犬塚 友輔(いぬづか ゆうすけ、1983年12月13日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、DF。
磐田ユース時代は太田吉彰と同期で個人的にも親しかった。当時はボランチの選手だった。
静岡産業大学でも当初はボランチや1.5列目に置かれていたが、身体能力に秀でていることを買われて大学3年以降は専らFWとしてプレーし、フィジカルを生かした突破力で東海大学リーグ3連覇、インカレ3位に貢献した。また磐田とは練習試合の相手だけではなく、サテライトの試合に磐田の選手として出場。決定力と器用さ(貸し出された際はもっぱら中盤で起用されていた)を見せた。
2006年、磐田を含むJ数チームからのオファーを受けたが、本人の夢だったという磐田とプロ契約。同年途中に就任したアジウソン監督からは重用され、右サイドバックとして急激に出場機会を増やし、レギュラーに定着した。2007年途中に内山篤へ監督が交代した際に出場機会を一時失うも、ボランチとして再びアピールし、2008年シーズン終盤はボランチの定位置に定着するなど再度出場機会を得た。
2009年から監督に就任した柳下正明の評価は低く、大きく出場機会を減らす。2010年シーズンはベンチ入り4試合のみで出場機会が1試合もなく、同年オフに磐田から来季の契約非更新を通告された。
2011年、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍したが、同年限りで退団。
2012年、サガン鳥栖へ完全移籍[1]。鳥栖では、DF登録されていた。ナビスコ杯5試合に出場し、5月の古巣磐田戦では2ゴールを決めて勝利に貢献した。だが、シーズンを通してアキレス腱痛や腰痛など故障に悩まされ、リーグ戦の出場は4試合にとどまり戦力外となった[2]。
2013年8月、セリエD(イタリア5部)のASDリカータ・カルチョ(イタリア語版)へ移籍[3]。
2014年、アスルクラロ沼津へ完全移籍[4]。その年で契約満了となった[5]。
2015年、高知UトラスターFCへ完全移籍。
2016年、高知UトラスターFC、アイゴッソ高知が統合して出来た高知ユナイテッドSCに選手登録。副キャプテンに就任したが、1年限りで退団。
2017年1月、FC徳島セレステ(現・FC徳島)に移籍。
2019年、FC徳島の監督に就任[6]し、クラブ史上初の6連勝などを記録するもJFL昇格を目指すクラブ改革のために、6月に新設された事業推進リーダーに転任[7]。2020年より監督に復帰し2021年3節まで務める。
2022年より藤枝MYFCの女子サッカーチームであるルクレMYFCの監督に就任[8]。
その他の公式戦
この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。