この項目では、日本のサッカークラブについて説明しています。同クラブの運営法人については「ベガルタ仙台 (企業) 」をご覧ください。
ベガルタ仙台 公式サイト
YouTube チャンネル
活動期間
2012年9月19日 - ジャンル
サッカー 登録者数
約2.49万人 総再生回数
約1,149万回 チャンネル登録者数・総再生回数は000000002024-09-13-0000 2024年9月13日 時点。 テンプレートを表示
ベガルタ仙台 (ベガルタせんだい、英 : Vegalta Sendai )は、日本 の仙台市 を中心とする宮城県 全県をホームタウンとする[ 1] 、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
1988年 創部の東北電力サッカー部 が前身であり、1999年 にJリーグへ加盟した[ 1] 。ホームタウン は仙台市 [ 1] を中心とする宮城県 全県。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台 [ 1] (詳細は#ホームスタジアム を参照)、練習場はアイリストレーニングフィールド および泉サッカー場 [ 1] である。
名称の由来となった仙台七夕まつり で飾られているベガルタ仙台応援七夕飾り(2009年8月6日)
チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕 にちなんで七夕 の「織り姫」と「彦星」とされる星 の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語 。マスコット は「ベガッ太 」とルターナ (ベガッ太の妹)[ 1] 。
歴史
Jリーグ加盟以前
1988年 創部の東北電力サッカー部 が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ 及び全国地域サッカーリーグ決勝大会 で優勝。1995年 よりジャパンフットボールリーグ (JFL)へ昇格[ 1] 。また、1994年 10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド 」(現在の「株式会社ベガルタ仙台 」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台 」(後述)に改称した[ 1] 。
1995年にJリーグ準会員 となりJリーグ昇格を目指すようになる。1996年以降大型補強するも、昇格出来ずに終わっていた。1999年からのJリーグの2部制開始とともにJ2 に参加した。なお、商標権 の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台 」に改称した[ 1] 。また、チームカラーもゴールド (「ベガルタゴールド」)へ変更した。メインとなる色は、鮮やかなベガルタ・ゴールド。これは流星の色であると共に、宮城県が日本最初の黄金の産地 である事から[ 3] 。次にベガルタ・ブルーは銀河の色を表し、伝統と品位を象徴。最後にベガルタ・レッドは情熱と勝利への意欲を表している。
1999年 - 2001年(J2)
1999年
J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一 が監督を共に辞任。後任として清水秀彦 が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯 は、1回戦で広島 に敗退。
一校目となるジュニアサッカースクール「泉校」開校。
2000年
チームスローガン:あなたとJ1
1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯 は1回戦でC大阪 に敗退。
2001年
チームスローガン:あなたとJ1
FWマルコス 、元日本代表 MF岩本輝雄 等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。
最終節(11月18日 )で、京都を破り、前節まで2位の山形 が川崎 にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初のJ1 昇格が決定した[ 4] 。
この試合は鼻骨骨折で4試合欠場していた村田 はフェイスガードを付け、怪我で離脱して4試合離脱していた岩本 等が戻って満身創痍で臨んだ一戦であった。
ナビスコ杯 は1回戦で福岡 に敗退。
2002年基本フォーメーション
2002年 - 2003年(J1)
2002年
この年のチームスローガンはなし。FW山下芳輝 、MFシルビーニョ 、MF森保一 、DF小村徳男 らが加入。
第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島 にアウェーで勝利するなど、昇格チーム初となる開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表 候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップ 開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。
ナビスコ杯 は、グループリーグ3位で敗退。
森保一 :日本代表監督 (仙台でも主将を歴任)
2003年
チームスローガン:もっと、高く・強く
GK高桑大二朗 、FW佐藤寿人 、DF根本裕一 らが新加入。
開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に清水秀彦 監督を解任。市原 、名古屋 で監督を歴任したスロベニア 出身のズデンコ・ベルデニック が監督に就任したが、9月27日 (第2ステージ・第8節)の浦和 戦(宮城 )で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節(11月29日 )の大分 戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。
練習場を「泉サッカー場」に移転。
サンパウロ(ブラジル) と友好関係を締結。
ナビスコ杯 はグループリーグ3位で敗退。
シーズン終了をもってジャパンヘルスサミット がスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。
2004年 - 2009年(J2)
2004年
チームスローガン:Be Creative & Run 考えよ、疾走せよ
ベルデニック体制2年目。阪南大 から梁勇基 が加入し1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW佐藤寿人 が広島 へ移籍した。
オフィシャルショップ「オーレ·ベガルタ」が開店[ 5] 。
「アイリスオーヤマ 」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年 に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂 」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。
2005年
チームスローガン:熱く 楽しく そしてひとつに
2月にクラブ10周年記念イベント開催。
8月に公式オンラインショップ(グッズショップ)開設。
元日本代表の都並敏史 が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は入れ替え戦 出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日 )で福岡 に引き分けたことで、甲府 に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。
シーズン終了後、GMの田中孝司 、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之 ら7選手が退団し、ゲームメーカーのシルビーニョ も新潟 へ移籍した。
2006年
チームスローガン:勝利or勝利 〜絆を力に変えて〜
ブラジル人 のジョエル・サンタナ が監督に就任。この年、仙台スタジアム が命名権 導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台 (略称:ユアスタ仙台)」に改称。
史上2人目のJ2得点王 に輝いたボルジェス
序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペス 、チアゴ・ネーヴィス 、ボルジェス )の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。
ところが、DF白井博幸 がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。
シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友 など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスがサンパウロFC へ期限付き移籍 (その後、2008年 に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。
この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。
2007年
チームスローガン:新仙走破 〜そして進化。〜
前年ヘッドコーチを務めた望月達也 が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライト チームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。
山形 からMF永井篤志 、鳥栖 からGKシュナイダー潤之介 等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、6月に札幌 から林卓人 を、7月に元新潟 のMFファビーニョ を、8月には柏 からDF岡山一成 を、いずれも期限付き移籍 で獲得。
第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の湘南 戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。
GK小針清允 、DF白井博幸 等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ジョニウソン 、ロペス 、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹 も磐田 へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。
新選手寮「ヴィステーラ泉」完成。
なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月 に「NECトーキン 」とスポンサー契約を締結。9月 から同社のロゴが背番号上部に入れられた。
2008年
チームスローガン:感動一体 絆は次なるステージへ
前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠 が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・浩 がヘッドコーチに就任。
明治大学 からGK関憲太郎 、筑波大学 からMF三澤純一 が新加入。神戸 から元日本代表FW平瀬智行 、柏 からMF佐藤由紀彦 、鹿島 からFW田中康平 、川崎 からMF飛弾暁 をそれぞれ完全移籍、東京V からDF一柳夢吾 、大分 から宮沢正史 、川崎 から西山貴永 をそれぞれ期限付き移籍 で獲得。期限付き移籍していたFW中島裕希 とDF岡山一成 がいずれも完全移籍に移行。GK林卓人 も移籍期間を延長し、チームに留まった。
宮崎県 延岡市 でのキャンプ中の2月6日に、一柳夢吾、金子慎二 、細川淳矢 、富田晋伍 の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。
第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソン を獲得。また、京都 からMF斉藤大介 を期限付き移籍で獲得。
第3クールは、山形 に敗れ、9年ぶりとなるみちのくダービー シーズン負け越し。また、これまで無敗であった水戸 に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛 、C大阪 に連勝。
30日 に鳥栖 に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津 に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場[ 6] 。入れ替え戦でJ1第16位の磐田 と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。
この試合はサッカーダイジェストの「識者7人の記憶 忘れられない一戦」に清水英斗より選ばれた[ 7] 。
シーズン終了後、岡山、GKシュナイダー潤之介 らが退団。ナジソンはECヴィトーリア 、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月も退団。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。
運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台 」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。
2009年基本フォーメーション
2009年
チームスローガン:闘志躍動 思いを胸に…
手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格 」を目標に掲げた。MF梁勇基 、関口訓充 、DF菅井直樹 が残留。札幌 から期限付き移籍中のGK林卓人 も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾 、MF斉藤大介 、西山貴永 は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁 、横浜FC からDFエリゼウ 、神戸 からMF曽我部慶太 、韓国 の水原三星 から元同国代表DF朴柱成 をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタ からマルセロ・ソアレス を期限付き移籍で獲得。
リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日 )で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日 (第48節)に水戸 に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。
続く第49節(11月22日 )では首位C大阪 との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節 (12月5日 )は愛媛 と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖 に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年 に川崎 が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録[ 注 1] 。
守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイント はフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。
天皇杯 ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪 に敗戦)。
このシーズンはユアスタ仙台が芝の全面張替え工事のため6月まで使用できず、その間のホームゲーム(11試合)を宮城スタジアム (それとは別に福島県営あづま陸上競技場 で1試合)で開催。春先に宮スタで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、通算で19勝5分2敗。ホーム23戦無敗 というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝 もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。
背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや 」、パンツ部分のスポンサーとして 阿部蒲鉾店 とそれぞれ契約した。
シーズン終了後、DF木谷公亮 、6月に完全移籍で加入したFWサーレス 、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。
連続試合出場記録 を持つ梁勇基
2010年 - 2021年(J1)
2010年
チームスローガン:闘志躍動 より高みへの挑戦
手倉森体制3年目。札幌 から期限付き移籍 中だったGK林卓人 が完全移籍に移行。柏 からDF鎌田次郎 、鳥栖 からMF高橋義希 、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰 、大分 からフェルナンジーニョ がそれぞれ完全移籍、ブラジル ・クルゼイロ からはFWレイナルド が期限付き移籍で新加入した。
リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島 を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水 に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で神戸 に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ 開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。
W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ ・大田シチズン よりFW朴成鎬 を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京 からFW赤嶺真吾 を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。
ナビスコ杯 は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田 と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯 は初戦(2回戦)でソニー仙台FC に敗退。
代表関連では5月10日 、MF梁勇基 の南アフリカW杯・北朝鮮代表 候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日 にはMF関口訓充 の日本代表 メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝 以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日 のアルゼンチン 戦で代表デビューを果たした。
5月15日 の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。
シーズン終了後、MF千葉直樹 とFW平瀬智行 が引退。また、GK萩原達郎 、DF一柳夢吾 、MF三澤純一 、永井篤志 、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬 は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウ は徳島 へ完全移籍のためそれぞれ退団した。
2011年
チームスローガン:V Shift 杜が変わる、上がる、熱くなる。
手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。
選手補強は京都 から元日本代表FW柳沢敦 とDF角田誠 、鹿島 からFWマルキーニョス をそれぞれ完全移籍、FC東京 からMF松下年宏 、鹿島からGK川俣慎一郎 をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグ の城南一和 からDF曺秉局 を完全移籍、ブラジル・イパチンガFC からMFマックス を期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志 が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾 を完全移籍で獲得。
1月25日から始まった40日間の春季キャンプを終え、そのまま広島入りして開幕戦を戦い帰仙したチームであるが、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災 )および福島第一原子力発電所事故 が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充 などが避難所生活を強いられることとなった。3月28日、選手達はクラブに再集合した後に足早に石巻市 へと向かった。「声も出ない程の光景でした(大久保 )」津波で甚大な被害を受けた被災地の光景に選手達は言葉を失った。翌日、練習前のミーティングで手倉森監督は「被災地のチームとして、この地の希望の光になろう」と呼びかけた。同日には震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」 に関口とMF梁勇基 が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた[ 8] [ 9] 。地元でのトレーニングが難しくなり仙台は再びホームタウンを離れて、千葉県 市原市 と埼玉県 さいたま市 でキャンプを張り、リーグ再開に備えた。なお、中断期間中の4月9日 にマルキーニョスが退団した。
4月23日、中断明けの第7節(2試合目)で川崎Fに逆転勝利を収める。この試合はJクロニクルベスト の「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズ の「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水 戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした[ 10] 。
その後、京都からディエゴ をレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋 戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪 戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。
ナビスコ杯 は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯 は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。
シーズン終了後、DF細川淳矢 が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田 へ、FW大久保剛志がJFL のソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希 が鳥栖 へ、DF島川俊郎 が東京V へ、FW中島裕希 が山形 へ期限付き移籍した。また、横浜FC へ期限付き移籍している関憲太郎 の移籍期間も延長された。
10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼ の受け皿として、新たにベガルタ仙台レディース を発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ 2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。
2012年基本フォーメーション
2012年
チームスローガン:V Shift 杜が進む、越える、輝く☆
手倉森体制5年目。甲府 から内山俊彦 、C大阪 から上本大海 、中国スーパーリーグ ・陝西宝栄 からFWウイルソン 、ブラジル・パルメイラス からMFサッコーニ を獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏 が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校 からMF藤村慶太 、仙台大学 からMF奥埜博亮 が加入。仙台ユースからMF越後雄太 が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FM を退団していたGK阿部陽輔 が加入した。
開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、クラブ史上初のACL 出場権を獲得した。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズ では、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソン がクラブ初のベストイレブン を獲得した[ 注 2] 。
ナビスコ杯 はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯 は3回戦で熊本 に延長戦の末敗れた。
シーズン終了後、DF朴柱成 、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充 が浦和 、GK阿部陽輔が金沢 へ完全移籍。DF原田圭輔 が栃木SC へ期限付き移籍した。また、山形 に期限付き移籍中だったFW中島裕希 、鳥栖 に期限付き移籍中だったMF高橋義希 もそれぞれ完全移籍に移行となった。
2013年
チームスローガン: Vision 継がれる力は、新しいステージへ
手倉森体制6年目。草津 (途中C大阪 にレンタル移籍)からMFヘベルチ 、東京V からDF和田拓也 、新潟 からDF石川直樹 、G大阪 からMF佐々木勇人 を完全移籍で、スポルチ・レシフェ からMFジオゴ をレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手 として登録された仙台大学 のDF蜂須賀孝治 が加入。また、東京V(のちに秋田 )に期限付き移籍していたDF島川俊郎 、横浜FC に期限付き移籍していたGK関憲太郎 がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK石川慧 がS仙台 、DF島川俊郎が秋田、MF奥埜博亮 が長崎 へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が大宮 へ完全移籍。広島 からDF石川大徳 が期限付き移籍で加入した。
リーグ戦は、ACL 出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。
初出場となったACLは1勝3分2敗でグループリーグ敗退。ナビスコ杯 はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で川崎 に2敗し敗退となった。天皇杯 は2009年 (ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝でFC東京 に延長戦の末、敗戦)。
10月10日、手倉森監督が2014年 より2016年 リオデジャネイロ五輪 出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了をもって退任することを発表[ 11] 。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK林卓人 が広島、MF松下年宏 が横浜FC 、MF田村直也 が東京V 、MF越後雄太 が盛岡 へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF原田圭輔 が町田 へ、GK石川慧 が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。
2014年
チームスローガン: Challenge 誇りを胸に、歴史を刻む (アーノルド監督時代)→ ReVital あふれる力を呼び覚ませ (渡邉監督時代)
新監督にオーストラリア 出身のグラハム・アーノルド が就任[ 12] 。昨年途中に特別指定選手 として登録された阪南大学 のDF二見宏志 、中央大学 (東北学院中・高 卒)からGKシュミット・ダニエル [ 13] 、駒澤大学 からFW山本大貴 が加入。G大阪 からMF武井択也 、大宮 からMF鈴木規郎 をそれぞれ完全移籍、セントラルコースト からMFマグリンチィ 、清水 からMF八反田康平 をそれぞれ期限付き移籍で獲得。広島 から期限付き移籍中のDF石川大徳 は移籍期間を延長して残留した。
シーズン開幕後、パース からGKヴコヴィッチ を期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、熊本 へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も松本 へ育成型期限付き移籍した。W杯 開催に伴う中断期間中に、ルーツィク からMFハモン・ロペス を完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF村上和弘 (8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、鹿島 からMF野沢拓也 を完全移籍で獲得した。
チームは開幕からナビスコ杯 を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、4月9日 、アーノルド監督が退任[ 14] 。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの渡邉晋 が就任[ 15] 。第14節を終えて5勝3分6敗(勝ち点18)得失点差⁻9、第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝でリーグ戦中断期間を迎えた。夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・徳島 戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。
ナビスコ杯 は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。天皇杯 は初戦(2回戦)で関西リーグ 所属・奈良クラブ (奈良県代表)に敗れ、敗退した。
シーズン終了後、FW柳沢敦 は鹿島のコーチとなり、になり、町田 に期限付き移籍していたDF原田圭輔 がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW武藤雄樹 が浦和 、DF角田誠 が川崎 、DF渡辺広大 が山形 、FW赤嶺真吾 がG大阪 、MF太田吉彰 が磐田 、FW中原貴之 が福岡 、GK桜井繁 が栃木SC 、MF佐々木勇人 が京都 へそれぞれ完全移籍。また、佐藤洋平 GKコーチがU-15日本代表 GKコーチ就任のため退任した。
8月、クラブ創立20周年記念試合「ベガルタ仙台OB×ユベントスOB」を開催[ 16] 。
2015年
チームスローガン: 挽回 SENDAI 2015
渡邉体制2年目。昨年途中より特別指定選手 として登録されていたユースのMF茂木駿佑 が昇格。富山第一高 からFW西村拓真 、韓国・光云大 からMFキム・ミンテ がそれぞれ加入。長崎 からMF奥埜博亮 、秋田 からGK石川慧 、松本 からFW山本大貴 がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF村上和弘 が完全移籍へ移行。松本からDF多々良敦斗 、横浜FM からGK六反勇治 、磐田 からFW金園英学 、神戸 からMF杉浦恭平 、柏 からDF渡部博文 、大宮 からMF金久保順 、ブラジル・カンブリウFC からDFフェリペ をそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に栃木SC へ期限付き移籍となった。
シーズン途中の6月にGKシュミット・ダニエル が熊本 へ、7月にMF茂木駿佑が金沢 へ、それぞれ期限付き移籍。
このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・G大阪 戦前[ 注 3] に確定)。
「J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基のゴールが選出された[ 17] 。
ナビスコ杯 はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。天皇杯 は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。上本大海 が長崎、山本と武井択也 が松本、鎌田次郎 が柏、多々良が千葉 へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。
2016年
チームスローガン: Build Up 興 興せ思いを。走らせろ己を。繋げ力を。
渡邉体制3年目。ユースから小島雅也 と佐々木匠 が昇格。青森山田高 から常田克人 、市立船橋高 から椎橋慧也 、明治大 から差波優人 が新加入。他クラブからは千葉 から大岩一貴 と水野晃樹 を完全移籍、清水 から平岡康裕 、FC東京 から三田啓貴 を期限付き移籍 で獲得。金沢 へ期限付き移籍していた茂木駿佑 が復帰。
2ndステージ開幕後の7月、DF二見宏志 が清水へ完全移籍。また、同月にブラジル のアトレチコ・ミネイロ から、パブロ・ジオゴ を期限付き移籍で獲得した[ 18] 。
J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利してJ1残留が確定。同ステージは通算6勝2分9敗(勝ち点20)・得失点差-4の12位で、年間成績は13勝4分17敗(勝ち点43)・得失点差-9の12位。
ナビスコ杯 [ 注 4] は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。天皇杯 はJ3 の盛岡 に敗れ、初戦(2回戦)敗退。
なお、2ndステージ第14節・鳥栖戦で、ハモン・ロペス がハットトリック を達成、J1のリーグ戦ではクラブ史上初となった[ 19] 。
シーズン終了後、水野が鳥栖、ウイルソン が甲府 、渡部博文 が神戸 、キム・ミンテ と金園英学 が札幌 、杉浦恭平 が金沢、六反勇治 が清水、ハモン・ロペスが柏 へそれぞれ完全移籍した。
Jリーグベストピッチ賞
2017年
チームスローガン: Be STRONG 興せ、未来を
渡邉体制4年目。法政大 から永戸勝也 が新加入。FC東京 から平山相太 が完全移籍[ 20] 、柏 から増嶋竜也 、浦和 から石原直樹 、川崎 から中野嘉大 、SCブラガ からクリスラン がそれぞれ期限付き移籍加入。松本 へ期限付き移籍していたシュミット・ダニエル が復帰。また、前年に期限付き移籍で仙台へ加入した三田啓貴 と平岡康裕 がともに完全移籍に移行。
シーズン開幕直後の3月に中東高校 のイ・ユノ を獲得、リーグ戦中断期間の7月には名古屋 から古林将太 が期限付き移籍で加入した一方、石川直樹 が札幌 へ完全移籍した。
3シーズンぶりに1ステージ制に戻ったJ1リーグ戦は第3節の神戸 戦で、東日本大震災 の発生後初めて3月11日に試合が開催された[ 21] 。また、翌週の同月18日に行われた第4節柏戦でJ1通算100勝を達成[ 22] 。シーズン通して好不調の波が大きかったが、最終成績は11勝8分15敗の勝ち点41で12位。
ルヴァン杯得点王 のクリスラン (ホーム新潟戦で5月度ベストゴール受賞) 月間ベストゴール - YouTube
ルヴァン杯 (旧・ナビスコ杯)は、グループステージ第1節のFC東京戦で0-6の大敗を喫するも、その後4勝1分けと立て直し、A組1位(勝ち点13・得失点差0)でノックアウトステージに進出[ 注 5] [ 23] 。ノックアウトステージ・準々決勝では鹿島 と対戦し、1勝1敗も2戦合計スコアで上回り、チーム初のベスト4進出を果たす。準決勝では川崎 と対戦。ホームでの第1戦を3-2で勝利するも、続くアウェーでの第2戦を1-3で落とし、2戦合計4-5で敗退。決勝進出はならなかった。なお、西村拓真 が同大会のニューヒーロー賞を獲得した。
天皇杯 は2回戦で筑波大学 に2-3で敗れ、前年に続き初戦敗退となった[ 24] 。
シーズン終了後、石川慧 が栃木 、三田が神戸へそれぞれ完全移籍。この他、増嶋とクリスランが期限付き移籍期間満了、ヴィニシウス と野沢拓也 がともに契約満了となり退団。また、小島雅也 が町田 、藤村慶太 が金沢 へそれぞれ期限付き移籍。盛岡 へ期限付き移籍していた差波優人 が富山 、徳島 へ期限付き移籍していた佐々木匠 が讃岐 へそれぞれ期限付き移籍。
博報堂DYメディアパートナーズ と10年間にわたるビジネス戦略パートナー契約を締結[ 25] 。
2018年基本フォーメーション
2018年
チームスローガン: Be STRONG 興せ、「シン」の力を
渡邊体制5年目。流通経済大 からジャーメイン良 が新加入、G大阪 から金正也 、新潟 から川浪吾郎 、岐阜 から庄司悦大 、韓国 ・蔚山現代 から阿部拓馬 がそれぞれ完全移籍で、川崎 から板倉滉 が期限付き移籍で加入した[ 26] 。また、前年に期限付き移籍で加入した野津田岳人 が移籍期間を延長し、中野嘉大 、古林将太 、石原直樹 がそれぞれ完全移籍に移行した[ 27] 。一方で、同シーズンの契約更新が発表されていた平山相太 が[ 28] 、キャンプイン後に現役引退を表明し退団[ 29] [ 30] 、ECヴィトーリア からラファエルソン を期限付き移籍で獲得。4月10日には昨季までC大阪 に在籍していた関口訓充 が6シーズンぶりにチームに復帰[ 31] 。6月25日にはG大阪から矢島慎也 、7月9日には神戸 からハーフナー・マイク がともに期限付き移籍でそれぞれ加入、9月11日には前々年まで在籍していたハモン・ロペス が完全移籍で復帰。その一方で6月11日には茂木駿佑 が水戸 、7月14日には庄司が京都 へそれぞれ期限付き移籍。7月24日には金久保順 が京都、9月1日には西村拓真 がロシアのPFC CSKAモスクワ へそれぞれ完全移籍。西村は24節終了時点で日本人トップの11得点を挙げて仙台の攻撃を牽引し、サッカーダイジェスト のブレイクランキングで1位の評価を得た[ 32] 。
初の天皇杯決勝進出
J1リーグ は開幕5試合を無敗(3勝2分)と幸先良いスタートを見せる。その後は勝ったり負けたりの繰り返し。終盤になり失速(第27節からの8試合を1勝1分6敗)するが、それでも最終的には13勝6分15敗(勝ち点45)の11位でJ1残留。ルヴァン杯 は、グループステージを3勝2分1敗の勝ち点11・得失点差+4で2年連続の1位通過。プレーオフステージ[ 注 6] で湘南 と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア3-4で敗退(湘南は同大会で優勝を果たす)。天皇杯 はクラブ史上初の決勝へ進出(決勝で浦和 に0-1で敗れ、準優勝となった)。
シーズン終了後、16年間チームに在籍し続けた菅井直樹 が引退。この他、古林が湘南、中野が札幌 へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍で加入していたハーフナー、野津田、矢島、板倉、ラファエルソンがそれぞれ期間満了で退団。また仙台から他クラブへ期限付き移籍中の庄司、藤村慶太 、茂木が完全移籍に移行し正式に退団。富山 へ期限付き移籍していた差波優人 も契約満了により退団(移籍先の富山も退団)。イ・ユノ が福島 へ期限付き移籍した。また、町田 へ期限付き移籍していた小島雅也 が金沢、讃岐 へ期限付き移籍していた佐々木匠 が山口 へそれぞれ育成型期限付き移籍した。板倉は翌年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティに完全移籍[ 33] 。
2019年
チームスローガン: ReVolution
渡邉体制6年目。桐生第一高 から田中渉 、成立学園高 から照山颯人 が新加入。この他、長崎 から飯尾竜太朗 、札幌 から兵藤慎剛 、神戸 から松下佳貴 、松本 から石原崇兆 、甲府 から道渕諒平 (仙台ユース出身)、G大阪 から神戸へ期限付き移籍していた長沢駿 、前年までアル・アハリSC でプレーしていたモザンビーク代表 のシマオ・マテ が完全移籍、横浜FM から吉尾海夏 が期限付き移籍でそれぞれ加入。シーズン中の6月28日にはディバ・アル・フジャイラ からジオゴ・アコスタ 、7月2日にはシロンスク・ヴロツワフ からヤクブ・スウォビィク 、7月25日には札幌から中原彰吾 が完全移籍でそれぞれ加入し、7月18日には日本代表としても活躍するようになったシュミット・ダニエル がシント=トロイデンVV へ完全移籍。
J1リーグ は選手の大幅な入れ替わりもあって第4,5,13節終了時は最下位に沈むが、システムを4バックに、次いで堅守速攻の戦術に変更すると、3バック時に適正ポジションが見つからなかったシマオ・マテがセンターバックに定着し(クラブ7年ぶりの優秀選手賞を受賞)、左サイドバックの永戸勝也 がアシストを量産(公式記録とはならないが、リーグ最多の10アシスト)するなどして復調。最終的には12勝5分17敗(勝ち点41)の11位でJ1残留。ルヴァン杯 は、グループステージを3勝3分0敗の勝ち点12・得失点差+4で3年連続の1位通過。プレーオフステージで名古屋 と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア1-2で敗退。天皇杯 はラウンド16(4回戦)で手倉森誠監督率いる長崎 に敗れた。
シーズン終了後、渡邉監督が退任[ 34] 。選手では16年間在籍し続けた梁勇基 が鳥栖 、主将の大岩一貴 および石原直樹 が湘南 、永戸勝也 が鹿島 、阿部拓馬 が琉球 、金沢 へ期限付き移籍していた小島雅也 が群馬 へそれぞれ完全移籍。横浜FMからの期限付き移籍でプレーしていた吉尾は町田 へ期限付き移籍。ジオゴ・アコスタ とハモン・ロペス も契約満了により退団した。
ベガッ太 の妹、ルターナ が開幕戦より初登場。
2020年
チームスローガン: 熱結 LINK to the FUTURE
前年まで山形 を指揮していた木山隆之 が新監督に就任[ 35] 。選手ではユースから小畑裕馬 が昇格。この他、広島 から地元・仙台出身の吉野恭平 、ボタフォゴSP (ブラジル)からパラ 、鳥栖 からスペイン 出身のイサック・クエンカ 、名古屋 から赤﨑秀平 、水戸 から浜崎拓磨 がそれぞれ完全移籍、ヴィトーリアSC (ポルトガル)からアレクサンドレ・ゲデス 、C大阪 から山田寛人 、FC東京 から前年、山形でプレーしていた柳貴博 がそれぞれ期限付き移籍で新加入。また、山口 へ期限付き移籍していた佐々木匠 と福島 へ期限付き移籍していたイ・ユノ が復帰。
リーグ戦 では17試合連続未勝利を喫する等、シーズンを通して苦戦。終盤にやや巻き返しがあったものの、最終的には6勝10分18敗(勝点28)の17位で本来ならばJ2降格となる順位だったが、新型コロナウイルス感染症流行に伴う特別レギュレーションにより"降格なし"となりJ1残留。6勝は全てアウェーで挙げたもので、ホームでは1勝も挙げる事ができなかった。
9月1日、従来の運営会社である株式会社ベガルタ仙台 とマイナビ との間で、マイナビベガルタ仙台レディース の経営権譲渡に関する基本合意書を締結したことが明らかにされた。[ 36] 2020年シーズンは従来の体制のままチームを運営し、シーズン終了後に正式に経営権を譲渡となった。
10月20日、道渕諒平 が交際女性とのトラブルにより9月に逮捕されていたと報じられ[ 37] 、事実関係を確認した上で契約を解除した[ 38] 。
また、新型コロナウイルスの影響による大幅な減収により、債務超過 に陥る見込みとなった。これを受けて緊急募金を実施していたが、道渕の契約解除により募金は中断された[ 39] 。
シーズン終了後、木山は監督を退任[ 40] 、強化育成本部長の丹治も退任。選手では10年間在籍した関憲太郎 が契約満了により山口 へ移籍、椎橋慧也 が柏 、ジャーメイン良 が横浜FC 、川浪吾郎 が広島 、常田克人 と浜崎拓磨 が松本 へそれぞれ完全移籍。セレッソ大阪 から期限付き移籍でプレーしていた山田寛人 は移籍期間が満了。兵藤慎剛 、飯尾竜太朗 、金正也 、アレクサンドレ・ゲデス 、パラ 、イ・ユノ も契約満了により退団した。
2021年
チームスローガン: Standin' together☆Revival 立ち上がれ復興へ
2013年まで6年間チームを指揮していた手倉森誠 が8シーズンぶりに監督に復帰。
阪南大学 から真瀬拓海 、流通経済大学 から加藤千尋 とアピアタウィア久 、仙台大学 から井岡海都 が新加入。この他、長崎 から氣田亮真 、横浜FC から皆川佑介 、浦和 からマルティノス 、名古屋 から秋山陽介 、岐阜 から長倉颯 が完全移籍、磐田 から上原力也 が期限付き移籍でそれぞれ加入。ポルティモネンセ からストイシッチ 、FCヴィゼラ からオッティ 、サントスFC からカルドーゾ 、アヴァイFC からフォギーニョ も加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止のために入国は加入発表より数か月遅くなった。
本年も主力選手に故障が相次ぎ中々ベストメンバーが揃えられなかった。契約更新したクエンカ とシマオ・マテ 、新加入のマルティノス はシーズン途中に双方合意の元で契約解除となった。
7月に田中渉 は山口 への育成型期限付き移籍 が決定。8月に富樫敬真 、福森直也 が加入。
前年に降格が行われなかった関係で20チームの参加で行われたJ1リーグ戦 は開幕戦こそ引き分けるも、2戦目から6連敗。11戦目でようやく初勝利を挙げた後は一時的に巻き返しを見せるも、東京五輪 開催による中断が明けてからはまたしても負けが込むようになり、11月20日に2試合残してのJ2降格が決定。同22日をもって手倉森が監督を退任。翌23日よりヘッドコーチを務めてきた原崎政人 が"暫定"監督に就任し、残り2試合の指揮を執った。最終成績は5勝13分20敗(勝ち点28)の19位で、12年間留まり続けたJ1から去る事になった[ 注 7] 。
ルヴァン杯 はグループステージ2勝4敗(勝ち点6)の3位で敗退。
2年ぶりの出場となった天皇杯 では岩手県代表として出場したJ3リーグ 所属の岩手 と初戦で対戦するも、0-1で敗戦。
シーズン終了後、石野智顕 GKコーチが清水 へ移籍。選手ではユース出身の佐々木匠 が愛媛 、6年間在籍した西村拓真 が横浜FM 、GKのヤクブ・スウォビィク がFC東京 、アピアタウィア久 が京都 へそれぞれ完全移籍。ベテランの関口訓充 (後に南葛SC 入団)、長倉颯 、オッティ も契約満了により退団した。
初のユニフォーム胸上部スポンサーとして、株式会社エス・ブイ・シー(SVC) と契約を締結。同社のロゴが鎖骨左部分に掲出。
また、ベガルタチアリーダーズ ユニフォーム前面スポンサーとしても支援を開始[ 41] 。
2022年 - (J2)
2022年
チームスローガン:CRAWL UP 這い上がる
前年11月に暫定監督に就任した原崎政人 がそのまま続投し、アシスタントコーチに角田誠 、GKコーチに大神友明 、フィジカルコーチに松本純一 らが入閣。選手では2019年まで16年間在籍していた梁勇基 が鳥栖 からの完全移籍で3シーズンぶりに復帰。その他にも、鹿島 から地元・仙台出身の遠藤康 、水戸 から中山仁斗 、福島 から鎌田大夢 、長崎 から期限付き移籍で名倉巧 などを新戦力として迎えた。蔚山現代FC から期限付き移籍でキム・テヒョン 、ロサリオ セントラル からデサバト も加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止の為に入国は加入発表より数か月遅くなった。田中 は山口 への期限付き移籍期間の延長が決定。
木下グループ とユニフォーム(鎖骨右部分&背中上)スポンサー契約を新たに締結[ 注 8] [ 42] 。また、デジタルマーケティング パートナー、セプテーニ・ホールディングス と、ユニフォームショーツ背面スポンサーとしての契約を新たに締結した[ 43] 。
4月6日、6日前に赤﨑秀平 が一身上の都合で退団(後に南葛SC 入団)しセレッソ大阪 より中島元彦 を育成型期限付き移籍 で獲得。4月26日、ホームタウンを「仙台市 」から「仙台市を中心とする宮城県 全県」に変更することを発表[ 44] 。
6月1日、25周年を迎えたユアスタ にて天皇杯2回戦ホンダFC に勝利[ 注 9] 。
7月7日、ガンバ大阪 より佐藤瑶大 を育成型期限付き移籍 で獲得。7月16日、盛岡 戦でJ2通算200勝を達成[ 45] 。
9月6日、先月の4連敗を受けて原崎監督解任ならびに8月まで磐田 の監督を務めていた伊藤彰 の新監督就任を発表[ 46] [ 47] 。
チームは序盤好調を維持。一時首位に立ち、前半戦終了時点でも首位新潟と勝点差2の2位に立っていたが、後半戦に入ると失速。特に第31節からの12試合で2勝2分8敗と大ブレーキがかかり、優勝並びに自動昇格争いからは遠ざかってしまう。最終節の秋田戦に勝利すればプレーオフ進出の可能性があったもののスコアレスドローに終わり、結局前節まで8位だった山形に逆転され7位で終了した。後半戦で6勝5分10敗、勝点23しか挙げられなかったことが響いた形となった。
シーズン終了後、7年間在籍した平岡康裕 が契約満了で愛媛 へ、ストイシッチも満了で町田 へ、カルドーゾ と名倉巧 と佐藤瑶大 は期限付き期間満了、デサバト や大神 GKコーチも退団となった[ 注 10] 。吉野恭平 は横浜FC 、富樫敬真 は鳥栖 、田中渉 は山形 、石原崇兆 は金沢 へ移籍し、18年在籍した富田晋伍 は現役引退を表明した。
2023年
チームスローガン:GRAV 協創 [ 注 11]
前年最終戦の翌日、伊藤彰 監督の続投が発表された。コーチの人事にも動きがありヘッドコーチに渋谷洋樹 、コーチに堀孝史 、GKコーチに工藤輝央 らが入閣。選手では中島元彦 が期限付き期間を延長し、山田寛人 も3季ぶりに復帰、神戸 から郷家友太 、ポルティモネンセ からエヴェルトン 、FC東京 から林彰洋 、浦項 からホ・ヨンジュン 、鳥栖 から相良竜之介 、大分 から小出悠太 、熊本 から菅田真啓 を新戦力として迎えた。新卒ではオナイウ情滋 、工藤蒼生 、梅田陸空 、菅原龍之助 が入団し、大曽根広汰 は藤枝 へ期限付き移籍が決定。例年よりも早いペースで年内に既存選手の契約更新を終わらせた。
2023年1月10日、運営会社が広告主となり泉中央駅 に副駅名として「ベガルタ仙台・ユアスタ前 」と命名した[ 48] 。1月11日、平成の森 多目的運動場 が「ベガルタ仙台平成の森運動場」となった[ 49] 。
2月8日、トップチームの練習場である「ベガルタ仙台紫山サッカー場」の呼称が「アイリストレーニングフィールド 」となった[ 50] 。
5月3日、秋田 戦はマイナビ仙台レディース の長野 戦と史上初のダブルヘッダーで開催。5月15日、J30ベストアウォーズ において、ベストマッチ を受賞[ 51] 。
6月8日、庄子春男 がGMに就任[ 52] 。
6月13日、Youtuber のかっつー が応援アンバサダーに就任。
7月13日、天皇杯敗退後に伊藤彰監督退任ならびに堀孝史コーチの監督就任を発表[ 53] [ 54] 。シーズン途中での監督交代は3年連続となる。
8月3日、名古屋グランパス より長澤和輝 を獲得。
10月27日、2023年6月11日に開催された対ジュビロ磐田 戦の試合終了後にベガルタ仙台の100人を超えるサポーターが、磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスが不満だったため、スタジアムの立入禁止区域に侵入して、磐田の選手らが乗ったバスを取り囲んで、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇した。これによりクラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分が下された[ 55] 。また、クラブの元社員が2015年12月から2023年6月16日までに、顧客からチケットなどの代金を受領していた現金と顧客に対して販売するためにクラブから交付されたチケットなど、合わせておよそ1100万円分を着服した上で横領したことについても、クラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分を下した[ 55] 。
6月11日の磐田 戦から2ヶ月勝利なし、昇格組のいわき と藤枝 に一度も勝てず(2分2敗)、最下位で降格した金沢 に唯一シーズンダブル(2敗)を食らうなど、シーズンを通して低空飛行を続けた。またアウェイ山形 戦で1-4で大敗し、13年ぶりのダービー敗戦を喫した[ 56] 。
最終的に12勝12分18敗の16位となり、1999年のJリーグ参入以来最低順位を記録するという不名誉な結果に終わった。シーズン終了後に18年在籍した梁勇基 が引退し、12年間在籍した蜂須賀孝治 も契約満了で秋田 へ移籍、エヴェルトンとキム・テヒョンとホ・ヨンジュンは期限付き期間満了、堀監督は退任した。
2024年
チームスローガン:PASSION 限界を超えろ
クラブ30周年の節目の年。前所属の川崎 を強豪クラブにした立役者の一人である庄子 GMは「リフォームしようと思っていたら、建て替えに近い状態だった」とベガルタの抜本的な改革を試案。クラブの短期的な目標は毎年「昇格」を念頭に置きつつも長期的には下部組織をプレミアリーグ に昇格させて競争力を上げ、トップチームとの交流を増やす事でチームの核となる選手、世界で活躍する選手を一人でも多く育成して「育成クラブ」として発展しようと決意[ 57] 。クラブは前U-17日本代表 監督で育成年代で実績十分な森山佳郎 を新監督に招聘し、東北学院大学 泉キャンパスに練習場を新設するプロジェクトを立ち上げた[ 58] 。コーチ陣も大幅に変わり、ヘッドコーチに片渕浩一郎 、コーチに今野章 、フィジカルコーチに村岡誠 を招聘し、GKコーチには植田元輝 をユースから引き上げた。
選手では中島元彦 が期限付き期間を延長し、秋田 から髙田椋汰 、横浜FC からマテウス・モラエス 、浦和 から知念哲矢 、川崎 から名願斗哉 、ヴィラ・ノヴァFC からエロン を獲得[ 注 12] 。新卒は神村学園高等部 から西丸道人 、仙台大学 から石尾陸登 、びわこ成蹊スポーツ大学 から工藤真人 、中央大学 から有田恵人 が入団。
キャプテンには遠藤康 が就任し、空位となった背番号「10」は鎌田大夢 が引き継いだ[ 注 13] 。
1月、東北大学大学院経済学研究科 、バンコクFC と包括連携協定を締結[ 59] [ 60] 。
3月12日、川崎 より松井蓮之 を期限付き移籍 で獲得。3月21日、「人権擁護 功労賞」を受賞[ 61] 。
7月10日、Jリーグ気候アクションweb検定で1位を獲得[ 62] 。7月15日、クラブ設立30周年記念ユニフォームを発表[ 63] 。
夏の第2登録期間では、横浜FM から實藤友紀 、山口 から梅木翼 、町田 から奥山政幸 を獲得し、長沢和輝 がニュージーランドのウェリントン・フェニックスFC へ完全移籍。
ルヴァン杯 は1stラウンド1回戦で沼津 と対戦するが、2-3で敗退。天皇杯 も初戦となった2回戦で徳島 に0-1で敗退。
J2リーグ戦 では3連敗が1度もなく(2連敗も2度のみ)、シーズンを通して概ね好調を維持。最終的には18勝10分10敗(勝点64)の6位となり、J1昇格プレーオフ 出場。アウェー連戦となった同プレーオフでは準決勝で長崎 に4-1で勝利したものの、続く決勝で岡山 に0-2で敗戦。4シーズンぶりのJ1復帰はならなかった。
シーズン終了後、キャプテンを務めた遠藤が現役引退[ 64] 。この他、中山仁斗 、内田裕斗 が契約満了[ 65] [ 66] 、松下佳貴 が藤枝 、小出悠太 が甲府 、小畑裕馬 が福岡 へそれぞれ完全移籍[ 67] [ 68] [ 69] 、C大阪 からの期限付き移籍期間を延長していた中島も移籍期間満了(C大阪へ復帰)[ 70] により退団。また、菅原龍之助 が栃木SC 、工藤真人が高知 へそれぞれ期限付き移籍となった[ 71] [ 72] 。8月に大宮 へ期限付き移籍した知念も同クラブへの移籍期間満了と同時に水戸 へ期限付き移籍[ 73] 。
2025年
森山体制2年目。
選手ではユースチームから横山颯大 がトップチームに昇格。帝京長岡高 から安野匠 、日章学園高 から南創太 、中央大 から湯谷杏吏 が新加入。岡山 から堀田大暉 、水戸 から石井隼太 、名古屋 から井上詩音 、浦和 から武田英寿 、栃木SC から宮崎鴻 、SCラインドルフ・アルタッハ (オーストリア )からグスタボ 、町田 から荒木駿太 がそれぞれ完全移籍加入。前年度、期限付き移籍で在籍していた實藤友紀 、奥山政幸 、松井蓮之 がそれぞれ完全移籍に移行。育成型期限付きで在籍していた名願斗哉 は移籍期間を延長し、引き続き仙台に在籍。
成績 · 表彰
国内タイトル
個人別
リーグ
ベストイレブン
フェアプレー個人賞
優秀選手賞
功労選手賞
J2得点王
明治安田生命Jリーグ KONAMI 月間優秀監督賞/MVP
月間ベストゴール
TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD
J's GOAL J1月間MIP
JPFAアワード J2ベストイレブン
リーグ杯
その他
フェアプレー賞 J1
フェアプレー賞 J2
Join賞(チェアマン特別賞)
2009年 - J2フェアプレー賞を2年連続で受賞した為
Jリーグベストピッチ賞 [ 74]
J30ベストアウォーズ
国際大会出場
A代表
FIFAワールドカップ
FIFAワールドカップ (監督)
年代別代表
夏季五輪 (U-23)
夏季五輪 (U-23監督)
アジア大会 (U-23)
アジア大会 (U-23監督)
リーグ戦の主な記録
チーム記録
最多得点試合
最多失点試合
最多連勝
連勝試合数
期間
備考
J1
6連勝
2011年第24節(8月27日)- 第29節(10月15日)
J2
7連勝
2009年第8節(4月15日)- 第14節(5月10日)
開幕連勝記録
連勝試合数
期間
備考
J1
5連勝
2002年第1節(3月3日)- 第5節(4月6日)
昇格チーム新記録
最多連敗
連敗試合数
期間
備考
J1
6連敗
2003年1st第7節(5月5日)- 第12節(7月12日)
J2
12連敗
1999年第9節(5月2日)- 第20節(8月7日)
個人記録
通算最多試合出場
年度別チーム得点王
サポーターが選ぶ年間MVP
通算最多得点
シーズン最多得点
得点数
氏名
達成年度
J1
18得点
マルコス
2002年
J2
34得点
2001年
最多入場者数試合
最少入場者数試合
ホームスタジアム
宮城スタジアム
Jリーグ加盟以降はユアテックスタジアム仙台 (仙台スタジアム / 仙台市 泉区 。以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、キューアンドエースタジアムみやぎ (宮城スタジアム / 宮城郡 利府町 。北緯38度20分7.5秒 東経140度57分1.2秒 。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。
2009年は1月 - 6月に掛けてユアスタで芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、福島県営あづま陸上競技場 (現:とうほう・みんなのスタジアム)で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、ブランメル仙台 (JFL )時代に岩手県 で開催経験がある)。2025年も6月末までユアスタで芝の全面張り替え工事が行われるため、その間のホームゲームはやはり宮スタでの開催となる予定。
また、2011年3月の東日本大震災 に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタに会場が変更された。
2016年にベストピッチ賞を貰ったり、サッカーダイジェスト のスタジアム部門ランキングで2位に輝くなど関係者からの評価は高い[ 76] 。臨場感、快適さ、アクセスのどこから見てもポイントが高く、サッカーへの造詣が深い平畠啓史 氏の評は次の通りである。
「地下鉄南北線の終点 · 泉中央駅からわずか4分とアクセスに優れている。大きすぎず小さすぎず、サッカーを楽しむには最適な規模。サポーターの声援がスタンドを覆う屋根に、ほど良く反響するので、目だけでなく耳でも熱気を味わえる[ 77] 。」
キー局 でも反響があった「カレーは飲み物 」を絡めた スタジアムグルメ や「ふわふわベガッ太 (有料)」で子供が遊べる等スタジアム環境も年々進化させている[ 78] 。
座席は屋根で覆われてるので前方の席でなければ雨 で濡れない。また、3~5名利用の為のテーブル付きのボックスシートの販売、高密度Wi-fiサービス「VEGALTA FREE Wi-Fi」も充実させて年々観戦環境を向上[ 79] 。
尚「VPORT」というホームゲーム限定コンテンツはVEGALTA FREE Wi-Fiからのみアクセスが出来て、試合毎にマッチデープログラム、限定壁紙のダウンロードなどが利用可能[ 80] [ 81] 。
2024年シーズンよりLED照明 を導入し、ナイトゲーム時の演出がより多彩となった[ 82] 。
ホームゲーム開催地一覧[ 83]
年度
リーグ戦
Jリーグ杯
ACL
備考
仙台ス(ユアスタ)
宮スタ(Qスタ)
その他
1999
18
-
仙台ス1
不参加
2000
20
-
2001
22
-
仙台ス3
J1昇格
2002
14
1
2003
12
3
J2降格
2004
21
1
不参加
2005
22
0
2006
24
仙台ス=命名権導入によりユアテックスタジアム仙台に変更
2007
23
2008
20
1
2009
14
11
福島1
J1昇格
2010
3
ユアスタ3
2011
17
0
ユアスタ2
リーグ戦:当初予定していた宮スタの1試合が 震災の影響でユアスタに変更
2012
ユアスタ4
リーグ杯:決勝T2(準々決勝・準決勝)を含む
2013
16
1
ユアスタ1
仙台ス[ 注 14] 3
リーグ杯:ACL出場につき、決勝トーナメントのみ
2014
17
0
ユアスタ3
不参加
宮スタ=命名権導入によりひとめぼれスタジアム宮城に変更
2015
2016
2017
ユアスタ4
リーグ杯:ノックアウトS1(準々決勝)を含む
2018
リーグ杯:プレーオフ1含む
2019
2020
ユアスタ1
2021
19
ユアスタ3
J2降格
2022
21
不参加
2023
JFL時代に使用された上記以外のスタジアム
スタジアムDJ
過去のスタジアムDJ
ベストマッチ
Jリーグ表彰
各メディアに伝説の試合として多く挙げられるのが次の試合。①と②は Youtube Jリーグ公式チャンネルの「もう一度見たいあの試合」に選ばれており、②はJクロニクルベスト の「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズ の「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれている。サッカーダイジェスト においても2つは番記者セレクト名勝負ベスト3に選ばれている[ 84] [ 85] 。
※対戦カード・開催スタジアムの表記は試合の行われた当時のもの。
復興応援試合
東日本大震災 に伴うリーグ戦中断明けから始まった復興支援試合。仙台と川崎の再開初戦はJ30ベストアウォーズ でベストマッチ に選ばれた[ 86] 。
翌年から3.11 より日付が一番近い試合は「復興応援試合」と銘打って大々的に行われる様になったが、クラブによっては「復興祈念試合」と謳う場合もある。
試合前の募金活動や被災者の無料招待等の支援活動が主であり、沢山のJリーグクラブが行った。10年経っても支援活動を続けているクラブはありその内容は多岐にわたる。
仙台も日頃のホームタウン活動において震災復興支援として下記の活動をしている[ 87] 。
選手被災地訪問
東日本大震災追悼式典参列
復興支援サッカーキャラバン
復興支援in石巻
宮城・東北Dream Project (被災地招待事業)
こころもからだも元気Project
被災地商店街訪問
2016年には「5周年 復興祈念ユニフォーム」を着用[ 88] [ 89] 。
2021年には新しく 『東日本大震災10年プロジェクト』 と標榜した活動をし選手達のユニフォームに「全ての仲間にありがとう。がんばろう!宮城·東北」と掲出し全試合で発信した[ 90] 。本年の対戦カードは10年前と同じ川崎。
毎年のトップチーム始動日には全員で被災地訪問をするのが恒例である[ 91] 。
対戦相手は同じ震災で被害を受けたチームもしくは違う災害を経験したチームになる事が多くテレビ中継率も高い。
※2015と2016シーズンは2ステージ制
ユニフォーム
ユニフォームの色
カラー
シャツ
パンツ
ストッキング
FP(1st)
ゴールド[ 1]
ブルー
ゴールド
FP(2nd)
ブルー
白
ブルー
GK(1st)
赤
赤
赤
GK(2nd)
ブルー
ブルー
ブルー
チームカラー
デザイン・配色
シャツの首下(2011年 - 2014年は裾、2015年以降のモデルは右袖の「SENDAI」ロゴの両端)とソックス(2011年 - 2012年モデル以降は廃止)ならびにパンツの後ろには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍もしくはプリントされている(これは1999年-2001年使用のベガルタ初代モデルから続いている)。
フィールドプレーヤー用2ndユニフォームは白を基調としたモデルが多いが、2007年 - 2010年まではシャツ、パンツ、ストッキング共にシルバーを使用。2015年・2016年は、シャツ、ストッキングにそれぞれ青、パンツに白を使用。
ゴールキーパー用ユニフォームは、1stユニフォームは2007年 - 2010年まで薄いピンク、2017年は鮮やかなピンクだったのを除き、赤(2018年 - 2020年は蛍光色)が採用されている。また緑色ユニフォームは2006年までと2013年 - 2014年に、水色ユニフォームは2007年 - 2014年と2018年に採用。グレーユニフォームは2006年まで採用されていたが2007年 - 2014年は設定がなかった。2015年に再びゴールキーパー用2ndユニフォームとしてグレーを採用。
2009年10月のリーグ戦ホームゲームでは、クラブ創設15周年を記念して黒をベースに右袖などにはベージュに近い金色を配した特別ユニフォームを着用(GKは、10月7日のみフィールドプレーヤー用1stユニフォームを着用)。2014年10月のリーグ戦ホームゲームも、クラブ創設20周年を記念して同じ配色の特別ユニフォームを着用した(前年12月に発表)。
2011年 - 2012年モデル以降はフィールドプレーヤー用1stユニフォームのストッキングが、青からゴールドに変更。なお対戦相手のユニフォームに合わせて青のストッキングも引き続き用意されている。
2015年シーズンよりアディダスジャパン とサプライヤー契約を結んだと発表[ 92] 。サプライヤーの変更は、Jリーグに加盟した1999年以来となる。
2016年シーズンよりサマーユニフォームを開始している。
2016年夏季のリーグ戦ホームゲームでは、東日本大震災から5年が経過し、その復興を祈念してベージュに近い金色をベースにした襟付きユニフォームを着用[ 93] 。
2017年夏季のコンセプトは、ユアテックスタジアム仙台開場20周年を記念して黒(ゴールキーパー用は赤)をベースに、ブランメル仙台の緑色とベガルタゴールドの襷掛けをデザイン。夏季のリーグ戦(およびヴィッセル神戸とのプレシーズンマッチ)ホームゲームで着用された[ 94] [ 95] 。
2018年夏季のコンセプトは「一体感」。クラブ史上初となる試みで、ユニフォームスポンサーをゴールド一色に統一。7月下旬から8月のホームゲームで着用する[ 96] [ 97] 。
2019年夏季のコンセプトは「闘志継承」。クラブ創立25周年を記念して黒と紺のボーダー柄をベースに、襟と袖にブランメルグリーンをあしらい、ネームナンバーのフォントはブランメル時代のフォントを再現。ブランメルエンブレムとベガルタエンブレムの特別なロゴもつき、クラブの歴史を感じるデザインとなっている[ 98] [ 99] 。
2019シーズンはJリーグ史上初めて、ユニフォームにマスコット(ベガッ太 と妹のルターナ)の顔がデザインされている[ 100] 。
2021シーズンは、2年ぶりにリミテッドユニフォームをリリース。ベガルタブルーをベースにしたデザインになっている。10月の広島 戦より、ホームゲーム3試合で着用する[ 101] [ 102] 。
2022シーズンは、仙台の夏の風物詩 七夕まつりで願いを込める短冊がモチーフ。クラブ史上初のネイビーを基調とし真夏の夜空に輝く無数の短冊を表現。ホーム長崎戦、千葉戦で着用した[ 103] 。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所
スポンサー名
表記
掲出年
備考
胸
アイリスオーヤマ
IRIS IRIS OHYAMA
2004年 -
2000年 - 2003年は背中 2000年 - 2003年は「アイリスオーヤマ」表記 2004年 - 2022年は「IRIS OHYAMA」表記
鎖骨
なし
-
-
木下グループ
木下工務店KINOSHITA GROUP
2022年 -[ 104]
右側に表記 2022年は「木下グループ」表記 2022リミテッドは「木下のリフォーム」表記[ 105]
背中上部
木下グループKINOSHITA GROUP
2022年は「木下グループ」表記 2022リミテッドは「木下不動産」表記
背中下部
なし
-
-
袖
七十七銀行
七十七銀行
1998年 -
パンツ前面
マイナビ
MN マイナビ
2021年 -
2021年 - 2022年は「マイナビ」表記
パンツ背面
なし
-
-
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォーム
歴代ユニフォームスポンサー表記
マスコット
ベガッ太
クラブ名の由来でもある彦星(アルタイル )の属する「わし座 」にちなみ、ギリシア神話 で「勝利をもたらす」としてクラブエンブレムにも用いられている鷲 をモチーフとしている。名前は一般公募で決定。 マスコットらしからぬふてぶてしさといたずら好きでサッカーファンから愛され、毎日更新されるSNS(BLOG 、Twitter )は人気がある。
ルターナ
チーム名の由来でもある仙台夏の風物詩「仙台七夕 」から、ベガ (織姫)とアルタイル (彦星)の「ルタ」、七夕(たなばた)の「ターナ」、開催日であり誕生日でもある8月7日の「ナ」を組み合わせた、女の子らしい名前として命名。仙台の公式Twitterにて【#ルターナ】で発信する時がある。ベガッ太の妹。
サポーター
応援スタイル
ユアテックスタジアム仙台 で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「サポーター自由席 」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まっている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「ベガルタゴールド 」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。
コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって応援指示を行う。
コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。
ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。
荒木飛呂彦 氏の出身地の為、ジョジョをモチーフにした旗も見受けられる。
チャント
仙台サポーターのチャントは他サポの模倣ではなく、ロック調の楽曲をアレンジしたものが多い。
選手入場時には「カントリーロード 」を謳うが、他にも認知されているチャントは「TWISTED」と「スタンディング仙台」と言える。
震災時は仙台サポーターのYoutube動画に世界中のサッカーファンからコメントが寄せられた[ 106] 。
カントリーロード(選手入場時にタオルマフラーを空に掲げたサポーターがチャントと共に敵地スタジアムをジャックする光景はJリーグ公式アカウントに紹介されて記事になった事も[ 107] 。)
TWISTED(原曲はTwisted Sister の「We're Not Gonna Take It」。TBCテレビ 「ウォッチン!みやぎ 」のスポーツコーナーで、ベガルタの話題を伝える時のBGMとしても使用されている。2008年11月22日に行われたJ2第43節・アウェイの横浜FC戦で同曲をサポーターが歌うYouTUBE動画は世界中で多く見られており、Twisted Sisterの公式サイトにも貼られているほどである[ 108] 。アメリカのトランプ大統領も選挙活動中に原曲を使用したり、やべっちFC の世界に広がったチャントのコーナーで紹介された事がある[ 109] 。スピッツ の草野マサムネさんがラジオ番組でTwisted Sisterとベガルタ仙台のチャントのエピソードを紹介した事もある[ 110] 。2023年 5月3日 NHK 放送の「Jリーグと私 30年の物語 スペシャル」内で [世界に広がるJのチャント] の特集でもブンデスリーガ のチームが採用してると話題になった[ 111] 。)
スィンギン仙台(原曲は氣志團 の「スウィンギン・ニッポン 」。熊林親吾のものを転用。2010年現在は「AURA」の前にプレ祝勝歌として歌われる。氣志團が「スタンディング仙台」として逆カバーし、2011年5月19日より無料配信された。2011年7月2日の名古屋戦では氣志團の強い希望により、ハーフタイムに生で氣志團により「スタンディング仙台」が披露された[ 112] [ 113] 。)
選手入場曲
チームに対してのもの
この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。
選手に対してのもの
現役選手
梁勇基:元ベルマーレ平塚 のベッチーニョ の応援歌(隣あった人と肩を組んで右へ左へ移動しながら歌う。シルビーニョから流用。)
内田裕斗:お前は虎になれ
菅田真啓:仮面ライダーBLACK
中島元彦:NEW FIRST STEP
中山仁斗:No Rain, No Rainbow
林彰洋:行け!タイガーマスク
退団選手
平聡 :野猿 ・叫び
瀬川誠:蒲田行進曲
阿部良則・藤吉信次・大柴克友・フェルナンジーニョ・石原直樹:恋のメキシカンロック
阿部良則は2001年に所属していた川崎でも同曲が使用された(歌詞も同じ)。
小林康剛・財前宣之・佐藤由紀彦:ビューティフル・ネーム
小林は2002年から2003年に所属していた川崎でも同曲が使用された(歌詞も同じ)。
越後和男・山田隆裕・三田啓貴:Dreamin'
マルコス・萬代宏樹:Saturday Night
岩本輝雄:Shy Boy
中村伸:Livin'On A Prayer
福永泰・松下年宏、 西村拓真:ゴーゴーヘドロマン
山下芳輝・中原貴之:PRISONER(野獣を野に放て)
阿部敏之・永井篤志:ゆかいな牧場
ボルジェス・赤嶺真吾・富樫敬真:1000のバイオリン
チアゴ・ネーヴィス:たらこ・たらこ・たらこ
熊林親吾:スウィンギン・ニッポン
ロペス:アゲ アゲ EVERY☆騎士(振り付けあり)
入団当初の応援歌は爆風スランプの涙2〜ラブ・バージョンだった。
ジョニウソン:ジョニウソン本人の応援歌(以前所属していたクラブで実際に使われていたもの)
岡山一成:360°モンキーズ (元阪神 ・バース 選手の応援歌、おもちゃのバットを使う)
マルセロ・ソアレス:えびの「保険人生おくれ」
平瀬智行:SAの「GET UP! WARRIORS」
中島裕希:JUN SKY WALKER(S) の「歩いてゆこう 」
林卓人:炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜
角田誠:角田信朗 のよっしゃあ漢唄
移籍先の川崎でも歌詞一部変更の上、同曲が使用される
2013年以前は「ゆかいな牧場」(阿部敏之・永井篤志から流用)
柳沢敦:ザ・クロマニヨンズ の「ひらきっぱなし」
ウイルソン:The Offspring のHit That及びSaturday Night
野沢拓也:THE POGO のESCAPE
奥埜博亮:LAUGHIN' NOSE のLAST TEEN
菅井直樹:THE BOLDIES の「Killer-Oh」(club Prince の「チューナイ!」が、2007年の終盤の1試合にのみ使用された)
関口訓充:ザ・クロマニヨンズ の「ギリギリガガンガン 」
ハモン・ロペス︰MAN WITH A MISSION の「FLY AGAIN」
サポーターソング
チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営していた「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されていた。ダウンロードは月に3曲のみ可能であるが、一部の曲は含まれない。
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アカデミー
→ベガルタ仙台ジュニアユースについては、
こちら を参照
メディア
ベガルタチャンネル
''vegaltachannel''はYouTube にあるベガルタ仙台の公式アカウント[ 114] 。試合のハイライトやプロモーションの他に独自色が強いコンテンツとして下記がある。
広報カメラ(試合の舞台裏や普段の練習、開幕前のキャンプを見れて一番再生数がある[ 115] 。)
VEGALTA CHANNEL☆RADIO(試合毎に監督や選手の生の声が聴ける。)
EXCLUSIVE HIGHLIGHTS(仙台のハイライトのみ。)
コラボレーション
関連番組
インターネットテレビ
「DAZN(ダゾーン) 」はスポーツ専門の同時配信サービス、VOD (見逃し配信なら、期間内であればいつでも観れる)、サブスク 。
見逃し配信であれ、いつでもどこでも好きなコンテンツを選んで再生、一時停止、巻き戻しながら自分のスタイルで視聴することが可能。JリーグとPerform Groupが提供するスポーツのライブストリーミングサービス「DAZN」が2017年より10年間、約2100億円の放映権契約を締結。その後、2023年から2033年までの11年間で約2,395億円という新たな放映権契約を締結[ 125] 。仙台のオンラインストアから同クラブデザインの年間視聴パスを買うと、クラブに強化費が還元される。
地上波テレビ中継
宮城 の地上波5局の中継スタイル
NHK仙台放送局
仙台 でのホーム 戦を中継しているが、2007年 はアウェー の対湘南 戦と対東京V 戦、2008年 は6月 (アウェー)のみちのくダービー を中継した。2023年のホーム山形戦はJリーグ30周年記念試合としてNHK山形 と共同放送した。
東北放送
解説はブランメル時代から2007年シーズンまでは松原悟(東北学院大 サッカー部監督)が務めており他には鈴木正治 や岩本輝雄 も担当、2008年と2009年のリーグ最終戦はTBS が主な活動の場としている金田喜稔 が務めた。2009年6月にベガルタ初代監督の鈴木武一 が登場、実況は佐藤修 ・石黒新平 (圭三プロ →ニッポン放送 →RFラジオ日本 契約アナ→広島ホームテレビ )・小林徹夫 (現KBC )・大井健郎 (現・報道記者)。2007年からは守屋周 が2008年途中から飯野雅人 と松尾武 が担当、また2007年からはスカパー! においてホームゲーム中継を制作しており2007年は元仙台放送の下田恒幸が実況。2008年は前述の守屋・飯野・松尾が2009年は主に松尾、2010年からは松尾と守屋が交互で担当している。※2008年3月の草津 戦は下田が担当した(この日はプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルス のホーム開幕戦をテレビ・ラジオで中継したための人員不足と思われる)、第1期J1時代に仙台で行われた鹿島 戦を全国ネットした経験がある(TBS主導)横浜国際総合競技場 で行われた横浜FM 戦はTBSが製作する映像を見ながら応援実況の形式で放送されたこともある。2008年は4月に放送された鳥栖 戦が編成の関係上、深夜の放送となりスカパー!と同じスタッフで放送されたため解説の鈴木武一とリポーター担当でフリーの村林いづみ が同局テレビ中継初登場となった、中継スタイルとしてはハーフタイムにCMを多くいれるケースが目立ち放送席の顔出しが全くない。なお2010年以降、地上波での中継は行っていない。
仙台放送
解説は単発契約なのか固定されていない、実況はブランメル時代に1試合だけ浅見博幸 が担当。以降2005年まで下田恒幸 (現フリー )が務めていたのは有名、試合開始前には必ず「下田恒幸が心を込めてお伝えします 」のフレーズがあった。下田退社後は金澤聡 が担当している、そのためか金澤がキャスターを務める番組名を冠して「スポルたん!LIVE Special」のタイトルで放送されており試合直後のユアスタ内で「スポルたん!LIVE」の中継をしたこともある。下田退社後の中継では在仙局としては珍しくダブル解説で行うことが多い、ベガルタがJ1に復帰した2010年シーズンはフジテレビワンツーネクスト で放送されるヤマザキナビスコカップ にて仙台放送中継の全国進出(2003年シーズンに経験あり)が期待されたが予選リーグ唯一のホームゲーム中継だったFC東京戦では技術協力に留まった。が、10月の決勝トーナメント磐田戦は解説:清水秀彦 ・実況:金澤聡・リポーター:広瀬修一 の体制でフジテレビワンツーネクストと仙台放送に中継された。2007年シーズンのSKY PerfecTV!山形 ホームゲーム中継を制作していた(2008年からは山形テレビ が担当)。
ミヤギテレビ
2000年 ごろからセルジオ越後 が解説を務めていたが、仙台放送と同じく単発契約で固定されていない。実況はブランメルのジャパンフットボールリーグ (JFL)昇格決定試合(愛知県 刈谷市 で行われ系列の中京テレビ が技術協力した)を竹鼻純 が、ブランメル時代から2006年まで三雲茂晴 が担当していた。2007年は柳瀬洋平 が実況を務めていたが、2008年より夕方のニュースキャスター就任に伴い再び三雲が担当。しかし2009年は外賀幸一 が担当した。(2010年シーズンからは中継なし)2001年J1昇格を決めた京都 戦(西京極 )は同局で放送され岩瀬裕子 がリポーターで乗り込みKBS京都 の製作で放送された、なおテロップはミヤギテレビ独自のものを使用。2002年はアウェーの東京V戦を日本テレビ の製作で生中継、(日テレは深夜録画放送)こちらも岩瀬がリポーターとして登場した。2008年途中から字幕テロップが日テレとほぼ同形となった(当局初お目見えは9月の仙台カップ国際ユース大会)。因みにリポーターは相手地域に放送されるされないに関わらず相手チームにも配するケースが多い。
東日本放送
解説はかつて宮本征勝 ・原博実 ・清水秀彦 が務め、2010年より高桑大二朗 が担当。2015年は城福浩 [ 注 17] が出演した。実況はブランメル1年目のみ熊谷博之 が務めた後、現在まで加川潤 が実況を担当している。
ラジオ中継
RADIO3 が制作。宮城県内のコミュニティ放送 局(FMいずみ 、BAY WAVE (塩竈市 )、FMいわぬま 、ラジオ石巻 )にネット配信されることがある。当初はアウェイ戦のみで、2010年よりホーム戦も中継したが、2015年からアウェイ戦のみに戻った(RADIO3はこれは製作費の不足によるものであるとし、クラウドファンディング による資金集めを試みたが、不成立に終わった[ 126] )。2020年は新型コロナウイルス感染症 の影響により、リーグ再開後から翌21年までホーム戦のみの中継となった。2022年からホーム戦に加え多くのアウェイ戦(主に近隣の東北、関東)も中継していたが、2024年はホーム19試合中15試合の放送に減少。また、同局は長年にわたりベガルタの応援番組も放送している。
その他、東北放送(TBC)は年1回ほど、2007年までホームゲームの中継をしていた(最近はみちのくダービーの中継のみ)2008年以降のリーグ戦は全く中継しなかったが2008年12月10日のホーム で行なわれた磐田 との入れ替え戦を中継した。2010年は7月にホームで行われたプレシーズンマッチ浦項戦とアウェーで行われた山形戦を実況中継した(山形戦はYBCラジオが製作したものを放送、TBCからは松尾武アナウンサーがリポーターとして派遣された)。2011年は中継は行わず、2012年は9月に首位攻防戦のアウェー広島 戦を(RCCラジオ が制作したものを放送)、11月にはホーム新潟 戦を放送した。
またNHK仙台放送局も不定期に中継を行っている。
社会連携活動
チーム発足直後より、仙台市若林区荒井には市民後援会運営の「べがる田」がある[ 127] 。2021年7月に「七ヶ宿 空き家再生プロジェクト:ベガルタハウスをつくろう」をスタート[ 128] 。これは、SDGs 基本指針の目標11「住み続けられるまちづくりを」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に即した社会連携活動である。2022 Jリーグシャレン!アウォーズにおいて一般投票(TwitterによるRT数)[ 129] で1位を獲得するなど反響は大きく、申請すれば宿泊も可能[ 130] 。(ベガッ太ブログ にて最新情報は見られる[ 注 18] 。)
他のSDGs活動としてはタイの子供たちにユニフォームを寄贈したり、松川だるま や涌谷町 の黄金レモン とコラボレーション[ 131] [ 132] 。
運営会社
決算
ベガルタ仙台の決算は、下記のとおり。
損益
年度
収入
広告料
入場料
配分
その他
費用
事業費
人件費
管理費
利益
純利益
2005
1,607
425
655
138
389
1,948
1,741
1,091
207
-341
-162
2006
1,609
440
675
117
377
1,685
1,498
798
187
-76
26
2007
1,543
399
658
124
362
1,601
1,389
732
212
-58
6
2008
1,421
394
568
126
333
1,467
1,239
606
228
-46
34
2009
1,529
427
541
142
419
1,651
1,428
711
223
-122
-98
2010
2,041
611
790
233
407
1,863
1,593
858
270
178
192
年度
収益
広告料
入場料
配分
育成
その他
費用
人件費
試合
トップ
育成
女子
販売
利益
純利益
2011
2,097
682
689
238
67
421
2,038
1,007
117
150
71
0
693
59
59
2012
2,303
770
764
248
86
435
2,271
1,079
132
190
75
26
769
32
32
2013
2,429
901
757
225
88
458
2,431
1,169
144
189
68
56
805
-2
9
2014
2,249
922
660
203
96
368
2,377
1,141
125
194
62
44
811
-128
-107
2015
2,239
909
660
201
91
378
2,222
1,031
118
169
58
44
802
17
35
年度
収益
広告料
入場料
配分
育成
物販
その他
費用
人件費
試合
トップ
育成
女子
物販
販売
利益
純利益
2016
2,285
908
608
211
81
183
294
2,428
1,187
115
215
64
44
116
687
-143
-119
2017
2,709
1,183
619
458
76
173
200
2,702
1,165
163
291
90
95
128
770
7
13
2018
2,684
1,137
608
363
78
219
279
2,765
1,232
145
252
96
118
146
776
-81
-73
2019
2,711
1,165
615
360
77
244
250
2,956
1,296
150
237
83
129
167
894
-245
-428
2020
1,997
1,015
168
367
60
193
194
2,493
1,246
75
207
56
90
168
651
-496
-480
2021
2,121
1,104
268
395
59
46
249
2,259
1,156
91
262
71
0
35
644
-138
-140
2022
2,666
1,754
316
303
63
16
214
2,054
1,062
102
254
258
0
3
438
174
154
資産
年度
総資産
総負債
純資産
資本金
2005
977
556
421
2,328
2006
902
454
447
2,328
2007
777
323
453
2,328
2008
873
385
488
453
2009
623
232
390
453
2010
1,152
570
582
453
2011
1,319
678
640
453
2012
1,351
678
673
454
2013
1,208
527
681
454
2014
1,315
741
574
454
2015
1,208
599
609
454
2016
1,336
846
490
454
2017
1,298
794
504
454
2018
1,717
1,019
698
587
2019
1,360
1,004
356
630
2020
1,258
1,382
-124
630
2021
1,195
1,460
-265
630
2022
1,592
1,403
189
780
脚注
注釈
^ ただし、2004年は1チーム44試合で2009年より7試合少なかった。4回戦総当り制であったが、参加クラブ数が少なかったためである(12チーム)。
^ J's GOAL J1月間MIPにも選ばれた
^ G大阪の試合日程の兼ね合いで他会場より1日遅れで開催。
^ 同年度のノックアウトステージ(決勝トーナメント)より「JリーグYBCルヴァンカップ」(ルヴァン杯)に大会名を変更。
^ プレーオフステージ(ホーム・アンド・アウェイ方式)の導入により、同年はノックアウトステージに直接進出できるのがグループステージ1位のみとなった(そして異なる組の2位と3位がプレーオフステージによりノックアウトステージ進出を競う)。
^ 同年以降のプレーオフステージは、異なる組の1位と2位がプライムステージ(決勝トーナメント)進出を競う。
^ この年のJ1は17位から20位の4チームが降格する規定になっていた。
^ 2009年 から13年間背中上のスポンサーとして契約していたやまや は撤退となった。
^ 奇しくも25年前のこけら落としがあった日と同じ対戦カードが組まれた
^ カルドーゾはポルトガル1部 へ移籍
^ (読み方) グラブ きょうそう
^ 髙田はベガルタと親交の深い延岡市 出身の選手として初めて入団
^ 18年ぶり歴代4人目
^ ACLは「仙台スタジアム」名義
^ AFCチャンピオンズリーグ では規定によりユニフォームスポンサーは1社に限られ、胸スポンサーの「IRIS OHYAMA」(ロゴの大きさも規定によって小さく、「IRIS」「OHYAMA」は2段表記に)のみ。2015年以降のモデルでも採用。
^ カラオケで歌われるサポーターソングのランキングで1位を記録した。(2010年2月28日放送のTBS S1 SuperSoccerより)
^ 兄の城福敬が仙台育英高 サッカー部監督を務めているという縁がある。
^ 大郷町 ・明成高校 と三者共同で大郷みそカレー を開発(記事 )、東松島市 で麦踏みサッカー教室を開催するなど地域交流も積極的に行っている(記事 )
出典
関連項目
公式ストア
ホームゲーム開催時のユアテックスタジアム仙台でもグッズが購入可能。
限定商品 (例:こけし 、ミニ四駆 、ビール 、ドトール ) や先行販売のグッズもある。
アウェイゲーム先でも販売する場合あり。
外部リンク
獲得タイトル・記録
1993年から2022年までの30年間での選出 (2023年にJリーグ誕生30周年を記念した企画) ※太字 はMVP受賞者 ベストイレブン
ベストマッチ ベストゴール
ボレー/オーバーヘッド部門 テクニカル部門 ミドル/ロングシュート部門 フリーキック部門 ヘディングシュート部門 その他部門
ベストシーン
ベストイレブン (GK - DF - MF - FW ) - JCB