓喜への讃歌〜」が発表された[39]。
シーズンソング
オフィシャルテーマソングの他にシーズンソングがあり、スタジアムやジュビロTV内などで流れる。
ジュビロTV
2011年、クラブの企画・制作・撮影によるオリジナル番組「ジュビロTV」を開始。スタジアムのビジョンで上映される「ジュビロTV~stadium channel~」、SBSテレビ(静岡放送)で放送される「ジュビロTV~SBS channel~」、スカパー!で放送される「ジュビロTV PLUS」の3種類がある。2012年春からは、スマートフォンで視聴できる「ジュビロTVモバイル」がスタートした。
関連番組
- 静岡第一テレビ
- SBS
- JubiloTV(毎週木曜日・22:57~23:00)*クラブ自作番組
- みなスポ(毎週土曜日・17:00~17:30)
- 静岡朝日テレビ
- テレビ静岡
- おは・スポ・サンデー(毎週日曜日・6:15~6:30)
- NHK静岡
補強禁止問題
2022年9月29日、ファビアン・ゴンザレスの加入を巡り、前所属クラブ退団後、磐田との契約締結前にタイのクラブと取り交わした契約が存在したことに関して、国際サッカー連盟の紛争解決室より、FIFA規則に違反するとして補強禁止(ユース含む)の処罰を受けた。ただ、10月19日にこの判決を不服としスポーツ仲裁裁判所に上訴した[45]。
また、2023年4月28日に国際サッカー連盟より、「クラブに対する登録禁止処分」移籍・登録禁止の制裁に関する範囲の明確化を目的としたサーキュラーno.1843が発行された。
ユースチームに関する記載があり、移籍・登録禁止の制裁に関する解釈が変更されたことによって、15歳までの選手については、日本サッカー協会(JFA)に登録が必要となる大会・活動への参加が認められることが明記された。
- その内容は以下のとおり[46]。
- ファビアン・ゴンザレスに対して、タイのクラブへ5万ドルの賠償金支払いを命令する。ジュビロも連帯して当該支払い義務を負うものとする。
- ファビアン・ゴンザレスに対してのスポーツ制裁として、4か月間(2022年9月29日(木)~11月5日(土)の38日間および2023年2月18日(土)~5月11日(木)の82日間)の公式試合出場禁止処分[47]
- ジュビロに対するスポーツ制裁として、今後2回(2023年第1期・第2期登録期間中)の新規選手の登録禁止処分。トップチームだけでなく、下部組織を含むすべての年齢カテゴリーの男子チームを対象とする。
- この影響で、今季加入内定していた師岡柊生の仮契約の解除が発表された(その後、師岡は鹿島の加入が決まった)[48]。ただし、ユースからトップチームへの昇格など、当クラブの選手の登録区分の変更、並びに他チームへ期限付き移籍している選手の移籍期間満了に伴うジュビロへの復帰に関しては対象外としていた。
決算
ジュビロ磐田の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 |
収入 |
広告料 |
入場料 |
配分 |
その他 |
費用 |
事業費 |
人件費 |
管理費 |
利益 |
純利益
|
2005 |
3,890 |
1,704 |
654 |
317 |
1,215 |
4,073 |
3,349 |
1,834 |
724 |
-183 |
-106
|
2006 |
3,717 |
1,946 |
561 |
338 |
872 |
3,939 |
3,238 |
1,869 |
701 |
-222 |
-214
|
2007 |
3,594 |
2,127 |
524 |
277 |
666 |
3,515 |
2,845 |
1,575 |
670 |
79 |
85
|
2008 |
3,387 |
1,882 |
582 |
266 |
657 |
3,659 |
3,051 |
1,657 |
608 |
-272 |
-258
|
2009 |
3,422 |
1,943 |
511 |
225 |
743 |
3,395 |
2,684 |
1,582 |
711 |
27 |
4
|
2010 |
3,151 |
1,793 |
408 |
339 |
611 |
2,901 |
2,308 |
1,254 |
593 |
250 |
209
|
年度 |
収益 |
広告料 |
入場料 |
配分 |
育成 |
その他 |
費用 |
人件費 |
試合 |
トップ |
育成 |
女子 |
販売 |
利益 |
純利益
|
2011 |
3,151 |
1,695 |
424 |
227 |
31 |
774 |
2,919 |
1,299 |
323 |
258 |
47 |
0 |
992 |
232 |
186
|
2012 |
3,391 |
1,674 |
403 |
233 |
149 |
932 |
3,174 |
1,437 |
309 |
253 |
162 |
0 |
1,013 |
217 |
170
|
2013 |
3,298 |
1,645 |
446 |
206 |
249 |
752 |
3,233 |
1,369 |
328 |
253 |
182 |
0 |
1,101 |
65 |
45
|
2014 |
3,027 |
1,583 |
374 |
101 |
159 |
810 |
3,004 |
1,352 |
298 |
244 |
164 |
0 |
946 |
23 |
24
|
2015 |
2,995 |
1,515 |
396 |
100 |
231 |
754 |
2,943 |
1,263 |
305 |
229 |
186 |
0 |
960 |
53 |
48
|
年度 |
収益 |
広告料 |
入場料 |
配分 |
育成 |
物販 |
その他 |
費用 |
人件費 |
試合 |
トップ |
育成 |
女子 |
物販 |
販売 |
利益 |
純利益
|
2016 |
3,303 |
1,569 |
474 |
219 |
234 |
294 |
513 |
3,263 |
1,378 |
422 |
227 |
238 |
0 |
168 |
830 |
40 |
62
|
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2016
金額の単位: 百万円
資産
年度 |
総資産 |
総負債 |
純資産 |
資本金
|
2005 |
1,229 |
719 |
509 |
679
|
2006 |
956 |
660 |
295 |
679
|
2007 |
1,158 |
777 |
381 |
679
|
2008 |
1,343 |
1,220 |
122 |
679
|
2009 |
1,011 |
884 |
127 |
679
|
2010 |
948 |
612 |
336 |
679
|
2011 |
1,182 |
659 |
523 |
679
|
2012 |
1,340 |
648 |
692 |
679
|
2013 |
1,286 |
548 |
738 |
679
|
2014 |
1,235 |
473 |
762 |
679
|
2015 |
1,329 |
519 |
810 |
679
|
2016 |
1,527 |
654 |
873 |
679
|
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
獲得タイトル |
---|
|
---|
†は中止となった大会 | 1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 |
- 第20回(1940) 慶應BRB
- 第21回(1941) †
- 第22回(1942) †
- 第23回(1943) †
- 第24回(1944) †
- 第25回(1945) †
- 第26回(1946) 東大LB
- 第27回(1947) †
- 第28回(1948) †
- 第29回(1949) 東大LB
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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